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フランス短期留学記

リヨン短期留学記(2014年夏) 鈴木麻純(フランス語圏文化論3年)



 今年の夏は、フランスのリヨンという街で過ごした。語学学校に通い、フランス人の家庭で一緒に生活する。目的は語学の向上と、旅行とはまた違う、その土地に「住む」という体験をすることだった。滞在中に向こうで書いた日記数日分と共に、リヨンでの暮らしを振り返ろうと思う。



リヨン・La Maison des Canuts(カニュの家)。カニュとはリヨン絹織物職人のことだ。「絹の都」と呼ばれるリヨンの絹織物産業の歴史や技術に触れられる博物館。


8月10日(日)
 朝7:20にパリに到着。シンガポールまでは、すっかり出来なくなっていた英語ばかり耳にしていたので、チャンギ国際空港の搭乗口の近くで「Vous êtês combiens? あなた達は何人ですか?」が聞こえてきたとき、なぜか少し安心した。TGVに乗って2時間、やっとリヨンに到着。ホームステイ先のマダムは親切で元気な人で、よく話しかけてくれる。出発前は全く想像していなかったのに、ここに来て突然心細く感じてしまってびっくりした。昼食を食べたあと、マダムとリヨンを観光。フルヴィエールの丘は眺めがよく、気持ちがよかった。20時間も飛行機に乗った後なので、さすがに今日は疲れたが、今度はゆっくりリヨンの街を散策したい。そして、観光地巡りだけで終わるのではなく、「旅行」とは違う、その土地に「住む」ことの意味を見つけられる2ヶ月にしたい。あと、本屋さんで Les Fleurs du Malを見つけて嬉しくなった。気に入ったのがあったら、こっちで一つか二つ、詩集を買いたい。

8月11日(月)
 今日から学校が始まり、初回の授業があったが、クラスメイト達が話すのも聞くのも完璧で放心してしまった。授業の内容自体よりも周りのレベルの高さに驚かされた。周りの生徒達は、発言することや質問することにためらいがなさそうに見え、特にヨーロピアン達は本当によく話す。一応筆記・会話のテストを受けて入ったクラスだが、ついていけない気がしてこのままで大丈夫か心配。

8月12日(火)
 授業の後のリヨン散策では、楽しい時間を過ごした。ここにいると、誰とでも話せる。壁がなく、自由な感じ。ガイド役の先生の後についてみんなで歩く。立ち止まって説明を聞いたり、曲がり角を通ったりすると、少し列が乱れて、隣にいる人が変わる。組み合わせがくるくる変わり、その度に 「Bonjour, comment tu t’appelles? こんにちは、君の名前は?」から始まって、いろんな話をした。意外だったのが、純粋にフランス文学やフランス語を専門に勉強している人がほぼいなかったことだ。法学や建築、測地学の学生や、もう社会に出て働いている人など、普段何をしているかは様々だった。語学と勉強は、根本的に違うものなのかもしれない。


【リヨン・フルヴィエール】リヨンのフルヴィエールの丘。街を一望することができる。リヨンに到着した日に見た、思い出の風景。

【リヨン・ピクニック】語学学校の近くにある Parc de la Tête d'or という公園。ここでよく友達とピクニックをした。

8月13日(水)
 外国にいると、待ち合わせをするのも少し冷や冷やする。だから今朝、メトロの駅で友達に無事会えたときは少し安心した。その後はみんなでBellecour広場 に行き、街を歩いてから、カフェで雑談。マルタというスペイン人の女の子と、ダニエルというポーランド人の男性に漢字の話をしたら、面白がって聞いてくれた。
 そして、今日授業を受けてみて、来週から一つ下のクラスに変えてもらうことに決めた。このまま今のクラスにいるのは自分で納得がいかない。それに、フランス語を楽しめていないどころか、辛いと感じるようなら、それはなんだかもったいない気がする。一度一つ下のクラスで頑張って、自分のレベルに納得できるようになったら今のクラスに戻りたい。ただ何日か過ごして気づいたのが、多分、授業以外の場所だとそんなにみんなと変わらないレベルで話せてるんじゃないか、ということ。授業になると途端に差が出来てしまうけど…。語学力以上に性格が邪魔をして、人前で話すのが本当に難しい。

