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2018年3月フランス滞在記(パリ、レンヌ)

西山雄二(仏文准教授)

西山雄二(仏文准教授)


今年も学生らとのフランス研修旅行(16日間)を実施した。振り返れば、東大時代からこの10年間、9回も学生らとフランスを旅行したことになる。



本プログラムの目的は、参加学生が16日間のフランス滞在を通じて、3つの大学でさまざまな授業に参加し、現地学生と交流することでフランス語の能力を向上させ、日仏比較研究を進展させることである。事前に専門科目「フランス語会話I」「フランス語学概論A・B 」にて現地派遣に関連するフランス語学習の準備・支援がおこなわれ、学習の成果がフランスで披露された。

①レンヌ第二大学:日本語クラスにてフランス語で発表。
②レンヌ第一大学経営学院:日本語クラスにてフランス語で発表。
③フランス国立東洋言語文化大学(略称:イナルコ)、パリ:授業見学

レンヌ第二大学は大学改革反対のためバリケード封鎖されたので、日本語クラス見学はキャンセルになった。しかし、前日、参加学生らがせっかく用意したので絶対開催したいとの熱意から、寮の集会所を予約。先生の合意を得て、私たちと自主的に授業を実施した。フランスらしい情熱と行動力に感動した。

日本人学生が「学生生活」と「東京の観光」に関してフランス語で発表。原稿を見ないで、7人のリレーで計20分の発表を堂々とやり遂げたのは実に立派だった。その後、持ち寄った食べ物とともに歓談。若者らは打ち解けるのが早い。昨年同様、交流はとても上手くいった。


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レンヌ第一大学経営学院の日本語クラスでも同様の発表をおこない、質疑応答をした。フランス人学生と共同して、日本語の歌の練習にも参加した。フランス人学生らも日本語で発表してくれた。ただ、私たち日本人学生からの質問やコメントはゼロでだんまりしたまま。「みなさんはたくさん質問をもらいながら、なぜ自分は言葉を返さないのか。応答しないなら無関心だと言っているようなもので、失礼な態度にみえる」と注意をした。日仏学生の対照的な態度がよくわかる事例だ。


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フランス国立東洋言語文化大学(略称:イナルコ)では、2日間にわたり、「会話」「翻訳」「演劇実践」などの授業を見学した。

「演劇実践」の授業には日本語学科2−3年生が参加していたが、その出来映えは圧巻だった。「かぐや姫」と「オズの魔法使い」を現代日本社会にアレンジし、自分たちでゼロから日本語の卓越した脚本を書き、練習をくり返して見事に演じていた。「かぐや姫」は殺人事件に変奏され、サスペンス風に進行。「オズの魔法使い」は、山手線沿線を舞台に、秋田から来た少女、知性を欠いたナンパ師、心を失ったサラリーマン、勇気のないヤクザが、魔法使いオズのところへと、自分に欠けているものを求めて旅する喜劇風ミュージカルに。この授業では単位が付与されず、忙しくて何人も辞めたそうだ。この劇は3月半ばの日本文化祭で披露されたが、公演は実に素晴らしい出来で、私はまるで「奇跡」に触れたかのようにさえ感じた。


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今年のメンバーは元気が良く、自撮りやライン会話を駆使して、みんなで終始盛り上がった。共有アルバムには4000枚ほどの写真が残っていて、集合写真がやたらに多い。パン屋でシュケット(パールシュガーののったシュー生地お菓子)を買って、路上で食べる際にも、自撮り集合写真だ。団体旅行は準備が大変で、ホテル代やアパート代をまとめて数十万円私が前払いする。無事にお金が回収されるか、いつもヒヤヒヤするが、どこか捨て身の感覚はある。しかし、終了する頃、学生らの頭と身体は好奇心と学習意欲に満たされ、フランス文化への態度がより真摯なものになる。彼らが3年生になって、就活まで、何をすべきかが明確になる。旅とは強度のある出会いであり、それは学びの原動力そのものだ。


矢野美久(仏文2年)

矢野美久(仏文2年)


【はじめに】

今回16日間にわたる国際交流プログラムに仏文2年の仲間と共に参加させていただいた。海外での長期滞在経験がない私は、初めてのフランスに“16日間も”滞在することができると出発前は心を躍らせていたのだが、思い返すと一瞬の出来事だったように思う。しかしその一瞬が何とも濃密で、貴重で、かけがえのない時間となった。授業でどれほど学習してもどこか漠然としてつかめなかったフランスという国の、リアルな姿を知ることができたのではないだろうか。頭と心と体をフル稼働した16日間のうちの一部とはなってしまうが、ここに記したい。

【ブルターニュ編】

フランスに到着してはじめの5日間はパリではなくブルターニュ地方(主に中心都市レンヌ)に滞在。翌日にレンヌ第2大学の学生たちとの交流の予定を控えていたため、12時間のフライト後すぐにTGVでパリから移動し、レンヌに初日の夜到着した。フランスでの初めての食事はブルターニュ地方発祥の郷土料理ガレットと、この地方の名産である生絞りのシードル。西山先生おすすめのお店でいただき、長旅で疲れた体を癒してくれた。地方ならではの料理を味わうことができるのも旅の醍醐味だ。レンヌの街の至る所でクレープリーを見かけた。


★パリに到着し西山先生に合流。空港からモンパルナス駅までは卒業生でパリ滞在中の八木さんに引率していただいた。大幅な飛行機遅延でTGVに乗り遅れそうになり、階段しかない地下鉄の通路内をスーツケースとともに走った辛さは忘れられない。


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★駅前のクレープリーでのガレットとシードル。本場ではシードルボウルという陶器のお椀で飲むのが伝統。日本で食べるガレットよりも重たくなく、素朴ながら非常に美味だった。

レンヌ第2大学の訪問

今回の研修に備えて、後期から昼休みにフランス人留学生とデジュネフランセという活動を毎週1回行いフランス語での会話練習をしていた。というのも、レンヌ第2大学の日本語クラスの学生たちの前で『学生生活』と『東京の紹介』についての発表と交流をするためだ。実はフランスへの出発2日前にして学生の抗議運動がおこり、レンヌ第2大学の全面封鎖が決定し発表と交流がなくなりそうになってしまっていたのだが、現地の学生たちが自発的に地域の集会所を予約し発表と交流の場をわざわざ設けてくれた。彼らの親切心には胸が温まる思いだ。このタイミングでの大学封鎖とはなんて運が悪いと思っていたが、おかげで学生の抗議運動が盛んなフランスで実際にバリケード封鎖(Blocage)を目にする機会ができた。学生たちが椅子や大きな家具で大学の入り口をふさぎ封鎖してしまうことなど日本では到底考えられない。今回の抗議運動はフランスでの大学入試、バカロレアの改革がきっかけだそうだ。日本も大学入試センター試験の廃止が決定されたが、異議を唱えた学生がどこにいるだろうか。しかも、これから大学へ入学するために試験を受ける学生ではなく、もう入試を終えている大学生が抗議をしているのだ。政治に関心がない若者であふれた日本とは対照的で、学生たちが自ら動き政府に訴えかけようとするフランスの若者の行動力に驚かされた。

発表に関しては少し緊張したものの現地の学生たちが真剣に聞いてくれたおかげで無事に最後まで終え、発表のあとはお互いの国のお菓子を持ち寄った文化交流。そしてバリケード封鎖が解除されたレンヌ第2大学の見学へ。このレンヌの地と大学には9月から交換留学でお世話になるため、それを念頭におきながらひとつひとつ丁寧に目に焼き付けるようにした。広いキャンパスと図書館、語学学校CIREFEや寮の様子も事前に詳しく知ることができ、国際課の先生方に挨拶もさせていただき非常にありがたい思いだ。現在レンヌに留学中の仏文の先輩である佐藤さんと田中さんからも参考になる話を伺い、曖昧だった留学生活のイメージが少し明確になったように思う。

夕方にはレンヌ第一大学経営学院に移動して日本語クラスで同様に発表と交流をした。レンヌ第2大学の全面封鎖のため急遽決まった追加の予定だったが、学生の皆さんは快く受け入れてくれた。日本ではフランス語を母語とする人々の前でフランス語を話す機会はあまり持つことができないため、2度も現地の人々に対して発表ができたことはためになる経験だった。どちらの学校もフランス人学生たちは日本語が想像以上に上手で、ジブリなど日本の文化の話で盛り上がった。近年クールジャパンといって日本独自の文化が海外で評価されていることは知っていたが、フランスの学生たちは我々が知らないようなコアなアニメや漫画にも詳しく、日本文化が本当に浸透しているのだということを実感した。楽しい時間を過ごすことができて嬉しい反面、自分がフランス語でも英語でもうまく相手に意志を伝えられないもどかしさを感じた1日でもある。交流の間、会話中に出てきた単語や文章表現について日本語ではどのように言えばいいのかとフランスの学生たちは積極的に質問をしてくれたのに対し、我々はせっかく目の前にフランス語を母語とする人々が大勢いるのにも関わらず、積極的に質問をすることができなかった。今後はチャンスを無駄にしないよう彼らの積極性を見習いたい。


★レンヌ第2大学日本語クラスの学生の皆さんと。

モン=サン=ミッシェル

16日間の中で一番印象深かったのがモン=サン=ミシェル修道院で、フランスでも髄一の巡礼地だ。モン=サン=ミシェルへと向かう途中はブルターニュ地方特有の雨が降っていたが、バスを降りると雨がやんで虹がでた。遠くに見える世界遺産と虹の組み合わせは非常に美しく忘れられない景色だ。この修道院は花崗岩の岩山の周囲に建物を巻き込むような形でつくられた独特の様式をもつ建築で、湾に浮かぶ姿は何とも神秘的だった。ここは708年から始まる長い歴史を持ち、防壁と要塞は百年戦争のときには不落の強さを見せ、フランス革命後には監獄として使用されたという過去もある。外観は一見綺麗なお城のようにも見えるが、城壁の中の作りは非常に複雑で、何度も増築が繰り返された修道院は様々な時代の様式が組み合わされていた。回廊の床が防水構造になっていたり、重量の軽減のために木材を使用したり、柱の位置をずらすことで耐久性を高めていたりなど、一目見ただけではわからない高度な技術が使用されながらモン=サン=ミシェルの修復は現在も続いているそうだ。建物内の空気はひんやりとして気持ちが澄むような、それでいて重くて長い歴史を感じるような空気感だった。夜にライトアップされた姿も絶景で、星空が美しかった。潮の満ち引きによって水位が変わる湾に月の光が差し込んでいて、自然の神秘のようなものも感じた。この神秘性が巡礼地としての価値をより高めているのではないかと思う。人々がここを訪れる理由がどことなくわかった気がした。


★モン=サン=ミシェル。雨上がりに虹と一緒に。

★夜のライトアップを見にホテルを出て近くまで向かった。星空が格別に綺麗だった。

【パリ編】

6日目の朝、惜しみながらもレンヌを離れパリに移動。ブルターニュ地方の穏やかな雰囲気とはうってかわり、いかにも大都会、第二帝政期にセーヌ県知事のオスマンの改革によって整備された街並みは趣の塊のような空間。どこまでも続く統一された建造物と規則的に伸びた道路、行き交う人々や交通量の多さと耳に飛び込んでくる様々な音すべてが刺激的で圧倒された。街灯一つ一つにまで彫刻がなされるなど細部にまでこだわりを感じ、街全体が芸術作品と言われるのも納得できる。レンヌにいつまでもいたいと思っていたものの、さすがフランスの首都パリ、到着するや否やすぐに魅了されてしまった。

この日からはホテル滞在ではなくパリの13区にあるアパートの一室を借りて仏文2年生6人との共同生活。パリを去る頃にはそのアパートが自分の本当の家同然のようになり、ずっと以前からここに住んでいたかのような、そして今後もここに住み続けるかのような感覚になっていた。今回9日間という短い期間ではあったが、観光客としてホテルに“泊まるというよりもむしろ市民の一部と化して家に住むという日常生活を海外の地で経験することができたのは非常に新鮮だった。アパートについて間もなく近くのスーパーマーケットへと買い出しに行ったのだが、まず驚いたのは野菜や果物が日本よりも安く、品ぞろえが大変豊富だったことだ。日本で一人暮らしをしているときは野菜や果物が高く頻繁に買うことをためらっていたが、フランスでは手軽に食べることができた。フランスは農業生産額がEU最大であり、農業大国という一面も持つ。滞在中に何度か出くわしたマルシェでは店員と客の距離感も近く、フランスならではの活気を感じた。


★マルシェ。鮮やかな彩りの野菜と果物やチーズがあふれんばかりに置かれていた。

★パリの街並み。セーヌ川沿い、シテ島から。

イナルコ訪問

パリではイナルコ(フランス国立東洋言語文化大学)に2日間訪問し、授業に参加した。まずは日本語会話の授業。リスニングでは日本語の会話を聞き、主語が省かれがちな会話からその動作をしたのは誰なのか動作主を考え、またその動作をされたのは誰なのか受身表現の問題にも取り組むとともに、「~たり、~たり」という並列の表現方法や「~ながら」という付帯状況の表現方法も学んでいた。また首都大学東京で我々が履修しているNSEの英会話授業に似たような内容で、2人組で日本語での会話練習にも力を入れていた。これは大学二年生のための授業で、日本語を学習し始めて2年目とは思えないほど自然な会話ができる人が多く、学生たちの日本語のレベルの高さには大変驚いた。

また、彼らは日本人大学生に比べて積極的に発言していた。複数の選択肢の中から答えを1つ選ぶ問題で、「正解が○○番だと思う人?」と先生が順番に尋ねている場面で、周りの目やその選択肢を選んだ人数の多さを気にせずに生徒一人一人がきちんと挙手していたのが印象的だ。自分も含め、多くの日本人学生は間違いを恐れてついつい多数の方に手を挙げたがるし、挙手すらしない人も多い。一人一人が問題に向き合い真面目に授業に参加している様子がうかがえた。2日目は日本語からフランス語への翻訳の授業に2度にわたり参加。ソシエ先生の授業は、生徒が数人ずつ班にわかれて村上春樹のエッセーを仏訳してきたものを授業内で比較検討するというもの。ソシエ先生のフランス語による説明は正直ほとんど聞き取ることができなかったのだが、配られた生徒たちの仏訳の資料はなんとなく自分にも理解できた。班ごとの仏訳を見比べると、一つの日本語の文章でも訳し方は班によって様々で、的確なフランス語表現を選ぶのは難しいのだと感じた。また日本語には様々なオノマトペが存在するため、それをフランス語で表現する難しさも感じた。

