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2011年度 卒論

平山雄太「サミュエル・ベケット『名づけえぬもの』から見出す言葉の可能性」

平山雄太「サミュエル・ベケット『名づけえぬもの』から見出す言葉の可能性」




 論文を書き始めた際に、論文がいかなるものであるかということすら分かっていなかったと思います。基本的な形式や脚注の打ち方も知らず、何を引用すべきで、引用すべきではないかの区別もつきませんでした。内容に関しては、まず理論を先行しそれをベケットのテクストに当てはめようとしてしまい、テクストに寄り添って考えるということができませんでした。最初に先生に提出した時点でなぜベケットを選んだのか、そしてそのなかでもなぜ『名づけえぬもの』を選んだのかという理由に説得力を持たせることができるようなものではありませんでした。そして、そこから根本的に論文を書きなおすことになり、再びテクストと先行研究を見直しました。書いては消し、書いては消しの繰り返しのいっこうに終わりの見えない作業のなかで、自分に不足しているものや改善しなくてはならない問題点を否応なく突きつけられました。

 審査会では全ての先生から論文を丁寧に指導されました。論文の欠点を指摘されることは打ちのめされるような体験でありましたが、同時に感謝すべきものでありました。自分では気づいていなかったことを明らかにされることも、薄々と感じていたことをはっきりと言語化されることも貴重な体験でした。そこで指摘されたことで根本的に解決するべき問題は論文に対して明確なテーマを与えることと、いくつもの問いを提出してはその問いに答えていないということです。そこで、なぜそのような事態に陥ってしまったのかを考えると、自己の知識の不確かさと論旨の弱さが原因だったことに気づきました。もちろんそれは短期間で改善される問題ではありません。じっくりと一次資料を読み込むこと、それらのものに対しての自分の考えを練り上げていくことが重要なことだったのですが、論文に取り掛かるのが遅く、時間が足りないことを理由にできませんでした。

 今回の経験で、論文を書くためには時間が必要であるという当たり前のことが身に染みて理解することができました。日常生活の些細なことを積み重ね論文に取り組む時間を創出することは言うまでもなく必要です。論文に説得力を持たせるために、時間を有効に活用し、地道な作業を厭わず実践して、繊細に文を積み重ねていかなくてはなりません。そのように一歩一歩進んで行くことが論文をより良くする数少ない方法であり、近道であるのだと思いました。



目次

序文
第一章 『名づけえぬもの』の言葉
 1.作品と言葉
 2.終わらない言葉
 3.増殖する語り手
第二章 言葉についての言葉
 1.言葉という制度
 2.「ある」
 3.言葉との戦い
第三章 「私の欲望」、「作家の欲望」
 1.「私」は私か
 2.沈黙
 3.「作家」の行方、「作品」の行方
結論

要旨

アイルランド出身の作家であるベケットには『モロイ』、『マロウンは死ぬ』、『名づけえぬもの』という、小説三部作と呼ばれる作品群がある。ベケットはそれら作品のなかで、小説とは何か、作家とは何か、という問いに取り組んでいる。そして最終的に『名づけえぬもの』にてそれらと避けえない関係にある言葉とは何かという問題にまで遡行する。この卒業論文は『名づけえぬもの』における言葉の使い方、言葉に対する考えを考察し、ベケットが言葉を使う作家、言葉が使われる作品についてどのように考えていたのかを答えようとするものである。

第一章では、『名づけえぬもの』の言葉の使い方に注目している。その文体の特徴として途切れない言葉を続けさせ、ろくに何かの主張をすることもなく、一貫性を持たず、矛盾すらするような言説を作りあげたことがみてとれる。また『名づけえぬもの』の「語り手」はベケットの過去の作品の登場人物であるマーフィや、モロイ、マロウンというについて語るが、彼らの物語を語ることが「語り手」を救済はすることはないと述べる。それは、彼らは結局のところ「語り手」の仮住まいにしかなりえないものであり、「語り手」の持つ苦痛を取り除くものではないからである。そこで「語り手」はマフードとワームという存在について語り始める。マフードは言語を書き留めることができる言語的存在で、一方でワームは日本語にすると蛆虫であるように言葉を使うことのできない非言語的存在である。そして「語り手」はマフードからワームへと移行しようと試みている。

第二章では、『名づけえぬもの』が言葉をもちいて言葉がいかなるものであるのかを明らかにしようとしていることについて考察する。言葉について考察することの困難は、言葉を考えることの必要条件に言葉を使うことにある。また言葉を使うためには言葉を使うものに先行し、教育する他者が必要であることもその困難の要因である。そのような状況のなかで「語り手」は主語が動詞と結びつくことによってみせかけの主体に仕立て上げられてしまうことに抵抗し、言葉を告発する。「語り手」が目指すのは他ならぬ、代替不可能で代名詞で語ることができないはずの「私」である。

第三章では、『名づけえぬもの』以後に考えうる作家と作品の可能性に考察している。「語り手」は沈黙に至ることこそ他ならぬ自己に至ることであると想定している。だが、いつも沈黙に至る直前で失敗し、挫折し語り始めてしまっているがわかる。ベケットが作品を書いている時代は文学において言葉が本来持っていた機能を発揮することができなくなっていた。そこで『名づけえぬもの』という作品によって沈黙を表象し、言葉にとどめを刺そうとした。つまり言葉を必要とする文学作品において沈黙を目指すことは困難であると同時に、自由を目指す行為であった。ベケットにとって沈黙に至ることこそ新たに文学を可能にする言葉の誕生の条件であったとし、それを結論とする。

