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知覚・認知の視点から運動をひも解く 樋口貴広(知覚運動制御研究室)

セラピスト向け情報発信ページ

#624 バーチャルリアリティを運動学習に利用する場合の懸念:実環境と異なる知覚情報処理(Harris 2019)


今回ご紹介する論文は,バーチャルリアリティ(VR)をリハビリテーションなどの運動学習に応用したい人には必見の論文です。

Harris DJ et al. Virtually the same? How impaired sensory information in virtual reality may disrupt vision for action. Exp Brain Res 237, 2761-2766, 2019

この論文でHarris氏らが概説したのは,VR空間では,実環境下の運動制御に求められる重要な知覚情報が得られない(impaired sensory information)ということです。論文では,主として2つの情報の欠落について重点的に解説されています。

1つは奥行き情報です。例えばヘッドマウントディスプレイを用いた場合,私たちの主観としては奥行きのある空間が広がっていますが,実際には眼に近い場所に映像が投影されています。このため,本来ならば奥行き情報の知覚に有益な,両眼での輻輳解散運動などで得られる奥行き情報がVR利用できず,単眼での奥行き情報処理などに情報源をシフトさせることになります。

通常実環境における視覚運動制御では,脳の背側経路(dorsal pathway)が重要な役割を占めます。しかし先行研究において,単眼視を中心とする制御の場合,物体の認知に関わる脳の腹側経路(ventral pathway)の関与が高くなることが指摘されています。このことからHarris氏らは,VR空間でも腹側経路中心の視覚運動制御がおこなわれ,実空間での制御とは異なるのではないかと指摘しています。

もう一つの情報の欠落は,体性感覚(haptic information)です。例えば物体に対するリーチング動作では,最終的に物体をつかむ際の接触情報が,動作の実行や修正に有益です。しかしVR空間の場合,たとえ振動等の装置を付加したとしても,実環境の接触とは異なるものとなります。リアルな体性感覚情報が欠落すると,やはり運動の制御に対する背側経路の関与が大きくなるという指摘があります。よってHarris氏らはここでも,VR空間の特性が実空間との制御の違いを引き出してしまう可能性があると指摘しています。

こうした指摘に基づけば,実空間とVR空間では,見かけ上は同じ動作でも,異なる脳の情報処理に基づく実行されている可能性があります。こうなると,両者の間での運動学習の転移には限界があるかも知れないということを,議論する必要があります。VRを運動学習に利用とする考えは,昨今隆盛を極めていますので,こうした視点からの議論は大変有用です。


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