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知覚・認知の視点から運動をひも解く 樋口貴広(知覚運動制御研究室)

セラピスト向け情報発信ページ

#625 視線行動を臨床評価に生かそうとする試み(Oyama et al. 2019, ほか)


視線行動を測定することで,簡便に臨床評価を行おうとする試みがなされています。今回は2019年に発表された2つの研究事例を紹介します。

1. 高齢者の認知機能評価への応用(Oyama et al. 2019)

Oyama A et al. Novel method for rapid assessment of cognitive impairment using high-performance eye-tracking technology. Sci Rep 12932, 2019

一般に高齢者の認知機能検査では,MMSE(Mini-Mental State Examination)などの評定尺度が用いられます。こうした尺度それ自体の信頼性は,比較的多くの研究で高く評価されています。しかし実際の運用としては,評定に時間がかかること(10-20分程度か)や,評定者の評価スキルが影響しうるといった問題もあります。そこで著者らは,高次認知機能を評価する課題をコンピュータディスプレイ上に投影し,正しい回答を注視している時間から参加者の回答をすることで,MMSEよりもかなり短い時間(約3分)で認知機能を評価できることを示しました。

認知課題は,推論,ワーキングメモリー,注意,想起能力を評価できる内容になっていました。80名の高齢者(認知症の疑いがある高齢者を含む)を対象とした実験の結果,MMSEの結果と視線行動に基づく評価には高い相関があることが確認されました。

2.アルツハイマー病の初期症状と対応する視線行動(Wlicockson et al. 2019)

Wilcockson TDW et al. Abnormalities of saccadic eye movements in dementia due to Alzheimer's disease and mild cognitive impairment. Aging 11, 5389-5398, 2019

こちらの研究では,アルツハイマー病患者の初期症状として時折観察・認知されるものの,伝統的な評価の中では拾い上げることができていなかった視線行動に着目しています。

アルツハイマー病の初期症状の1つに,抑制機能の低下があります。例えばAnti-saccade 課題(2つの選択肢のうち,自動的に注意を惹く刺激に対する注意を抑制し,逆の選択肢の方に視線を向ける課題)においては,アルツハイマー病患者は顕著に成績が低下すると指摘されています。

著者らは,こうした課題がAnti-saccade 課題が苦手である一つの要因には,眼球運動の障害もあるだろうと考え,臨床評価への応用を考えました。というのも,軽度認知障がい者(MCI者)の中でも,アルツハイマー病との関連性が特に疑われる健忘型MCI者では,前頭眼野の活動が抑制されているなど,眼球運動の機能に影響する障害が認められているからです。

著者らは健忘型MCI者と非健忘型MCI者を,Anti-saccade 課題(刺激が出た方と逆方向に視線を移す)の成績や眼球運動特性で識別できるかを検討しました。その結果,ターゲットへ視線が動くまでに要する時間(anti-saccade latency)は,アルツハイマー型の認知症者や健忘型のMCI者において,非健忘型MCI者よりも有意に遅くなることを確認しました。こうした性質を利用すれば,健忘型と非健忘型のMCI者を眼球運動で判別できる可能性があります。

3.雑感

いずれの研究も,視線行動を用いることで簡便な臨床評価を可能にしうることを示しており,大変有意義な研究です。Wilcockson氏らと同様,日常の臨床評価において,視線行動に対する違和感を感じることも,ゼロではないと思います。そんな違和感を数値的に評価できれば,これらの研究のように学術的にも臨床的に価値があります。

こうした成功例とは対比的に,歩行中の視線行動の評価は必ずしも簡単ではありません。というのも,歩行中は常に頭部が動くため,視線位置を示す映像から対象者がどこを見ているのかについて,瞬時に数値化することが困難だからです。歩行中の視線行動を臨床評価に用いるには,こうした点について何らかの突破口を持つ必要があると考えています。


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