8月18日(月)
 先生に発音がとても良い、と言われて嬉しかった。ここの先生は、みんなとってもフレンドリーだ。今日は学校の外で会ったときに、「Ça va? 調子はどう?(元気?)」と話しかけられて、「Oui, ça va. Et-vous? 元気ですよ。あなたは?」と聞き返すと、にこっとしながら「vouvoyerしなくていいわよ、私に話しかけるときは“tu”って呼んで!」と言われた。サングラスをかけて煙草を吸いながら。かっこよかった。
 そしてソランジュ先生のメールの「vous savez bien qu’on fait des progrès sans s’en apercevoir. あなたもよく知っているでしょう、人は自分で気がつかないうちに成長するものです。」という言葉に励まされた。こちらに来てからも連絡をとっている先生方や先輩方の存在は、とても大きい。

8月26日(火)
 状況を変えたいなら自分で動くしかない、ということを実感した1日だった。授業が終わったあとはあんなに憂鬱だったのに、今は全然違う気持ちだ。少し不安もあるが、それ以上にすっきりしている。来週からまた環境が変わって、ここからが頑張りどころ。
 それから、カティーと話していて、正しい発音であれば速くてもほぼ聞き取れるようになっていることに気づいた。ほんの小さなことだが、変化を感じて少し嬉しくなった。

9月20日(土)
 ここ2週間くらい、最近になってようやく、緊張せずに授業中に質問したり話したり出来るようになった。語学学校の授業は本当によく出来ていると思う。GrammaireもVocabulaireも、それを「生きた言葉」として学べるような授業になっている。特にミハエラの授業はとても楽しかったし、彼女自身楽しそうに授業をしていたのが印象的だった。今のクラスはとても居心地がよくて、人前で話すのが苦手な私でも自分から発言できる。
 正直、実際に語学学校の授業を受ける前は、文法などは日本語で習うほうがわかりやすいのではないかと思っていた。でもここに来て、フランス語でフランス語を学ぶことの価値に気づいた。もちろんわからない単語はあるし、聞き取れないときもある。それでもやはり、日本語で学んでいる時とは違う、ストン、と自然に体に入ってくるような感覚がある。「理解」というよりも本当に「スッ」と体に入り込んでくるような感覚。


【アヌシー・川】最初の週末、語学学校の友人たちとアヌシーを訪れた。リヨンからTERで約2時間、スイスの首都ジュネーブの近くに位置する「水の都」で、この写真の他にも雄大で美しい湖などが印象的だった。

【アヌシー・ピクニック】自然あふれる空気の中でピクニッ ク。楽しい一時を過ごした。

【ペルージュ】“Les Plus Beaux Villages de France”(フランスで最も美しい村)の一つに認定されているペルージュ。中世の空気をそのまま閉じ込めたような小さな街で、石畳の道を歩いていると、まるでタイムスリップしたかのような感覚に包まれた。