今まで海外で日本語をどのように教えているのか知らなかったが、授業を受けてみて日本語が母語である自分自身さえ、日本語のことをよく理解せずに使っていたのだと気づかされた。微妙なニュアンスの違いを表すために日本語には多くの表現があり、的確なものを当てはめるのは日本語が母語でない人にとって相当難しいだろう。私は物心ついた時から当たり前のように日本語を話しているけれど、なぜその場面ではその言葉を使うのか、なぜその文法なのか、なぜその活用なのかをいざ説明しようとしてもできない。イナルコで行われていた日本語の授業は、現在フランス語を学習している自分にとっても非常に役立つ授業であり、自分の伝えたいことをフランス語で正確に伝えるためにまず日本語をきちんとかみ砕いて理解しておく必要があるとわかった。

イナルコを訪問して一番良かったと思えたのは演劇テアトルの学生たちとの出会いだ。授業に参加した後、我々はイナルコで行われる日本文化祭で発表するための演劇の練習を見学した。彼らは自分たちでシナリオをつくりあげ練習に励んでいた。作品は2つあり、1つ目はオズの魔法使いの物語をベースに、そこに日本の文化をおりまぜた内容となっていた。2つ目は我々がよく知っている昔ばなしのかぐや姫…と思いきやそこから日本でありがちな推理サスペンスドラマのような展開に。演劇に参加している学生一人一人が真剣に日本語の台詞を覚え、暗記し、熱演していた。インスタグラムにハマる若者や、満員電車にゆられ疲れきったサラリーマンなども登場し、物語はまさに現代の日本の様子をうまく反映していた。日本について詳しく知っていなければ書けないシナリオで、彼らは本当に日本が好きなのだということがひしひしと伝わってくる。日本人の我々より日本を知っているようにさえ思える。彼らが日本について知っているのと同じくらい、自分はフランスのことを知っているのだろうかと思い返すまでもなく、自分はフランスについてまだまだ知らないことばかりなのだと反省をした。なんとこの演劇の活動は一切単位も出ず、学生たちが自主的に活動し忙しい勉強の合間をぬって練習を重ねてきたのだと聞いた。しかも人員不足のため2作品両方に出演しなければならない、その時間をさいてでも2作品とも完成させて披露したいという強い思いをメンバー全員が持っていた。大学生活の中で、彼らのようにこれほどまでに打ち込んで頑張れるものが自分には無かったと思う。作品の内容自体もお世辞抜きで面白く、見ていて笑える素晴らしいものだった。日本から遠く離れた地で、これほどまでに日本に興味を持ち励む人々の存在があったと知ることができ非常に嬉しく思い感動した。彼らが努力しているように、自分ももっとフランス語の勉強に励みたいと思えた瞬間だった。

印象派画家巡りとパリでの個人行動

パリでは空き時間を利用し名所を訪れたが、特に印象に残っているのはオルセー美術館である。オルセー美術館は1900年のパリ万国博覧会の際に建設された駅舎を改装してつくられた美術館で、1848年から1914年までの西洋美術を専門とした作品を展示している。私は以前からフランス近代美術、中でも印象派が好きで日本でも何度か美術館の企画展示に足を運んでいたが、オルセー美術館は印象派の宝庫とも言えるほどで、桁違いの数の名作を実際に鑑賞できたため感無量だった。モネの作品は間近でみると筆のタッチが非常に荒く一見何が描かれているのかわからないが、少し離れた位置から見ると見事な絵が出来上がっている。そして風景の中に人物が溶け込んでいて、表情が描かれていないことも多い。一方ルノワールの作品は人物の表情をはっきり描いているように感じられる。印象派画家とひとくくりにいっても、彼らの作風は各々異なっており、多くの作品を鑑賞する中でその比較ができた。
オルセー美術館に訪れた日はパリで初めての個人行動の日でもあった。

せっかくなので印象派にちなむ場所をまわろうと思い、モネの作品を多く所蔵するマルモッタン美術館と、モネがかつて絵画の題材にしたサン・ラザール駅を訪れた。行く途中、パリで最も有名なカフェの一つ、Les Deux Magotsに立ち寄りテラス席でサン・ジェルマン・デ・プレ教会を眺めながら一息ついた。ここはピカソやヘミングウェイなど様々な芸術家が集い、1950年代にはサルトルなど多くの文化人たちが哲学論に花を咲かせていた歴史のある老舗だ。フランスには街中の至る所にカフェが存在し、多くのパリ市民がテラス席に座り会話で盛り上がっている様子を目にした。フランスのカフェ文化の歴史は17世紀にまで遡り、カフェは多くの芸術家や作家、詩人が集まる文学サロンとしての役割を担い、18世紀末には革命家が集まり過激な議論を展開した場所でもある。フランスの思想の多くはカフェで生まれたのだ。パリのカフェは人々の生活と切っても切り離せないものであるという印象を受ける。


★クロード・モネ『印象・日の出』。印象派の名前の由来となったともいわれる作品。16区の閑静な高級住宅街にあるマルモッタン美術館にて。

★サン・ラザール駅。鉄骨造りは当時の近代化の象徴で、モネは何度も絵画の題材にした。

シャルトル大聖堂でのミサと教会建築

11日目は別件でフランスに滞在していた藤原先生と合流し、パリから離れシャルトルへと向かった。シャルトルのノートルダム大聖堂はフランス国内の宗教建築の中でも最高傑作といわれる大聖堂で、1979年に世界遺産に登録された。176枚ものステンドグラスを有し、その美しい青色は「シャルトルブルー」と称されている。11世紀にロマネスク様式で建立されたが1194年に火災にあい再建され現存するのは1220年に完成したものだ。2つの尖塔の右側はロマネスク様式、左側はゴシック様式と異なる建築様式が共存するという珍しい特徴を持つ。ちょうど日曜日ということで、人生で初めて大聖堂で行われるミサに参加。教会中に鳴り響くパイプオルガンの美しい和音と人々の歌声は忘れられない。ミサに参加し、実際にキリスト教を信仰する人々を間近に目にした。自分の前に座っていたマダムも、横に座っていた青年の方も、ミサの間に何度も立てひざになっては両手を合わせ神に祈りを送っていた。途中からミサに参加する人々も、祭壇の前まで行き片ひざをついて祈りをささげてから各々席についていた。老若男女問わず多くの人々がミサに参加し、これが決して特別な行事ではなく、キリスト教を信仰する人々にとっては日常の一部でありキリスト教が心の拠り所なっているのだということが目に見る光景全てから読み取れた。ミサの最後の方で席の周りの人とハグや握手をする時間(調べたところ、平和の挨拶とよばれるものだと思われる)があった。私はせっかくの貴重な機会だからと一人で結構前方に座ってしまったのだが、初めてのミサで少し緊張し手順もわからないことだらけで、周囲の熱心なキリスト教徒の方々との温度差を感じその場に座ったことを軽く後悔していた。また日本では突然知らない人々と握手をすることにも慣れておらずどうしたらいいものかと固まってしまっていた。しかし前に座っていたマダムが2人ほど振り返り、このいかにも外国人観光客でキリスト教徒ではないとわかる私にも、ためらい一つ見せずに笑顔で手を差し伸べてくれた。2列前に座っていたマダムも同様だった。この方々のおかげで自然と緊張もほぐれ、国籍や身分など関係なくこのように人々とつながることができるのは素晴らしいことだと心が温かくなった。ミサに参加できよかったと思う。

この研修旅行中に何度も教会を訪れる中で、重厚な壁、小さな窓と半円アーチで構成され内部はやや暗いロマネスク様式、大きな窓、大規模なステンドグラス、尖頭アーチで構成されたゴシック様式、古代ギリシアの神殿を思わせるネオ・クラシック様式など授業で学習した様式の違いを実際に目で確かめることができた。特に街のシンボルとしてそびえ立つゴシック建築の教会の存在感には圧倒され、このシャルトル大聖堂の建築も、より上へ、天へ、と向かう意識がひしひしと伝わってきた。

訪れたどの教会も、巨大で細かすぎるほど美しいステンドグラスや繊細で華やかな彫刻と装飾、思わず見上げてしまう天井画や豪華なシャンデリアがあちらこちらにあり、一体どれほどの労力と時間と資金がつぎこまれたのだろうかと想像してもしきれず圧倒されるばかりだった。そこまでしてでも建てるほどに、当時の教会は地位が高く権力が強かったということだ。ヨーロッパにおける宗教の影響力は自分の想像を遥かに超えていた。今までの自分の生活は教会と全くかかわりがなかったが、教会には重要な歴史や技術が詰まっており、キリスト教を信仰していなくとも教会を知る価値はあるのだと気づかされた。


★シャルトル大聖堂。尖塔が左右違うことがはっきりと見て取れる。天気にも恵まれた。

★シャルトルはアンリ4世が戴冠した地。アンリ4世にちなみ2月末から期間限定でPoule au pot(プロポ)というポトフがレストランのメニューに出てくると大須賀先生がおすすめしてくださった。大聖堂の近くのお店で食べることができた。

【おわりに】

この旅行中全てが順調というわけではなく、レンタカーが故障して動かなくなったり、スーツケースが棚に引っ掛かり取り出せなくなってしまいTGVを降り逃しそうになったり、同期生が突然体調不良になったり、買った切符が使い物にならなかったりなどハプニングや軽いトラブルにも多く見舞われた。しかしそのたびに老若男女問わず通りすがりの人々がこちらの要請を待たずとも進んで手助けをしてくれて、彼らの親切心には思わず泣きそうになってしまった。一期一会の出会いに助けられた研修旅行だった。これまでフランスと言えばやはり観光大国で美しい場所が多いというイメージがあり、そういうところがフランスの良さかつ強みだと思っていた。しかしこの研修を経る中でそれよりも、もっと日常の中に素敵な一面が多く見受けられるのだと思った。店に入ったら”Bonjour”、出るときは”Merci. Au revoir.”とあいさつを交わしたり、ちょっとしたことでも助け合ったり、些細で当たり前なことかもしれないが、日々の暮らしの中での人とのつながりがフランスの良さの一つだと思うようになった。


★最終日、アパートでの集合写真。

最後になりますが、このプログラムは首都大学東京の経済支援と多くの人々の支えがあって成り立ったものです。この場を借りて関わったすべての方々に感謝を伝えさえてください。パリでの案内をしてくれた八木さん、レンヌでのサポートをしてくれた佐藤さんと田中さん、レンヌ第2大学・イナルコ・レンヌ第1大学経営学院の先生方と学生の皆さん、事前準備から多くの手助けをしてくれた麻純さんをはじめとする仏文の先輩方、時間をさいてフランス語での会話練習や発表資料の添削、発音の指導をしてくれた留学生の皆さん、常に私たちに素晴らしい学習環境と思いやりを与えてくださる藤原先生をはじめとする仏文の先生方、この研修中数えきれない思い出を共有した2年の仲間たち、そしてこの研修がより良いものになるようにと一から準備し多くのことを教えてくださった西山先生に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。仏文に入ってよかったと心から思っています。

遠田満以(仏文2年)

遠田満以(仏文2年)


はじめに

 228日、出国前日。Air Franceから1通のメールが届く。私たちが乗る飛行機の出発時刻が1時間遅れるというものだった。そして当日、さらに搭乗開始時刻が遅れ、最終的には当初の予定時刻から約2時間遅れての出発となった。

 私は高校1年生の夏に旅行で1度フランスを訪れたことがあるため、今回は2度目の滞在となる。以前と異なるのは、自身がフランス語やフランス語圏文化を学んでいること、観光目的の滞在ではないことである。こうしてみるとそれほど大差がないように感じるが、出発前の心持は全く異なっていた。これまでの大学生活で学んできたことの確認をし、これからの大学生活で自分が学びたいことを見つけ、またそのために自分が何をしなければならないのかを考えるという明確な目的があったからだ。

 こうして少しの不安と緊張、そして異国に飛び込む高揚感と。様々な感情に押しつぶされそうになりながらプログラムがスタートした。約2週間の滞在で経験したこと全てが刺激として残っている。この濃密で充実した日々の中で特に印象に残った経験を中心に振り返っていく。

フランス到着、レンヌへ

 31日午後4時過ぎに無事シャルル・ド・ゴール空港に到着。この後TGVに乗りレンヌへ移動する予定だったが、飛行機が大幅に遅れたこともあり、20㎏以上のスーツケースを抱えて走ったことは忘れられない。小さなハプニングはつきもので、そのようなときに思いがけず人のやさしさに触れるものだ。TGVの荷物棚からスーツケースを取り出すことができずに困っていた時、周りにいたフランス人の男性たちが当然のように助けてくれた。日本人ならば見て見ぬふりをするような場面で自然に手を差しのべてくれる。研修中に何度もその温かさに触れることになるが、滞在初日から日本人とフランス人の違いに気づかされた体験だった。

レンヌ

 レンヌはフランス最西端に位置するブルターニュ地方の中心都市であり、学生が人口の4分の1を占める学生都市でもある。今仏文からレンヌ第二大学へ留学している佐藤理紗さんと田中恭平さんのお二人に街中を案内していただいた。実際に街を歩いてみて若者は多いが落ち着いた小さな町だと感じた。ブルターニュ地方には15-16世紀の家並みが残る街が多く、レンヌも例外ではない。1720年の大火事で多くの歴史的建造物が焼失してしまったが、被害を免れた木組みの家並みが今も残っており、下町風のかわいらしい印象を受けた。


(レンヌの街並み。Place Sainte-Anne付近にて。)

レンヌ第二大学

 このプログラムの大きな目的の一つはレンヌ第二大学の日本語クラスの学生との交流だ。フランスへ出発する数日前、レンヌ大学を訪問する予定だった32日に、大学改革への抗議運動のためレンヌ大学が全面封鎖されることが決まった。しかし、レンヌ大学の学生が有志で場所を用意してくださり、予定通り交流会を実施することができた。学生の熱意に感動すると同時に、絶対に発表を成功させようと気が引き締まった。

