心理学研究室のあゆみ (文:永井 撤)


心理学研究室の創生期

*( )は各教員の在職期間

 東京都立大学人文学部に心理学の研究室が創設されたのは1950年のことである。東京都立大学は1949年に旧都立高校の教員を中心に総合大学として設立されている。創設当初の人文学部の理念は「こまかい専門領域に分化したせまい知識を学生に与えるのではなく、学問の有機的連関を理解した、広くかつ深い生きた知識人をつくろう」と明記されている。その趣旨のもとに、学科や専攻という枠にとらわれない26の講座群から構成された。その後、大学院が設置されることになり、講座が専攻ごとにまとめられるようになる。

 都立大学人文学部に最初の心理学の教員として赴任したのは社会心理学の 辻正三つじしょうぞう(*1950−1976) である。なお同じ年に教育学講座所属の教育心理学の 三浦武みうらたけし(1950−1983) が赴任している。辻の尽力により、1951年1月、社会心理学の 中村陽吉なかむらひよし(1951−1969)、 1951年4月にロールシャッハ研究の 三木清子みききよこ(1952−1959) が採用され、さらに1952年4月に乳幼児研究の 山下俊郎やましたとしお(1952−1967) を教授として迎え、心理学講座が初めて、形を整えたことになる。その後1954年に実験心理学講座が開設され、知覚心理学の 和田陽平わだようへい(1953−1971)、 今井省吾いまいしょうご(1955−1987) を迎えて2講座の体制となる。1955年には大学院(修士・博士課程)が開設されて、教育学に所属していた教育心理学・人格心理学の 三浦武みうらたけし が心理学教員として所属することになる。

 2講座による研究室は、都立大学の伝統である研究領域の壁を超えた家族的雰囲気があった。その後、1960年代の末の全国的に吹き荒れた大学紛争が起こり、その嵐が去った1971年「応用心理学講座」が開設され、人格心理学・発達心理学の 詫摩武俊たくまたけとし(1971−1991)、精神医学の 飯田真いいだしん(1971−1975)、数理心理学の 増山英太郎ますやまえいたろう(1971−1995) の3名の教員と、4名の研究助手が採用され、心理学研究室は新しい活性化の時代を迎えている。

心理学研究室の発展期

 心理学研究室は3講座6名の教授・助教授とさらに助手を含め、12名の教員側スッタフと大学院生をふくめ、研究が活発に行われるとともに、分野を超えた交流をしつつ、社会的にも研究室主催による大規模な学会開催等もなされている。1975年と1990年の日本心理学会の開催、さらには心理臨床学会の開催が1988年に実施されている。従来の社会心理学、知覚心理学の伝統に加え、詫摩の加入により、人格心理学、発達心理学、臨床心理学分野の院生・学部生も増え、これらの分野からも優秀な人材を多数輩出している。

 1975年に飯田の後任として、学習心理学の 篠原彰一しのはらしょういち(1975−1999) が赴任している。1977年には辻の後任として社会心理学の 加藤義明かとうのりあき(1977−1996)、 さらに1983年に三浦の後任として発達心理学の 須田治すだおさむ(1983−2015) が赴任している。1988年には、今井の後任として臨床心理学の 馬場禮子ばばれいこ(1988−1997) が加わり、時代のニーズに合わせた幅広い専門分野の研究、教育指導が行われるようになっている。1983年には、心理相談室が臨床心理の院生の実習機関として開設されている。

目黒から南大沢への移転

 1991年4月に都立大学が目黒区八雲から八王子市南大沢に移転している。この年詫摩の後任として知覚心理学の 市原茂いちはらしげる(1991−2013) が赴任している。さらに移転に伴う専任教員の1名増となり、1993年に臨床心理学の 永井撤ながいとおる(1993−2020) が赴任している。目黒時代は、教員に個室の研究室がない状態で実験室や面接室も分野ごとで、狭い空間を共有していたが、その分教員、院生、学部生はよりコミュニケーションの密な関係が生まれていた。南大沢に移り設備面での充実した環境が整えられ、学生数も増員され新しい研究や教育に取り組む体制ができたといえる。

 1996年に、増山の後任として計量心理学の 平井洋子ひらいようこ(1996−2022) が赴任している。悲しい出来事としては1996年11月に在任中の加藤義明教授が逝去している。1998年に馬場の後任として臨床心理学の 中釜洋子なかがまひろこ(1998−2002)、 加藤の後任としての社会心理学の 沼崎誠ぬまざきまこと(1998−現在) が赴任している。1999年に篠原の後任として認知心理学の 仲真紀子なかまきこ(1999−2003) が赴任している。その後、2003年1月に中釜の後任として、臨床心理学の 下川昭夫しもかわあきお(2003−現在) が赴任している。2003年には仲の後任として、認知心理学の 山下利之やましたとしゆき(2003−2019) が都立科学技術大学から兼担として赴任し、2005年からは正式所属となっている。

 2002年には、大学改革の動きの中で臨床心理士の資格認定に合わせた大学院修士課程を改正し、大学院修士課程を心理学コースと臨床心理学コースに分けて、臨床心理コースは臨床心理士の指定校になっている。臨床心理学コースには、学生相談室の助教授である 加藤美智子かとうみちこ(2002−2007) が大学院の所属として移動している。

都立大学から首都大学東京へ

 2005年3月、都立大学から法人化され首都大学東京になり、人文学部は都市教養学部人文・社会系となり、都市教養学部人文社会系心理学コース、大学院は人間科学専攻で博士課程前期は心理学分野、臨床心理学分野、博士課程後期は心理学分野となっている。時代の流れの中で、心理学分野での教員の定員は維持されたが、助手の定員削減にあり、実験系、臨床系の二人配置に削減されている。

 臨床心理学分野の教員では、大学の改組に伴い学生相談室の臨床心理学、 岡昌之おかまさゆき(1997−2010) が大学院臨床心理学分野の所属となっている。2007年には臨床心理学分野、加藤の後任として臨床心理学の 村松健司むらまつけんじ(2007−現在) が赴任している。2010年には岡の後任として臨床心理学の 渡部みさわたなべみさ(2010−2023) が赴任している。さらに2018年には臨床心理学の駒屋雄高こまやゆたか(2018−現在) が赴任している。

 心理学分野の教員では、2012年にはOU所属の社会心理学の 山際勇一郎やまぎわゆういちろう(2005−2023) が移動してきている。2013年に市原の後任として実験心理学の 石原正規いしはらまさみ(2013−現在)、 さらに2015年に須田の後任として発達心理学の 酒井 厚さかいあつし(2015−現在) が赴任している。2019年には山下の後任として認知心理学の 井上和哉いのうえかずや(2019−現在) が赴任している。

再び東京都立大学へ

 2020年4月、首都大学東京は大学名称変更により再び東京都立大学となった。この年、永井の後任として臨床心理学の勝又陽太郎かつまたようたろう(2020−現在)が赴任している。2022年には平井の後任として計量心理学の 登藤直弥とうどうなおや(2022−現在)が赴任している。 さらに2023年には渡部の後任として臨床心理学の 田中里実たなかさとみ(2023−現在)が赴任し、現在に至っている。


Photos
1990年代前半 準備中 準備中 1995年6月HPバナー 1995年9月心理学研究室の唄
1996年頃の演習室 1998年 1998年 1998年 1998年
2000年頃 準備中 準備中 準備中 準備中
2013年演習室 2013年オープンラボ 2014年2月特研発表会 2014年2月卒論発表会 2014年2月高尾
2014年5月 準備中 準備中 準備中 準備中


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