セラピストにむけた情報発信



痛みの発生機序となる脳内の知覚運動ループの破たん:
住谷昌彦氏の発想



2010年11月9日

痛みの問題は多くの人たちの日常生活に密着した問題であるため,痛みを改善するための治療法については,多くの専門家たちが様々な観点から研究をしています.

東京大学医学部の麻酔科医,住谷昌彦氏は,幻肢痛や複合性局所疼痛症候群(Complex Regional Pain Syndrome, CRPS)の発生機序として,脳内において知覚系と運動系が情報交換をする過程―知覚運動ループ―の異常があると仮定し,その過程に基づく治療法を臨床にて実践し,目覚ましい成果を遂げています.

住谷氏の研究成果は多岐にわたりますが,今回は幻肢痛(切断されて実際には存在しない四肢や,あるいは脊髄損傷などにより麻痺した腕に対して余剰に存在するように感じる腕に感じる痛み)を中心に,疼痛治療に関する概要を示した総説をご紹介いたします.

住谷昌彦他 幻肢痛の脳内メカニズム.日本ペインクリニック学会誌 17; 1-10, 2010

住谷氏が述べる知覚運動ループとは,身体運動の際に,脳内において運動指令に基づく予測情報(efference copy)と実際の運動に関するフィードバック情報とが比較され,新たな運動指令が準備されるという一連のループ過程のことを指しています.

四肢切断後は,何らかの偶発的理由で切断四肢に対して運動指令が出ても,実際の運動がおきないため,感覚情報が脳内にフィードバックされません.このような状況は四肢切断に限らず,脳卒中や脊髄損傷後に身体に麻痺がおこった場合でも生じます.

どうやら脳は,感覚情報がフィードバックされずに知覚運動ループが破たんしている状況を,広義の身体的異常と捉え,痛みという警告のシグナルを出しているようです.

このような異常がもたらす痛みを除去するためには,知覚運動ループをもとの状態に戻してあげる必要があります.四肢切断患者の場合,実際の運動はできませんので,別の方法で感覚情報をフィードバックさせる必要があります.その方法として知られるのが,Ramachandranが最初に提唱した,鏡療法(ミラーセラピー)です.

鏡療法では,健側肢の動きを鏡に映して視覚的にフィードバックすることで,あたかも切断四肢が実在して,健側肢と左右対称に動いているかのような錯覚を生みだします.こうした訓練を繰り返すことにより,存在しない腕を動かせるような実感を生み出すことができたとき,幻肢痛が徐々に改善するとのことです.

住谷氏はこの鏡療法を様々な疼痛患者に適用した結果,50%程度の疼痛緩和が見られる患者が確かにいることを確認しています.しかし,鏡療法全ての疼痛患者に有効というわけではありませんでした.概して,固有需要感覚的な痛み(例,ねじれるような痛み)には有効ですが,皮膚感覚的な痛み(例,ナイフで刺されるような痛み)には有効ではないとのことです.痛みの種類に基づく効果の違いについては,皮膚感覚的痛みについて運動指令が関与しないことを考えれば,納得できます.

さらに住谷氏は,鏡療法を超える療法としてロボットスーツを開発し,視覚情報に加えて体性感覚情報をフィードバックできるシステムの治療効果を開発中とのことです.理論的には,視覚情報のみをフィードバックする鏡療法よりも,知覚運動ループに寄与する感覚情報が増えるため,その効果は高いと期待されます.今後の研究成果が楽しみです.

知覚系と運動系の相互作用の観点から,痛みという身体に関わる問題を扱うという発想は,拙著「身体運動学―知覚・認知からのメッセージ―」における,「知覚・認知系と運動系の不可分性・互恵性」という発想とも相通じるものであります.その目覚ましい成果を見るにつけ,大いに刺激を受けます.



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