トップページ > 北山研ヒストリー> 北山研での研究:2005年

0. 新大学設立に対してひとこと

 この年の4月1日、都立の四大学が統合されて法人となり首都大学東京と命名された。ここに至るまではまさにいばらの道であり、どうみても歓迎されざる不幸な再出発であったと言わねばなるまい。

 東京都立大学ではわれわれ建築学科と経済系とがそれぞれ提案したCOEプログラムが採択されていたが、このうち経済系の多くの教員がこの統合および組織の改組に反対して退職したため(なんと勇気ある行動であることか、私は賞賛を惜しまなかった)、COEプログラムを文科省に返上するという前代未聞の事態に発展したのであった。

 首都大学東京という名称すら、われわれ大学の構成員が決めたものではなく、石原慎太郎東京都知事の気紛れによってお仕着せられたものに過ぎない。それ以前に東京都が都民に向けて実施した新大学名称アンケートでは東京都立大学が第一位であったにもかかわらず、である。そのため、新大学に批判的な先生たちは自分たちの大学を「首だい」(お前なんか、クビだい!)と自虐的に呼んだのであった。

 新大学は法人化されたので理事長が任命されたが、この方は都知事のお友達であった。また、新大学の初代学長もわれわれ構成員があずかり知らないうちに都知事によって任命された。もちろん都市環境学部長も誰が決めたのか、私のような末端助教授は知らなかったがとにかく天から降って来た。すなわち明治以来、我々の先輩である大学人たちが永々たる努力の末に勝ち取った「大学の自治」が新大学では一顧だにされることなく、われわれ構成員に何のアナウンスもなく葬り去られたのである。

 このような事態はいまだに(2013年2月現在)続いており、それゆえ私は今でも本学は非常事態下にあると思っている。大学の自治を取り戻し、民主主義が学内運営の原則となること、すなわち非常事態が解除されることを強く願うものである。

 私の所属する工学部建築学科は都市環境学部建築都市コースへと改組された。今までの建築学科の教員のほか、大学院のみを持つ都市研究所(東京都立大学の附置研究所)に所属する教員と都立短期大学に所属する教員とが一緒になって、新たに学部定員が60名に増やされた新しいコースが設立されたのである。しかしこのような寄せ集めの所帯には残念ながら統一的な理念などあろうはずもなく、やがて不協和音が響き出し、同床異夢であったことが白日のもとに晒されることになるのである。都市・社会系の中核をなした有力教員の多くが他大学に転出して行ったことがこのことを如実に物語っている。

 それまでの工学部は都市教養学部と都市環境学部とに解体された。それがどのような高邁な理想に基づくものだったのか、私は知らない。機械とか電気・電子の先生方は都市教養学部に移って行った。そのなかの一部の先生方は南大沢から日野キャンパスへと移籍した。今でも旧工学部を懐かしむひとは多く、このように股裂いたことの意義はどこにあったのか腑に落ちない。

 そもそも『都市教養』とはいったい何であるのか。教養に都市とか農村とかあるのだろうか。とにかくそこに人文社会や法学などの文系を始めとして数学や物理学とかの純粋理学と機械等の工学とが同居しているのである。文理融合の横断型学部であるという謳い文句を唱えるのは簡単であるが、その実は単なる雑居状態ではなかったか。理念なき野合と言われても仕方がない。どう贔屓目にみても無理がある。

 さて新大学の設立と同時にそれまでの終身雇用制度ではない、年俸制および任期制という新制度が設けられた。そしてわれわれ教員に対して、どちらの大学・制度を選択するかという決断を都庁側から迫られる、という出来事があった。具体的に言うと、新大学(首都大学東京)に移る人には年俸制および任期制という新制度を適用するのに対して、旧大学(例えば東京都立大学)に残る人は終身雇用という旧制度のままだが昇級・昇任ともに認めない、というものであった。

