セラピストにむけた情報発信



保健医療科学研究会:知覚・認知から見た身体運動学




2011年3月29日

3月27日に江東区臨床福祉専門学校にて,保健医療科学研究会主催の研究会「知覚・認知から見た身体運動学」が実施されました.

大震災の混乱がいまだ続く中で講演会を予定通りに実施するかどうかについては,主催者の方々にとって難しい判断であったろうと思います.数多くの参加予定者のキャンセルを予想して会場入りしましたが,結果的に参加キャンセルは数十名にとどまり,90名近い参加者が来場してくださいました.

以下,こうした状況の中で講演を担当するに当たり,冒頭に述べた挨拶の抜粋です.



私は20年間仙台に住んでおりました.家族や友人,多くの研究仲間が,今回被災にあいました.被害の度合いは個人により様々ですが,皆生きるために必死の毎日を過ごしています.

そんな中,こうして普通の生活を過ごしていることへの複雑な想いは日々募る一方であり,時として自分のこころを大きく苦しめます.本日の研究会につきましても,予定通り実施するという連絡を受けたときには,やはり複雑な思いがいたしました.きっと会場にいらっしゃる皆様も,多かれ少なかれ同じ気持ちと思います.

しかし,皆さまも私も,自分の持ち場を守り,通常通り仕事をすることも,震災後の混乱を最小限にする上で極めて重要であるということ,これはまぎれもない事実です.被災地に向けた想いをぐっとこらえて,こうして普通の生活を過ごすことも,ある意味では重要な任務といえます.

先日,朝日新聞の記事(3月20日付朝刊)で,私にとっては,心にしみる言葉がありました.

これは思想家の吉本隆明さんが書いていたエッセイです.吉本さんは80代で第2次世界大戦を経験しました.戦争が終わった後,今の私たちのように,戦後にいったい何をすべきかについて日々考え,徹底的に本を読んだそうです.その中で出会った親鸞の言葉が紹介されていました.

「人間には往き(いき)と還り(かえり)がある」.「往き(いき)」の時には,道端に病気や貧乏で困っている人がいても,自分のなすべきことをするために,歩みを進めればよい.しかしそれを終えて帰ってくる「還り(かえり)」には,どんな種類の問題でも,全てを包括して処理して生きるべきだ.悪でも何でも,全部含めて救済するために頑張るんだ」という.

表面的に聞いただけでは,この言葉を本質的なところはわかりません.しかし私はこの言葉を,自分に役立つ言葉として,都合の良いように解釈をすることにしました.

すなわち,今被災地に向けて何かしたいと思っても,思うようにできる状況にない場合は,色々な思いをぐっとこらえて,職務を全うするほかない.でもいつか,被災地に向けて直接貢献できる機会を与えられた暁には,自分の業務を一切忘れて,精一杯,彼らの役に立つ活動に没頭しよう.

きっと本日の研究会も,何らかの意味を持ってこのタイミングで開催されたと思っています.ここから先は,本日のテーマについて皆様に正確な情報が与えられることに集中したいと思います.



震災後,このページで研究に関する情報発信をすることを控えてまいりましたが,4月以降,徐々に以前のスタイルに戻していきたいと思います.


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