『マクロ経済学のパースペクティブ』 内容紹介


第4章 世代重複モデルと社会保障

 運動部に入ると上級生が下級生を「シゴキ」という名目でいじめることはよく知られている。誰しも、理不尽に殴られたくないから、どこかでこういうことはやめればよい、と思うだろう。ところが、これはうまくいかない。なぜならこの「伝統」のもとでは、やめる時点での上級生が殴られっぱなしにならないと終らないからである。われわれは殴られて過してきたのに、なぜわれわれだけが我慢しなければならないのだろうか、と思うのもまた人情である。こうして登場人物はどんどん変ってゆくのに、同じように悪い状況が繰返されてゆく。
 考えてみるとこのような状況はよくあることである。受験勉強が無駄だと一瞬でも思わない高校生はいないだろう。ところが大学に入ればそんなことは忘れてしまう。このような繰返しで中国の官吏登用試験である「科挙」は何百年も続いたのである。本章で説明する世代重複モデルとは学生のように人々がいれかわりたちかわり表れる状況を考察したモデルである。

第7章 新ケインジアン経済学と協調の失敗

 大学祭では「恋人リサーチ」というものが盛んに行われていることは知っているだろうか。アンケート用紙に自分の好きな異性のタイプを書くと、その後、もっともタイプに合った異性の同じ紙が自宅に送られてくるわけだ。ところでワルラス的な一般均衡モデルとは「ワルラスのせり人」と呼ばれる仮想的存在が、恋人リサーチを行う大学生のサークルのように、すべての市場を監視しながら人々の希望をふりわけている。こう考えると現実の市場には「せり人」などめったにいないという批判はもっともだが、もう一つ大事なことは大量の市場参加者がいないと個別の市場ですら完全競争にならないということである。そこで人々の探索行動(サーチ)や相性(マッチング)が重要だとよく説明されるが、話はこれだけで終らない。恋人リサーチが乱立していくと、それぞれのサークル当たりの申込者数が減少して、申込者の相性はどんどん合わなくなっていく。そこで柔道部もアニメーション研究会も合同で恋人リサーチを行えば良いのだが、まあ両者が一緒にやることは考えにくい。なぜなら柔道部は柔道が強くなるために集った人たちで、アニメーション研究会とは違う。これは本章で説明する「協調の失敗」であるが、ここで「補完性」という概念が強調されるのは、さまざまな意思決定を行う経済主体は単一のすっきりした目標に向かって邁進しているとは限らず、柔道部のためにお金はほしいが、アニメーション研究会とは一緒にやることなど考えても見なかった、と言う状況が多いからである。
 このような「協調の失敗」は近年では新ケインジアン経済学の中心的概念として、盛んに研究されている。なぜこれがケインズ経済学と関係があるのだろうか。ケインズが一般理論で協調したのは、皆が貯蓄しようとしても経済全体の貯蓄量は減ってしまう「合成の誤謬」であり、個別の労働者だけ名目賃金を下げようとしても不公平と受け取られるため下げにくいが、インフレにより一挙に全部を切り下げることができると言う「相対賃金仮説」である。つまり「全体のこと」は「個別のこと」を単純にたし合せては理解できないと言うことを「協調の失敗」という現象で説明しているわけである。本章では新ケインジアン経済学の概要を説明するが、これらは短期的な景気循環の解明のみならず、非効率的な一般均衡の分析として応用可能性が大きいことをまず指摘しておこう。

計量経済学補論: 非定常時系列分析

 新しい統計手法は非定常時系列分析と呼ばれるもので、これを理解するためにはサイコロを振って「すごろく」をすることを考えると分かりやすい。サイコロの目の平均は3.5であって、何度もふればその平均は3.5に近づくことは初歩の統計学で習う通りである。つまりこれまでの「自然失業率」とは、多少よくなったり悪くなったりしても、長い目でみればサイコロを振って平均を出すように一定の値、あるいは外生的なトレンドに従うと考えてきた。ところが同じサイコロを振っても、失業率が「すごろく」のような数字を足して行く(和分と言う。)プロセスに従っている(これを単位根を持つと言う。)と統計的には推定手法は異なってくるし、その背後にある経済学的意味あいも異なる。
 ここで話を分かりやすくするために、平均が0であるサイコロを仮想的に考えよう。このとき「すごろく」で?-2.5を出してしまったとする。この場合、スタート時点よりさらに後ろに下がらなくてはならず、2回目にはこの出遅れた地点でサイコロを振ることになる。ところがサイコロを振ることは「独立事象」、つまり-2.5を出したからと言って次に大きな数字が出やすいことはない。統計的な将来の予測値では、スタート時点より2.5下がった時点のままで、他人に遅れを取ったままとなる。つまり失業率がいったん高まっても、そこから「自然失業率」に戻る保証は何もないと言うのが非定常時系列の考え方である。