 なんと残酷な踏み絵であったことか。上述の文章をお読みいただければ分かるが、私は新大学設立の経緯とそのあり方について強い疑問を抱いている。そのため当初私はこの踏み絵を踏むことに躊躇した。唯々諾々として当局の不実に従うことは、あまりにも不甲斐ないし情けない。そのように考えてしばらくは抵抗したが、兵糧攻めにあってはそう長くは続かなかった。結局は白旗を掲げて新制度を受け入れたのである。しかし何度もいうが(まあ負け犬の遠吠えととられてもしょうがないが)、そのようなお上のやり方に対して強く異議申し立てをしたいし、納得もできないのである。

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 2005年3月末日をもって岸田慎司助手が芝浦工業大学へと栄転したので、この4月からは助手さんもいなくなった。修士課程の大学院生も不在である。しかし森田真司さんがCOE研究員として引き続き研究室に在籍し、田島祐之さんが大学院博士課程に入学したのでだいぶ助かった。

 卒論生としてA類の永作智也くん、B類の木藤明義くんおよび宮崎裕ノ介くんの計三名が入ってくれた。2004年度は四名しかいなかったから、これでも増えたわけである。お寒い状況に変わりはなかったが,,,。なお夜間部であるB類の卒論生は北山研究室にとっては彼ら二人が最後となった。

 さらに芝浦工業大学の助教授となった岸田慎司先生の研究室から、卒論生として加藤万里奈さんが北山研究室での実験研究に参加することになった。これ以降ほぼ毎年、岸田研究室から卒論生がやってくることになり、大いに助かっている。また岸田研究室から我が社の大学院に進学したひとも数名いて、貴重な戦力供給源になった。

 2005年度のスタッフは以下の通りである。

COE研究員 森田 真司(もりた しんじ)
D1 田島 祐之(たじま ゆうじ)
M2 在籍せず
M1 在籍せず
卒論 永作 智也(ながさく ともや)
   木藤 明義(きとう あきよし)
   宮崎裕ノ介(みやざき ひろのすけ)
   加藤万里奈(かとう まりな、芝浦工大・岸田研究室所属)

 この年、科学研究費補助金・基盤研究Cがやっとのことで採択された。連層鉄骨ブレースで耐震補強された鉄筋コンクリート建物が面外加力を受けた場合の挙動や、鉄骨ブレースが直交方向の下階壁抜け補強を兼ねたときの圧縮側RC柱の耐震性能を実験と解析とによって把握することを目指した研究である。研究課題名は「連層鉄骨ブレースで補強したRC建物の三方向地震力下での耐震性能評価」である。

 さらに西川孝夫先生を研究代表者とする科研費・基盤研究Bも継続されたので、研究室の人数が少ないわりには潤沢な研究費を確保でき、それらのお陰で実験研究を実施することができたのである。また後述するように市販の有限要素解析(FEM)プログラムの導入にも役立った。

 下の写真は2005年後期の設計製図2の講評の一こまである。対象学年は2年生で、課題は美術館である。真ん中に角田誠先生がデンと坐っていて(ちょっと傾いた背中姿のひと)、いかにも怖そ〜な雰囲気を醸し出している。たまには授業風景も載せてみるかな、という気まぐれです。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:設計製図講評2005:IMG_0083.JPG


1. プレストレスト鉄筋コンクリート(PRC)構造の十字形柱梁部分骨組実験

 PRC骨組の耐震性能評価に関する一連の研究のひとつである。2005年度は梁降伏が先行する平面十字形柱梁接合部試験体10体に正負交番載荷する実験を実施して、梁主筋やPC鋼棒の付着性状と復元力履歴特性との関係、曲げひび割れ幅と損傷との関係など基礎的な力学特性を調査することを目的とした。主担当者は田島祐之さんにお願いし、卒論研究として木藤明義くんと加藤万里奈さん[芝浦工大・岸田研]とが担当した。

