トップページ > 北山研ヒストリー> 北山研での研究:2006年

 この年、芝浦工業大学・岸田慎司助教授の最初の教え子である中沼弘貴くんが大学院に進学して来た。彼はときどき頓珍漢なことを言うけれど、なにをするにしても楽しそうに全力投球するナイス・ガイであることがこのあと追々分かってくる。また卒論生だった宮崎裕ノ介くんが大学院に進学したので、久しぶりに大学院生をそれも複数迎え入れることになり、とても嬉しかった。

 卒論生だった永作智也くんは大学院では芳村学先生の研究室に進学した。以前に西川孝夫先生の卒論生(吉田格英くんのこと)を大学院生に迎えたことはあったが、我が社から他社に転出したひとは彼が初めてだったように思う。まあ、いつも書いているように来る者は拒まず、去る者は追わずであるから、その理由を問うことはなかった。

 卒論生には相変わらず人気がなくて、我が社を第一志望とした学生さんはいなかったように思う。幸いにも我が社に定着してくれた林秀樹くんのほかに、滝本くんと奥村くんの二名も配属になった。しかしこの二人は途中でドロップ・アウトしていなくなってしまったのは残念であった。彼らは今、どうしているのだろうか。岸田研究室からは松川雅洋くんが卒論研究のためにやって来た。松川くんは中沼くんをチーフとする連層鉄骨ブレース実験に林くんとともに参加してくれた。

 後述するように2006年度は実験上の大きな事故が二件続いて起きた年でもあった。幸い怪我をした学生さんはいなかったが、実験では何が起きるか分からないということを改めて認識するとともに、実験室での安全確保がなによりも大切であることを身にしみて実感したのである。

 大学院の建築学専攻では、目玉として準備してきたプロジェクト研究コースがスタートした。ちなみにプロジェクト研究コースとは、複数の研究分野を横断して現在の都市や建築が抱える複雑な問題を把握し解決できる実践的な能力の養成を目的とする。大学院生は従来のような個別の研究室に所属するのではなく、プロジェクト研究室に常駐し、研究課題ごとに複数担当教員による集団指導を受けるのが特徴である。それまで携わってきた文科省COEプログラムの経験が大いに役立ったことは言うまでもない。

 その記念すべき最初のプロジェクトはCOEプログラムの経験を活かして「既存学校建物の用途転換・改修設計プロジェクト」と題して、上野淳教授(建築計画)、角田誠准教授(建築生産、ストック活用)および私を担当者として始まった。とは言え、このコースに所属したのは武蔵工業大学から進学した足立理恵さんひとりであった。先生が三名いるのに学生さんは唯ひとりなので、こんなに贅沢なコースはないと思ったものである。

 足立さんはもともとデザイン志望の学生さんであったが、進学したプロジェクト研究コースの趣旨をよく理解して、耐震補強についての勉強も嫌がらずにやってくれた。私が委員を務めていた東京都防災建築街づくりセンターの耐震判定委員会の部会にもオブザーバーとして参加して、学校建物の耐震診断・耐震補強の実務の様子を理解する一助としてもらったりもした。

 このプロジェクト研究コースの発足と同時に大学院科目として「プロジェクト演習」が新設されて、当時は修士一年生の必修科目に設定された。そこで私も耐震診断や耐震補強についての講義を行った。また非常勤講師としてリファイン建築家の青木茂さんに講演を行ってもらうと同時に、授業後半の設計演習の発表会で講評をお願いした。

 その設計演習では学生さんたちを四、五人のグループに分けて、多摩市に実在する廃校になった校舎の再生に関する提案・設計に取り組んでもらった。各グループにはデザイン系、構造系および環境系の学生さんを分散して配置したのが実際のプロジェクトっぽくてよかったと思う。構造系の学生諸君は当該建物の耐震診断をやってみたり、ユニークな耐震補強方法を考えたりしてくれて、とても面白かった記憶がある。以下に足立・宮崎チームと中沼チームの作品を載せておく。

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 なお2006年3月末をもって、御大・西川孝夫先生がめでたく定年退職された。思い返せば西川先生に東京都立大学に呼んでいただいて以来いろいろあったが、基本的にはいつも助けていただいて来た。西川先生を研究代表者として、研究内容は我が社のテーマそのものである科学研究費補助金もいくつかゲットできた。好きに研究できたのも大先輩である西川先生のお陰であると、日々感謝しているのである(って、ちょっと大袈裟に書いていますけど,,,)。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:13WCEE/Vancouver/2004:IMG_0019.JPG
写真 2004年の13WCEE (Vancouver)にて 西川孝夫先生と北山研のパネルの前で