小杉正明「スラムという詩とフランスの教育問題」

小杉正明「スラムという詩とフランスの教育問題」


大学を卒業するにあたって「卒業論文」というものを書く必要があるということは、小学生くらいの頃から朧気ながら把握していました。しかしいざ、実際に執筆する段になって(なにぶん初めてのことですから)具体的にそれを形にする作業に難航しました――。

昨年七月に中間報告会があり、その段階ですでに主題(テーマ)は「スラム」に極めていました(ここだけの話、「ルソー」も有力な候補でした)。しかしどのような構成にするかは固より、「スラム」について何を論じるかということすら極めておらず、参考文献の収集も行っておりませんでした。そうこうしている内に十月になり後期が始まりました。そろそろ着手しないと手遅れになってしまうため、重い腰を上げてまずは資料を探す旅に出ました。といっても「詩」としての「スラム」は日本ではまだ膾炙しておらず(ですから表題の「スラム」のうしろに「という詩」という語が附いているのです)、有益な情報が得られなかったため、海を渡る必要性が生じました。主にフランス語のサイトで情報を集め、それを実際に文字に起こし始めたのは十月の終わり頃でした。それから授業を受けつつ(四年生の後期の段階でまだ単位が大分不足していました)、一気に書き上げました。つまり結果的に執筆に費やした期間は約二ヶ月です。――


(フランスの代表的スラマー“Grand Corps Malade〔のっぽの病人〕”)

卒論を書いてみて感じたことは、規定の文字数(原稿用紙50枚以上)を超えることは容易いということです。普段提出するレポートは大体2000字程度ですから、それを考えるとレポートを10枚以上書く必要がある(しかも一つの主題に関して)ため狼狽してしまいがちですが、気がついたときには20000字は超えているものです。また、構成に関しては過去に提出された方の卒論を大いに参考にしました(今年は卒論の審査の際に傍聴人の方々にも平山君と私が書いた卒論が配布されましたが、あれはいい試みであったと思います)。

最後に、序論とまとめで用いたいわゆる擬古文について少し弁明します。私は平生、明治・大正文学に親しんでおり、この類の語句にも興味を持っていました。ですから当初は全部あの文体で書く予定でした。しかし這般の事情により断念しまい、その一部を原文に留めるだけとなってしまったことが残念ではあります。ですが私の擬古文歴はまだ短いですし、今後に期待するという意味では十分納得することができます。いずれにせよ卒論の一部に私の「色」が出せたことは満足すべきかもしれません。(小杉正明)



目次

序論 
第一章 スラム概論
 第一節 スラムの濫觴 1. アメリカ 2.フランス
 第二節 スラムの定義 
 第三節 スラマー 
第二章 スラムから見るフランスの問題
 第一節 グラン・コール・マラッドのスラム 
 第二節 グラン・コール・マラッドとジズ 
 第三節 フランスと移民の関係の始まり 
 第四節 移民と教育 
 第五節 格差の是正 
 第六節 優先教育地区(ZEP) 
第三章 まとめ 
参考文献 

要旨

この卒業論文の主題は「スラム」である。本論は三章立てになってはいるが、前半と後半に分けて二章立てとして捉えることも可能だと思う。すなわち、前半では近年勃興しているスラムについての基本的な情報を提供することに主眼を置いている。スラムという歴史の浅い題材を扱うのは聊か難儀であるが、フランス社会で人気を博しているスラムを紹介してみたいと思って筆を取った。また後半ではスラムという現実の社会問題を反映した作品を通して、フランスが直面している課題について考察している。

第一章ではまずスラムの起源から始めている。そこではアメリカとフランスの二つの動きに分けて、スラムがどのように誕生し、どのように今日まで発展してきたのかを論じている。第二節では、スラムの定義や一般的な約束事について述べている。第三節では代表的なスラマー(グラン・コール・マラッド)やスラムのグループ(コレクチフ・129H)を紹介している。

第二章ではスラムを通じてフランスが抱えている問題ついて考察しており、ここでは特に教育問題について論じている。まず第一節でグラン・コール・マラッドのスラム « Education Nationale»を引用し、それから教育に話題を転じている。また第二節では、ジズという名のスラマーとグラン・コール・マラッドの比較も行っている。第三節では移民が非常に多いフランスが、ではどうしてこんなに多くの移民を抱えるに至ったのか、その歴史について述べている。第四節ではその移民が置かれている悲惨な教育事情について扱っている。第五節ではその格差の是正を行うためにフランス政府が実施してきた政策とその際に発生した騒動について取り上げている。第六節ではZEP(教育優先地区)という新たな教育制度を取り上げて、この制度の内容や運用の状況について論じている。

第三章ではまとめを行い、筆者がこの論文を通じて感じたことや、実際にスラムを作った際に得た印象について述べている。また、ブルデューの「ハビトゥス」に言及し、生まれた段階で相当程度今後の人生が決定してしまうような現状に対して疑問を呈している。そして、それを解決するための一つの手段としてロワイヨーモン(Royaumont)が注目されていることを指摘し、スラムが今後恵まれない人々(特に子供たち)にもたらすことになるかもしれない大きな希望について論じている。