運動分子生物学研究室

 教授:藤井宣晴  准教授:眞鍋康子  助教:古市泰郎

 東京都立大学 人間健康科学研究科 ヘルスプロモーションサイエンス学域

本文へジャンプ


研究室のメインテーマ
(2)運動が糖尿病を抑制する分子機序の解明

 

血糖を下げるホルモンは、わたし達の生体内に唯一インスリンしか備わっていない(表1)。そのため、インスリンの分泌機能が阻害されたり、末梢組織のインスリン感受性が低下したりすると、糖尿病になってしまう。

 

4は、インスリン作用の大きさを臓器別に調べた研究結果である(6)。健常者(Control)では、糖の7割以上が骨格筋で利用されている。一方、糖尿病患者(Diabetic)では、全身の総利用量が健常者の約半分になっており、その原因は骨格筋(青の部分)での利用率が低下したためであると分かる。つまり、骨格筋はインスリンの主要な標的であり、血糖を利用してくれる最大の臓器といえる。骨格筋がインスリン抵抗性を持ち(つまりインスリン感受性が低下すると)、細胞内に糖を上手く取り込むことができなくなると、行き場を失った糖が血中に過剰となって糖尿病の症状を呈するようになる。



2.インスリンの細胞内情報伝達機構


細胞は、細胞膜によって、内部環境と外部環境が厳然と区別されている。そのため、血液中のグルコースを骨格筋の細胞内に取り込むには、細胞膜を通過させる手段が必要となる。それを行うのがグルコーストランスポーター4GLUT4)である(図5)。GLUT4は、通常は細胞内に控えているが、糖取り込みを促進させる何らかの刺激が加わると細胞膜に移動して組み込まれ、細胞内への糖の取り込み通路として働く。刺激が収まると、GLUT4は再び細胞内に戻り、つぎの動員の機会を待つ。

インスリンは、血糖値の上昇を感知した膵臓から分泌されると血流に乗って骨格筋に運ばれる。骨格筋の細胞膜表面にあるインスリン受容体に結合すると、それがきっかけとなって、細胞内ではIRSPI3キナーゼ、Aktなどの情報伝達分子が順々に活性化される。この情報が最終的に細胞内のGLUT4貯蔵庫に伝達され、糖取り込みが生じる(図5。これがインスリンの細胞内情報伝達による糖取り込み促進の仕組みである。糖尿病患者がインスリン抵抗性を持つのは、この情報伝達経路のどこか(おそらく複数個所)が異常を起こすためと考えられている。

 

3.筋収縮も糖取り込みを強力に促進する


じつは、骨格筋を収縮させることでも、糖取り込みが起こる。その効果はインスリンに匹敵する強力なものであるが、驚くことにその調節は、インスリンの細胞内情報伝達を介さない独自の経路で行われる(7)。つまり筋収縮は、生体内唯一の血糖降下ホルモン(インスリン)とは異なるやり方で、血糖値を下げるのに貢献する。このことは非常に重要な意味をもつ。図6は、自転車運動中に下肢の骨格筋に取り込まれる糖の量を、健常者と糖尿病患者で比較したものである(8)。糖尿病患者であっても、運動時(筋収縮時)には健常者と同等の糖取り込みが生じる。図4および5で触れたように、糖尿病は、骨格筋のインスリン情報伝達経路が不全となって糖取り込みが阻害された結果生じる。しかし、正常に働く別の経路(つまり筋収縮・運動の経路)があるならばそちらを使用した方が、不全となった経路を酷使するよりも有効に働くはずである。糖尿病に運動が有効な理由の一つがここにある。

 

4.筋収縮時の糖輸送を調節する細胞内情報伝達機構


では、どのような経路が筋収縮時には働いているのだろうか。図7は、現時点の最新の研究結果の概略である。筋収縮の場合も、最終的にGLUT4が細胞膜に組み込まれて糖の取り込み通路を作る。しかし、そこに至るまでの情報伝達経路は異なる。その主役となる情報伝達分子は、AMPキナーゼとSNARK、そしてそれらの上流に位置するLKB1およびCaMKKである。AMPキナーゼは細胞内エネルギーセンサーとも呼ばれ、細胞内のエネルギー状態が良好な(ATPが多い)場合は不活性型だが、ATPが使用されAMPが増加すると活性型になる(7)。運動も骨格筋のAMPキナーゼを活性化させる(9, 10)LKB1CaMKKは、AMPキナーゼをリン酸化して活性化させる分子である。

