首都大学東京の未修言語履修に関する個人的アピール

西山雄二(フランス語圏文化論・准教授)mail: nishiyama.tmu@gmail.com

首都大学東京の未修言語科目(ドイツ語・フランス語・中国語・朝鮮語…)に関して、
学生のみなさんにお伝えしたいことがあって、個人的アピールを以下に記しています。

首都大学東京の例外性
首都大では、ほとんどの学部・学科において、未修言語科目は「必修」ではなく、「選択」です(人文社会系と地理環境・建築都市コースのみ必修)。未修言語がこれほど全学的に必修ではない大学は、A-Bランク大学では見当たりません 。首都大のように外国語科目が英語だけでOKな大学は、中・低偏差値大学と専門学校になります。Aランク大学にもかかわらず、首都大はきわめて例外的です。

未修言語が必修ではない学部・系の履修率の状況:「英語だけで十分。それ以上、外国語なんて、大変だからとらない」という考えが学内に蔓延し、未修言語の履修率は激減。未修言語が必修ではない学部・系の履修率は47.1%(2012年度)で危機的な兆候を示しています。たしかに、1年次から必修科目が大変だったり、深刻な語学アレルギーがあって、どうしても履修したくない学生はいるでしょう。

ただ、新入生の後輩たちに「未修言語はキツイから、とらない方がいい」と安易な気持ちで助言し、未修言語不要の空気を醸成しないでもらえないでしょうか。
新入生自身の判断に任せてあげてください。
未修言語を学ぶ貴重な機会を逃して、後で後悔している学生も少なくありません。

なぜ、未修言語の習得は、知性の洗練や文化理解のために、きわめて役に立つのでしょうか?
①新しい世界の可能性:英語だけではなく他の外国語も学ぶことは、世界をより広く理解する手助けとなります。今までにない知の営み、今までにない感性、今までにない世界をもう一つ獲得することです。新たな外国語を学ぶことは、あなたが住む世界を広げ、共有できる世界観、愛することができる美しさ、感じることができる人々の息づかいを手に入れることです。
②論理的思考の涵養:数学と同じく言語はきわめて合理的な体系であり、知性の訓練に最適です。語学は若い時期にこそ訓練を積むべきで、それは基本的な論理的思考を養います。
③言葉そのものの洗練:未修言語を学ぶことで、英語はもちろん、日本語の立体的な理解が促進されます。私たちは毎日、一生、言葉を使います。たしかに英語や未修言語を実際に話さないかもしれませんが、毎日使用する言葉そのものへの能力と感性を磨くことができます。例えば、サッカー選手が水泳やテニスをかじることは身体能力の向上に、ピアノ奏者が太鼓やフルートをたしなむことは音楽的感性の洗練に役立ちます。
④貴重な最後の機会:多くの人にとって、大学1年次は未修言語を学ぶ、人生でほとんど最後の機会です。社会人になってから語学学校に通うこともできますが、同じ分量の授業(週2コマ・1年間)を受講すると年間10万円はかかります。

 以上のような理由から、日本のA-Bランク大学では、根本的な教養として未修言語が必修になっています。
なるほど、未修言語は大変なわりに単位が少なすぎて、効率が悪いのでしょう。そこで、2013年度の入学生から、未修言語のI・IIの単位を倍増しました。「他の教養科目と比べて、単位が半分で損」という不公平感は解消されるでしょう。

 私は、首都大学東京が、ほかのA-Bランク大学と同じように、異文化理解を深め、国際社会に相応しい教養を培うことのできる理想高き大学であってほしいと願っています。未修言語の危機的状況はそうした目標に逆行する深刻なブレーキになっています。

首都大学東京に理想を抱き、賛同してくれる学生のみなさんに呼びかけます。
「未修言語はとらなくていい」という根拠のない空気をつくらないでもらえませんか。
未修言語の履修は新入生自身の判断に任せましょう。
そして、できれば、未修言語を履修して、根本的な人間力を磨き、自分の世界観を広げましょう。

参考資料:他大学における言語科目の状況

資料はこちらをクリック→資料:他大学における言語科目の状況

概括

1.首都大学東京の例外性
首都大学東京のように、ほとんどの学部・学科において初修外国語が卒業必修要件になっていない大学(外国語科目が英語だけで済んでしまう大学)はきわめて例外的である。
・首都大と同等あるいは上位のAランク大学、首都圏のBランク大学、「教養」の名称を冠する学部学科においては、ほとんどの学部学科で初修外国語は必修である。とりわけ、法学、経済学、経営学のほぼすべての学部で初修外国語は必修であり、首都大の事例は異例と言える。理工系の学部では上位大学では必修だが、学部学科によって選択科目となっている大学もある。
・履修期間としては、1年次に初修外国語が必修となっている場合がほとんどである。
・授業数に関しては、通年で2コマを履修し、計4単位が必修という事例が多い。
・千葉大学や秋田教養大学のように自由選択としている大学でも、何らかの歯止めがかかって、ほとんどの学生は初修外国語を履修している。首都大のように、履修率の低下に歯止めがかからず、初修外国語教育に危機的な兆候が感じられるほどの深刻な数値を示しているわけでない。
・こうした事情から、首都大では未修言語の履修に関して、「必修」でも「選択」でもなく、「推奨」という独特の表現が使用されている。

2.初修外国語科目に関する全学的な意志決定の欠如
外国語科目に関しては、教養教育の重要な一科目として、全学的な意志決定のもとで理念が提示され、カリキュラムが整備されている場合が多い。例えば、1年次は全学共通の統一的な教養プログラムが組まれ、大学のカリキュラム・ポリシーに準じて初修外国語を必修とする大学が多い。首都大の場合、初修外国語を担当し責任を負う教師は主に人文社会系の語学教師の集合にすぎない。他方で、大学執行部や大学教育センターが初修外国語に関する全学的な理念をもち、意志決定の権限をもつわけではない。結果的に、初修外国語の理念と現実は各学部・学科の専門教育の都合に大きく左右されることになる。

3.選択可能な外国語の貧弱さ
首都大では初年度の選択肢(第二群言語科目)として、ドイツ語、フランス語、中国語、朝鮮語しかない。イタリア語、スペイン語、ロシア語、アラビア語、ギリシア語、ラテン語もたしかに設置されているが、そのカテゴリー(第三群言語科目)や開講コマ数からして「格下扱い」である。首都大クラスの規模の大学なら、イタリア語、スペイン語、ロシア語は第二群言語科目とした方がよい。実際、イタリア語やスペイン語を1年次に必修科目として履修できないことを知って不満を漏らす学生もいる。これらの言語を専門とする教室や常勤講師が不在であるためという理由があるのかもしれないが、他大学ではそのような条件であっても初修外国語の充実した多様性を確保している。

4.首都大学東京の多様な国際性への顕著な足枷
初修外国語を必修とする他の大学では国際的な交流も多様である。英語のみならず、少なくともドイツ語、フランス語、中国語、朝鮮語による海外留学を可能にするほどの教育プログラムが組まれ、世界各地で交換留学の提携校が用意されている。首都大の英語偏重主義と初修外国語軽視の方向性では国際的な展開も偏ったものとなり、中長期的にみて、多様な国際性の拡充に対して顕著な足枷になる可能性が大きい。