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結晶場による相対論的重イオンのコヒーレント共鳴励起の観測
東 俊行 (東京大学・放射線医学総合研究所との共同研究)

 高速イオンが結晶を通過する際、通過イオンは原子列や原子面を周期的に横切る。これは、通過イオンの静止系から眺めると、イオンが周期的電磁場を感じることに相当する。この電磁場エネルギー がイオンの内部自由度の準位差に一致すれば、イオンの準位は共鳴的に励起される可能性があり、オコロコフ効果もしくはコヒーレント共鳴励起(resonant coherent excitation, RCE)と呼ばれる。最近、放射線医学研究所の重イオン加速器(HIMAC)から供給される数100MeV/uといった相対論的エネルギー領域の重イオンを用いることにより、コヒーレンスが格段に向上し、精密な共鳴励起スペクトルが得られるようになった。その結果、共鳴のダイナミクスが理解されるとともに、チャネリング下という特異な環境下での全く新しい高分解能原子精密分光法という新たな分野の可能性や強疑似光子場としての側面が次々と明らかになってきた。
 ここで実現される相対論的エネルギー領域の重イオンビームを使ったコヒーレント共鳴の特徴として次の2点が上げられる。

  1. 結晶周期ポテンシャルの低次の成分を使った、重イオン原子準位励起(1s電子基底状態から励起状態への遷移)が可能となる。このため、実質的に高強度レーザーにも匹敵する高強度の擬光子場による強い励起が可能となる。
  2. 結晶中通過するイオンの結晶の電子との衝突断面積が、イオンが相対論的速度であるゆえに非常に小さくなる。そのために共鳴励起以外の過程が抑制されるため、大きなコヒーレンスが得られる。従って共鳴幅の先鋭化、及び高分解能が達成される。
また、このコヒーレント共鳴励起現象の検証方法としては、以下の3つが挙げられる。
[手法 1] 励起準位にある電子は、結晶内の電子と衝突して剥がされる確率が、基底状態にあるときより大きいため、イオンの電離確率が上がる。従って結晶通過後のイオンの電荷分布を観測すると共鳴条件下では、裸の出射イオンの割合が増大する。
[手法 2] このイオン化によって生成された、入射イオンと等速の2次電子(コンボイ電子)収量も、共鳴条件下では増大する。
[手法 3] イオン化を免れた場合は、X線放出によって励起凖位から再び基底状態へ脱励起する。この脱励起X線の観測によっても共鳴が検証される。

このうち[手法 1][手法 2] は同じ現象に基づく過程であるが、[手法 3] とは競合過程にある。重イオンのZが大きくなる程、イオン化がおこりにくくなる一方で、励起状態の寿命も短くなるため、[手法 3]の過程が重要になる。我々はこれらそれぞれの観測によって、原子凖位RCEを検出することに成功した。

[Experimental setup]

これまでの研究経過

[result]  この研究は、平成9年度に相対論的エネルギーの重イオン原子準位に対する干渉性共鳴励起に成功したことから始まる。390MeV/u H-like(1電子系) Ar17+ビームをSi結晶に入射し、イオン進行方向に対する結晶軸の角度を共鳴条件付近で走査し、出射イオンの電荷分布のスペクトルを観測することにより、検出した([手法 1])。高エネルギーイオンであるために、結晶電場の1次フーリエ成分による大きな共鳴が、incoherentな結晶内標的の電子との衝突による電荷交換に妨げられることなく得られた。さらにこの研究では、チャネリング条件下での個々のイオンのエネルギー損失から、そのイオンの結晶チャンネル内での軌道を決めることができた。これらにより、Arイオン中の電子準位の、相対論効果に基づく軌道・スピン相互作用の大きさや、結晶内電場によるシュタルク効果の影響などの、詳細な情報が得られることが判明した(右図参照)。翌平成10年度には、干渉性共鳴励起によって励起準位に上がった電子が基底準位に戻る際に放出される脱励起X線観測にも成功した [手法 3]
 この結果、1s基底状態に対するラムシフト( Arの理論値は約1eV)の観測相対精度としては約0.1eVを達成した。これらのデータは、まさに我々のRCEが、QEDチェックのための原子準位精密測定の有力な手法であることを示唆している。(なお、観測凖位のエネルギー精度は、結晶格子定数、結晶方向、ビーム角度拡がり、ビームエネルギー拡がりなどの要因に依存している。現時点で絶対精度を支配しているものは、ビームエネルギーの絶対精度である。) さらに、従来から、結晶内の電場、さらに通過イオン自身の作る電場といった高電場環境下における多価イオンの電子状態は、原子物理学分野で、大きな関心を持たれてきた。放医研におけるこれら結果は、原子準位励起干渉性共鳴スペクトルとしては、従来のものと比較して質的に大きく飛躍した、現在世界で最も精密な結果を出した。