 加力は2005年7月から開始して、9月上旬に実験は終了した。試験体は10体と多かったので、Nシリーズの担当を木藤くん、Mシリーズの担当を加藤さんとそれぞれ分けて卒業論文を執筆してもらうことにした。

 私のノートにはこのときの実験の観察メモがたくさん残っている。そのなかに、梁主筋とPC鋼材とのあいだに短い斜めひび割れが多数発生した(試験体N-2の写真参照)ことが記されていた。これは梁主筋よりも内側に配されたPC鋼材が二段筋と同じように付着劣化を生じたためだろう、とも。このことはPC鋼材に沿った付着が外側の普通鉄筋の付着の影響を受けて劣化することを示唆しており、問題はさらに複雑になることが予想されていた。

 この実験ではPC鋼材としてねじりフシの細径異形PC鋼棒(商品名はウルボン)を用いたものがあったが、これらはいずれも破断した。当時私はグラウトを施したPC鋼材の破断など聞いたことがなかったので、結構びっくりしたものである。この結果を翌2006年の建築学会大会で発表したところ、京都大学の六車煕(むぐるま ひろし)先生から、細径異形PC鋼棒は伸び性能が悪いうえにひび割れ開口部にひずみが集中して破断しやすので梁部材などには使ってはいけない、という趣旨のコメントをいただいた。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro:写真:PRC平面十字形実験・田島:試験体N-5:IMG_0129.JPG
PRC十字形部分骨組実験 左から田島さん、北山、木藤くん、加藤さん[芝浦工大・岸田研]

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro:写真:PRC平面十字形実験・田島:試験体N-1:IMG_0074.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro:写真:PRC平面十字形実験・田島:試験体N-4:IMG_0144.JPG
       試験体N-1               試験体N-4

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro:写真:PRC平面十字形実験・田島:試験体N-2:IMG_0111.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro:写真:PRC平面十字形実験・田島:試験体N-2:IMG_0123.JPG
      測定詳細                試験体N-2

 田島さんが加力しているときに、私がボール盤のコードを実験棟のコンセントに突っ込んだため、過電流が流れて実験棟北側のブレーカーが落ちてしまったことがあった。そのせいで油圧ポンプも電源オフになって試験体にかかっていた荷重も抜けてしまうというトラブルに見舞われた。よくあることとは言え、実験をやっているひとにとっては迷惑至極である(田島さん、すいません)。実験中は何をするにも注意を払わないといけない、という教訓である。

 この実験ではPC鋼材を通すためのシース管の表面にもひずみゲージを貼付して、シース管のひずみを測定した。しかしシース管というものは、非常に薄い鉄板をスパイラル状にして製造されており、シース管が引張られるとまずはその継ぎ目が引き裂かれて伸びるのではないかという懸念があった。実際のところ、測定されたひずみの履歴を見るとなかなか解釈ができそうもなく、このような懸念が現実に生じている可能性を示唆した。そういうわけでシース管表面に貼付したひずみゲージの出力は利用できなかったのである。


2. PRC構造骨組の非線形有限要素解析

 PCあるいはPRC構造の柱梁接合部パネルを含む柱梁骨組の応力伝達機構や破壊機構を詳細に検討するために、これらの部位を対象とした二次元あるいは三次元非線形有限要素(FEM)解析を実施することにして、主担当者は卒論生の宮崎裕之介くんにお願いした。

 さて使用するFEM解析プログラムであるが、それまでは千葉大学・野口博研究室で開発されたプログラムを使用させていただいていた。しかしいつまでも野口先生のご好意に甘える訳にもゆかず、プログラムを走らせる前のデータ作成や解析後のデータ整理等の後処理が複雑なこともあって、市販のプログラムを使うことにした。

 ということでいろいろ調べた結果、大林組で開発されたソフトウエア『FINAL』が良さそうということになった。こちらの開発者は長沼一洋博士で、千葉大学・野口博研究室出身のFEM解析のスペシャリストである。私が大学院生の頃に初めてFEM解析に取り組んだときに最初に読んだ文献が、なにを隠そう長沼さんの修士論文とその付録であった。その後、私が千葉大学・野口研究室の助手となったこともあって、長沼さんとは懇意であった。