 2006年度のスタッフは以下の通りである。

COE研究員 森田 真司(もりた しんじ)
D2 田島 祐之(たじま ゆうじ)
M2 在籍せず
M1 中沼 弘貴(なかぬま ひろき)
   宮崎裕ノ介(みやざき ひろのすけ)
   足立 理恵(あだち りえ、プロジェクト研究コース所属)
卒論 林  秀樹(はやし ひでき)
   松川 雅洋(まつかわ まさひろ、芝浦工大・岸田研究室所属)


1. 耐震構造の歴史を考える

 ときどき書いているが、我が社では鉄筋コンクリート構造や耐震構造の発展の歴史を研究テーマのひとつに掲げている。もちろん本職の山田幸正先生には比すべくまでもないが、建築史の研究者のなかには技術の歴史を専門としている方は比較的少ない。なによりも耐震構造を専門としている研究者にこそ、その価値が理解できる出来事とか歴史とかがあるのではなかろうか(もっと言えば本職とは視点が異なるだろう)、と思うからでもある。それならば、私のように耐震構造を専門とする者がちょっとばかりしゃしゃり出ていっても、まあいっか(というか、その筋のソサイエティには知られてないだろう)くらいの認識である。

 研究ノートを見ると2006年2月末に、山田幸正先生とRC構造や耐震設計法の発展について議論したときのメモが残っている。そのとき山田先生は彼が携わっている近代建築の保存と再生について話して下さった。特に昭和初期のRC建物はどんどん解体されており、それらの歴史遺産を耐震補強して使い続けながら保存することの必要性を訴えておられた。

 その一例が以下の写真の三信ビル(東京・大手町)である。設計は横河工務所(横河民輔がつくった事務所)で1929年(昭和4年)竣工のSRC建物である。写真左手の垂直ラインが強調されたファサードを見ると、同じ横河工務所設計の交詢ビルディングとよく似ていることに気がつくと思う。しかし残念ながら三信ビルはこの写真を撮影したあと、まもなくしてあえなく解体されてしまった。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:三信ビル:CIMG0676.JPG 

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:三信ビル:CIMG0672.JPG

 こうして耐震構造の発展に関する研究をやってみようという考えが段々と私の頭の中で醸成されていった。そのとき遠藤於菟の三井物産一号館や横浜生糸検査所のことも思い浮かんだのだが、それを卒論のテーマとして取り組む学生さんがあらわれるのはまだ少し先であった。


2. 連層鉄骨ブレースで耐震補強した平面RC骨組の三方向載荷実験

 2005年度に採択された科学研究費補助金・基盤研究Cによる研究では、2006年度に連層鉄骨ブレースで補強された平面RC骨組に面外力を加えて三方向に静的載荷する実験を実施する計画になっていた。これによって面外曲げが同時に作用するときの連層鉄骨ブレースの力学挙動を把握しようと考えた。

 この実験の担当を誰にお願いしようかと考えたが修士課程の大学院生は二人しかいないうえに、宮崎くんは体調がおもわしくなかったので、対象は自ずからひとりに絞られた。こうして我が社に来たばかりの中沼弘貴くんにチーフをお願いし、卒論生の林秀樹くんと松川雅洋くん(芝浦工大・岸田研究室)を担当としてつけることになった。何も分からないであろう中沼くんに主担当者をお願いするのは不安であったし、大丈夫かなあと案じたのだが、その予感の半分は的中して半分ははずれることになる。

 さて、試験体の形状や寸法は科研費による第一期の実験研究(加藤弘行さん実施)のときに用いたものと同じにした。これはそのときに作製した載荷治具等を再利用できるからである。しかしこのときには面内方向の水平力しか載荷しなかったので、これに面外加力するためにはどうすればよいかを延々と考えることになった。もちろんアイディアはいくらでも湧いてくるが、それを実現するための先立つものが不如意であったからこそ悩んだのである。

 結局、面外加力のジャッキは左右の独立柱に一本づつ、中央の連層鉄骨ブレースを含む単位架構に一本の計三本を取り付けることにした(写真1)。しかし押し引きできる串形ジャッキは容量が100tonfのものが六本あるが、それでは一本不足する。水平面内加力用に二本、軸力加力用に三本が必要で、この五本のうち四本には容量100tonfの押し引きジャッキを使うことになっていたからである。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:DSC_0002.JPG
写真1 2層3スパンの平面骨組試験体に加力装置をセットしたところ 手前上部から試験体に接続しているのが面外加力用の三基のジャッキ

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:DSC_0009.JPG
写真2 面外加力用と面内加力用のジャッキの交差部 中央奥には軸力加力用の鉛直ジャッキも見える こんなアクロバティックな実験、見たことない!