私達仏文生はレンヌ第二大学の日本語クラスの学生に向けて「首都大の学生生活」と「東京」の2つのグループに分かれて発表した。私は後者のグループで、東京の都会らしさ以外に着目したいと考え、東京の自然をテーマに世田谷区の等々力渓谷公園について発表した。日本でプレゼンの準備をするとき、フランス人は東京の何を知りたいのか、何を発表すれば東京に来たいと思ってもらえるのかが分からず、テーマ選びはとても難しかった。プレゼンそのものがあまり得意ではないうえに、日本人でも知らない人が多いであろう等々力渓谷公園に興味を持ってもらえるかという心配もあり非常に緊張したが、いざ発表が始まってみると思っていたよりもスムーズに発表することができた。日本語クラスの学生が目と耳で熱心にプレゼンを聞いて反応をしてくれたおかげだろう。プレゼンの後の質疑応答は西山先生の通訳のもとで行われたが、本当に沢山の反応が返ってきて驚いた。大学入学以来何度もプレゼンをする機会があったが、発表後に質問をされたことは一度もなかった。日本人の積極性の無さやフランス人との学習態度の違いを痛感した。

発表の後は学生同士の交流の時間だった。日本語クラスの学生はフランスのお菓子を、仏文生は日本のお菓子を持ち寄ってお互いに食べ物を紹介しながら自由に会話をした。事前にフランス語で質問することを考えて来ていたのだが、必要なかった。日本語クラスの学生が積極的に話しかけてくれたからだ。お互いに持ち寄ったお菓子や私たちのフランス滞在の話から始まり、気付けば自分の興味があることやお互いの生活についてなど様々なことを話していた。勿論全てフランス語で話すことができたわけではない。分からないところは英語や身振りに頼ってしまった。しかし、授業内での決まった会話ではなくフランス人との生の会話で、自分が今まで勉強してきたフランス語が通じることを実感できたことは大きな自信につながった。また、自分のことを伝えるためにはまだまだ語彙力が足りないことを再確認し、もっとフランス語でコミュニケーションを取れるようになりたい、という気持ちが一層強まった。


(レンヌの学生との集合写真。)

モン・サン=ミッシェル

 交流会の翌日、モン・サン=ミッシェルへ向かった。モン・サン=ミッシェルは、8世紀初めにアヴランシュの司教であった聖オベールが夢の中で大天使ミカエルのお告げを聞いたことをきっかけに着工されたといわれている。もともとはベネディクト会の修道院として建てられ、その後増改築を繰り返したためゴシック様式やノルマン様式、ロマネスク様式など様々な建築様式が混在している。また修道院としてだけではなく、百年戦争時は要塞として、フランス革命時は牢獄として使用されていた歴史を持つ。

 モン・サン=ミッシェルを訪れたのは人生で2度目だった。初めて訪れた時その美しい姿に感動したことを思い出しながら、また訪れることができることを嬉しく思った。しかし、再びモン・サン=ミッシェルを見た時に瞬時に感じたのは暗く、ぞっとするような何とも言えない感情だった。以前と姿は変わっていないはずであるにもかかわらず、美しいという言葉がすぐには出てこなかった。少し戸惑ったが、のちに、これが何も知らなかった頃と背景や歴史を知った今との捉え方の違いであることに気が付いた。1度目と2度目では見え方が全く異なることに驚くと同時に、何事も2度経験することが重要だと実感した。

 全員で夕食を取った後、夜景を見るためにもう一度モン・サン=ミッシェルへ。都会では見ることのできない満天の星空の下で水に浮かぶモン・サン=ミッシェルは、涙が出てしまいそうなほど美しかった。


(午後は天気にも恵まれ、夏の空と見間違えてしまいそうなほど真っ青な空の下にモン・サン=ミッシェルを見ることができた。)

(夜のモン・サン・ミッシェル。ライトアップの色や美しさを写真では表現しきれないのがもどかしい。)

パリへ

 レンヌ、モン・サン=ミッシェルでの短い滞在を終え、パリへ。レンヌとは異なり都会ならではの喧騒が耳につく。これまで静かな場所に滞在していたからかパリが煩く忙しい場所だと感じる反面、東京に戻ってきたような奇妙な感覚に陥った。ただし、東京とパリ、日本とフランスで決定的に違うのは、道端に助けを求める人がいることだ。日本にも貧しく家を持たない人々がいるが、自分から声をあげて助けを求めている人を私は見たことがない。これも日本の恥の文化というものだろう。しかしフランスではそのような人々が主張し、そしてそれに応える人々がいる。私が目にしたのは、通りがかりの人がカップを持ち地面に座る人にハグをしている姿だった。この光景は困っている人に手を差しのべることのできるフランス人の精神を表していると思い、忘れられないものとして私の中に残った。


(パリの夜景。モンパルナスタワーより。)

フランス国立東洋言語文化大学(通称イナルコ)見学
 イナルコ大学は日本学部・大学院で800人、全体で8000人もの学生を有し、93の言語・文化を教えることで世界的にも有名だ。そのような大学で、312日、13日の2日間にわたって授業を見学する機会をいただいた。大学で言語を学ぶ人間として、フランスではどのように日本語の授業が行われているのか、フランス人はどのように日本語を身に着けていっているのかということに注目して見学した。

 1日目は日本語会話の授業と和訳の授業を見学した。日本語会話の授業では、ある文法事項を使って生徒同士で会話をするというものだった。私達首都大生が受講する英語の授業と形式が似ていたが、大学に入ってから学び始めた言語で日本の英語の授業と同等のことをしていることに驚いた。ペアワークで会話練習をしているところを眺めていたが、全員辞書を使っていないにも関わらず教室のいたるところから様々なアイデアが飛び出てきていることが分かった。会話をするには語彙力がとても重要であることを再確認した。また和訳の授業は、フランス語の原文を読んで先生が作った間違っている日本語訳を正しい日本語に直していくというものだった。フランス語をただ日本語に訳すだけでも難しいが、さらに正しい日本語に訳し直すということは、フランス語の表現と日本語の表現のどちらも正しく理解していなければならず、語彙力も求められる作業だ。正しい日本語でより自然な和訳をすることができるように、日本語を母語とする私も是非受講したいと思うような内容だった。

 2日目は仏訳の授業を見学した。この授業では日本語のテクストとして村上春樹の小説を使っていた。村上春樹と言えば日本人が普通に読むのも難しい。少なくとも私は読むのを避けてきた作家の一人だ。そのようなテクストを使って、事前に生徒数名が該当箇所のフランス語訳を用意し、授業内でそれらを比べながらより自然なフランス語訳を追求していく。私は大学で和訳の授業を受講していたが、そこで使われていた教材は日本で日本人がフランス語を学習することを想定して作られたものだった。このような教材では各章にテーマとなる文法事項があり、その文法事項を中心に文が構成されている。しかし、小説などの文ではそのようなことは一切配慮されない。そのため、本当のフランス語の文を理解するには一般の小説を使った学習が必要だ。首都大でもこうした授業を開講してほしいと強く思った。

 2日間を通して感じたのはイナルコの学生のレベルの高さだ。授業内容の難しさはもちろんのこと、私が最も驚いたのは日本語会話と和訳の授業が解説を含めてすべて日本語で行われていたことだ。以前から先生方からイナルコのお話を伺っていたが、実際に自分の眼で見てそのレベルの高さを実感し、刺激を受けた。

パリの教会を巡って

 パリに限ったことではなく、ヨーロッパの街にはいたるところに教会がある。教会は静かで涼しく、外の世界とは切り離されたような不思議な空間だ。宗教等関係なしに訪れる地元の人々もいるようで、祭壇前の椅子に何をするでもなく座っている人を何度も見かけた。この何となく落ち着く空間を求めて、私はパリ滞在中に7つの教会を訪れた。その中でも特に印象に残ったのはマドレーヌ教会とサント・シャペルだ。

 マドレーヌ教会はパリの中心部に位置する新古典様式のカトリック教会だ。18世紀に聖女マドレーヌ(マグダラのマリア)に捧げる教会として建設が計画され、ルイ15世によって礎石が置かれた後、建築家の死やフランス革命の勃発など様々な理由から工事が中断されてしまう。そんな中、皇帝となったナポレオンの指示で建設が再開され、「陸軍の栄光のシンボル」となる古代ギリシア風の大殿堂が造られた。パリの均整の取れた街並みのなかに突如として現れるこの教会は、どっしりとした厳かな雰囲気をまとっていた。教会自体はそれ程古いわけではないが、そのギリシア風の見た目からアテネのパルテノン神殿を連想させ、タイムスリップしたような気分になった。残念ながら私が訪れた時には正面の円柱の修復作業中で、半分ほど覆われてしまっていたのだが。中に入いると、ほかの多くの教会とは異なりステンドグラスがなく、窓もほとんどないことが分かる。そんな暗い内部にパッと映えるのが祭壇奥に配された彫像『聖マグダラのマリアの歓喜』だ。この真っ白な彫像は光の少ない室内で一際輝いているように見え、その神聖さと美しさに圧倒された。


(マドレーヌ教会正面。半分ほど広告で覆われてしまっていたのが残念。)

(マドレーヌ教会祭壇奥の彫像『聖マグダラのマリアの歓喜』)

 サント・シャペルは、コンスタンティノープルの皇帝から買い求められ、現在はノートルダム大聖堂に収蔵されているキリストの聖遺物を納めるために造られた教会だ。礼拝堂は上下2層に分かれていて、下層礼拝堂は王家の使用人のためのものだった。入り口から入ると、美しく彩色された室内の正面中央に礼拝堂の守護聖人である聖母マリア像が見える。ミニショップが設置されていることもありあまり広くはないが、パリで最も古い壁画である13世紀のフレスコ画や、柱に刻まれたルイ9世の母ブランシュ・ド・カスティーユの紋章など見どころが詰まっていた。入り口の左側にある階段を上り、上層礼拝室に出た瞬間飛び込んでくる一面に輝くステンドグラスは圧巻だった。壁を最小限まで切り詰めて設置された15のステンドグラスには、創世記からキリストの復活までの1113の場面が描かれている。私は聖書を読んだことがないためステンドグラスの意味はほとんどわからなかったが、唯一読んだことのあるヨブ記の部分はステンドグラスを見て少し内容を思い出すことができた。昔はステンドグラスから聖書の内容を学んでいたということを実感した。


(サント・シャペル下層礼拝堂。鮮やかな彩色は19世紀に施された。)

(サント・シャペル上層礼拝室。光を受けて輝くステンドグラスは誰の心も魅了するのではないだろうか。)

おわりに
 レンヌ第二大学の学生との交流やイナルコ大学の見学をはじめとし、このプログラムを通して数々の貴重な体験をさせていただきました。一つの区切りの季節である春に、今までの大学での学びの総まとめをすると同時に、自分を見つめなおし再出発する準備をすることができました。このプログラムは本当に沢山の方々に支えられて成り立っています。パリで私たちを迎え面倒を見てくださった八木さん、レンヌを案内してくださった先輩お二人、シャルトルに同行してくださった藤原先生、陰で支えてくださった仏文の先生方。そして何より、このプログラムを企画し私たちに沢山の貴重な経験をする機会を与えてくださった西山先生に心から感謝を申し上げます。


(約1週間生活したパリのアパートにて。今回共に旅をした仏文の同級生と西山先生。本当にありがとうございました。)

渋谷早紀(仏文2年)

渋谷早紀 (仏文2年)



【はじめに】

 今回2週間にわたるフランスでの国際交流プログラムに参加させていただくにあたって、わたしは以下の4つの目標を立てた。

・「話す」、「聞く」ことに関して授業で学んできたことを実践する
・フランスの歴史や地方について学んで興味を持ったことについて自分の目で確認する
・卒業論文や就職に向けて研究したいことを明確にする
・日本でもフランス語でコミュニケーションを取ることができる友達をつくる

常にこれらの目標を意識しながら行動できたため、滞在中、そして滞在を終えて多くの課題を見つけることができた。わたしにとって今回の国際交流プログラムが初めての海外滞在だったが、見るもの聞くこと全てが新鮮で、何より多くの人と関わり様々な考え方に触れることができたのが貴重な体験であった。感じたこと全てをまとめるのは難しいため、本滞在記では特に印象に残ったことについて述べる。

【レンヌ第二大学での発表・交流】


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 マクロン大統領の大学改革により抗議運動が起こる中、レンヌ第二大学もバリケード封鎖Blocageされてしまい発表の機会がなくなりそうだったが、レンヌの学生の方々が大学近くの集会所を用意してくださり無事に発表の日を迎えることができた。わたしは「大学生活について」というテーマで発表し、発表は無事に終えることができたが、納得のいく発表ができなかった。というのも、レンヌの学生はうなずいて反応したり、メモを取ったりしてわたしたちの発表を真剣に聞いてくれたにもかかわらず、わたしは暗記した原稿を思い出すことばかりに必死になってしまったからである。レンヌの学生の方々と話していて気付いたが、彼らは日本をもっと知りたいという熱意にあふれていて、日本のユニークな文化のおもしろさを本当に「伝える」ことができたのかと反省した。ただ言葉を覚えて声に出すだけならロボットでもできるが、その言葉に思いは込められているのだろうか。思いを伝える1つの手段として言葉の役割を考えさせられる良い経験となった。発表のあとは、先生方やレンヌ第二大学に留学中の佐藤さん、田中さんの助けを借りながら学生同士で交流した。しかしながら、ここでも自分の力不足を痛感した。最初は相手の言っていることを聞き取って理解するのに精一杯だった。何度も聞き返してようやく理解しても答えるのにまた時間がかかり、うまくコミュニケーションを取れずもどかしかった。自分には語彙力と、知っている単語だけで文章を作る能力が乏しいとはっきりとわかった。

 また今回、西山先生がレンヌ第一大学経営学院の日本語クラスでの発表の場も用意してくださり、レンヌ第二大学と合わせて計2回発表することができた。ここでは経営学院の学生の方々のスピーチも聞くことができた。それぞれテーマや問いを立て、それについて事実と自らの考えを述べてまとめ、新たに聞き手に問いかけるというスピーチの基本構成がしっかりしていて日本語だけでなくその使用能力の高さに驚いた。またレンヌ第二大学と同様、学生との交流の時間があったが、彼らの日本語能力の高さに甘えてあまりフランス語で会話できなかった。会話のサポートをしてくださった田中さんに「これから2週間でどんどん聞き取れるようになる」と励ましてもらい、この日話せなかった悔しさと聞き取れなかったもどかしさを滞在中にできる限り小さくしていこうと思った。