 そういう縁があったので、5月の連休明けに大林組技研においでの長沼さんに相談した。すると、共同研究という形をとれば『FINAL』を無償で提供することも可能だが、できればレンタルして欲しいと要請された。確かに膨大な費用と時間と能力とを費やして開発された優秀なプログラムをタダで使おうというのは幾らなんでも虫がよすぎるし、なによりも長沼さんには(長沼さんはご存じないが)上述のようにお世話になっていた。前述のように研究費が比較的潤沢だったこともあり、一年間のレンタル(費用は315,000円で、これでももちろんアカデミック価格)をお願いして、『FINAL』を使い始めたのであった。

 こうしてFEM解析プログラムは整備されたが、だからといって直ぐに使えるようにはならない。研究室のパソコンにインストールしてサンプル・プログラムが動くようになったのが7月末である。いきなり柱梁部分骨組のような複雑なモデルを解くのは大変なので、かつて吉田格英さんが実験したRC柱を解いてみることにした。その結果が出てきたのが10月半ばである。

 これが一応うまく解けたので、いよいよ十字形のPRC柱梁部分骨組の解析に取りかかった。解析対象は田島さんたちが実験した試験体N-1とした。しかしこの解析は上手くゆかなかったのだろうか、宮崎くんは結局卒論執筆を断念したのは残念であった。


3. 連層鉄骨ブレースで耐震補強したRC建物の三方向地震応答解析

 この4月に採択された科学研究費補助金・基盤研究Cによる研究の一環である。非線形骨組解析プログラム『CANNY』を用いて、連層鉄骨ブレースで耐震補強した鉄筋コンクリート建物の耐震性能評価をおこなおうというものであった。

 具体的には、2004年度の佐藤照祥氏の修士論文研究をさらに発展させて、下階壁抜け骨組を含んだ立体建物を対象として、3方向地震応答解析を試みた。担当はPDの森田真司さんと卒論生の永作智也くんとにお願いしたが、主に永作くんが解析に取り組んでくれた。なお永作くんは大学院では芳村学先生の研究室に進学した。

 さて骨組解析プログラム『CANNY』はいつも書いているとおり、大学院の頃の同級生だった李康寧さんが作った汎用ソフトウエアであり、日本では構造システムから『SNAP』という名称で市販されている。もちろん我が社では高額なソフトを買えるはずもなく、李康寧さんのご好意によって英語版の『CANNY』を無償で使わせていただいていた。

 その『CANNY』のソース・プログラムは、李康寧さんがしばしば手を加えてバージョン・アップされるので、そのたびにメールで連絡してくれる。また解析上の疑問・質問にもメールで答えてくれ、こうして欲しいという要望にも迅速に対応してくれる。で、この5月の連休明けに李康寧さんが本学においでになったので、ついでに私のところにも立ち寄っていただき、新しいVersion C05を受け取った。このときに下階壁抜けフレームのモデル化について、李康寧さんと議論できたのはきわめて有益であった。ただし永作くんの解析では下階壁抜けフレームを組み入れることはできなかった。

 このように『CANNY』がどんどん進化してゆき、我々の要望も満たされてゆくのはありがたい限りなのだが、プログラムが進歩すると旧版で作った建物データ等は使えなくなってしまうという欠点もある。さらに英語のマニュアルを苦労して読まないといけない。とくにこの年には経験のない卒論生が担当して、前年度の佐藤照祥くんの作ったデータをそのまま使って研究を進めようと考えていたので、そのあてが外れたわけである。

