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江戸時代の伊豆大島の特質を知る 
—伊豆大島の産物—

天明9年(1789年)に提出された『伊豆国大島差出帳』(『東京市史稿』産業篇第三十三に全文所収)には、かつて島内及び近海で採れ、主に年貢の対象となった特産物が記されています。江戸時代の伊豆大島にはどのような特産物があったのでしょうか。ここでは『東京都大島町史』も参考にして、その特産物について見ていきましょう。 東京市史稿
『伊豆国大島差出帳』を納める『東京市史稿』産業篇第三十三

1.山の幸

山で採れるものには、紫根(しこん)、いわゆる紫の染料に用いられる植物の根がありました。これは主に漢方薬の原料などとして用いられるようです。ただ、貞享元年(1684年)の“山焼”により、その上納は絶えたとされています。この“山焼”は天和4年(1684年 =貞享元)二月十六日の夜から元禄3年(1690年)まで7年間断続的に行われ(『伊豆国大島差出帳』より)、このことによって伊豆大島の山林での特産品年貢の一つが消失してしまいました。
 同様に、“山焼”により減少したものとして「はんの木」があります。これらは江戸へ薪として積み出されていたものです。また、染料となる「夜叉附子(やしゃぶし)」は夏・秋の期間に採れ、これも江戸へ積み出されていました。両者ともに一割の運上(領主に年貢として納めて送られたもののこと)を出していました。
 島内では男は漁業、薪の元となる木本の栽培を主に行い、女性は、特に「野老(ところ)・あした葉・虎杖之葉(いたどり)」など草木の葉を採集したり、木綿・麻のみをつかって織物を作っていたりしました。なお、田はありませんでしたが、畑地はあって「大麦・芋・大根・粟・小豆・大豆・蕪」などが作られていました。ただ、“山焼”による焼砂の入り込みから、畑地の土地柄が悪く、出来は良くなかったようです。 beans大豆と小豆

2.海の幸

魚介類については、運上されたものに「釣鰹」つまり、釣りによって得た「鰹」と、他に「鰘(むろあじ)・鰱(たかべ)・蚫(あわび)・栄螺(さざえ)・海老」がありました。「釣鰹」は“四分一御運上”とあるので、当初は二割五分の高率な年貢対象であったようです。それに対し他の「鰘」などは、一割運上でした。なお、両者とも享保8年(1723年)からは、江戸での売値の一割を運上金として納付していました。
 島近海では春・夏・秋共に「鰘・鰱・鰹・鯖」が水揚げされ、「鮫」は漁獲量が少ないものの"網釣”で捕れたことが記されています。「鰹」は“釣り”と“網”の両方に記されていますが、これは両方で漁を行っていたことを意味しているのでしょう。
 海藻類では、『伊豆国大島差出帳』が作成された江戸中期以前は「島海苔」が採れたものの、同時期には不漁となっていたようです。逆に、「ひろめ・はんば・大ふのり(布海苔)」は、以前より採れるようになり百姓の糧となっていたようです。このことは、特産品の一つである伊豆大島近海の海藻と、採れる海藻類の変化を物語っています。 dried fishくさや (photo by Kondo)
伊豆大島の海域は伊豆半島に接するため、本土と近似する海産物があります。その一方で、“くさや”の原料としても用いられる「鰘」においては、常に『伊豆国大島差出帳』の先頭に記されていることから、その主たる漁獲量を誇っていたようです。本土の影響を強く受けつつも、独自文化を持つ伊豆大島は、まさに「離島であり離島でない島」であると感じます。

引用文献

伊豆国大島差出帳. 東京市史稿 産業篇第33. 東京都公文書館 東京都大島町史. 大島町編さん委員会編 

担当:谷口 央 
(人文科学研究科 文化基礎論専攻)

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キーワード

海の幸 / 江戸時代 / 史料 / 特産物 / 山の幸

    

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