情報「教育」よりも「基盤整備」を

『大学広場』第7号 1998年3月25日 東京都立大学広報委員会

■特集「大学における情報教育のありかた」

 電子メールを使ってないのでファックスでやりとりしましょう、と言われると、面倒だな、と思うし、ちょっと前まで多かったフロッピーで入稿を受け付ない印刷屋さんには腹が立つ。そういった意味で、私はコンピューターやネットワークを使いこなせる人々が増えてくれるのを望んでいる。もはや現在ではコンピューター・ネットワークの役割は電話と同じであり、電子メールを使っていない、と言うことは、「電話で用件をすますとは無礼千万、いちいち挨拶に出向いてこい」と言っているのと同じである、と思うのは極端だろうか。
 しかしだからといって「大学における情報教育のありかた」を考えるとき、必ずしも画一的な「教育」が今後、必要性が増すとも思われない。現在は大きな過渡期にあり、言わば旧人類の発想で情報「教育」を新たに行うのではなく、すでにコンピューターやネットワークを使いこなせる人々や、興味を持つ学生が迷惑しないように、大学として当然の程度の設備を整備することが重要なのではないだろうか。

入門的教育は今後必要か

 情報教育といえば、パソコン教室的な入門的・汎用的な教育が考えられることが多い。またその手の教育には理解を示す人も多い。しかしながら、そのような教育の必要性は今後は低下する。
 その理由として第一に考えられるのは、技術の進歩である。これはあくまで一般論だが、予算や人員の制約から、入門的教育では旧式のシステムで時代遅れの方法を習う、ということに、どうしてもなってしまうことである。例えば以前はホームページを作るためにはHTML言語の習得が必要だったが、最近では便利なソフトの出現により、インスタント化が進んでいる。もともとホームページの作り方を教えるよりも、むしろホームページに何を書くかのほうが重要な問題であり、大学の役割は後者にあるのではないだろうか。
 第二に今後、小中高での教育の充実から、大学でコンピューターの入門的教育などはあまり必要がなくなってゆく。そういった意味で、情報「教育」を充実させるという漠然とした発想では、必要性が低下する汎用的入門的な教育しか望めないであろう
 また現在でも、文系の学生が使う程度のワープロ・表計算・インターネットなどは、とりたてて教える必要があるとは思えない。現在の学生がコンピューターを使わないのは、本当に必要にかられないためであり、もし電子メール等でレポート・宿題等の提出を強制し、進級・卒業に不可欠であるとすれば、たちまち全員が使うようになるだろう。(そうする必要があるとは思わないが。)

経済学部のPC教室

 もともと私は情報教育で一番、有効な方法は、「学生自身がパソコンを買う」ことだと思っている。「そんなお金はないよ」と言われそうだが、壊してもいいから、いろんなところを叩いてみる、というのが大事であり、これは自分のパソコンでないと出来にくい。
 しかし学生に使ったこともないにのに、いきなりパソコンを買え、とは言いにくいし、やはり高価でもある。そこで学生が気軽に使えるコンピューターをある程度確保しておく必要はやはりある。
 以上のような観点から、経済学部では学部独自にPC教室が設置されている。このPC教室は授業に、そして空き時間には学生に自由に使われている。確かに「少しのことにも先達はあらまほしきもの」ではあるが、それが2単位なり4単位なりの授業として開講される必要はあまりない。むしろ教育に研究に気軽に使えるパソコンが、あちこちに設置されており、思い立ったときに使えることが望ましい。

インターネット: 集中管理から分散化へ

 この「気軽に」ということはネットワーク管理にも重要である。もともとインターネットは学術ネットワークとしてボランティアの熱意に支えられ発展してきた。しかし現在では商用化が進んでおり、民間プロバイダー等の発展により、安価に利用できるようになっている。この点をふまえて、大学でのサービスは基礎的なものに限定してよいし、また民間サービスとの連携を重視すべきだろう。
 また本学ではインターネットの管理は集中的に行われる傾向が強く、委託SE制度と共にプラクティカルにネットワークを考える態度に乏しいように思われる。一部の「環境を共有したい」ユーザーのために、サーバー等は必要以上に「数珠つなぎ」状態になっており、結果としてパフォーマンスの悪化を招いているようである。特に文系ではワークステーション上で日常の作業を行う必要性はほとんどなく、守るべきデータはないのであるから、セキュリティー等の厳格化は全く必要ない。こういった事情を無視して、一元的な管理の厳格化を行おうとする発想は理解に苦しむ。

 高価なコンピューターを、「研究」のために、あるいは情報「教育」のために大事に管理するという発想では、なかなか便利に使うと言うわけにはいかない。何かもったいをつけないと予算がつかないのかもしれないが、冒頭に述べたように、もはや電話と同じである。気軽に使えるような、環境整備を望んでいる。