 さてこの解析では、RC骨組に組み込んだ鉄骨ブレースのモデル化をどのようにするかという大きな問題が常に存在する。前年度の佐藤照祥くんのモデルは鉄骨ブレースの上下にMSばねを設置して曲げ挙動を表現するもので、これは鉄骨ブレースでも耐震壁でも基本的には同じモデルとなる。それよりも昔の加藤弘行さんは、鉄骨ブレースの斜材や枠材も忠実に軸ばねに置換するモデルを用いていた。

 そこで2005年度にはもう一度加藤弘行さんのモデルのように鉄骨ブレースの斜材を表現できるモデルを作ろうと考えた。しかし結局うまくゆかず、佐藤照祥くんのMSばねモデルを踏襲することにしたのである。そこで夏のある日に佐藤照祥くんに大学まで来てもらって、建物データの引き継ぎや『CANNY』の使い方について打ち合わせをお願いした。こうして9月末頃には永作くんが佐藤照祥くんの立体建物データを新しい『CANNY』用に書き換え、10月には解析ができるようになった。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:Desktop:note20050616.jpg
    ノートの図(2005年6月16日)


4. 連層鉄骨ブレースで耐震補強した平面RC骨組に面外載荷する方法を考える

 上述の科学研究費補助金・基盤研究Cによる研究では、再び骨組実験をすることにしていた。この研究の最大のウリは、下階壁抜け柱に隣接して鉄骨ブレースを設置した立体RC骨組に水平二方向載荷する実験を実施することだった。そのような大規模な実験は誰もやったことのないものだった。

 しかしそのような未知の実験がいきなりできるはずもない。そこで手始めに平面RC骨組に面外載荷する実験を計画した。これによって面外曲げが作用するときの連層鉄骨ブレースの力学特性を調べるのである。

 平面骨組に正負交番載荷する方法は、以前に加藤弘行さんが実験したときの治具をそのまま使うことができる。では、これに面外加力するためにはどうすればよいか。これがなかなかの難題で実に半年以上に渡ってうんうん唸りながら考えることになった。途中で森田真司さんにも手伝ってもらったりした。

 予算の関係で平面骨組試験体は1体だけしか作れなかったので、連層鉄骨ブレースの破壊モードが全体曲げ破壊となるように試験体を設計することにした。これは、以前の加藤弘行さんの実験や、佐藤照祥くんおよび永作智也くんのCANNYによる骨組解析の結果などから、全体曲げ破壊のほうが浮き上がり回転破壊よりもトータルとして優れていると判断したことによる。

 こうして私の長年の夢だった実験が現実に向かってスタートしたのである。実験するのが夢だなんて、なんて夢のないヤツだなあ、なんて言わないでね。もともと私の研究人生が実験でスタートしたこともあって、私は実験が好きなのである。

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          ノートの図(2005年8月22日)


5. RC教科書(市ヶ谷出版社)の執筆を始める

 よくは覚えていないのだが、市ヶ谷出版社からRC構造の教科書を出したいので一緒に執筆して欲しいという連絡を林静雄先生(東京工業大学教授)からいただいた。林静雄先生とはJCIの研究委員会でご一緒したり、岸田慎司さんを本学の助手候補者として紹介して下さったりと、いろいろとお付き合いがあった。

 ただ、教科書を作ることの大変さは、以前に西川孝夫先生と構造力学の教科書を作るときに大いに経験していたので二の足を踏む気分であった。しかしそれをも上回る動機として、本学・構造系の授業科目・担当者の大移行計画が進みつつあったことが挙げられる。これは新大学移行にともなうカリキュラムの改変および西川孝夫先生と山崎真司先生との退職によって生じるドラスティックな変革であった。

 その一環として、それまで芳村学先生が担当していた『鉄筋コンクリート構造』という3年後期の講義科目を2007年度より私が引き継ぐことが決まっていた。ご承知のように私は鉄筋コンクリート(RC)構造を専門としているが、それまでRC構造の講義を行ったことはなかったのである。正確に言えば明治大学で非常勤講師(注1)として1999年度後期に担当した『建築構造1』で少しばかりRC構造について講義したことはあったが。