 2つの発表と交流を通して「伝える」とは何かということを考えさせられた。振り返ると、コミュニケーションを取るのに英語やフランス語の単語を並べるだけでは伝わらないのではないかと恐れて、挑戦もしなかったことをひどく後悔している。しかし、交流を通して仲良くなった学生とSNSを通じてメッセージのやりとりをするようになって、相手のレスポンスの早さに間違いを恐れず会話できるようになり良かった。とはいえまだまだ拙いフランス語なので、これからも連絡を取り続けて上達させたい。



【イナルコ大学授業見学】

 フランス国立東洋言語文化大学Institut national des langues et civilisations oriental(頭文字を取って略称イナルコinalco大学)ではいくつかの授業を見学させていただいた。ここでは印象に残った授業について述べる。まず2年生の日本語の授業を見学したが、本学のNSEの授業によく似ているという印象を受けた。授業の冒頭、学生による短いスピーチがあったが「これから…について話します。」というスピーチの始め方や日本語独特の読みの間違い(例えば、「14日」は「じゅうよんにち」ではなく「じゅうよっか」)を先生が訂正しているのを見ると、改めてレンヌ第一大学経営学院の学生のスピーチが内容、構成共にしっかりしていると感じた。授業で特に印象に残ったのはビデオ教材の日本語表現を解説するところで、この日は「事故に遭われたんですって?」という会話表現の「…って?」を説明していた。わたしも考えてみたがどう説明すればよいかわからなかった。すると小松先生は「…と聞きましたが?」と解説されていてなるほどと納得した。普段日本語をなんとなく使っていたが、第二外国語として学ぶ、教える立場に立つと、このようなささいな表現でさえ解説が必要なことに日本語表現の難しさを感じた。また会話表現と同時に、マナーや作法についても解説していた。例えば、日本では切った(つまり鉢植えに植えられるなどしていない)花束をお見舞いに渡すが、それは花の「根」が同音の「寝」を連想させ、見舞いの際に失礼にあたるからである。いったいどのくらいの日本人が正しく説明できるだろうか(わたしはできなかった)。会話表現等の学習が終わると、実際に会話をするペアワークに移った。いくつかのペアを見たが「…よ。」、「…ね。」といった語尾につけると変に丁寧で、日常会話では使わない教科書の表現にならって会話しているため不自然に聞こえた。しかし自分も教科書に忠実に勉強していたので、フランス人にとってはおかしく聞こえていたのかもしれない。日常の会話表現を勉強するのは難しいと感じた。

 他にもMarion Saucier先生の仏訳の授業を見学した。この日は村上春樹の小説『職業としての小説家』の一部分の仏訳で、先生が学生の仏訳を比較しながら解説を加えていくというものだった。オノマトペや現在の話を過去形で表すといった日本語独特の表現をどのように仏訳するのか、学生の仏訳をもとに先生と生徒で意見を交わしオリジナルの訳を作り上げていく過程がとても有意義に感じた。日本では大学まで、意見を交わして納得のいく結果を導き出すような授業が少なすぎるように感じる。
 授業見学を通して、第2外国語、未修言語をどのように学んでいくのか、日本人とフランス人との習得の差には何が影響しているのか非常に興味を持った。

【フランスと芸術】

 滞在中ほとんど毎日2万歩以上歩いたが、街中のいたるところに芸術があるように感じた。まず驚いたのは、地下鉄の駅や車内で音楽が流れているということだ。日本でも最近、通勤ラッシュの緊張感や不穏な気持ちを軽減させリラックスするように一部列車でクラシック音楽を流す取り組みがなされているようだが、フランスではかなりポップな音楽が流れていて驚いた。また車内での演奏について、日本でも駅前で路上ライブをやっているのはよく目にするが、車内で演奏しているのはイベントを抜きにすると一度も見たことがない。ヘッドホンからの音漏れや大声のおしゃべりに注意するよう呼びかける広告がいたるところで見られ、車内では静かにするのが当たり前という常識の中で育ったわたしにとって車内での演奏は新鮮だった。街中にあふれているのは音楽だけではない。古い街並みを見ながら歩いていると突然現代的なウォールアートが現れる。これらは落書きではなくグラフィティアートという立派な芸術作品で、依頼されて制作することもあるそうだ。歴史ある見た目にも落ち着いた街並みと現代的で原色使いのグラフィティアートが混在しているのはあまりにも対照的で違和感があるが、なぜか不愉快に感じなかった。


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【美術館巡り】



 2週間の滞在中、ルーヴル美術館、オルセー美術館、ピカソ美術館、ポンピドゥー・センター内の国立近代美術館、オランジュリー美術館の5つの美術館を訪れることができた。ルーヴル美術館、オルセー美術館、国立近代美術館はその常設展の豊かさに感動した。教科書で見たことがある、授業で習った有名な作品をこれでもかというくらい見ることができ、美術に興味のあるわたしは何度もゾクゾクした。また、今回訪れた美術館には現地の学生が多く見学に来ており、幼いころから有名な作品を生で見て学ぶことができる環境をとてもうらやましく思った。フランスの美術館と日本の美術館との間には異なる点がいくつかあったが、まず作品の写真撮影が可能という点に驚いた。写真を撮ることのメリットとしては、あとで何度も見返せるということが挙げられる。しかし、写真では実物の色使いや筆のタッチ、重量感を100%再現することはできない。また、写真を撮って満足していつもより作品を味わえていないように感じ反省した。というのも、日本ではほとんどの美術展が撮影不可で、なんとかして目に焼き付けようと注意深く作品を見ていたからである。他に異なる点として、ルーヴル美術館では展示されている作品を真似して描くパフォーマンスをしている人が何人も見られた。どういう目的でやっているのかはわからなかったが、観光客を楽しませる大道芸のように感じられ、美術館とはいったい何のための場所なのか、観光地化してしまっているのではないかと疑問に思った。



多くの作品を見るにつれて、その展示方法にも興味を持った。防犯のためガラスケースに入れられた作品はどうしても照明がガラスに反射して見づらかったし、同様に油絵も角度によって照明が反射してうまく見ることができなかった。子どもの目線でも大人の目線でも、どの角度から見てもその作品の良さを感じられる展示方法、照明の使い方はとても難しいと感じた。しかし、特に立体作品に関して照明と空間の使い方には感心するものがあった。作品を上からぶら下げたり、影も含めて1つの作品として完成させたり、美術の概念についても考えさせられた。数百もの作品を見て最も印象に残ったのは、オランジュリー美術館のモネ作『睡蓮』だ。近くで見ると、正直何を描いているのか全く分からない色使い、筆使いなのに、離れて全体を見ると睡蓮の浮かぶ水面として見え、どのようにしてこの巨大なキャンバスに描いたのか不思議に思った。印象派の作品ということで光のとらえ方に強いこだわりを感じたが、中でも暗い部分からわずかな光が感じられたのに感動した。また、曲線的に展示がなされており奥行きを感じられた。


【フランスという国】

 渡航前、フランスはテロやスリがあって治安が悪い、汚い、人々が冷たいといった印象があり正直不安だった。実際フランスに滞在してみると、地下鉄の駅やトイレ、街中でもにおいが気になるところがあったり、地下鉄の車内に食べ物のくずが落ちていたりしてやはり汚い、むしろ日本が綺麗すぎると感じた。しかしこれ以外は想像と違った。最も印象に残っているのはフランス人の優しさだ。例えばフランスの地下鉄の駅にはほとんど階段しかなく重いスーツケースを持って昇り降りするのが本当に辛いのだが、移動する先々でたくさんのフランス人がスーツケースを運ぶのを手伝ってくれた。また、西山先生がレンタカーでサン・マロに連れて行ってくださったのだが、途中で車が故障してしまい交差点で立ち往生していたところを、ある男性が助けてくれて車を移動させることができた。挙げるときりがないが、他にも改札でカルネ(切符)が使えず困っていると、ある女性が自分の分のカルネを1枚くれたり、体調が悪くなったとき声をかけてくれたり水を買ってきてくれたりする人もいた。同じ国民同士で助け合うのは日本でもよく見られるかもしれないが、外国人であっても同じように困っていたら助けるのが当たり前という姿勢に感動した。つまるところ、フランス人は周りに関心があると感じた。先に述べたように人への関心はもちろん、ものにも強い関心が見られる。というのもフランス人学生と話していると、日本のポップカルチャーに興味があるという声が多く、日本人のわたしたちも知らないアニメや漫画、アーティストを知っていて、日本のサブカルチャーが広く普及していることに驚いたし、このように興味のあることをとことん突き詰めることで彼らの日本語も上達していったのではないかと感じた。言語を学ぶ方法は必ずしも授業や教科書だけではなく、漫画や音楽、映画等様々なメディアを通して楽しく学べるということに気づかされた。

他に生活していて気になったのはバリアフリーについてだ。例えば、信号は変わるのが日本と比べてかなり早いし、音が鳴らない。これでは高齢者や盲者が渡りきるのに苦労するだろう。また、先程も述べたが地下鉄の駅はほとんど階段しかなく、石畳の道は車いすでは通りづらいだろう。日本に帰ってきてそういえばフランスでは障害者をあまり見なかったと気づいた。困っている人を助けるという精神だけでは高齢者や障害者も住みやすい街づくりは難しいだろう。それに対して、日本ではバリアフリーの取り組みが充実していて高齢者も障害者も自立して日常生活を送れているように感じた。

そして、フランスで一番気持ちが良いと感じたのがあいさつである。店に入ったらBonjour, Bonsoir、帰るときはMerci, Bonne journée, Au revoirなど店員だけでなく客も自然にあいさつをしていて気分が良かった。日本でも「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」がこれらに対応するが、どうも機械的に言っているように聞こえる。店員と客の上下関係を感じさせない自然なコミュニケーションが素敵だと感じた。また、地下鉄の遅延に遭遇したとき、駅員が「遅れて申し訳ありませんでした」ではなく「待ってくださりありがとうございます」と言っていた。わたしは日本の遅延のアナウンスで「ありがとうございます」を聞いたことがない。確かに遅れたことを謝るべきだとも思うが、同時に感謝を伝えると気持ち良く過ごせるのではないだろうか。

【おわりに】

 2週間のフランス滞在を終え、フランスについてはまだしも日本についても知らないことばかりだと痛感した。それに気づけたのは「百聞は一見に如かず」ということわざの通り、日本で授業を受けているだけではどうしてもわからない、実際に現地に行って五感を最大限に使って様々な視点で考えるということができたからである。今回の滞在を経て、外国語教育と美術についてより深く学びたいという新しい目標を見つけることできた。また、同時に見つかった多くの課題を残りの大学生活で勉強して力や知識に変え、もう一度フランスに行って学びたい。



 最後に、この国際交流プログラムを無事に終えることができ、携わってくださったすべての方に感謝申し上げたい。まずこの1年間、同期の6人のおかげで互いに高め合いながら勉強することができたし、フランス滞在中も不自由なく毎日楽しく過ごせた。それから、発表原稿の添削や発音の指導、フランスでの生活のアドバイスをしてくださった留学生や仏文の先輩方、レンヌ滞在中会話面でのサポートや街の案内をしてくださった交換留学中の先輩方、学生同士の交流の場を設けてくださったレンヌ第二大学、レンヌ第一大学経営学院の先生方、学生の方々、授業見学にご協力いただいたイナルコ大学の先生方、学生の方々、時間のない電車の乗り換えの案内やパリのガイドをしてくださった八木さん、メールでアドバイスをくださった大須賀先生、研究発表の準備でお忙しい中シャルトルへ同行してくださった藤原先生、そして今回の国際交流プログラムという貴重な機会を準備して1年間面倒を見てくださった西山先生、本学国際課の職員の方々、本当にありがとうございました。

山戸達也(仏文2年)

山戸達也(仏文2年)


はじめに

 3月の初めから2週間、国際交流プログラムに参加させていただいた。今回の滞在は、私にとって昨年の夏に参加した首都大短期フランス留学に続いて、2度目のフランス訪問だった。多くの学びに満ちた濃密な2週間の日々はあっという間に過ぎたが、現地で得た知識や経験はこの先の人生に長く影響を与え続けるだろうと確信している。このような貴重な学びの機会をいただけたことに感謝するとともに、滞在中の膨大な数の出来事のうち主要な事柄を本滞在記に綴る。

レンヌ

 初日、長時間のフライトを終えパリに到着し、TGVに乗り換えその日のうちにレンヌの街へ向かった。レンヌに着く頃には日も暮れていたため、駅の近くのガレットのお店で滞在最初の夕食を済ませた。特に生シードルの味は絶品で、日本では滅多に出会えない代物だった。伝統的な料理の店が街中に多くあり、気軽に入ることの出来る環境はフランスが「美食の国」と称される所以の一つではないだろうか。



 レンヌは古くからブルターニュ地方の中心都市として栄え、現在は60000人もの学生が暮らす活気に満ちた街である。その学生の大部分がレンヌ大学の学生である。今年は仏文から2人の先輩方がレンヌ第二大学の交換留学に参加している。今回のレンヌ滞在中、その2人の先輩方が現地のガイドや通訳をしてくださった。この場を借りて、御礼申し上げたいと思う。



 レンヌの学生との交流について述べる。交流に関して、事前に決まっていた内容や場所にかなりの変更があった。というのも、大学で政府の大学改革に対するバリケード封鎖が行われていたためである。大学構内への立ち入りは禁止され、大学の各出入り口には机や椅子が雑に積まれていた。日本で戦後1960年代から1970年代にかけて激化し、現在では稀となってしまった学生運動が、フランスでは日常的な出来事として捉えられている。学生の政治への積極的な姿勢を生き生きとした現実として感じられた。さらに、その全面封鎖の影響で、中止が危惧された交流はレンヌの学生が別の場所を確保してくださり、無事実現した。交流の場で私達は事前に用意した東京の学生生活と観光名所を紹介する発表を行った。その交流が大いに盛り上がったのは、間違いなく彼らの温かい歓迎の空気感のおかげである。発表に対する質問も止むことがなく、発表者に向けられた視線は短い時間で可能な限りのすべてを吸収しようという意欲に満ちていた。この交流を通して感じたのは、そのような彼らの人間的なもてなしの心と異文化への強い関心である。果たして、もし逆の立場だった場合、彼らと同じように振る舞えただろうか。「人間的」であること、そして「主体的」であること、これら二つの要素が彼らと私たち日本の学生の間の顕著な差なのかもしれない。2018年の夏から私も先輩方のようにレンヌ第二大学への交換留学に参加する予定だ。交流で出会った彼らのような素晴らしい学生と共に勉学に励むことが出来るのは幸せなことであり、彼らの内面的な強みを吸収できる良い機会であると実感する。また先輩方のガイドでレンヌの閑静で美しい街並みを目にしたこともあり、留学への期待は増す一方である。