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:DSC_0010.JPG
写真3 面外加力用(水平)と軸力加力用(鉛直)のジャッキの様子

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:CANONのデジカメ:IMG_0112.JPG
写真4 面外加力用ジャッキを取り付けるM1・中沼くん(左)とB4・林くん(右)

 同一仕様の押し引きジャッキが六本もあるなんて常々恵まれていると思っていたが、それでも不足する事態になるとは正直思わなかった。しかしさらに一本買い増すようなお金はない。手元にないならばどこかにないか、捜すことにした。

 そうして、随分昔に機械・建築実験棟を大掃除したときに、古ぼけたジャッキをヤードの物置に仕舞ったことを思い出したのである。それは50tonfジャッキだったが、多分、故・遠藤利根穂先生が駒沢キャンパス時代にお使いになっていたものだろう。いずれにせよ、これを引張り出して使うことにした。

 ただあまりにも古そうなので、オーバーホール点検を依頼した。またそのジャッキに付いていたロード・セルも正しい数値を出力するか不安だったので、中沼くんに頼んで検定を実施してもらった。ロードセルを100tonf試験機にはさんで、その出力と試験機のそれとを比較して、精度を検証したのである。

 さらにその面外載荷用のジャッキ三本の先端に各々ユニバーサル・ジョイントを付けることにした(写真5)。そのユニバーサル・ジョイント三基はオックス・ジャッキ株式会社に依頼して新たに作製した。いつもながら新しい実験をするにはなにかと物入りではある。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:CANONのデジカメ:IMG_0134.JPG
写真5 面外加力用ジャッキの先端に取り付けたユニバーサル・ジョイント

 このような加力方式を決めてから、いよいよ試験体を製作した。これをアシス株式会社に依頼して、2006年8月30日に無事コンクリートを打設した。下の写真は鋼製型枠に配筋が済んだ鉄筋カゴをセットして、それを建て起こしたところと、屋外ヤードに移動して再度寝かせてコンクリートを打設しているところである。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:連層ブレース試験体製作2006-中沼:2006.8.28試験体作成:試験体 移動F.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:連層ブレース試験体製作2006-中沼:2006.8.30コンクリート打ち:コンクリート打設J.JPG
写真6 試験体作製

 試験体は9月25日に大型実験棟に搬入した。それから載荷装置を組み立てて(って一言でいうほど簡単ではなかったが,,,)試験体を据え付けてから、変位計の取り付け、ひずみゲージの結線等を行った。そうして10月中旬に加力しようとしたが、どういう訳か100tonfジャッキが動かない。数日してジャッキを引くようにポンプを動かしたらシリンダーが動いたため、今度は押しにして圧力を加えると、押し側も動き始めた。その理由は分からなかったのだが、とりあえずは加力できるようになった。だが後になって考えると、これがケチのつけ始めだったのである。

 そして11月1日、大トラブルが出来した。その日は手始めに柱に圧縮軸力を載荷しようということになり、軸力をかけるくらいなら私がいなくても大丈夫だろうと油断したのがいけなかった。そのとき私は建築学会の委員会に出席するため学外にいたのだが、中沼くんから携帯メールが来た。見ると、試験体が壊れました、とアッサリ書いてあった。そのときの私の驚愕を想像して欲しい。事情が分からない(って、当たり前だが)私は、怪我人がいないことを確認してから、とにかく試験体の写真を携帯メールに添付して送るように言いつけた。

 で、その送られて来た写真を見て、またもや驚いた。鉄筋コンクリート柱が面外に倒れかかっているではないか。どうやったらこんな風に壊れるのか。最初に考えたのは面外方向に取り付けたジャッキが暴走して、試験体に面外載荷したのではないか、ということであった。しかしよくよく見ると、長柱の面外座屈のように見えた。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:DSC_0022.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:DSC_0026.JPG
写真7 事故直後の柱の様子

