セラピストにむけた情報発信



運動行為に結びついた知識・経験:Embodied cognition




2009年5月28日

年度の始まりには,職場にフレッシュな新人さんや実習生さんなどが加わり,活気ある空気が漂います.大変喜ばしいことでありますが,新人研修担当の立場にいらっしゃる方や,実習のお世話をする先生にとっては,なぜもっと状況を見て適切に動いてくれないのかなど,ヤキモキされることも多いことと推察いたします.

最近の認知科学では,「目の前の状況を素早く把握し,どのような行動をすべきかを適切に判断する」という認知的な能力には,その状況における過去の行為経験が重要であるという考え方があります.このような発想は,「行為に結びついた認知(Embodied cognition)」と言います.たとえば歯ブラシやカップなど,日常的に慣れ親しんだ道具は,単に物体の形状や用途が記憶されているのではなく,「歯ブラシやカップを使う際の行為の情報(どのような運動行為によってその道具を使うのか)」といった行為の情報が合わせて記憶されている,と考えます.

Embodied cognitionの考えが正しければ,たとえ知的で状況判断に優れた人であっても,新規な場面ではそこでのこうい経験がないことから,その実力を発揮することができない,ということになります.以下では,Embodied cognitionの存在を実証しようとした研究例として,Holt et alの実験を紹介します.

Holt et al Expertise and its embodiment: examining the impact of sensorimotor skill expertise on the representation of action-related text. Psychon Bull Rev 13,694-701, 2006

対象は,スポーツ選手と一般参加者です.実験ではある文を読んでもらった後,絵が呈示されます.参加者は呈示された絵が,直前に読んだ文に登場したかどうかを素早く正確に判断しました.実験の結果,スポーツ選手は,自分が専門とする競技に関する絵に対しては,それ以外の絵に比べて,素早く判断することができました.この実験課題は,絵と文の関連性を判断する純粋な認知課題であり,参加者のスポーツ競技とは一切関係がありません.にもかかわらず,スポーツ選手が日ごろ親しんでいる刺激に対して素早く回答できました.この結果からHolt et alは,運動行為に結びついた情報に対しては素早い処理が可能なのだと考えました.

このような認知構造を考えると,新人さんが状況に即して素早く適切に判断できないことは仕方のないことかもしれません.自分自身も経験の浅かったころは,同じように振舞っていたのだろうと考えさせられてしまいます.

またEmbodied cognitionの概念は,場面に即した認知機能向上を,行為を通して達成するというわけですから,作業療法全体の活動を強く後押ししてくれる概念のようにも思います.私自身も,「知覚・認知の運動の不可分性」ということを研究対象としており,行為を通して認知が変わるというEmbodied cognitionの概念は,とても意義深く感じています.今後もこのコーナーで興味深い論文を紹介できればと考えています.




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