本研究室は、@ AMPキナーゼは細胞内エネルギーが減少した場合の唯一の糖取り込み調節分子であるが(11)、A 筋収縮の場合はエネルギーが減少するにもかかわらずAMPキナーゼの阻害だけでは糖取り込みを抑制することはできない(11)。B LKB1(12)CaMKK(13)の働きを阻害すると筋収縮による糖取り込みは抑制されることから、C LKB1CaMKKの下流に位置し低エネルギー以外の要素で活性化される分子SNARKAMPキナーゼとともに調節に関わっている(14)、と考えている。さらにその下流では、TBC1D1(15)AS160TBC1D4(16)が、インスリンと筋収縮の細胞内情報を統合する役目を果たし、GLUT4の貯蔵小胞を細胞膜へと移動させる媒介分子として働くことが示唆されている。

 

5.筋収縮(運動)が秘める可能性


1990 年代後半に米国で、糖尿病予防に関する大規模な疫学介入研究が行われた(17)。近く糖尿病を発症する可能性が高いと診断された数千人の対象者について、実際の発症率を約3年間にわたり追跡調査したのである。メトフォルミンという糖尿病治療薬を発症前から服用していると、発症率が低下することが分かった。これは、糖尿病治療薬が「予防薬」としても働くことが示された初めての報告であった。メトフォルミンは欧州でその血糖降下作用が認められて以来、世界中で広く使用されてきた糖尿病治療薬である。しかしその作用機序は長く不明で、「なぜか効く」ので使用されてきた経緯がある。その後、21世紀に入ってまもなく、メトフォルミンは骨格筋でAMPキナーゼを活性化させ血糖降下作用を発揮していることが明らかになった(18)。つまり、メトフォルミンは運動と同じメカニズムで糖尿病の予防効果を発揮していたのである。「運動」と「服薬」の意味が、糖尿病予防という文脈において一点に収束した瞬間であった。これらの事実は、筋収縮(運動)は血糖値を下げるホルモンのように働くし、糖尿病を予防・改善させる薬のようにも働くことを示している。わたし達はかねてから、継続的に運動すると健康でいられ、病弱な生活から遠ざかっていられるのではないかと感づいてはいた。その秘密の核心は、筋収縮そのものにあるのかもしれない。

 

6.脂質の量ではなく質が問題  - アスリート・パラドックス -


骨格筋がインスリン抵抗性を発症するのは筋細胞内に大量の脂質が蓄積され事が原因、というのが定説とされている(19)。しかし矛盾する現象も知られている。持久系競技のアスリートはインスリン感受性が高い(つまりインスリン抵抗性がない)にもかかわらず、筋細胞内の脂質量が多い。いわゆるアスリート・パラドックスである(20)。本研究室では従来の質量分析法に加え、質量分析をさらに進化させた質量顕微鏡という画期的な手法を用いて(20)、このパラドックスの謎に迫っている(21)。質量顕微鏡で筋内にある脂質分子種の分布を画像化し、同定・定量することができる。しかも多種の脂質分子を一機に同時に解析することが可能である。このアプローチを用いることで、筋内の脂質は筋収縮によって減少するだけでなく、増加する物も複数あることが分かった。さらに脂質の分布は種類によって特徴的で多様であることが明らかになった。すなわち、インスリン抵抗性は単に脂質の量で決まるのではなく、細胞内に蓄積する脂質の種類やその分布が重要であることが示唆される。

文献

6.    DeFronzo R.A., The triumvirate: b-cell, muscle, liver. A collusion responsible for NIDDM., Diabetes , 37, 667-87, 1988

7.     Fujii N, Jessen N, Goodyear LJ.  AMP-activated protein kinase and the regulation of glucose transport.  Am J Physiol Endocrinol Metab. 291(5):E867-77. 2006

8.     Martin IK., Katz A, Wahren J., Splanchnic and muscle metabolism during exercise in NIDDM patients., Am.J.Physiol., 269, E583-90, 1995