モン・サン・ミッシェル


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 レンヌからバスに乗りモン・サン・ミッシェルを訪れた。モン・サン・ミッシェルはユネスコ世界遺産に登録されている修道院で、巡礼地の一つで「西洋の驚異」と称されている。司教オベールが夢で大天使ミカエルのお告げを聞いたことがきっかけで建設され、その後百年戦争では要塞、フランス革命では監獄として使われた歴史も持つ。様々な時代の混乱に巻き込まれながらも、存在し続けるのは人々の強い信仰心がもたらした奇跡だと言えるでしょう。また修道院とその周りの干潟は昼と夜で全く別の顔を私たちに見せてくれた。空は昼に青く澄み渡り、夜には満天の星空となる。周囲見渡す限り何もないという環境が可能にする自然の神秘だ。昼夜両方を堪能できたことはこの上ない幸福であり、その景色を生涯忘れることは決してないだろう。そして社会から地理的に隔絶されたこの場所は、俗から逃れ、ただひたすら祈りを神に捧げる修道士にとって最適だったに違いない。

パリ

 「芸術の都パリ」での1週間の滞在を終えたいま、その名はまさにその通りだと感じられる。美術館で鑑賞できる芸術品から道端の即興演奏やだまし絵アートまで、街のありとあらゆる場所に芸術が溢れていた。フランス人が美の感覚に鋭いことにも納得がいく。私もそんな芸術の一端に少しでも多く触れようと、滞在中の空き時間を利用して、パリにある主要な美術館を見学して回った。訪れた中で最も印象に残っている美術館は、ヴィクトル・ユゴー美術館である。赤煉瓦づくりの綺麗なパリ最古のヴォージュ広場に面した、文豪ユゴーのアパートが改装された美術館。ユゴーが実際に1832年~1848年に暮らし、傑作『レ・ミゼラブル』の物語の構想もそこで誕生した。直筆ノートの断片の横に飾られる木彫りの手からは、ユゴーの執筆風景が想像され、ユゴーが息を引き取った寝室からは生活感が見て取れる。それら充実した展示物のおかげで、フランス人に当時から今まで愛されるユゴーという人物を肌身で感じることができた。



 パリを散歩すると、自然豊かな広場の数に驚く。整えられた無駄のない花壇、穏やかな雰囲気で会話を楽しむ老夫婦が座るベンチ。またお父さんが乳母車を押しながら子供を広場に連れて歩く光景などは頻繁に見られた。広場は大都会パリの喧騒の中で市民が心の安らぎを得られる空間なのだろう。広場と同様、教会も静かな憩いの場所である。パリ市内の教会の数と街中での存在感は私の想像を軽く超えていた。特にパリ中心部、シテ島に位置する中世ゴシック建築の最高傑作ノートルダム大聖堂には思わず感嘆の息が漏れる。ファサードを形成する双塔や見事なフライング・バットレスを特徴とする外観に劣らず、内装も素晴らしい。薔薇の花と称されるステンドグラスに陽の光が差し、幻想的な雰囲気に包まれる。私は金縛りにでもかかったかのような不思議な心持ちで中央の長椅子に長い間座っていた。果たして何が私をそのような恍惚にも似た気持ちにさせるのか。それは長く深い歴史を持つ建築物に刻まれた人々の祈りとでも言うべきだろう。これに似た同じような神秘的経験を研修中、他にも2度味わっている。島から成る修道院モン・サン・ミッシェルを見学した際と、シャルトルの大聖堂にて人生初のミサに参加した際である。授業で知識として習うのとは、全く異なる次元でキリスト教の世界に触れる機会に恵まれたと感じる。勿論仏文の先生に教えていただいた色々な学問的な知識が生で見るキリスト教建築の深みを知るうえで大いに活きた場面は数え切れない。机上の知識と実地で感覚を通して得る体験という二つの繋がりは不可欠であると、今回のキリスト教文化との接触で再確認した。



イナルコ見学

 パリ滞在中の二日間でフランス国立東洋言語文化大学(イナルコ)で日本学部の授業見学をした。授業内容は大きく分けて会話と翻訳。どちらともレベルは非常に高い。最初に見学したのは会話の授業である。まず学生は聞き取り能力に優れ、教授の質問に言葉をその場その場で選びつつもテンポよく返していた。また教授の授業進行も工夫に満ちている。ハキハキとした声に加え、多彩な表情とジェスチャーを使い、理解しやすさを最大限に高めているという印象を受けた。授業が一方的でなく、学生と教授相互の努力によって作られるものだという意識がはっきりしているのだろう。そのような授業環境で過ごすイナルコの学生は3年生になる頃には、大多数が日本語を日常的に不自由なく使いこなすと聞く。実際キャンパスガイドをしてくださった三年生の学生は、ガイド中流暢に日本語を話していた。

 次に見学したのは、翻訳の授業である。フランス語文書の日本語訳とその逆の二種類の授業があった。翻訳の作業は、母国語で日常的に漠然と使っている単語や言い回しの、「漠然と」の部分が許されない。曖昧な部分をしっかりと言語化しなければならないため、必然的に両方の言葉一つ一つにより敏感になる。授業内で一度取り上げられたが、日本語のオノマトペをどう翻訳するかという議論は非常に興味深かった。私たち日本人が漠然と一定の感覚で使っている言葉の良い例であり、立ち止まって自分の頭で一度説明しようと試みると面白い領域だと気付かされた。

 授業とは別に、課外活動として自主的に行っている日本語演劇のリハーサルを鑑賞させていただいた。脚本から学生が自ら書き上げた二つの劇は日本の文化を正確に捉えていて、かつ風刺的な文脈もあり素直に面白かった。深い日本文化への理解があること。そしてセリフを単なる暗記ではなく頭を通して自分たちの言葉にしていること。この二つの能力があるからこそ、あの自然な面白さと感動が生まれるのだと思う。彼らから伝わってきた熱意は本当に凄まじく、圧倒された。20年間ずっと使ってきて愛着のある日本語という言語が、海を越えた先で、これほどまでに愛されている事実を目の当たりにすると感慨深いものがある。

おわりに(謝辞)

 毎日が学びの連続で、消化不良に陥りそうになる程の濃い2週間だった。外からの新鮮な刺激を吸収することと並行して、自分なりにあれこれと考察することを続けた。その過程から、日仏の違いや自分の学問的興味、生き方など様々な事柄を発見できた。研修に参加することで得られた収穫は膨大である。改めて研修の計画・実行を行ってくれた西山先生に改めて感謝したい。さらに、この研修に関わった人々、シャルトル観光でお世話になった藤原先生、フランスの様々な地域の知識を授業で提供して下さった大須賀先生、パリでのお出迎えとガイドをして下さった八木さん、レンヌでガイドや通訳をして下さった佐藤さんと田中さん、レンヌ大学とイナルコ大学で暖かく迎えて下さった先生や学生の皆さん、原稿を添削して下さったフランス人留学生の皆さん。全ての人々に感謝します。さらに、首都大学東京の国際課職員の方々に本プログラムへの経済的援助をして下さったことにお礼申し上げます。
 

宮原萌夏(仏文2年)

宮原萌夏(仏文2年)



はじめに

 今回私たちは約2週間の国際交流プログラムに参加させていただいた。閑静なレンヌ、活気あふれるパリ、フランス人との交流、歴史的建造物の訪問。海外に行くことすら初めての私にとってはすべてが夢のようで、しかし確かに経験したものである。この滞在をただの「思い出」にせず、これからの人生に活かしていくために、フランスでの2週間で私が感じたことをここに残そうと思う。

フランスへ

 AIRFRANCEにて1105出発予定だった私たちの便は、1時間遅れになることが前日に知らされた。パリからレンヌへのTGVを時間指定で予約していたため、シャルル=ド=ゴール空港到着後、大急ぎでパリへと向かわなければいけないことになった。
 当日、フライト準備は1205を過ぎても完了せず、離陸はさらに遅れ12時半頃になった。そのため空港で今回案内をしてくださる首都大出身の八木さんと合流した後、私たちは急ぎ足でRER鉄道とmétro(地下鉄)を乗り継ぐことになる。まだフランスに着いたことを実感しきれず、私は八木さんに着いていくのに必死だったのだが、今思えばこの時点で最初のフランス文化métroに触れていたことになる。métroについてはこのあと述べることにしよう。
 どうにかTGVの時間に間に合い西山先生とも合流できたのだが、TGVの出発も遅れていることを知る。こんなにも急いで来たのに……という思いもあったが交通機関の遅れはフランスでは日常茶飯事だと初日から身を持って知ることになった。

métro

 なぜ私が移動に必死だったかというと、パリの地下鉄にはエレベーターやエスカレーターが少ないからだ。移動はたいてい階段を使わなければならない。重たいスーツケースを持った私たち観光客だけでなく、ベビーカーや重たい荷物を持ったパリで暮らす人々も大変だろう。しかしフランスでは、困っているとすぐに誰かが助けてくれるのだ。フランス人同士だけでなく、私たちのような外国人でも躊躇うことなく手を差し伸べてくれる。私の重たいスーツケースを持って階段を上ってくれたムッシューにはとても感謝している。
 また、地下鉄やバスに時刻表がないことにも驚いた。始発と終電の時間だけが決まっており、列車は約3分に1本来る。日本では分単位で出発時刻が決まっており、少しでも遅れが出ると謝罪アナウンスが流れる。フランスがルーズなのか日本が厳しすぎるのか。私には日本が少しだけ窮屈に感じた。

レンヌ第二大学

 32日、私たちはレンヌ第二大学と交流させていただいた。レンヌ第二大学はこの研修の1週間ほど前から大学改革反対のためバリケード封鎖されていたのだが、学生たち、そして山本先生のご厚意で開催することが出来た。
 私たちは「学生生活について」と「東京について」というテーマで2つの発表を行った。私は後者を担当し、東京の下町についての発表をした。学生たちが温かく迎えてくれたこともあり、あまり緊張せずに発表出来た。
 質疑応答の場面では次々と質問の手が挙がることに驚かされる。内容は様々で「美味しいどんぶりのお店を教えてください」といった気軽な質問も多かった。私はこういった場面で質問をすることが苦手だ。こんな簡単なことを聞いていいのだろうか、発表者の意図と違う質問になっていないだろうか、と考えすぎてしまい発言出来なくなってしまう。だが彼らはそんなことは考えていないようだった。気になったから質問する。単純なことである。私も見習わなくてはならないと感じた。


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 発表のあとは学生たちが用意してくれたお菓子を食べながらの交流となった。何か話さなくてはもったいないと自らを奮い立たせ、近くにいた学生に話しかける。日本語、フランス語、英語、ジェスチャー、お互いに持てる物すべてを駆使してどうにか意思疎通を試みる。こんな経験は初めてだった。おそらく全体の7割ほどしか会話は通じていない。だが、7割は通じた。話したい、伝えたいという意思があればコミュニケーションはとれるのだということを学んだ。

しかし同時に「あと少しでもフランス語を話せたら」という歯がゆい場面が多々あったことも忘れてはならない。会話の途中、言われたことの意味が理解できず、とりあえず「oui(はい)」と答えたのだが、彼は困ったような顔をしていた。すると横で聞いていた現在留学中の田中さんが「日本ではcentre commercial(日本でいうデパート)は何て言うのか聞いているよ」と教えてくれた。せめて「はい/いいえ」で答えられる文なのか、そうでないのかさえ聞き分けられていたら。私がもう少しでもフランス語を話せていたらもっと彼らと仲良くなれていたのに。そう思うと、また同じ後悔をしないために出来るだけの努力をしたい。

イナルコ大学での授業見学

 312日、13日の2日間にかけてフランス国立東洋言語文化大学(INALCO)の授業を見学させていただいた。イナルコ大学はフランスで最古かつ最大の語学学校である。
 まずは日本語会話の授業を見学させていただいた。首都大のNSEの授業に近く、ネイティブの先生が担当し、生徒同士で会話をさせながら授業が進められた。
高校までの国語の授業で日本語の文法について学習したことはあったが、口語について学習したことはなかったため授業の内容はとても新鮮なものに感じた。例えば会話練習の型の中には「~んですか?」「~んです」というものがあった。私たち日本人からすると当たり前に口にしているものであり意識したことはなかった。言語を習得することは、その言語を母語とする人々の当たり前を吸収していくことなのだ。

また、私がフランス語の活用に苦労しているのと同じように、日本語の学習者にとっても活用は難しいものなのだとわかった。外国人の話す日本語では、よく接続詞「から」への活用に違和感がある。例えば「買いましたから」「見えますから」というもので、私たちはあまりこのような表現はしない。「買ったから」もしくは「買いましたので」という表現のほうが自然だ。しかしこのクラスではその指摘はなかった。不自然ではあるが間違いではない、私たちが授業で習うフランス語にもそのような表現がたくさんあるのだろうと気付かされた。それは恐らく学習を積み重ね、ネイティブの会話を耳にするうちに身についていく感覚なのだ。私には留学の予定はない。しかしネイティブの会話に触れることは出来る。幸福なことに首都大には現在イナルコ大学からの留学生が4人もいるのだ。彼らの日本語が上手なため、ついいつも日本語で会話してしまうが、もっとフランス語でも会話をしていきたいと思う。

2つ目の授業はフランス語の文章を自然な日本語に訳すもので、レベルの高さを感じた。私たちも参加したのだが、自然な日本語、というのが中々難しい。フランス語の単語の意味に相当する日本語を並べるだけでは不自然な表現になる。日本人の私でさえ難しいと思う翻訳作業をフランス人学生がこなしていることに驚きだ。

 3つ目と4つ目は同じ授業内容「翻訳」で、担当教員が異なるものだった。3つ目の授業は少人数のクラスだったが、どうも教授が頑固なようで学生の意見を受け入れる気がないように見えた。4つ目の授業は教室の席が埋まる規模の授業で、生徒の意見を尊重し、それに応えるかのように自主的に発言する生徒も多かった。同じ内容でも教える教員の人間性で授業の雰囲気が違うことがよくわかり面白い。

