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知覚・認知の視点から運動をひも解く 樋口貴広(知覚運動制御研究室)

セラピスト向け情報発信ページ

#738 【業績報告】方向転換動作の精度は直線歩行中の規則性と関連する?(Nakamura et al. 2023)

研究室の博士後期課程の院生であり,埼玉県立大学の助教でもある中村貴高仁氏の研究成果が論文発表されました。中村氏は長年,高齢者の素早い方向転換動作について研究をしています。英語ではReactive turningと呼んでいます。

今回ご紹介する論文では,高齢者が素早く方向転換できるかどうかは,準備状態としての直線歩行の特性が関連している可能性を指摘しています。具体的には,サンプルエントロピーという手法を用いて,歩行中の体幹の揺れ具合の複雑性・規則性を定量化しています。手法に詳しい児玉謙太郎先生(東京都立大学)にご指導いただいた研究です。

Nakamura K, Kodama K, Sakazaki J, Higuchi T, Relationship between adaptability during turning and the complexity of walking before turning in older adults. Journal of Motor Behavior 2023 Pages 1-10, DOI: 10.1080/00222895.2023.2199692

エントロピーはもともと熱力学の分野で確立された概念ですが,情報学的な枠組みでも時系列の予測可能性を表す指標として用いられます。初学者にもわかりやすい解説は,児玉先生の2021年に執筆された総説論文をご参照ください。サンプルエントロピーは,時系列の規則性や予測可能性を数値化する手法の一つです。“規則的”という言葉には,比較的ポジティブな印象があります。しかし身体運動の特性としては,必ずしもそうとは言えない側面があります。私たちの身体運動は,時々刻々と多様に変化する環境や身体の状態に対応して調整がなされるため,一定の複雑性をもちます。このため,過度に規則的な身体運動は,状況に適応できていない状態を表現しえます。

中村氏は,直線歩行が過度に規則的だと,素早い方向転換を実行できる状況になく,その精度が悪くなるのではないかと考え,実験的に検証しました。健常高齢者・若齢者それぞれ12名を対象に,直線歩行時にランダムなタイミングで表示される矢印に対して方向転換をする課題を実施しました。この課題において方向転換動作が開始されるタイミング(onset latency)と,直線歩行中の体幹の動きから算出されたサンプルエントロピーを算出し,両者の相関係数を算出しました。その結果,両者には負の相関関係が認められ,動作開始が遅い人ほどサンプルエントロピーが高い(複雑性・規則性が低い)ことがわかりました。この結果は,高齢者が素早く方向転換できるかどうかは,準備状態としての直線歩行の特性が関連している可能性を示しています。

この研究は,中村氏と児玉先生に加え,大学院生の須田君(学術振興会特別研究員),坂崎君と一緒に定期的に行ってきた勉強会の内容を,論文化したものです。複雑性に関する知識を児玉先生にご指導いただくことで,研究室の知識だけでは明らかにできない発見を得ることができました。今後もこうしたチームワークを生かして様々な情報を提供したいと思います。