セラピストにむけた情報発信



歩行中の移動距離の知覚




2011年8月3日
歩行に関する自己の状況,たとえば移動した距離や方向は,様々な感覚情報を利用して知ることができます.この際に利用される感覚情報とは,主として視覚・体性感覚・前庭感覚です.

屋外にて,やや遠方にある電柱を見ながら,「電柱と自分との間にある距離は何mか?」を判断するとします.すると,その判断は必ずしも正確ではなく,数m単位でずれる場合があります.またその回答は,電柱以外にどのような情報が周辺にあるのかによっても影響を受けます.

これに対して,電柱の位置を数秒間視認した後,目隠しをして歩き,電柱の位置で正確に止まるという課題をおこなってみます.すると,口頭で回答する場合よりも正確に,電柱の位置にたどり着くことができます.またこの目隠し歩行の場合,数秒間視認する際の電柱以外の情報の有無による影響も,あまり大きくありません.先行研究を見る限り,こうした傾向は,ターゲットが数十m以内と近距離の場合には,一般的な傾向と言えるようです.

目隠し歩行で正確にターゲット(電柱)にたどり着けるということは,自分が移動した距離を体性感覚・前庭感覚に基づき,ある程度正確に換算できるということを意味しています(ただし末部の注釈を参照).

こうした移動距離の知覚に,視覚情報がどの程度貢献するのかを調べるためには,バーチャルリアリティの環境を使います.実環境で目を開けて歩けば,それは単にターゲットとの自分との位置関係を視認して歩いるだけであり,だれでも正確に電柱にたどり着いてしまいます.

バーチャル環境での実験方法はいくつかあります.たとえば,ターゲットの位置を数秒間視認した後,ターゲットを消去してしまい,ターゲットにたどり着くと思うまでトレッドミル上を歩くといった実験があります.

こうした実験を行うと,距離が遠くなればなるほど,自分が歩いた距離を過大評価してしまうため,ターゲットに届く前に歩くのをやめてしまいます.すなわち,(ターゲットとの位置関係が視認できない条件における)視覚情報に基づく移動距離の換算は,必ずしも完全とは言えないようです.

このように,単一の感覚情報は,歩行に関する自己の状況を必ずしも正確にモニターするとは限りません.したがって基本的には,複数の感覚情報を常に統合しながら自己の状況を把握して歩くというのが,私たちの歩行の在り様のようです.

なお,ターゲットまでの距離を口頭で回答する場合であれ,歩いてターゲットで到達する場合であれ,ターゲットの自己との関係性を知覚する課題,すなわち自己中心座標系(ego-centric)に基づいて遂行する課題の遂行中には,頭頂葉の役割が大きくなります.したがって,頭頂葉に障害が見られる患者さんの場合,こうした判断に悪影響が見られることが予想されます.


注:
目隠しなしで障害物をまたぐ練習をした後,目隠しした状態で,それまでと同じ歩幅を保って障害物をまたごうとすると,多くの場合,障害物に届かない位置で,またぎ動作を開始します.すなわちこの場合,自分が歩いた距離を過大評価していることを意味します.従って,体性感覚・前庭感覚に基づいたとしても,歩行中の各ステップの移動距離を正確に判断で来ているわけではありません.ターゲットに到達するまで何歩でも歩いてよい条件において,結果的にある程度正確にターゲットに到達できているというのが,正確な理解です.

引用文献
Andre J et al. Using verbal and blind-walking distance estimates to investigate the two visual systems hypothesis. Percept Psychophys 68, 353-361, 2006

Bergmann J et al. Locomotor and verbal distance judgments in action and vista space. Exp Brain Res 210, 13-23, 2011.

Patla et al. Any way you look at it, successful obstacle negotiation needs visually guided on-line foot placement regulation during the approach phase. Neurosci Lett 397, 110-114, 2006



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