授業の内容は村上春樹の『職業としての小説家』(2015、新潮社)をフランス語に訳すもので、こちらもハイレベルなものだった。まず題材に村上春樹のテキストを選ぶことに驚嘆する。彼の文体は特徴的で、私は少し読みにくさを感じる。正直に言うと途中で読むのを諦めたことがあるくらいだ。しかし学生たちは彼の文の細かい表現にまで注意して翻訳していた。「二十代も終わりに近づく頃には」という表現を「j’approchais de mes trente ans30代に近づく)」と訳すか「j’arrivais au terme de la vingtaine20代の終わりに到達する)」と訳すかなど、正しく文脈を表現するためのこだわりが強く、興味深かった。
イナルコ大学の授業は日本語を学習する、と言うより日本語を使って学習する授業だった。言語を習得することがゴールではなく、その言語を使ってさらに上のことをする。そのことが彼らにはよくわかっているようだった。私もフランス語を習得することがゴールではない。そもそもフランス語を始めたきっかけはフランス語で本を読んでみたいと思ったからなのだが、この滞在中に数冊フランスの書店で本を購入した。まずはそれらが読めるようになりたいと思う。

モン・サン=ミッシェル

 モン・サン=ミッシェルはフランス随一の巡礼地だ。満潮時には孤島になるため、修道院として使われていた以外に要塞や監獄としての役目も果たしてきた。モン・サン=ミッシェルの起源は708年にまで遡る。オベール司教の夢の中に大天使ミカエルが現れ「あの岩山に聖堂を建てよ」と命じる。オベールはただの夢だと考え信じなかったが、三度目のお告げの際に頭蓋骨に穴を開けられ、夢から覚めると実際に頭に穴が開いていたことでお告げが本物だと確信したという。

 島までは徒歩で向かったのだが、無料のシャトルバスも出ていた。徒歩では30分ほどかかるため多くの観光客はバスを利用する。有料にせず、無料でバスに乗れるのはより多くの人にモン・サン=ミッシェルを訪れてほしいからだろうか。フランスでは日曜に美術館の入場料が無料になるのだが、人々が気軽に美術館やこういった歴史的建造物を訪れるための環境が整っていることが羨ましい。


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 修道院の中に入るとその建築に圧倒される。特に私は食事室の建築に感動した。食事室は厚い壁に囲まれているはずにも関わらず、中に入ってみると小円柱によって支えられているかのような錯覚に陥る。天井を木組みにすることで軽くし、53もの窓を作ることでこの錯覚を生み出しているのだ。開放感を出すために考え込まれていることがよくわかる。
 実は私は今回のフランス滞在でモン・サンーミッシェルに訪れることが1番の楽しみだった。運よくその日は午後から夜までずっと快晴で、私たちはモン・サン=ミッシェルの最も美しい姿を見られたのではないかと思う。青空の中に厳かにたたずむ姿も、夜の海で輝く姿も絶景であった。一生のうちにこれ以上美しいものが見られるだろうか。そう思ってしまうほどの景色と感動をどうか忘れずにいたい。

ルーブル美術館

 率直に言って私は今まで美術館が苦手だった。白い壁に同じように並べられた絵画を見ても特に感動はなく、ネットで見ればいいじゃないかとすら思っていた。しかしルーブル美術館は違った。ここでは美術館そのものが美術品であった。外観、装飾、全てが壮大で美しく、かつて宮殿として使われていた当時の威厳がそのまま残っていた。
 特に印象に残ったのはアポロンのギャラリーだ。黄金のきらびやかな装飾や、歴代の王の肖像画が並ぶ空間はルーブル美術館の中でも特に豪華絢爛である。



 王室付主席画家のシャルル・ル・ブランは太陽を中心主題に選び、空間および時間の流れを絵画と彫刻によって表現した。太陽神アポロンの神話はもちろん国王ルイ14世の栄光をたたえるものである。19世紀初頭、ギャラリーの建築構造そのものの弱体化が明らかになりサント・シャペル聖堂やブロワ城の修復工事で優れた成果を示したフェリックス・デュパンが改修工事を任された。王室の紋章の解体再構成や、ル・ブランの描いた壁画『水の勝利』の修復を完了したデュパンは、最後に装飾全体を完成させることにした。天井中央の大区画を委ねられたのはウジェーヌ・ドラクロワである。大蛇ピュトンを退治するアポロンを主題に選んだこの作品は大空で弓を引く太陽神アポロンが描かれており、この部屋が空に開かれているような錯覚に陥る。
 また、天井にいる天使の彫刻にも心を奪われた。ボールト部分にいる天使には翼が生えているのに対し、天井と壁の境目にいる天使には羽が無く、境目に足を下ろしているのだ。これによってリアルさが増し、天使たちを従える太陽神アポロンのもとに本当に導かれているような気がしてくる。

オペラ座ガルニエ



 パリに来て初めての自由行動日、私はオペラ座ガルニエを訪れた。ガルニエ宮は1862年、ナポレオン3世の時代にシャルル・ガルニエによって建てられた。古代から古典主義まで、多様な時代の様式を取り入れて建てられており、ナポレオン3世が「こんな様式は見たことがない。これはなに様式だい?」と尋ねたところガルニエは「ナポレオン3世様式でございます」と答えたという逸話も残っている。
 見学コースを進むとすぐに大階段に出る。バルコニーに囲まれた大階段は色とりどりの大理石で作られており、そこに立つだけで映画のワンシーンを演じているような気分になる。大階段を上ると2体の彫刻の前に来る。この彫刻はガブリエル=ジュール・トマによって作られたもので、ガルニエのこだわりが垣間見えるものである。トマは当初白大理石のみでこの像を作ろうとしていたのだが、古代様式の色彩豊かさを表現するために複数の大理石を使うようガルニエが説得したという。ガルニエは劇場全体を自分の作品として考えており、装飾の個々の分野で協力する芸術家たちに自分の見解を貫いた。
 運悪くその日の見学は13時までで全体の2/3ほどしか見学することが出来なかった。見学の所要時間は約1時間とのことだったが、私は1時間半近く見学していたにも関わらず最後まで周りきれなかった。ガルニエの強い想いがこの美しさを創り上げたのだと思うと、1か所を見るのに時間がかかってしまったのだ。今回見ることが出来なかった太陽の間や月の間を見るためにも、もう一度パリを訪れたいと強く思った。

フランスと日本の労働

 日本との違いを最も強く感じたのは働き方である。レンヌでの4日目の日曜、午後は自由に行動していいとのことだったが、デパート、ファーストフード店、雑貨屋など見事に営業していなかった。フランス人が日曜日に働かないことは知っていたが、実際に街を歩くと閉まっている店の数に驚いた。
また、スーパーの店員は座りながら接客していた。「お客様は神様」」という言葉があるように、日本では基本的に客の立場が上であり、店員だけが座る状況は考えられない。しかし、座っているからといって不快にはならなかった。むしろ、なぜ日本の店員は立ち続けなくてはならないのだろうか。長時間同じ場所にいなければならないのだから疲れるのは当然だ。きちんとした接客をするのなら店員が座っていても問題はないように思える。だが、日本全体で認識が変わらない限り、日本の労働の仕方は変わることはないのだろう。

おわりに

 西山先生はこの研修のテーマに「出会い」を挙げていた。濃密な2週間の中で、確かにたくさんの出会いがあった。まず、初めて訪れる場所との出会い。授業で扱ったことのある場所や、ネットでしか見ることのなかった場所、本当に様々なところに行くことが出来た。実際に行ってみなければわからないことも多く、貴重な経験が出来た。
 次に新たな友人との出会い。レンヌ大学やイナルコ大学との交流で知り合ったフランス人の学生との繋がりは帰国後も続いている。違う文化で育った彼らとのコミュニケーションは楽しく、お互いの語学力の向上にもなる。これからも大事にしていきたい友人が出来たことを嬉しく思う。

 そして、新たな興味への出会いだ。私はこれまでフランスへの興味が漠然としていた。しかし今は建築、および装飾についてもっとよく知りたい。モン=サン・ミッシェルの食事室は天井を木組みにすることで光が取り入れやすくなった。アポロンのギャラリーの装飾の像は位置によって姿を変えることでよりリアルさが増した。また、ガルニエは装飾の11つにまで強いこだわりをもっていた。あるものがそこにある意味、またそのように造られた意味を追及するのはとても面白いことに思える。残りの学生生活はあと2年。長いようであっという間である。この貴重な2年間を無駄にしないように、今回の研修で得たものを活かしていきたい。

 最後に、私たちがこうして様々な出会い、経験をすることが出来たのは多くの方の協力があってのことである。お忙しい中、現地での案内をしてくださった藤原先生、卒業生の八木さん、そして留学中の田中さん、佐藤さん。フランス語での発表や滞在へのアドバイスをくれたソニア、ダビッド、ジュリエット、エムリック。私たちを温かく招いてくださったレンヌ第二大学、イナルコ、ビジネススクールの教員の皆様と学生たち。そして渡航前から様々な準備をし、滞在中も私たちが安全かつ快適に、またフランスへの理解を深められるよう尽力してくださった西山先生。この場を借りて御礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。

大熊美稀(仏文2年)

大熊美稀(仏文2年)


 31日から16日にかけて、仏文の他の6人の仲間と共にフランスでの国際交流プログラムに参加させていただいた。たった2週間とはいえ、毎日濃密なスケジュールの中過ごしたフランスでの生活は長いようであっという間な時間であった。そして私がこの16日間を終えて1番に感じたのが、この旅の目的の1つでもある「人と出会うことの大切さ」である。以下ではそのことを踏まえ私が考えたことを中心に述べていく。

【レンヌでの発表や交流】

 フランスに到着してまず向かったのはブルターニュ地域圏の首府、レンヌであった。翌日レンヌ第二大学の生徒と駅で待ち合わせをし、学生寮の集会室に向かった。というのも、マクロン大統領の大学改革に対する抗議運動として、その日レンヌ第二大学がバリケード封鎖されることが決定していて私たちが校舎内に入れなくなってしまっていたからだ。フランスに来て早々、日本では経験のないフランスならではの出来事に遭うことになったが、私が感激したのはその事態に対するフランス人学生の対応であった。校舎内に入ることができなくなってしまったため、学生たち自ら集会室を予約し場所を確保してくれたというのだ。バリケード封鎖の知らせを聞いたときは正直私たちの発表の場や交流の場がなくなってしまうのではないかと冷や冷やしていたが、即座に柔軟に対応し素晴らしい環境を用意してくれた彼らに感謝が尽きない。集会室は、私たちの準備したパワーポイントを用いての発表に十分な設備が整っていて、フランス人学生が笑顔で耳を傾けてくれたため、緊張しながらも練習通りの発表をすることができた。



 発表の後はみんなで持ち寄ったお菓子を食べながら歓談した。ほとんどフランス語での会話だったため聞き取れないことが多くあったが、留学生の先輩の協力もありなんとか話に入って交流することができた。レンヌの学生は本当に元気で明るく、終始笑顔で私たちと話をしてくれた。分からないことも聞き取れないこともたくさんあったが、相手の表情や身振り手振りをみてなんとかコミュニケーションをとることができた。とはいっても、現地であった初対面のフランス人と会話をするのはこれが初めてだったため、私からはあまり話しかけることができず、先輩の翻訳に頼ってしまったりフランス人学生が一生懸命話してくれることに相槌を打つので精一杯になってしまったりする場面が多くあった。そのため交流会が終わった後はフランス人学生のパワーを浴びて彼らとの交流を楽しめたと思う反面、もっと自分から話しかければよかったという後悔や、聞き取れないことや単語が出てこないことに対する悔しさが残ってしまった。



 しかし、その反省を挽回するチャンスがやってきた。何人かの学生がその翌日の午後に再びカフェで会う提案をしてくれたからだ。前回よりも少人数での交流ではあったが、フランス人学生のすぐそばに座ることができたため、自分から積極的にコミュニケーションを取ろうと努めた。簡単なフランス語ではあるが前よりも聞き取れたり話せたりすることが多かったのがうれしかった。完璧なフランス語でなくても、会話することを恐れずにお互いに意味を確認しあったり分からないことを質問したりすることで、何時間かのカフェでのたわいもない会話が有意義なものになった。

 その日はそのほかにも、サンタンヌを中心に留学生の先輩方と共にレンヌ散策をした。サンタンヌはレンヌの中でも中心となっているため、人通りが賑やかで大きなショッピングモールもあった。旧市街地では絵にかいたような木組の家々や石畳が敷き詰められた美しい町並みを見ることができ、みな感嘆の声をあげながらの散策となった。教会もいくつか見ることができたが、街中にふと現れるにしては規模の大きな立派なものばかりで、日本にあるようなこじんまりしたものを想像していた私はそのひとつひとつに出会う度に、その厳かで堂々とした姿に圧倒されたのであった。中の空気は建物内であるにも関わらず冬の外気よりもひんやりとしていた。しかしそれは「寒い」というよりは「澄んだ」ものであり、今まで感じたことのないようなすっと吸い込まれそうな心地よい空間が広がっていた。



【イナルコ大学見学】

12日・13日にはイナルコ大学でのいくつかの日本語の授業に参加した。ここではその中でも印象に残った2つの授業について述べる。1つ目は初めに見学した2年生の日本語会話授業である。この授業では終始、母語であるフランス語を使うことは禁止していて、DVDCDなどを使いながらリスニングを行い、ペアで会話をするなど私たちのNSEの授業に似たものであった。最後の方に行ったペアワークでは、席を立ってペアで集まり、その日習った表現を使って会話を作るというものであったが、いろいろなペアを見て回っていて驚いたことがあった。それは学生たちの日本語能力の高さであった。自然に聞いていたが、よく考えれば彼らは日本語を学び始めてまだ2年目であるのに対し、フランス語をやり始めて同じ2年生の私たちよりもはるかに上手に日本語でコミュニケーションをとっていたからだ。中学校からやっている英語でさえもずっと授業中日本語なしを求められると苦戦してしまう自分と比較して、圧倒的に豊富な語彙力に感心するばかりであった。彼らが使っている教科書の冊子はいたってシンプルであったが、同じ漢字を使った熟語や類義語がいくつも並べて書かれていて単語力に力を入れていることがそこからも窺えた。

