伊豆大島は言語学者にとって興味深いところです。 私が書いた「島の言語の二つの顔―接触と孤立のはざまで」のなかで、島には島特有の面白い言語現象があることを紹介しています。

柳田国男『伊豆大島方言集』(左)、藤井正二『島ことば集』(中央)、藤井伸『しまことば集』(右)
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柳田国男『伊豆大島方言集』(左)、藤井正二『島ことば集』(中央)、藤井伸『しまことば集』(右)

1.島特有の言語変化の仕方

島は海に囲まれた自然環境によって、外部のことばの影響を受けにくいです(“生物”でもそうでしょう)。そのために、陸続きになっている本土の町々で消えたことばでも、古い発音や単語、文法事象(動詞の活用など)が島に取り残されることがあります。柳田国男はこの現象に魅了され、伊豆大島だけを対象とした『伊豆大島方言集』という一冊の本をまとめています。

 

セツナイということ(『伊豆大島方言集』柳田国男著)
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セツナイということ(『伊豆大島方言集』柳田国男著)

島では、島のなかだけで言語の変化が起こるという真逆の傾向もみられます。島ゆえ、島ことばが「変」な方向に変化しやすいというわけではありませんが、一旦始まった「変」な変化が(島だと)広まりやすいのです。同じような「変」な変化が本土で芽生えたとしても、隣町の人に通じなければ、伝搬に歯止めがかかります。

「変」な変化というと、大島の方々に失礼じゃないかと思われる人がいるかもしれませんね。私の恩師、真田信治先生からは、「ことばの中の『変』を見つけろ」と教えられました。我々の研究室で取り組んでいる「言語変異(バリエーション)理論」のなかでも、真田信治先生のおっしゃられた「変」を学生に伝えながら研究を進めています。

2.「セツナイ」ということば

伊豆大島の場合、言語の古い特徴を残していることばに「セツナイ」という単語があります。1942年に出版された柳田の本で「セツナイ」は“苦しい”、“病気”という意味だとされ、「あれはシェツナイチューナー」は、“あれは病気だといふことだ”と凡例が示されています。現在では“くたびれた”という意味で使われるようです。2013年に出版された藤井伸先生の『しまことば集』では、「重い荷物をササイで(頭上運搬)シェツナイヅラナー」という例文が挙げられています。

 

セツナイということば(『しまことば集』藤井伸著)
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セツナイということば(『しまことば集』藤井伸著)

柳田が伊豆大島を最初に調査したのは1903年で、調査対象は当時の老年層、江戸時代生まれの話者たちでした。一方、藤井の本は20世紀の島ことばを集めたものです。つまり、この一世紀余りの間に「セツナイ」は“苦しい”から“くたびれた”という微妙な意味変化が起きたということなのです。現在の標準日本語での「セツナイ」はむしろ“悲しい”という意味ですが、一昔前までは本土においても伊豆大島ことばに近い意味の"切ない"が用いられたようです。

戦国時代に日本語をアルファベット表記し、ポルトガル語に翻訳した「日葡辞書」では、「セツナイ」は“どうにもならない状態”という意味でXetnaiという単語が載っています。私が伊豆大島に行って「変」に思った「セツナイ」という単語には、日本語の古い意味がしっかりと生き残っていたわけです。

キーワード

言語の変化 / しまことば / 藤井伸 / 方言 / 柳田国男