 平成11年度には、その研究も順調に進み、Ar17+イオンの干渉性共鳴励起に伴う脱励起X線放出角度依存性の観測およびコンボイ電子の観測[手法 2]に成功した。

 平成11年度後半から12年度にかけては、これらの結果を踏まえて、原子準位の精密分光を中心に以下の、次の3方向を目標とした実験を積極的に展開した。

  1. n=2 準位への励起からより高い n=3,4,5 準位励起への展開
  2. 軌道電子が1個である水素様イオンから2個のヘリウム様イオン、3個のリシウム様イオンへの展開
  3. Arだけではなく、より重いイオンへの展開

具体的には、以下のような結果が得られた。

1. 390 MeV/u H-like Ar17+イオンの1sから n=2,3,4,5準位へのRCEの電荷分布による観測
今までの観測は基底状態からn=2凖位へのみの励起であったが、さらに、n=3,4,5という高準位へ励起を観測した([手法 1])。高準位の場合、副準位数も増大し(s,p,d,f...)これらが結晶電場に起因するシュタルク効果のために混じり複雑なスペクトルとなった。なお n=5 の場合にはすでに電子軌道の大きさが結晶のチャネルと同じ程度に大きい。この様な環境でも励起状態が固体結晶中で観測されたことは注目に値する。また、脱励起X線についても n=3への励起の場合について観測された[手法 3]。 n=2からの脱励起に伴う K-α X線に加えて、明らかに n=3からの K-β X線の増大が観測された。
2. 383 MeV/u He-like Ar16+イオンの電荷分布及びX線放出によるRCEの観測
今までの1電子系ではなく、1sに2個電子を配置したイオンの基底状態からn=2への遷移の測定を行った。図2の電荷分布スペクトル([手法 1])から明らかなように、21Pのみならず,光励起では通常禁制遷移である23Pへの励起が観測され,大変興味深い。 また 21Pと23P準位のエネルギー差が1電子系の時に比べて大きく、それぞれの共鳴ピークがシュタルク効果で十分混じらないことも確認された。これらのピーク位置も相対精度で同様に10ppm程度の精度で決定され、これらからも、2電子系のQEDテストを行うことができると予想される。
3. 423 MeV/u H-like Fe25+, He-like Fe24+, Li-like Fe23+イオンの電荷分布によるRCEの観測
423 MeV/u H-like(1電子系)Fe25+イオンの原子準位干渉性共鳴励起の測定を試み、成功した。これは今までのArを発展させたもので、より重いイオンにおける準位間遷移の観測を狙ったものである。共鳴励起観測からArに比べてより大きな1s基底状態に対するラムシフト(理論値:3.97eV)を観測した。
 また、脱励起X線による観測にも成功した [手法 3]。脱励起X線の強度から、最大で、入射したチャネリング下にあるイオン1個あたり数個ものphotonが出ていることが判明した。すなわち結晶を通過する約100fsという短い時間内に、チャネリングイオンは共鳴によって数回励起/脱励起をくり返すという状況にある。これは重イオンであるために励起状態の寿命が短く、かつ、結晶内電子との衝突によるイオン化確率も小さいためである。このように従来、大強度レーザーなどによる強電磁場でのみ実現していた、photonの吸収放出が摂動では取り扱えなくなる"dressed state"が、結晶場による強電磁場で実現している可能性があると考えられる。
 またHe-like Fe24+、Li-like Fe23+イオンに対する共鳴励起も観測された。He-like Fe24+イオンでは基本的にHe-like Ar16+イオンと同様の結果が、さらにLi-like Fe23+イオンでは、より複雑な共鳴ピークが数多く観測された。
参考文献
  • 東, "結晶場による相対論的重イオンのコヒーレント共鳴励起の観測" 日本物理学会誌 解説 7月号,2001.
  • T. Azuma, T. Ito, Y. Takabayashi, K. Komaki, Y. Yamazaki, E. Takada, and T. Murakami, "Resonant coherent excitation of hydrogen-like Ar ions to the n=3 states", Physica Scripta, T92,61-64(2001).
  • T. Ito, Y. Takabayashi, T. Azuma, Y. Yamazaki, K. Komaki, S. Datz, E. Takada, and T. Murakami, "De-excitation X-rays from resonant coherently excited 390MeV/u hydrogen-like Ar ions", Nucl. Instr. Meth., B164-165, 68-73(2000).
  • T. Azuma, T. Ito, K. Komaki, Y. Yamazaki, M. Sano, M. Torikoshi, A. Kitagawa, E. Takada, and T. Murakami, "Impact Parameter Dependent Resonant Coherent Excitation of Relativistic Heavy Ions Planar Channeled in Crystals", Phys. Rev. Lett., 83, 528-531(1999).
  • T. Azuma, "Relativistic channeling of highly charged ions --- resonant coherent excitation, charge exchange, and energy loss", Physica Scripta, T80, 79-82(1999).


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