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(注1) 北山研究室の助手だった小山明男さんが明治大学に専任講師として戻ってから、狩野芳一先生が停年退職されたため、狩野先生がご担当されていた科目のひとつを講義して欲しいと小山さんから依頼された。本当のことを言うと自分のところの講義だけで精一杯だったが、このような経緯からお引き受けしたのである。ちなみによその大学で非常勤講師をやったのはこれ一回きりである。

 明治大学における『建築構造1』の授業概要は以下の通りであった。
1. 鉄筋コンクリート構造の特徴 (1)
2. 鉄筋コンクリート構造の特徴 (2)
3. 地震被害と耐震設計法の変遷
4. 新耐震設計法の概要 (1)
5. 新耐震設計法の概要 (2)
6. 新耐震設計法の概要 (3)
7. 兵庫県南部地震によるRC建物の被害例
8. これからの耐震設計法 (1)  …終局強度設計法、限界状態設計法
9. これからの耐震設計法 (2)  …靭性の確保とせん断破壊の防止
10. 既存RC建物の耐震診断 (1)
11. 既存RC建物の耐震診断 (2)
12. 建物の設計と確率
13. 期末試験

 こうして1999年度の後期の半年間、生田校舎に通うことになった。小田急線の向ケ丘遊園駅からは明治大学の教員専用スクールバスを利用した。縦に細長い教室で、前の黒板の両脇に入り口があって、遅刻してくる学生さんが出入りするので落ち着かなかった記憶がある。

 この科目は百人以上の学生さんが受講していたと思う。それだけの大人数なので、この細長い教室の前方に陣取った約1/3の学生さんは一所懸命に聞いてくれたが、真ん中の1/3はぼけーっと聞いているか寝ていたりして、後ろの1/3は私が講義していることなどお構いなしにおしゃべりしたり化粧したりしていた。このあたりの受講の様子は、少人数教育を標榜する本学の建築学科とは相当に違っていた(少なくとも本学ではおしゃべりしたり化粧したりする学生さんはいなかった)ので、私には新鮮な驚きがあった。

 最終回の授業のときに学生さんに授業評価を依頼した。自分の大学で自主的にやっていたのと同じ内容である。講義全体を通して100点満点で評価して貰ったところ、平均では80.4点であったから、まあそれなりによい出来であったと自画自賛する。いずれにせよ、私立の有名マンモス大学で教えたのはよい経験だったと思っている。

 その後、明治大学建築学科の教授として建設省建築研究所から平石久廣さんが着任したので、私はお役御免になった。よかったです。
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 こういう個人的な事情を抱えていたので、『鉄筋コンクリート構造』の講義内容(シラバス)を考えて、あわせて講義のときの教科書として使えれば一石二鳥というふうに思い直した。ちょうどいい機会、渡りに船、ということかも知れない。こうしてRC構造の教科書の執筆がスタートしたのであった。ちなみに林静雄先生が全体を統括して、個々の章については衣笠秀行先生(東京理科大学助教授・当時)、坂田弘安先生(東京工業大学助教授・当時)と私とで分担して執筆した。はじめに目次案を私が作って、それをもとにして教科書の骨格を決めていったのである。

 市ヶ谷出版社の澤崎さんは本作りに情熱を持っておいでの方で、我々も彼に引張って貰ってなんとか原稿を仕上げることが出来たし、それなりによい教科書ができたとも思っている。編集者の役割とかマネジメントの重要さというものを理解したのはこのときであったと言ってよいだろう。

 こうしてこの教科書は2006年12月末に『建築家のための鉄筋コンクリート構造』というタイトルで世に出たのである。ただし、よかれと思って名付けた「建築家のための」という前振りが初学者に対する教科書であるという本書の性格を曖昧なものとしたらしくて、澤崎さんが首を傾げるくらい売れなかった(らしい)。「よくできた本なんでがねえ〜」と彼はよく言っていた。そんなこともあって、本書はすぐに大改定してタイトルも付け直して再出版することになったのであるが、それはまたあとの話しである。