【アヴィニョン・教皇庁】「教皇のアヴィニョン捕囚」の舞台でもある、歴史深い土地。

 ここまでが、日記の一部を抜粋したものだ。主に語学学校に関わる内容のものを抜粋したが、もちろんここに書かれたこと以外にも、様々な発見、出来事があった。

 たくさんの思い出と、フランス語と、少しだけスペイン語を覚えて帰ってきた。と言うのも、学校にはドイツ、スイス、イギリス、韓国など様々な国から様々な人がフランス語を学びに来ていたが、なかでも最も人数が多かったのがスペイン語圏から来た人々だったからだ。フランス語の次によく耳にしたのは、英語ではなくスペイン語だった。学校で昼食を食べながら、またはどこかに出かけたときに、友人たちは時折スペイン語を教えてくれる。新しい言語を知る楽しさ、そして活き活きと母語を話す彼らを見て、いつもとは違うもう一つの顔を見たような新鮮さを感じていた。そしてそんな友人たちとは、一緒に旅行に行ったり、ピクニックをしたり、時には恋人の愚痴を聞いたり。親しくなった友人が、授業中に失敗をして落ち込んでいた私を励ましてくれたこともあった。「明日からまた頑張ろう」という気持ちにさせてくれた彼をはじめとして、親切にしてくれたたくさんの友人たち、そして今思い出しても笑えるような思い出を作ってくれたたくさんの友人たちとの出会いには心から感謝している。

 状況は自分で変えられる。自分にしか変えられない、ということを身をもって感じた。
 最初に入ったのは、筆記と会話のテストを受けて入ったクラスだったが、今の自分のレベルではついていけないと感じて、クラスを一つ下げてもらった。逃げるという選択肢を選んでいるようで悩んだが、フランス語が好きだからこそ、焦燥感や劣等感のなかでフランス語を勉強したくなかった。せっかくここでフランス語を学べるのだ。会話の授業だけではない。文法も発音も文化も全部、フランスで、フランス語で学べる。そのことの貴重さに気がついたら、時間を無駄にはできなかった。そして何より、当時のレベルでその授業を受けるのは、自分自身納得がいかなかったのだ。先生に話すと「それじゃあまた今のクラスに戻りたくなったら、そのときの担当の先生に話してみなさい」と受け入れてくれたので、2週目と3週目だけ一つ下のクラスで授業を受けて、残りの4週間はまた最初のクラスに戻った。やはりレベルは高かったが、前との違いは、先生の話していることが格段に理解できるようになっていたこと、そしてそのレベルについていけるようになっていたことだ。
 何かを「学ぶ」というのは、貴重なことである。何物にも代えられないほど価値のあるものだと私は思う。そして留学とは、何かを「学ぶ」ために異国に身を置くことだ。迷った時は一度、自分の意思はどこにあるのかを考えてみる。そうすると自然と道が見えてくることもある。どのような留学にしたいのか、何を得たいのか、自分にとって大事なものは何なのか。迷い、立ち止まったときこそ、自分の本当の想いを確かめるチャンスなのだろう。

 ほとんど毎週末は、旅行へ出かけた。あるときは一人旅でまたあるときは友人と、日程も日帰りだったり泊まりがけだったりと様々な旅行をしたが、行った先々でその街の空気を吸い、たくさん歩いた。アヌシー、ペルージュ、アヴィニョン、トゥールーズ、アルビ、マルセイユ、パリ。旅の思い出はたくさんあるし、今まで見たことの無いような美しい景色に巡り会うこともできた。そして旅行に出かけるたびに、旅行が終わってしまう寂しさよりも、リヨンに帰れる安心感とうれしさを感じていることに気づいた。私の故郷は生まれ育った北海道で、今は東京で一人暮らしをしている。故郷は一つだが、「家」と呼べるものはすでに二つある。そしてわずか7週間の滞在ではあったが、リヨンもまたいつの間にかもう一つの「家」のような存在になっていたのかもしれない。
 滞在を終え、考えるようになったのは、異邦人への「視線」についてだ。フランスという国は、外国人に対して異質な視線を向けることがあまりないように感じられる。日本と比較して考えてみると、例えば、日本にいて外国人に話しかけるとき、多くの日本人はいきなり日本語では話しかけないのではないだろうか。また日本語で話すとしても、相手に分かるようにゆっくりと、明確に話すように心がけるはずだ。少なくとも日本人に話すようなスピードでいきなり話しかける人はあまりいないだろう。だがフランスでは、こちらが日本人でも容赦ない。もちろん私の聞き取り能力の問題もあるが、それを差し引いても、どう考えても速すぎるときが何度もあった。「どう見てもフランス人じゃないんだからもう少しゆっくり話してくれても…」と思うこともあったが、今考えるとそれは、ごく自然なことなのだとわかる。なぜなら、私が明らかにフランス人じゃなくても、そんなことは彼らにとっては関係がないからだ。