2つ目は翻訳の授業で、村上春樹の『職業としての小説家』(新潮文庫)をフランス語に訳すというものであった。この授業は日本人の私たちにとっても大変学ぶことがたくさんある授業であった。主語を省略しがちであったり過去のことも現在形で書いたり単数複数表現が曖昧である、といったような日本語の特徴を踏まえて、それをフランス語にするときにどんな議論が生まれるのか、どんな言いかえがなされるのか見るのはとても興味深かった。この授業に参加するのは3年生だったが、私たちが日本語で読むのでさえ決して簡単でないテクストを使ってフランス語翻訳を行っているのを見て、ここでもフランス人学生の能力の高さを実感した。

また授業以外に演劇のクラブ活動の見学をした。私たちはここで想像していなかった感動に出会うことになった。彼らは次の週に行われる日本文化祭での発表に向けてリハーサルを行っていたが、面白いストーリーや彼らの演技力だけでなく、流暢な日本語、方言や若者言葉を取り入れた彼らの演劇の世界に私たちはすぐに釘付けになった。さらに驚いたのはストーリーや台本を自分たちで考えているということだった。「かぐや姫」「オズの魔法使い」という2つの作品を観させてもらったが、自分たちでストーリーにアレンジを加えていていつまでも観ていたくなるような作品を作っていた。日本人留学生も何人か参加しているそうだが、そこにいる全員が日本にあたかも住んでいるような感覚にさせるほど違和感のない、日本の若者文化も取り入れた本当に見事なものだったのである。彼らが演劇を通して日本語や日本の文化を楽しく学んでいる姿をみて胸が熱くなるような思いだった。私たちが観たのはたった数十分の完成に近づいたリハーサルであったが、彼らはそこに至るまでどれほどの時間を割き、どれほどの練習をしてきたのだろうか。ストーリーから、歌、ダンス、演技、すべて自分たちで作り上げていて、さらにこの日本語の流暢さ。目の前の彼らに隠された裏側の膨大な努力を思い浮かべただけで目に涙が浮かんだ。今まで自分なりに一生懸命フランス語を学んできたつもりではあったが、その努力は彼らに比べるとちっぽけなものだったのではないかと思えてきて悔しさがこみ上げた。それと同時にまだまだ自分にはやるべきことがある、やれることがある、と思うこともでき、彼らにもっと前に進む勇気をもらったのだ。

現地のフランス人学生との交流を通して今まで気づけなかったことに気づくことができた。それは「もっと日本のことを知らなくてはならない」ということだ。日本語や日本の文化についてなんとなく理解しきっているつもりでいた自分が恥ずかしくなった。日本語の中でも意味が分からない熟語やうまく説明できない言葉、なんとなく使ってしまっているものがたくさんある。世界に発信されている日本文化でも知らない作品や社会事情がたくさんある。いろいろな人と話していくにつれて、自分は日本の何を知っているのだろうか、と改めて考えるきっかけになった。今までフランス語やフランスの文化・歴史を知ることに精一杯になってしまっていたが、日本に興味を持ってくれて日本語を懸命に学んでいる人ともっとコミュニケーションをとるためにも、日本語について、日本について知らなくてはいけないことが実はたくさんあったのである。

【パリでの生活】

6日からはパリに移動し、13区のアパートで残りのフランス滞在をすることになった。レンヌの街並みとは一転、人と車が絶えず行き交うどこか東京に似た空気を感じた。とはいっても町を歩いていると東京での生活とは異なるものに出会い、毎日新しい発見の連続であった。地下鉄に時刻表がないこと、道路に電柱はなくクラシカルな建物はどれも同じくらいの高さで綺麗に並んでいること、動物のフンが道端に全然ないこと、信号機が低いこと……。違和感のあるものに触れるたびに日本との違いに気づかされた。日常的に出会ったのが、洗練された高級店や均整のとれた街並みばかりの大都市の中に「明らかに」存在する貧困の問題である。地下鉄に階段、電車の中、観光名所のすぐ近く、道端、行く先々で物乞いの人々を見かけた。日本ではあまり見られない光景である。フランスに行く前からフランスに物乞いが多いことは知っていて、なんとなく怖いという印象を持っていた。物乞いとはいってもいろいろなタイプの人がいて、この人は本当に生活に困っているのだろうか、公衆の場に出て座り込むことに抵抗はないのだろうか、音楽をしてお金を集めている人はこれが本職なのだろうか、などといろいろ考えさせられた。しかしこれらの人たちの中に怖いと感じる人はいなく、周りの人で彼らと普通に挨拶や会話をしている人もいた。公共の場が日本よりも開放的に考えられているフランス社会だからこそためらうことなく助けを求められるのかもしれない。そう考えると、日本も貧困の問題は深刻に存在しているがホームレスなどは公共の場からは隔離され、都市部でも隠されているように思える。不自由に暮らしている人には関わりのない、日常的な意識のうちにも入ることのない、しかし確実に存在する貧困の問題がある。表面にそれが出ない時点で、日本の格差社会の方がよっぽど恐ろしいのかもしれない。


(アパートからのパリの景色)

公共の場の開放性は広場や教会の多さでも見ることができる。パリを散策していると本当に至る所に教会を見つけることができる。日本にいるときは教会といえばキリスト教徒のためのものであり、私には関係のないものと思っていたが、フランスでは広く人々に開かれた公共スペースであり、宗教に関わらずちょっとした休憩や落ち着きを求めて気軽に立ち寄れる場所だということはレンヌに行ったときに体験済みだったので、パリでは抵抗なく1人でも入ることができた。基本的にはゴシック建築が多いが、教会によってチャペルやステンドグラス、雰囲気が違っていてそこでお祈りをする人を見たり、パイプオルガンの演奏を聴いたりすることもできた。一部観光地化してしまっているものもあったが、目的は違えどそこに来る人達にとって大切な場所になっているのが伝わってきた。

公園も同じである。日本でも公共に開かれた公園はあるが、生活の一部というよりは子供が遊ぶ場所、散歩をする場所、というイメージが大きい。しかしパリで見かける公園にはベンチがたくさん並べられていて、そこで話をしたりお昼を食べたりする人を多く見かけた。遊具がたくさんある公園でも大人がたくさんいることに驚いた。老若男女問わず大切な憩いの場として公園というものも大切にされているのを感じた。


(サンシュルピス教会 パリの中で2番目に大きい)

【印象派との出会い】

パリで忘れてはいけないのはここが芸術の都であるということだ。パリ滞在の中で私はルーヴル美術館、オルセー美術館、オランジュリー美術館に行った。どこも日本にいてはなかなか出会えない名作の数々があったが、ここでは1番印象に残ったオルセー美術館を取り上げる。というのも私は印象派(特にルノワールとモネ)が大好きで、オルセーには印象派のコレクションが膨大にあるからである。印象派の作品には幸福感に満ちているものが多く、対象物だけでなく作者との間に存在する空気、光も併せて描く点が魅力的である。ルノワールに関しては2016年に国立新美術館で開かれたルノワール展で見た作品にいくつか再会することができ感慨深かった。同じ作品で一回見たことがあるものでも展示される空間によって見え方が異なり、また違った視点で作品を見ることができた。


(ルノワールの『ピアノに寄る少女たち』)

モネの『ルーアン大聖堂』の連作に関しては後期の授業でレポートの題材にしたばかりであったが、それを間近に見ることができ印象派の絵画の面白さを実感した。ネットや本で見ていた『ルーアン大聖堂』は小さく全体像が分かる状態で細部は見えない。しかし実際行って近くに寄れば寄るほどいろいろな色が姿を見せ、全体像がぼやけて一筆一筆が見える。印象派の作品はみる距離によって表情を変えるため実際に行かなくては感じられないものがあるのだと確かに実感することができた。


(モネの『ルーアン大聖堂』)

授業や本で見たことのある絵画の確認ができたと同時に、そこまで有名ではなく、まだ知りえなかった美しい作品の発見もあった。実物をみることでしか分からない作品の質感や色の鮮やかさ、キャンバスの大きさ、目の前に現れた時に与える印象などを感じることができた。

【フランス人のあたたかさ】

パリで実際に住んでいるかのように滞在している中で日本の良い面に気づくこともできた。駅や公衆トイレの綺麗さ、機械の正確さ・精密さなど、日本だったらなと考えることもあり日本の強みを知ることができた。一方、私がフランスの1番の魅力だと感じたのは「人々のあたたかさ」であった。日本人が冷たいというわけではないが、公共の場における人々の心の距離がまったく違うのである。フランス人の優しさに初めて触れたのは、フランスに来て1日目のことであった。降りる駅が近づいているときにTGVのスーツケース置き場にスーツケースがはまってしまって焦っていた時に、周りにいた数人の男性が手伝ってくれたのだ。最初のうちはその行動に驚いたが、16日間フランスにいて気づいたのは「困っている人がいたら迷わず助ける」という社会道徳がフランスの至る所で浸透しているということだ。レンタカーが動かなくなってしまった時も、切符の調子が悪くて友達が改札を通れなかった時も、重たいスーツケースをもって階段を上がっているときも、気づけばフランス人がふと現れて助けてくれる。そんな場面に何度も立ち会った。驚きと感謝の反面フランス人の優しさに感動するばかりであった。

また私たちはフランス人からすると外国人なのに躊躇いもせず助けてくれることにも驚いた。日本人は身内同士・友達同士であればすぐに助け合うが、見知らぬ人には無関心で困っている人がいてもなかなか助けることができない。ましてやそれが外国人ならもっとだ。たとえ助けたいと思っても声をかけるあと一歩の勇気を出せないことが多い。自由・平等・博愛を掲げるフランスは「どこに住んでいてもみんな同じ人間であり透明な個人である」というぶれない芯のようなものを持っているようだ。しかしそんなフランスでも今やイスラム問題・テロ問題を抱えていると思うと悲しくなるのも事実である。

今回の旅で異文化・他者理解に必要なのは相手の国や言語を知ることだけではなく、冒頭にも述べたが実際に「出会う」ことである。自国から一歩も出ずにいては自国・他国の良い面悪い面を知ることは不可能で、国籍や宗教が邪魔して歩み寄ることは難しくなってしまう。お互いが国籍や宗教関係なく透明な個人として出会うことが大切なのだ。


(パリのアパートにて 最終日)

 この2週間のフランス滞在で、自分の中の思い込みや足りないものに気づくことができた。実際に行くとそこには教科書や参考書には書かれていない世界が広がっていて、現地の人々のあたたかさに触れることもできた。たくさんの出会いのおかげで自分がこれからすべきことを明確にすることができた。このプログラムに参加させてもらった身として今後しっかりそれを実践していくことが使命であり、フランス人学生にもらった勇気とパワーを胸に前に進んでいきたい。

最後になるが、このような充実したフランス研修を体験できたのは他でもない西山先生のおかげであり、心から感謝申し上げたい。またこの補助金を出してくださった首都大学東京、レンヌで私たちのサポートをしてくださった田中さん、佐藤さん、パリでの観光案内をしてくださった八木さん、レンヌやイナルコの先生方、学生たち、2週間を共に過ごした仏文の仲間たちにこの場を借りて感謝申し上げたい。

木村友紀(仏文2年)

木村友紀(仏文2年)


○はじめに

まだ海外に出たことがなく異文化に接触することに臆病になっていた私に人生の契機となる、このような貴重な体験を与えてくださった西山先生、お忙しい中引率して下さった八木さん、藤原先生、留学中の先輩方、そして慣れない土地で助け合いながら2週間ともに過ごした同期の6人、全ての方に心より感謝申し上げます。

○レンヌ第二大学

フランスに到着した次の日、さっそくレンヌ第二大学の学生との交流会があった。
そもそもレンヌ第二大学で行う予定だったもののストライキで学校が封鎖されてしまったため近くの公民館のような場所を借りて行われた。私達や西山先生、レンヌ大学の山本先生は中止せざるを得ず、準備していたのに非常に残念だと思っていた。しかしレンヌ大学の学生がそれは納得いかない、と違う場所で行うことを提案し、場所を用意してくれたというのだからその行動力には本当に驚いた。そんな熱意のある学生相手に仏文生であるのにろくにフランス語を喋れない私のような者が発表していいのか、不快に思われないか、交流できるのか本当に不安だった。

駅前で合流したときあちらの学生はとても温かく微笑んでくれ、挨拶してくれた。少しほっとしたけどやはり不安で仕方なく、公民館に着いたあともなるべくレンヌの学生の近くにならないように避けてばかりだった。発表する前に少し自己紹介をし、私のグループは大学生活、特に私はアルバイトについて発表した。フランス人留学生からフランスには居酒屋のようなものはないと聞いていたのでちゃんと伝わるかどうか心配にしながら発表した。話している間はとても静かだったがメモを取ったりうなずいたりして聞いている生徒が多く、とても良い雰囲気で聞いてくれてありがたかった。それなのに私は自分の発表中スクリーンを見ながらずっとしゃべってしまったのでそれをすごく後悔している。発表が終わった後も発表に関してだけでなく私達への質問もどんどん出てきて私はその積極性に少したじろいでしまった。

私達二つの班の発表が終わった後、お互いに持ち寄った自国のお菓子や飲み物を囲んでの交流タイムになったのだが、私は気後れしてしまって少し後ろの方に立っていた。すると交流のお手伝いとして来てくださっていた留学中の佐藤さんに「そんな後ろにいたらだめだよ、もっと前に出てしゃべらないと。」と言われてしまった。その時、「二週間でも外国にいれば何かしら変わるだろう、少しくらいフランス語話せるようになるだろう」と自分で思っていたことに気づいた。でも自分から動かなければ何も変わらないし、その自分から動けないという姿勢をまず変えないとだめなのだ。それでもやはりレンヌの学生に話しかけるというのはできなくて、話しかけてもらってやっと少し言葉を交わせるくらいだった。何人かで話していると自分はうなずいたり、表情でリアクションすることしかできなくてどうしてもっと勉強してこなかったのかと後悔ばかりしていた。交流が終わり、みんな笑顔で名残惜しそうに別れた。私は自分から話しかけに行けないことも全然言葉でコミュニケーション取れないことも悔しく、すごくいい人たちばかりだったのに自己嫌悪のせいであまり楽しめなかったというのが本音だ。これまでなんとなくフランス語を勉強していたけれど、こんなに言葉が通じずもどかしく思ったことなど今までになかった。勉強しすぎて悪いことなどない、ちゃんと勉強しようと心の底から思った日だった。