 翌日、大型構造物実験棟に行って中沼くんの話しを聞きながら、なにが起こったのかを検証した。彼が言うには、柱には20kNの圧縮軸力を与えたとのことだったが、まずそれが怪しかった。幸い、柱主筋に添付したひずみゲージの出力が記録されていたのでそれから柱に作用した軸力を算定したところ、なんと500kNを超えているではないか! うーん、これはますます怪しい。

 そこで現場でスイッチ・ボックスとか、データ・ロギング用ソフトウエアの入力データとかを細かに検証したところ、ロード・セルのセンサ・モードが間違っていた上に、ロード・セルからの出力に乗じる係数が実際の約1/20になっていたのである。すなわち本人は微少な圧縮軸力を加えた積もりだったが現実には過大な軸力が作用したことが判明した。これじゃあ長柱が座屈するわけである。

 恥ずかしながら初歩的なミスであることが判明した。もちろん、事前に入力データをちゃんとチェックしなかった私が悪いのである。後悔先に立たずとはまさにこのことである。だが、大枚をはたいて作製した試験体はこれ一体こっきりである。そこで次のミッションは、この試験体を如何に復旧して実験を再開するか、ということになった。

 そこでコンクリートのひび割れや圧壊などの損傷状況や、鉄筋のひずみを詳細に調べるとともに、試験体の各部がどのように変形しているかを把握した。その結果、左右の独立柱に圧縮軸力を作用させるのは止めにして、面外方向には引張り載荷だけを行うことによって実験を続けられると判断した。

 こうして11月14日に実験を再開した。とても不安だったので、今度はできるだけ私も実験棟に陣取って、ともに実験を見守ることにした(そのときのメモがノートにたくさん残っている)。そうして紆余曲折の末、ときに2006年11月18日(土曜日)の午後7時、層間変形角4%の押し切り加力によって実験を終了した。ただこのときは土曜日だったせいだろうか、実験室にいたのは中沼くんと私との二人だけであった。そのときに撮った記念写真を以下に載せておこう。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:CANONのデジカメ:IMG_0178.JPG
写真8 実験終了後、中沼弘貴くんと記念撮影

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:DSC_0151.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:DSC_0182.JPG説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:DSC_0228.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:DSC_0207.JPG
説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:DSC_0199.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:鉄骨ブレース実験2006:DSC_0163.JPG
写真9 試験体の破壊性状

 このように実験では大失敗を仕出かした中沼くんだったが、その後わずか2ヶ月余りで「鉄骨ブレースで補強されたRC骨組の三方向外力下での復元力特性」と題するコンクリート工学年次論文を完成させて投稿にまで持ち込んだガッツは立派であった。このあたりから中沼くんの名誉挽回、起死回生の頑張りが発揮されるようになる。


3.  ある一日 〜三木と駒場と〜

 2006年9月29日金曜日、兵庫県三木にあるE-ディフェンスでの振動台実験を見学に向かった。朝の新幹線に乗ってお昼頃に新神戸駅に着いた。そこからバスに乗って約1時間、三木の実験場に着いた。言っちゃ悪いが、ものすごい田舎ではある。この日は耐震補強した実大3層の鉄筋コンクリート校舎を振動台の上に載せて揺すってみるという実験が行われることになっており、大勢の研究者が見学に訪れていた。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:淡路夢舞台&E-Defense:CIMG0044.JPG

 そこでわずか数分の振動台実験を見たのだが、さすがに耐震補強しただけあってかなり強力な地震動を入力したにも関わらず、ほとんど損傷が生じなかった記憶がある。皆さん、どんなふうに破壊するのか固唾をのんで見守っていたのだが、(本当は壊れなくて良かったね、というところだが)そんな訳だったので、がっかり感が実験場に溢れていたように思う、実験をしている人たちには気の毒であったが。

 こうして一日かけてわずか数分の実験を見て、慌ただしく東京に戻った。というのもこの日の午後6時半から、野口博先生の還暦記念祝賀会が東京・駒場で開かれることになっていたからである。会場は東京大学駒場キャンパス内のファカルティ・ハウスにあるルベ・ソン・ヴェールというレストランであった。ここは私がまだ学生だった頃には旧制一高の同窓会館の古い木造二階建てが建っていたところだと思う。

 東京駅から乗った山の手線が途中でトラブルかなにかで暫く運転を見合わせるなどということもあって、結局一時間くらい遅刻して祝賀会に参加できた。このときの寄稿文を以前にこちらに載せたのでご覧下さい。野口先生はこの日、お決まりの赤いちゃんちゃんこを着せられたりしたが、六十歳は今ではまだまだ壮年なので違和感はあったわな。













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