日本建築学会関東支部・地震被害調査連絡会主催 第2回東京を歩く会

2009年11月3日(火曜日) 午後2時から4時10分まで

場所:東京都墨田区横網町公園、石原一丁目 

参加者:東京大学、首都大学東京、芝浦工業大学、東京工業大学、宇都宮大学、千葉大学から計15名

関東大地震(1923)で激震に見舞われ、地震後に発生した火災旋風によって44000人もの方が亡くなった陸軍被服廠跡地を中心に歩き、往時を偲ぶ。ちなみにこの地は、武村マップ(武村雅之著「関東大震災」、鹿島出版会、2003年)によると震度6強となっている。

 陸軍被服廠跡地は現在、東京都立横網町公園(住所:東京都墨田区横網2-3)になっており、公園内に東京都慰霊堂(旧震災記念堂)と震災復興記念館とが建てられている。

 なお横網町公園の北端には、K-netの観測点が設けられている。

東京都慰霊堂(旧震災記念堂)
 竣工:1930年(昭和5年)

 設計:伊東忠太
 施工:戸田組
 構造:鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て
基本は和風であろうが、正面には唐破風がついていたり、この写真の奥に写っている三重塔はどうも中国風であったり、といろんな様式が折衷されている。

震災復興記念館に展示されていた関東大地震の地震波記録
 東京帝国大学理学部地震学教室の今村式強震計によって計測された記録だそうです。

震災復興記念館
 竣工:1931年(昭和6年)4月

 設計:伊東忠太、佐野利器
 施工:戸田組
 構造:鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て
妻入りの入口の上には、四頭の怪獣のガーゴイルが載っている。いかにも伊東忠太らしい。仕上げはこの当時流行ったスクラッチ・タイルである。

K-netの観測点(金網の中の白い箱)
 公園の片隅の、落ち葉集めの木枠の脇にありました。
3チームに分かれて初動調査の練習開始
 千葉大学チームと入江康隆先生
震災と戦災とによって区画整理されているように思えましたが、結構細い路地があって、建物も乱雑に建てられていました。これは街割りの中央に残っていた徳之山稲荷神社の入り口です。ここに日本左衛門の首洗いの井戸があったそうです。恐ろしや〜

この日は祭日でしたが、前日に木枯らし一号が吹き抜け、とても寒い一日でした。でも、きれいに晴れ上がって、絶好の行楽?日和となりました。参加下さった方々に御礼申し上げます。

宇都宮大学・入江康隆先生から、集合写真をいただきましたので掲載します(20091110追加)。

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