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こう思ったこともあって日本に帰国してからも、連絡先を交換した学生と連絡を取り合っている。毎日一往復くらいの会話量だがお互いの勉強になるように週ごとにフランス語と日本語と言語を変えてLINEしている。交流会のとき伝わらなくてとても悲しかったのが今は単語を調べつつもやり取りが成立してとても嬉しくなる。何故もっと真面目に勉強しなかったのか、人生は有限なのにどうしてもっと早く海外に出てこのような思いを味わわなかったのか、帰国しても後悔ばかり感じる毎日だ。これで残りの大学生活を無駄にはしないだろうということでも本当に今回の旅はありがたく、また頑固者の自分の考えや価値観がコロッと変わってしまって、異国や異文化のパワーってすごいなと驚いている。

○イナルコ

イナルコには二日間にわたってお世話になった。一日目は日本語の会話の授業と文法の授業、そして課外授業の演劇の見学をさせていただき、二日目は和文仏訳の同じ授業内容で講師の違う二つの授業の見学をさせていただいた。特に会話の授業は本当に驚くことが多く、自分ももっとフランス語を学びたいという意欲をかきたてられるものだった。

まず驚いたのは授業の全てが日本語で行われるということ。先生が話すのは日本語だけだし、学生どうしで喋るときも日本語だ。私たちも英語しか話してはいけない授業があるが質問や疑問があるときぐらいは生徒どうし日本語で喋る。それすらも外国語で行うという彼らの姿勢に驚いた。またその会話も母語話者の私達が聞いても違和感のない自然さで、そのレベルにも驚いた。多少違和感を感じるときがあっても、それでも外国語を学ぶ人にありがちな“文法は正しくても日常会話では少々不自然な固い文”というわけでもないのがすごいと感じた。またそれをスムーズに行えているというのは、同じように大学に入ってからフランス語を学び始めた自分にとっては痛いところだ。

もう一つ驚いたのはその授業の先生の指導姿勢だ。前述したように全て日本語で教えフランス語を話さないことに加え、板書も日本語だが分かりやすいように図示して説明している。確かに母語の違う人にお互いどちらかが慣れない言葉で説明するよりも確実に伝わるよな、と単純に感心してしまった。また先生はとても表情豊かではきはきとしゃべる方で、助詞や活用部分をとても強調して読んだり、同時に眉をあげ目を見開いたりしてどこが大事なのか、聞いていてだけでなく先生を見ていてわかると感じた。こういう教師は日本には、特に大学にはあまりいないように思う。この私の書いた表現だとまるで幼稚園や小学校低学年の先生のような印象を受けるかもしれないが、決してそうではなく、このように先生から目が離せなかったり、意識が離せないような先生の方が断然授業が面白くて生徒も集中して講義に取り組めるだろう。また見学の後に「彼女は生徒のレベルに合わせて使う日本語を分けていて、それを容易にしている」と一緒に見学されていた西郡先生がおっしゃっていたの聞いて、自分に立場を置き換えて考えたときそれはいつも私が苦労していることで、それを容易にできる日本語力を尊敬した。

自分が日本語習得中の外国人と話すとき、どの程度丁寧な日本語を使えばよいか迷う時が多々ある。逆にあまりにも相手が日本語を母語であるかのように話すので何も考えずに話すときもある。また外国人とフランス語や英語でメールするときは誤字がなく、丁寧に文章を送ってくれる相手だと理解でき、返信したくなるが、あまりにも誤字が多かったり辞書をひいても出てこないような言い回しをたくさん使う相手だとそもそもコミュニケーションをとる気が失せてしまう。それを思い返せばその絶妙なさじ加減というのは対話するうえで大変重要であり、たくさんの日本語の語彙や表現を知り、深く理解していないとできないことだと感じた。

また今の事にもつながるのだが、授業後半のロールプレイングの時間に少し参加させてもらったとき学生からいくつか質問を受けた。一緒に日本語の表現を考えたとき、「これは日常会話で使いますか?」(時と場合によるけどそれってどう説明したらいいんだろう。)「焦ると急ぐと慌てるはどのように違いますか?」(え、なんとなくでしか自分も使ってないからそんなはっきり説明できないよ。)(カッコ内は心境。)その時は思わずこんな感じ、というようなニュアンスで説明してしまったが母語話者でありながら明確に答えられないことが恥ずかしく、外国語を学ぶ以前に母国語を感覚以上に学び、理解しなくてはと改めて感じた。フランスに来て英語やフランス語の語学力のなさを感じるであろうことは大いに予想していたが、自分の母語への理解がこんなにも浅く、日本語すらうまく話せないことに気づかされるであろうとは予想していなかった。

○フランス人の義務

一日目のイナルコ見学の帰り、実は同期の一人が体調が悪くなりとても立っていられない状況になった。私たちはとりあえずベンチに座らせ、煽いで落ち着くまで様子を見ることしかできずにいた。そうしたら近くにいたイナルコの学生がどこからともなく水を持ってきてくれた。その後他の学生も心配して声をかけてくれたり、水を持ってきたりしてくれた。他にもフランスで助けてもらったことは多々あったが、その出来事は私たちの印象に深く残っている。フランス人はなんて優しいんだ、とか日本人なら心配する素振りで通り過ぎるだけだろう、とかそう思っていた。その話をすると西山先生から「それはフランス人の義務なのだ」ということを教えて頂いた。困っている人を助けることが義務だと教育されていて、何かが起きたとき親の許可なく子どもが助けられることに了承する、という署名を書かされることもあるそうだ。

調べてみたところ、「シティズンシップ教育」や「ノブレス・オブリージュ」というのがそれにあたると考えられる。前者は「市民としての資質・能力を育成するための教育。他人を尊重すること、個人の権利と責任、人種・文化の多様性の価値など、社会の中で円滑な人間関係を維持するために必要な能力を身につけさせる。」(デジタル大辞泉参照/2018.3.25)、後者は「身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」の意」(同上)
シティズンシップ教育の導入はイギリスが有名なようだがフランスもイギリスと同時期に導入しており、導入の意図は今日難しくなってきている宗教問題なども絡み一概には言い表せない。だが、 “今までの主”と異なる物事を排除することではなく多種多様であることをお互いに受け入れて共生するための教えなのだと言えるだろう。ノブレス・オブリージュも言葉のままに“身分の高い者”という風に表されているが、今日また貴族の残っていない日本に置き換えて考えると、困っている人を助けられる立場にある人が助けるのは当たり前であるということだ。何も貴族のようにお金持ちでなくとも私の同期が助けてもらったように、誰かを助けられることはたくさんある。また“助ける”なんて仰々しくなくとも重いものを持つのを手伝ったり“手助け”くらいなら実践できる。このような精神が国民に根付いていることを大変うらやましく思う。きっと自分がフランス人だったらそれは普通の事であって誇らしく思うこともないのかもしれないが本当に素晴らしいと心から思う。そしてそれを知った今、この二つのどちらの言葉もその意味もそこから生じる精神も、日本に浸透してほしいと思うばかりだ。

○その他

この研修プログラムのあいだ、本当にたくさんの文化的な場所をめぐらせてもらった。サン・マロ、モン・サン・ミッシェル、ノートルダム大聖堂、シャルトル大聖堂、サント・シャペル、ヴェルサイユ宮殿、そしてレンヌでもパリでもいくつのも教会を訪れた。どれも目を疑うほど素晴らしく、綺麗なものばかりだった。

しかし、私が言いたいのはなにも特別な場所を訪れなくたってフランスはとても素敵なところだということだ。街を歩いていれば「どこからきたの?」「中国人?日本人かすまなかった」「ウイスキー屋さんなんか見ちゃって、お嬢ちゃん飲みたいのかい?」「今日は彼女の誕生日だから彼がこれから演奏するよ」「ほら、その演奏を聴いた彼女が窓から顔を出してるよ」

フランス人はとても陽気だ。さすがに駅や混んでいる場所ではいらいらした人ばかりかもしれないが、ただ街中を散歩していたり、信号を待っていたりすると話しかけてきてくれる。全然フランス語はしゃべれなかったし、聞き取るのもままならなかったけどゆっくり話してくれたり違う表現にしたり、英語で話してくれる人もいた。元来おしゃべりな私はそれがとてもうれしかったし、パリのアパートまで帰るだけの散歩だし、レンヌの交流の時悔しく思ったのと変わらないほど進歩のない語学力だったけど、そのときのおしゃべりはとても楽しかった。

〈陳列が綺麗だと思って見ていたら通りすがりのおばあさんに話しかけられたお店〉

〈誕生日の彼女のために一生懸命トランペットを吹く男性〉

〈いきなり話しかけられて驚いたけど一緒に写真まで撮ってくれたDominique

特別なところなんて行かずともと書いたが我々日本人にとっては特別であろう行くべき場所を一つだけ挙げるとするなら教会だろう。この旅でいくつもの教会や大聖堂に入ったが、初めて入ったのはレンヌの教会だった。外は重厚な石造りなのに中に入ると天井がとても高く、日本にいると高い建物があってもこんな高く抜けた天井の建物はそうないので拍子抜けするくらい広々と広がった空間に驚いた。写真を撮るのがはばかられるほどシンと静まり返っていて、空気は少し冷たく、教会の部屋の中に一つの大きな塊の空気があって、そこのなかに足を踏み入れて包まれたような感じがした。初めて、それもキリスト教でない自分が入っていいのか戸惑いながら入ったが、本当に美しいうえに自然と気持ちが落ち着いて澄んでいくような感じがしてくるのだから本当に不思議な場所だと思った。パリの教会は反対に観光地化しているところが多く、残念ではあったがやはり美しさと荘厳さは小さかったり古かったりしてもどこの教会でも健在だった。


〈レンヌの教会〉

○モンパルナス駅のピアノ

藤原先生とシャルトルに行く際、モンパルナス駅のピアノのところで待ち合わせをした。最初駅にピアノなんてあるのかしらと思っていたが、行ってみるとおどり場のようなところにちょこんと置かれていた。その時は、カップルか兄妹かわからないが男女が一緒にピアノを弾いていた。それは朝の九時前ぐらいだっただろうか。男性の方が女性に教えているようだったが上手とか下手とかではなくて鳴らしているという感じだった。なんでこんなところにピアノが置いてあるんだろうという思いと日本だったら近所迷惑とか、朝っぱらから、とか注意されるのかなと思って見ていた。あとから調べたらモンパルナス駅のピアノは結構有名だったようだ。そのピアノはフランスの国鉄SNCFによる試みで設置されたものらしく、「次はあなたの番だよ」と書いてあり誰でも自由に演奏してよいピアノなのだそうだ。今では他の主要な駅にも置かれているらしい。公共の場にピアノを設置するなんて、なんて素敵なんだ!と思うのと同時に、日本でもピアノを置いている広場など公共の場はあるけれど、大概チェーンがひかれていたり触れないでくださいと張り紙がしてあり、演奏するしない以前に触れることができないようにしてある。それを思い出してすごく悲しく、寂しくなった。日本の駅にも自由に弾いていいピアノがあったら通勤ラッシュのイライラが少しは解消されるだろうか。解消されるというよりかは「こんなところにピアノがある!しかも誰でも弾いていいんだって」ぐらいにみんなの心に余裕が生まれるかもしれない。


〈モンパルナス駅のピアノ〉

○おわりに

先生は「日本に帰ると魔法がとけてしまう」とよくおっしゃっていた。やはりどうしたって母国に帰ると張りつめていた気が緩みアンテナが弱くなる。この報告書を書くにあたってもそうなのだが、記憶ってあいまいだし、感性と思考の鈍りを感じる。フランスにいる間中は何もかもが新鮮で驚きの連続だった。そして自分の常識はなんて狭い世界で構築されたものなのだろうと思い知らされた。あちらでは信号機が自分の背丈より少し高いくらいの低さで赤信号で渡る人ばかりだし、車は停止線ではなく人のギリギリ手前で止まるし、高速道路標示がないからみんな一気に車の速度を上げる。(日本って本当に安全だ!)メトロやバスには時刻表がなくて始発と終電しか決まっていないし、改札に切符を通さず飛び越えていってしまう人もいるし、構内や電車の中で楽器を演奏したり、演説する人もいる。ホームで寝泊まりするホームレスは多いし、街中に物乞いは普通だ。スーパーのレジの店員は不愛想に座っているし、そのうえ客の頭越しに会話している。他人にとっては小さなどうでもよい、気に留めないことも自分にとっては本当に新しくて何もかもが目に留まった。

最初私が怖いと感じていたものは私にとって普通でなくフランスでは普通の出来事でしかなかった。知らないものを怖いと感じるのは当たり前かもしれないが、好奇心がそれに負けてはいけない。以前の私は“変化”が苦手で面倒くさがりだった。でも自分の世界観が変わっていくのがこんなに楽しく、新しいというか異なるものを求めるようになるとは思っていなかった。

また、フランスにいて私が感じたのは、いろいろなことが色々あってよいということだ。すごく抽象的な書き方をしてしまったが、例えば日本は接客マニュアルがある。確認はしていないが日本ほど厳密な接客マニュアルはきっとフランスにはないだろう。また量産型女子大生という言葉があるように日本では服が流行るとみんなそれを着たがるし、同じような恰好をしている人をたくさん見る。フランスの洋服屋さんでは日本では見ないような色とりどりの服が並んでおり、街を歩く人が全く同じような恰好をしていることってあまりない。また当たり前だけど、フランスって肌が白くて目鼻立ちのはっきりした背の高い人ばかりいるイメージが強かったけど、肌の黒い人たちも多くいて、もちろん怖くないし、意外と顔立ちの薄い人や背の低い人、太っている人痩せている人、いろんな人がいた。

なんというかいろいろというのは、型にとらわれず自分なりに過ごしてよいということだ。上記したシティズンシップではないけれど、何かが正しくてそれ以外の何かが悪いということでなく、どれも合っていて、どれもよくて、そのいろいろが存在していて良い、構わないということだ。

そのいろいろが存在していていいということに気づけたのは、これから生きていくのに自分を助けてくれるのではないかと思う。風潮や多数派にとらわれやすい自分が、異なる意見を持った時、きっと助けてくれるだろう。というかその周りと異なるということに居心地が悪いと感じずに済むだろう。