HOME > Memoires > Memoires Titres

過去の論文題目

卒業論文


2018年度
「「アレックス3部作」に見るレオス・カラックスの愛と夢世界」
「フランスから学ぶ考える力を養う教育」
「ヨハネ福音書における7つのしるしについて」
「メーヌ・ド・ビランの『習慣論』における運動機能の向上と人間の能動性との関係」
「ヴュイヤールにおける寝室の表象」
「フランスの教会建築と民家—人々の生活と地域性を探る—」
「オスマニザシオンによるパリの変化とその影響」
「ストラスブール大聖堂の不思議な魅力」
「言語から見るフランスとイギリスの関係」
「クレオールから見えてくるもの—パトリック・シャモワゾーを中心に—」
「『一夜かぎり』(1812)」
2017年度
「アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』——デ・グリュマンとマノンはなぜ逃げ続けなければならなかったのか」
「メビウスからみるバンド・デシネと日本のマンガ」
「フランスにおける移民第2世代の社会統合—就学の視点から—」
「『青い鳥』におけるドーノワ夫人の文体について」
2016年度
「フランスにおける日本アニメの受容」
「暴力の連鎖から脱するための非暴力と愛」
「日仏女性労働者の満足度比較による日本女性労働者の理想の労働環境の考察」
「ボードレールにおける「匂い」」
「男性服におけるジェンダレス化の浸透要因」
2015年度
「フランソワ・ヴィヨンと「死』」
「カミュ『異邦人』における色彩描写の重要性」
「メリメ『カルメン』におけるカルメンの描写」
2014年度
「コレット『青い麦』論」
「モーパッサン『ベラミ』における女性の役割」
2013年度
「フランス社会におけるPACSの役割とその意義」
「日韓翻訳を通して見る『プチ・ニコラ』の世界──子どもには夢を、大人には郷愁を」
「フランス共和国の標語における「博愛」についての考察」
2012年度
「アルザスにおける帰属意識の変還」
「マションが意味すること──過去から現在、そして未来への永続に向けて」
「オートクチュールの源流クチュリエ、フレデリック・ワースの業績」
「ジョルジュ・バタイユの『エロティシズムと死』について」
2011年度
「サミュエル・ベケット『名づけえぬもの』から見出す言葉の可能性」
「スラムという詩とフランスの教育問題」
2010年
「モリエール喜劇における最後の従僕――ペテン師スカパンと優越感による笑い」
「フランソワ・モーリヤック『愛の砂漠』における”砂漠”とは?」
「ジャン・コクトー『恐るべき子供たち』における夢想による空間の想起と死の関係性について」
2009年
「大人が読む『星の王子さま』」
「作中人物の死と美――『アドルフ』と『マノン・レスコー』を通して」
「パラノイド・アンドロイド――ミシェル・ウエルベック『ある島の可能性』における現代性」
2008年
「エリック・サティの詩学について」
2007年
「『アドルフ』における愛のあり方とその終焉について」
「テロワーニュ・ド・メリクールとロラン夫人――二人の女性革命家を通して見るフランス革命」
「ボヴァリー夫人について」 「逃走について」
2006年
「インドについて――ピエール・ロティの旅行記『英人なきインド』と現代インドの考察」
2005年
「『なしくずしの死』にみられる「生」と「死」の表現について――「魂」について語ることの意義に関する考察」
「二つの芸術――近代的芸術観と現代的芸術観」
2004年
「アナトール・フランスの自伝的小説――ピエール・ノジェール、思い出の効用」
「スタンダールの〈自我〉の世界――『赤と黒』の中に」
2003年
「アルベール・カミュ『転落』における水のイメージ」
2002年
「『失われた時を求めて』と固有名」 「身体の条件」
「モリエールの喜劇について――場面設定を中心に」 
2001年
「裸の人間――ジャン・ジュネ『泥棒日記』を中心に」
「ディドロの描いたエスキス―美術評論を通して『修道女』を読み直す」
2000年
「『禿の女歌手』におけるコンテキストの錯乱」 「エイハブからリウーへ」
「コンディヤック『人間認識起源論』における認識論の特徴」
「『ジェルミナール』から読みとるゾラの革命観」
1999年
「ジャム論――初期の詩を中心に」 「フランス語の時間表現における提示詞の機能」
1998年
「サミュエル・ベケット『モロイ』における二部構成の意義について」
「スタンダール『パルムの僧院』における近代軍隊と牢獄」
「ミラン・クンデラ『不滅』について」 「フローベール・漱石・シネマ/枠をめぐって」

修士論文


2019年度
「フランスと日本の対アフリカ政策史」
「フランスと日本におけるライシテの歴史的・社会的な比較」
2018年度
「ボードレールの「他処」における「匂い/香り」の諸機能」
「日本とフランスのナショナル・アイデンティティーの形成と外国人2世・移民の子供の帰属意識」
「東京、パリ、ニューヨークの3都市における鉄道網の発達比較——東京の電車、地下鉄はモデルになれるか」
2017年度
「フランスと日本で働く女性が遭遇する障害の比較」
2015年度
「可能性としての倫理——ジャック・デリダの『動物の問い』を通したエマニュエル・レヴィナスの思想読解」
2014年度以前
「ジャック・デリダの現象学的存在論──フッサール、ハイデガーとともに」
「モリエール喜劇における召使の役割について」
「ミシェル・ウエルベックにおける動物の問題」
「媒体としての詩人 ── コクトーの『オルフェ』をめぐる考察 」
「フランソワ・モーリアック『テレーズ・デスケルー』、『夜の終わり』における神の救い」
「ルイ=フェルディナン・セリーヌ、コペンハーゲン亡命以前の作品における衣服を表す言葉について」
「Bateau Ivreの中国語訳と日本語訳の比較」
「サン=タマンのカプリスcaprice―その向う見ずな企て」
「デュ・ベレーの詩が奏でる「音」―«Les Regrets»ソネ31番、ソネ79番を中心に―」
「ディドロの『修道女』における視覚的描写―画家のように小説を書くディドロ―」
「フランスにおけるテケリ・イムレの表象について(1686~1803)」
「『スワンの恋』の先行テクストとしての『つれない男』について」
「コレットと第二次世界大戦」 
「エミール・ゾラの『労働』についての研究」
「譲歩の副詞、«quant même»の意味的価値について」
「『無給の殺し屋』におけるイヨネスコのイデオロギー批判について」
「「場所」と「土地」の詩学―1960年代のルネ・シャール」
「トマ『トリスタン物語』における反復法による心理表現」
「バタイユにおけるヘーゲルの考察」
「黄金の盃と宮廷風恋愛―『ペルスヴァル』834-1304行における王妃グニエーヴル像について」
「『ラモーの甥』における風刺の意味―決定稿の題名、『風刺題名』の多義性」
「ルネ・シャール―初期詩集にみる詩人の蘇生」
「ヴィアンとジャズ、黒人の血」
「シモーヌ・ヴェイユにおける〈力〉と〈権力〉―E.レヴィナスの倫理思想との比較を通じて」
「『告白』:読者との関係から考察したルソーについて」
「ドゥニ・ディドロ『私生児』の形式について―演劇と小説のあいだで―」
「〈孤独と交流〉メルロポンティーの身体性に関する試論」
「プルーストとワット」 「ポール・ヴァレリー『テスト氏との一夜』の方法」

博士論文

「レヴィナスのエコノミー――正義と慈愛のあいだ」
「ミシュレと生命科学――歴史・大地・科学」
「ギョーム・ポステル『世界の驚異』(1553年)研究――東西インドの発見と万物復元」