セラピストにむけた情報発信



行動観察による人の認識-視点による違い:Prasad et al. 2009



2009年10月5日

本日紹介するのは,ビデオなどで自分の動きを観察すれば,すぐにそれが自分だとわかるのは,人の認識に運動生成のシステムが関与しているため,という可能性を示した研究です.

Prasad et al. Viewpoint and the recognition of people from their movements. J Exp Psychol: Hum Percept Perform 35, 39-49.

私たちは身近な人が歩いている後姿を見たり,何かをしている様子を見たりするだけで,その人の顔を見なくても,「あれば○○さんだ」と認識することができます.行動観察を通して人を認識できるという事実は,認識という認知過程に行動という運動の要素が関与していることを示すものであり,大変興味深い事実です.

さらに,ビデオなどで自分の行動を観察すれば,すぐにそれが自分の動きだとわかります.自分の行動については,暗闇で身体の関節部分だけを光らせた映像(point light display)でも,他者の行動と区別することができるほど,鋭敏に認識することができます.

自分の行動を容易に認識できるのは,自分の行動については,その行動をおこなう際に駆動した運動生成のシステムが認識に関与するため(運動生成システム関与説),という考え方があります.しかし一方で,単に自分の動きは鏡などを通して見慣れていることから,視覚的に見慣れたものに反応しているだけ(視覚経験説),という考え方もあります.

視覚経験説の可能性を排除するため,著者はpoint light display刺激を用いて,正面や背後からの行動の映像を作成し,自分,友人,他者を弁別させる課題をおこないました.私たちは自分の動きを背後から観察する経験に乏しいことから,もし背後の映像でも自己の映像に対する弁別の正答率が高ければ,それは視覚経験ではなく,運動生成のシステムの関与を示すものだろうと考えたのです.

実験の結果,背後映像でも自己の映像に対する弁別能力が高いことがわかりました.従って,自分の行動を容易に認識できるのは,やはりその行動をおこなう際に駆動した運動生成のシステムが認識に関与するため,と考えられます.

この実験(論文中の第3実験)では,行動の様子をから正面,背後と観察していますが,これらはいずれも“他者の視点”から見ることのできる映像(三人称的映像)です.実験1では,三人称的映像に加えて,実際に自分の目から見たときと同じ視点の映像(一人称的映像)についても検証しています.実はこの一人称的映像では,自己の映像の弁別が決して高くありませんでした.

この結果はやや解釈に困るものですが,著者たちはこの結果を非常にポジティブにとらえています.様々な先行研究をみると,一人称的映像で義手(ラバーハンド)を提示すると,本物の手であるように認識したり,鏡映像を通して一方の手の動きを見せると,両側の手の動きであるように錯覚することがあります.著者たちは,一人称的映像このようなシステムが働くことから,自己と他者の認識の違いがしにくくなる,と解釈しています.

純粋に理論的な観点で彼らの考察を見れば,色々と異論が出ても不思議ではない内容です.しかしリハビリへの応用という観点から見れば,この考察は歓迎できるものです.もし一人称的映像において自己との他者の認識が区別しにくくなるのならば,セラピストの人たちが模範となる動作を,患者さんに対して一人称的映像として見せることで,それは自己の動きとして認識されやすくなり,効果的に学習をサポートできる,という発想が成り立つからです.

非常に単純化して言えば,一連の結果は「患者さん自身に自己の動きを客観的に知ってもらいたいならば三人称的映像が効果的,そしてセラピストが患者さんに模範動作を提示したければ一人称的映像が効果的...」といった可能性を示しているように思いました.



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