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6. 「学校コンヴァージョン・マニュアル」の執筆を始める

 文部科学省の21世紀 COEプログラムの三年めの分担研究として、上野淳、角田誠両先生と倉斗綾子、森田真司両研究員との協同で学校建物の改修についての実践的研究を継続した。このときのプロジェクト名称は『既存学校施設の現代化リモデル』で、プロジェクトの概要は「少子化,統廃合などで廃校になった学校施設を,新しい教育観に沿った現代的機能を持った学校へ改修する設計モデルを計画面,構造面,生産面から開発研究的に策定する.更に,全国的に行われている学校改修事例などを取材し,学校改修における実際の状況や課題について整理する.」というものであった。なお、このメンバーでほかにも合計六つのプロジェクトが立ち上がった。

 これは建築計画、建築生産および建築構造という異なる研究領域を横断する協同研究で(建築学内の研究分野とはいえ文理融合と言って良いだろう)、よく知った人たちと議論したり、先行する実践例を見学して意見を交換したりするのは刺激的で楽しかった。

 2005年度には横浜市立港北小学校および群馬県太田市立休泊小学校の見学に出かけた。港北小学校は耐震補強はされていなかったと思うが、教室と廊下とのあいだの間仕切り壁を撤去して、両者を一体として使用するオープン・タイプの教育スタイルを実践していた。ちなみにうちの子供が通っている小学校は新築だが、このオープン・タイプのプランである。

 さて学校の先生方にヒアリングしてみて、このオープン・タイプの教室の使い勝手には賛否があるということを知った。新しいものに積極的な先生がいるとうまく使いこなせることが多いが、その先生が移動でいなくなると従来の個室型教室のほうが使い易い、ということになって、オープン・タイプのプランは敬遠されることになるという。

 すなわち上野先生や倉斗さんのような建築計画学の研究者の研究成果としてこのプランが生まれたのだが、それが必ずしも使い手の幅広い賛同を得た訳ではなかったのである。教育の実践って、ホントに難しいものですな。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:横浜市立港北小学校2006:CIMG0572.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:横浜市立港北小学校2006:CIMG0535.JPG

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:横浜市立港北小学校2006:CIMG0543.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:横浜市立港北小学校2006:CIMG0536.JPG

 次に訪問したのは群馬県太田市立休泊小学校である。こちらはわれわれ構造界でも有名で、既存鉄筋コンクリート校舎の外側に新しく柱梁フレームを付加することによって耐震性能を向上させ、それによって生じた新たなスペースをうまく利用しながら使い勝手も大々的に改修した意欲作であった。

 ちなみにこの校舎の耐震診断および耐震補強に関する審査は文教施設協会に設置された委員会(委員長は岡田恒男先生である)で行い、私と壁谷澤寿海先生とが具体的な審査を担当したのである。既存の建物の南面に新設する鉄筋コンクリート骨組が靭性を発揮して既存校舎の耐震性能を引き上げることに貢献する、というのが設計の意図であった。だが、もう時効だろうから正直に書くが、(耐震診断基準にもとづく)数値の上では耐震性能が向上することになっているが、強度抵抗型の既存建物に対する耐震補強法としてそれほど効かないのではないかと危惧したのである。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:休泊小学校2006:CIMG0592.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:休泊小学校2006:CIMG0595.JPG

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:休泊小学校2006:CIMG0625.JPG 説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:休泊小学校2006:CIMG0630.JPG

 上の写真の白い2階建てフレームが既存建物に付加された耐震補強用デバイスである。この新設フレームによって新たに生じた空間の一部を使って1階にはランチルームが作られたが、これはあまり使われていないようであった。屋上に円筒形に飛び出している部分には、床スラブを一教室分まるまる撤去して新たに設置した螺旋階段が入っている(写真)。

