セラピストにむけた情報発信



本紹介:錯覚の科学




2012年4月16日

今回はこのコーナーとしては約1年半ぶりに,本の紹介です.

クリストファー・チャブリス & ダニエル・シモンズ 「錯覚の科学」文芸春秋.2011

著者の2人は,「注意なしには目の前のゴリラにさえ気づかない」という強烈なデモンストレーションを使って,インアテンショナル・ブラインドネス(非注意性盲)の現象を示した論文の著者です.

インアテンショナル・ブラインドネスをご存じない方は,拙著「身体運動学―知覚・認知からのメッセージ―」の第2章をご参照ください.

私自身,このインアテンショナル・ブラインドネスの現象は,私たちの日常生活の様々な問題につながる重要な現象として,大学の知覚・認知系の授業の中で必ず取り上げます.セラピストの方々を対象とする講演においても,講演時間が長い場合には取り入れて,その意義を語ることもあります.

この本で著者は,日常生活や有名な事件・社会現象の中には,見逃してしまうゴリラと同様,錯覚や思い込みの結果,重要な真実が見逃されていたり,逆に真実ではないことを真実であるかのように錯覚してしまうことを,非常に多岐にわたる事例とともに紹介しています.

たとえば,「モーツァルトの音楽を聴くと認知能力が高まるため,乳幼児にはモーツァルトを聴かせたほうが良い」といった話はよく聞きます.しかし著者らは,こうした話は単なる錯覚にすぎないと述べています.本の中では,そもそもこうした話が登場してきた科学論文の存在や,それに対するマスコミの超過剰な反応,そしてその後になされた追従実験の度重なる失敗など,その経緯について詳しく述べられています.

本の中ではこの他にも,脳トレの話やサブリミナル効果の話など,日本人にもなじみのある話題が数多く登場しています.

第3章の中には 「自信満々の医者は名医か?」というセクションがあります(p.133).これは,「一般に人は自分の知識に自信を見せる医者のほうが,自信がなさそうな医師より優秀だと考えること」を示す文書の小見出しです.確かに一理ありますね.こうしたことは,大学教員やセラピストや看護師など,あらゆるプロフェッショナルな職種についても同じでないでしょうか.こうした信念がなぜ生じるかについても,著者なりの解釈が示されています.ご関心のある方は,ぜひこの章だけでも読んでみてください.

この本は決してリハビリの問題に直結しているわけではありません.しかし,「エビデンスに基づくリハビリ」の実践を目指される方にとっては,特に第4-5章(本書では実験4,実験5と表現)はお勧めです.「科学的根拠とはなにか」について,間接的ながら,数多くの効果的例証を使って説明をしています.

本の文章は,科学者が一般読者向けに書いた洋書として典型的ともいえる文章です.こうした本にあまり慣れていらっしゃらない方の場合,特に最初の数2章は読み進めるのに苦労するかもしれません.しかし章を読み進めるごとに,不思議と著者らの主張がストレートに読者の胸に響いてくるような読みやすさを感じていきます.まるでこの本の中にいる“見えないゴリラ”が,読者を本の世界に引きずり込んでいるようにも思いました.


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