2011年10月3日
高齢者の転倒は,単に身体機能・運動の低下によるバランス能力の低下だけで引き起こされるのではなく,バランスを崩さずにいられる姿勢を高齢者自身が正確に認識しておらず,危険な姿勢を選択してしまうことによっても引き起こされるのだ,という議論があります.
こうした議論はまさに,知覚認知の視点から運動の問題にアプローチすることの重要性に関わる議論であり,私たちの研究室でも中心的な話題の1つです.
私の上司・今中國泰教授のもとで研究をしている博士院生,桜井良太君(日本学術振興会特別研究員)は,東京都老人研究所にて,高齢者の自らの行為能力に関する判断の精度と転倒の問題について研究しています.こうした判断の精度のことを,生態心理学の分野ではアフォーダンス知覚と呼びます.
本日ご紹介する論文は,最大リーチ距離に対する高齢者の判断に関して最近報告された論文です.桜井君から論文の存在を紹介してもらいました.
Butler AA et al. Reach distance but not judgment error is associated with
falls in older people. J Gerontol A Biol Sci Med Sci 66, 896-903
この研究では,415名にも及ぶ高齢者を対象として,立位時の最大リーチ距離,および自身のリーチ距離に対する判断の精度を測定しました.これら2つの数値が,過去一年間の転倒歴,および調査後一年間の転倒歴を予測しうるかどうかについて検討しました.
その結果,調査前後の転倒を有意な確率で予測できたのは,残念ながら,実際の最大リーチ距離のみであり,判断の精度は有意な転倒の予測因子ではありませんでした.
研究では,最大リーチ距離の判断力に関する様々な情報を提供しています.
まず,自分の最大リーチ距離よりも遠いところまでリーチ可能と判断した人(すなわち,リーチ能力を過大評価した人)は,全体の15.2%でありました.自分自身の能力を過大評価することは,危険な行動・姿勢の選択を促す可能性があります.今回のデータを見る限り,こうした危険な判断をする人は,必ずしも高齢者の大多数を占めるわけではないといえます.
残りの85%の人たちは,非常に正確なケース(3%未満の過小評価,全体の17%),安全な判断をするケース(3-10%の過小評価,全体の44%),過度に過小評価するケース(10%以上の過小評価,10%以上)におおむね分類されました.
また,最大リーチ能力を過大評価した15%の高齢者は,他の高齢者に比べて最大リーチ距離自体が短いことがわかりました.自身の運動能力に関する判断の精度は,運動能力それ自体に規定される部分があるのかもしれません.
以上をまとめると,最大リーチ距離に対する判断の精度は,自身の運動能力と関連するものの,転倒の有力な予測因子とはならなかったといえます.
もう少し小さなサンプルを対象にした先行研究の中には, 行為能力に対する判断の精度と転倒との有意な関連性を指摘しているものもあり,この問題は引き続き検討がなされることで,結論が見えてくるものと思います.桜井君の研究成果も含め,今後の発展を見守りたいと思います.
|