 こうした実地調査による知見も反映させながら、このチームによるプロジェクトの成果を総合的に取りまとめて外部に発信するために、「学校コンヴァージョン・マニュアル」を執筆することになった。2005年度当初から角田先生や倉斗さんが目次案を作成してくれて、内容の骨子は決まったみたいだが、その執筆作業が軌道に乗ったのは翌2006年度からであった。それが最終的にまとまって『学校建築を活かす 学校の再生・改修マニュアル』と題して出版されたのは2007年8月末のことである。

 ちなみに当時の研究ノートを見ると、このマニュアルの題名として私は「生まれかわる学校建築 〜コンヴァージョンのすべて〜」とか「学校建物ルネッサンス」とかを提案したことが書かれているが、いずれも没になったわけである。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:Desktop:COE学校マニュアル表紙.jpg
写真 『学校建築を活かす 学校の再生・改修マニュアル』表紙(2007830日)


7. RC規準の改定へ向けた作業がスタート

 2005年6月に、日本建築学会の鉄筋コンクリート構造運営委員会の下に「鉄筋コンクリート構造計算規準17条改定準備WG」が設置された。主査は市之瀬敏勝先生(名古屋工業大学)、幹事はわたくしである。当初の目的はRC規準の「17条(定着)特に小梁など非耐震部材の主筋定着に関する規定に重大な問題があることが判明した」ので、17条の改定の準備をすることであった。

 このように当初は1999年版のRC規準を全体的に見直すことを目標とはしておらず、定着に関する17条だけを改善することに限定されていた。そのためWGのメンバーも7名と小所帯であった。ところがこの年の秋頃には17条の改定だけでなく、全体的に性能評価型設計法への転換も見通したいという市之瀬先生の意向もあって、翌2006年度からは「鉄筋コンクリート構造計算規準改定小委員会」を設置することが決定した。

 もともと1999年の改定が終わったあと、これからは性能評価型設計法に移行するだろうし、終局強度型設計指針や靭性保証型設計指針も使われるようになってきたので、今後はRC規準の改定・見直しを積極的に行うことはしないという、いわゆる「RC規準野垂れ死論」というのが学会での主流になっていたように思う。そのためWG発足当時はあくまでも17条だけのメンテナンスという立場だったのだろう。

 ところが、日本の建物の設計は実質的には建築基準法で決まっている許容応力度設計(と一部は保有水平耐力計算)から脱却することができず、靭性保証型設計指針なども高層建物の設計につまみ食い的に使用される程度という状況が続いていた。まあ法律で縛られているので、当たり前と言えばその通りである。

 そのような現実があって、学会だけがそれとは無関係に性能評価型設計法の新規制定に突っ走ってよいのかという議論が多分あったのだろう。最先端を行く、理想的な設計法を作ったところで社会では使ってもらえない、すなわち学会は裸の王様である、という危惧にたいする危機意識が台頭し、それに賛同するひとが増えたのだと思う。

 多分このような経緯の末に、世の中で実質的なスタンダードとして使われているRC規準を改定して発展させてゆくことが学会の使命である、ということになった。こうしてRC規準の全面的な改定に向けての作業が始まったが、そのいばらの道をたどった末に成果が結実したのは2010年2月であった。じつに五年以上の歳月を費やしたのである。

説明: Macintosh HD:Users:KitayamaKazuhiro_2:写真:市之瀬研実験2006:CIMG0758.JPG
 写真 市之瀬研究室での実験見学(20067月)

 上の写真は、2006年7月に名古屋工業大学・市之瀬研究室でRC規準改定小委員会を開催したときに市之瀬研究室で実施した、RC小梁主筋を大梁に定着させた実験の見学風景である。ビッグ・ネームがたくさん写っている(右手前は壁谷澤寿海先生)。でもよく見ると、この実験からわずか七年のあいだに無念にも鬼籍に入った方がいて、人生の儚さを如実に感じたのである。







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