9.     Fujii N, Hayashi T, Hirshman MF, Smith JT, Habinowski SA, Kaijser L, Mu J, Ljungqvist O, Birnbaum MJ, Witters LA, Thorell A, Goodyear LJ.  Exercise induces isoform-specific increase in 5'AMP-activated protein kinase activity in human skeletal muscle. Biochem Biophys.Res.Commun. 273(3):1150-5. 2000

10.   Musi N, Fujii N, Hirshman MF, Ekberg I, Froberg S, Ljungqvist O, Thorell A, Goodyear LJ. AMP-activated protein kinase (AMPK) is activated in muscle of subjects with type 2 diabetes during exercise.  Diabetes. 50(5):921-7. 2001

11.   Fujii N, Hirshman MF, Kane EM, Ho RC, Peter LE, Seifert MM, Goodyear LJ. AMP-activated protein kinase a2 activity is not essential for contraction-and hyperosmolarity-induced glucose transport in skeletal muscle. J.Biol.Chem., 280, 29033-41, 2005

12.   Koh H. et al., Skeletal muscle-selective knockout of LKB1 increases insulin sensitivity, improves glucose homeostasis, and decreases TRB3.  Mol.Cell Biol., 26, 8217-27, 2006

13.   Witczak CA, Fujii N, Hirshman MF, Goodyear LJ., Ca2+/calmodulin-dependent protein kinase kinase-a regulates skeletal muscle glucose uptake independent of AMP-activated protein kinase and Akt activation.  Diabetes, 56, 1403-9, 2007

14.   Koh HJ, Toyoda T, Fujii N, Jung MM, Rathod A, Middelbeek RJ, Lessard SJ, Treebak JT, Tsuchihara K, Esumi H, Richter EA, Wojtaszewski JF, Hirshman MF, Goodyear LJ. Sucrose nonfermenting AMPK-related kinase (SNARK) mediates contraction-stimulated glucose transport in mouse skeletal muscle. Proc Natl Acad Sci U S A. 107(35):15541-6, 2010

15.  An D, Toyoda T, Taylor EB, Yu H, Fujii N, Hirshman MF, Goodyear LJ.  TBC1D1 regulates insulin- and contraction-induced glucose transport in mouse skeletal muscle.  Diabetes. 59(6):1358-65, 2010

16.  Taylor EB, An D, Kramer HF, Yu H, Fujii NL, Roeckl KS, Bowles N, Hirshman MF, Xie J, Feener EP, Goodyear LJ.  Discovery of TBC1D1 as an insulin-, AICAR-, and contraction-stimulated signaling nexus in mouse skeletal muscle. J Biol Chem. 283(15):9787-96. 2008

17.   Diabetes Prevention Program Research Group: Reduction in the incidence of type 2 diabetes with lifestyle intervention or metformin. N.Engl.J.Med., 346, 393-403, 2002

18.   Zhou G. et al., Role of AMP-activated protein kinase in mechanism of metformin action.  J.Clin.Invest. 108, 1167-74, 2001

19.   Fujii N, Ho RC, Manabe Y, Jessen N, Toyoda T, Holland WL, Summers SA, Hirshman MF, Goodyear LJ.  Ablation of AMP-activated protein kinase alpha2 activity exacerbates insulin resistance induced by high-fat feeding of mice.  Diabetes. 57(11):2958-66. 2008

20.   Goto-Inoue N, Setou M, Fujii NL.  Visualization of metabolite change in skeletal muscle by contraction using imaging mass spectrometry. J.Phys.Fit.Sport.Med., 1(2): 347-50. 2012

21.   Goto-Inoue N, Manabe Y, Miyatake S, Ogino S, Morishita A, Hayasaka T, Masaki N, Setou M, Fujii NL. Visualization of dynamic change in contraction-induced lipid composition in mouse skeletal muscle by matrix-assisted laser desorption/ionization imaging mass spectrometry. Anal Bioanal Chem. 403(7):1863-71. 2012

 

最近の発表論文

   1.Inada A,Fujii NL,Nabeshima YI,et al. Adjusting the 17β-Estradiol-to-Androgen Ratio Ameliorates Diabetic Nephropathy. J ournal of American Society of Nephrology, 28(2):716, 2017年.

2.Yu H,Fujii NL,Toyoda T,Hirshman MF,Goodyear LJ, et al
Contraction stimulates muscle glucose uptake independent of atypical PKC. Physiological Reports, 3(11), e12565, 2016年.