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知覚・認知の視点から運動をひも解く 樋口貴広(知覚運動制御研究室)

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#596 高次認知機能のトレーニングは可能か:ワーキングメモリトレーニングに関するレビュー(坪見他,2019)

高次認知機能を効果的に向上させる方法はあるのでしょうか。今回ご紹介する論文では,ワーキングメモリの機能向上を目的とした研究をレビューしています。認知症の高齢者や学習障害の児童などのリハビリテーションを考える上で有用な論文です。

坪見博之,ワーキングメモリトレーニングと流動性知能.心理学研究 90, 308-326, 2019

私たちは様々な努力により,自身の知能を伸ばそうと試みます。しかし基礎研究の成果に基づけば,努力して覚えた知識や,その知識獲得に関する能力の向上は期待できるものの,それが知能全般の向上に波及するというのは難しいようです。そこで,高次認知機能の中でも,できるだけ広範な問題に関わる機能に着目し,トレーニングするのが生産的ではないかという流れが生まれました。こうした中でピックアップされたのが,ワーキングメモリの機能です。

ワーキングメモリの機能は,おおざっぱに言えば情報の保持と処理に関わります。ワーキングメモリの機能を評価する課題として,例えばN-back課題と呼ばれる課題があります(N-back課題の詳細は他に譲ります)。N-back課題の成績と知能検査の成績に関連性が見られることもあり,ワーキングメモリの機能がトレーニングできるかという話題には注目が集まりました。

坪見氏はワーキングメモリトレーニングに関するシステマティックレビューの検討を中心に,その効果を検討しました。その結果,現状では,ワーキングメモリトレーニングの効果は限定的といわざるを得ない状況です。トレーニングの効果を報告した研究においても,ワーキングメモリに関する課題の成績には波及しても(近転移),それ以外の高次認知機能に対する波及を報告したもの(遠転移)は多くないということでした。

こうした現状に対して,坪見氏は2つの解釈を提示しています。第1の解釈は,ワーキングメモリとそれ以外の高次認知機能には,関連性はあっても因果的な関係はないという解釈です。坪見氏らの例を借りれば,「身長と体重には関連がある。でも,体重が増えたからといって身長が伸びるわけではない」というのと同じように,あくまで両者は関連性のレベルにとどまるのではないか,という解釈です。第2の解釈は,トレーニングによって身に着けたのは,課題を効率よく解決する方法(ストラテジートレーニング)であって,能力そのものを向上する方法(コアトレーニング)ではなかった,という解釈です。

論文では最後に,高次認知機能を高める方法はあるのかということについて議論しています。ご関心がある方はぜひ論文をご覧ください。

その中の1つの議論として,ワーキングメモリの能力を高める方法について言及があり,私個人はここに深く関心を持ちました。坪見氏らは,別の能力との協働性に着目してはどうかと述べています。例えば,長期記憶に残された情報を使う場合,そうでない新規な言葉に比べて,ワーキングメモリの成績が良くなります。つまり,長期記憶にある情報を使えば,ワーキングメモリのリソース消費を抑えることができます。このように,ワーキングメモリの能力自体が上がらなくても,処理の効率性をあげる努力はできるため,そうしたことにつながるトレーニングに検討の価値がありそうです。


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