セラピストにむけた情報発信



本紹介:脳はあり合わせの材料から生まれた




2009年8月5日

今回はタイトルだけを見て思わず購入してしまった本について,その内容をご紹介いたします.

ゲアリー・マーカス 脳はあり合わせの材料から生まれた−それでもヒトの「アタマ」が機能するわけ.早川書房.

タイトルには脳という言葉が登場しますが,実際には,心理学者がこころや認知の不合理性について鋭く描写した,哲学的な色の濃い本です.実際,英語版の実際のタイトルは,「The haphazard (でたらめな,偶然の)construction of the human mind」となっています.タイトルがかなりの意訳であることがわかりますが,実際私はこのタイトルに惹かれて本を手に取りましたので,その意味では大変見事な意訳といえます.

人間の脳の素晴らしさ,進化の過程においてヒトが言語や二足歩行などの特殊能力を身に付けたことの奇跡について賞賛する本は非常に多く存在します.しかし,この本はそのような本とは完全に逆の主張を展開します.

この本によれば,進化の過程においてヒトの脳が発達したのは,その場しのぎの改編を積み重ねてきただけにすぎないため,脳の発達を巨視的に見えれば,綿密に計画された合理的な構造とはほど遠いものといえます.確かに著者が述べるように,進化は何億年の時間をかけて,一瞬一瞬を生きる生き物を精力的に選択してきた(p.122)ため,ヒトの脳は熟慮された結果の所産というよりは,瞬間的・反射的な解決策が生み出したものといえるかもしれません.

著者の主張は,他の生物に比べて合理的判断ができると思われるヒトの認知や行動が,実際には非常に不合理性に満ちていること,そしてその不合理性は,人よりも下等な生物と共通する瞬間的・反射的判断により生み出されるものである,ということにあります.ヒトの脳の進化は,下等な生物の脳に,合理的な判断を可能とする脳の要素がつけ足されて実現されたものであるため,ヒトが不合理な判断をしてしまうのは仕方がない,というのです.

「あと1時間で夕食だとわかっているのに,ポテトチップスに手を出してしまう自分」「社員の平均年収が9万ドルの会社で稼ぎが8万ドルであるより,平均収入が6万ドルの会社で7万ドルの稼ぎがあるほうが好ましいと感じる自分」(8万ドルもらっている人のほうが得なはずなのに,実際にはそうは感じられないこと)...,このような不合理な自分の行動が,その場しのぎの進化の結果として起きてしまうということです.

この本は,自分とは何か,ヒトの脳とは何かを知るための本ですので,直接的にリハビリテーションに役に立つ情報はほとんどありません.しかしながら,患者さんがセラピストに対して敬意を払ってくれるかどうかで,その患者さんに対する態度やモチベーションが多少なりとも影響を受けてしまう自分,次の日も多くのケースを抱えていることが分かっていても,夜遅くまで友人と飲んだりDVD鑑賞することをやめられない自分など,プロフェッショナルとしては適切でないことがわかっていても,そのような態度を自制できないことを経験したことがある方には,その起源を知る本として,面白く読めるかもしれません.

特に第2−3章には,多くの人が共通に持つ事例がふんだんに登場しますのでお薦めです.ただしこの本は,どちらかと言えば理屈くさく,論理的な理解を強く促す文章が多いため,読むには少し覚悟が必要かもしれません.




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