セラピストにむけた情報発信



遠位空間の注意バイアスと移動行動 - Nicholls et al. 2010




2011年1月14日

本日ご紹介するのは,歩行や車いすの直進軌道が本人の意図せぬところで左右に偏向するかどうかは,遠位空間に対する注意の左右バイアスで決まる,ということを主張する研究です.この研究自体は健常者を用いた研究ですが,この主張が正しければ,半側空間無視患者における移動行動中の接触事故防止には,遠位空間における無視改善にターゲットを絞ればよいということになりますので,リハビリに直結しうる研究です.

Nicholls ME et al. A hit-and-miss investigation of asymmetries in wheelchair navigation. Attention, Perception, and Psychophys 72, 1576-1590

研究内容に先立ち,研究の背景に触れます.

健常者を対象に,線分二等分課題などを用いて空間認知特性を調べてみると,近接空間については非常にわずかながら右無視の傾向があり,遠位空間に対しては逆に左無視の傾向がみられることが,しばしば報告されます.近接空間と遠位空間の情報処理をおこなう脳部位がわずかに異なることが,無視の方向が反転する理由と考えられています.

こうした空間認知特性が,空間移動軌道の左右への偏向にも影響するだろうというのが,Nicholls et alの主張です.

すなわち,狭い隙間の主観的中心に向かって歩こうとすれば,主観的中心それ自体が左右のいずれかに偏向しているため(すなわち,近接空間では右無視により主観的中心は左偏向,遠位空間ではその逆),隙間を通過する位置も左右に偏向するはずだという主張です.

Nicholls et alは6つの実験を通して,隙間を通過するときの空間移動軌道は,参加者本人は隙間の中心を通り抜けることを意図しているにもかかわらず,右側に偏向することを示しました.これは,空間移動軌道の左右バイアスが,遠位空間における注意の右側偏向に一致することを示唆するものです.

6つの実験では,健常者に車いす(手動,電動,リモコンで遠隔操作),スクーターなど,様々な移動手段を用いて隙間を通過してもらいました.その結果,手動車いすを除いて,一貫して隙間通過時の軌道が右側にずれる傾向が見られました.

冒頭でも触れましたが,この研究成果は,半側空間無視患者における移動行動中の接触事故防止を考える上でも有用です.今回の研究成果を応用すれば,患者の移動中の接触事故防止には,遠位空間に対する無視の改善が重要ということになります.

確かにセラピストの方々にお話を伺うと,近接空間での無視が改善されているにもかかわらず,移動行動中の接触は依然として残るといったケースが散見されるようです.こうした指摘は,研究論文でもしばしば見受けられます.Nicholls et alの成果を受ければ,介入のターゲットとなるのは遠位空間に対する無視ということになるのでしょう.

ただし,Nicholls et alの研究を厳密に見れば,全てのデータが彼らの主張を支持してはいません.①手動車いすの場合には右偏向が見られないこと,②空間移動軌道の右偏向は,遠位空間での線分二等分における右偏向よりもずっと値が大きいこと,③空間移動課題と線分二等分課題での右偏向に相関がない場合があること,などを考慮すると,空間移動軌道の右偏向は,必ずしも遠位空間の認知特性だけで決まるのではないというのが,私個人の率直な印象です.

私たちの研究室では,こうした話題に関わる研究を複数おこなっています.近日中に,その一部のデータを公表する予定です.




(メインページへ戻る)