【カランク・沖】マルセイユからバスまたは船で行ける Les Calanques は〈入り江〉という意味。その透き通った海を眺めていると、「楽園」という言葉がふと頭に受かんできたのを覚えている。それほど非日常的な空間だった。(ただ、ここに辿り着くまでには相当歩いた。)

【マルセイユ・Château d'if】イフ島のChâteau d'if。こちらもマルセイユから船が出ている。碧い海に浮かぶ城は、かつては牢獄として使われていたそうだ。

【アルビ】ベルビー宮(現在はロートレック美術館)の庭園から撮った一枚。タルン川の向こうには、赤褐色のレンガの街並が浮かぶ。現代にいることを忘れてしまいそうになる、本当に美しい街だった。

 もう一つ例を挙げて考えてみる。日本人が異国の地で道を聞かれるという話をよく耳にするが、こちらも日本と比較してみる。例えば私たちが日本でどこか知らないへ出かけ、道に迷ったとする。そこには日本人だけでなく外国人もいるが、普通私たちはその日本人のうちの誰かに道を訪ねるだろう。なぜか、などと考えるまでも無く、それは無意識のうちに「道を訪ねるのに適した人間=同じ言語を話し、この土地に住んでいる人間=自国の人間」という判断をしてしまうからだ。しかしフランスだったら、二つ目の=は成り立たない。なぜなら、そこには様々な国籍の人がいるからだ。フランスでは「外国人」という言葉は、外の国から来た人、という文字通りの意味しか表さない。そして例え外から来た人間だったとしても、そこに住んでいる限り、そんなものは大した意味をなさないのだろう。二つ目の=の後に入るのは「全員」ということになる。
 しかし日本ではいつまでたっても外国人は外国人だ。日本での「外国人」は文字以上の意味を表しているように思う。良い意味でも悪い意味でもなく、「異質」な存在。純粋に、なぜなのだろうと思った。島国ということもあり、日常生活で異邦人を見かけることが少ないことによる物珍しさか。もちろんそれもあるが、それだけではない気がする。
 そして初めに述べた、外国人と話すときの例。矛盾したことを言うようだが、日本人のそういう気配りや親切さはとても好きだし、むしろ美点だ。それに私自身、明らかに日本人じゃない人と最初に話すときはゆっくりと明確に話すように心がけるだろう。だがこうした振る舞いは親切心のあらわれであると同時に、私たちが外国人に向ける「視線」の意味を示しているのだと気づかされた。

 異邦人である自分に、まるで自国の人間を相手にするかのような速さで話しかけてくる。そういった場面に出くわすと「冷たい」「不親切」などと思ってしまいがちだが、少し視点をずらすと、大らかな国だと感じることができる。まるでフランス人相手かのようなスピードで話しかけられるのも、道を聞かれるのも、国籍で線を引いていない証拠。同じ土地に住み、同じ言葉を話していればフランス人、とまでは言わないが、少なくとも日本にいる外国人よりは「異質」な存在であることはないだろう。そういう意味で、『私が明らかにフランス人じゃなくても、そんなことは彼らには関係がない』のだ。

 そしてこれは留学とは少し関係がないかもしれないが、知人に「それはきっと留学してきたからだね。」と言われたので、最近思ったことを少し書きたい。それは文学の授業で翻訳をしたときにふと思ったこと。
 外国語を母語に訳すとき、詩的な言葉を使って訳すのは意外と簡単だ。どのような言葉が文学的か、綺麗に見えるかは、ある程度年を重ねれば感覚でわかるからだ。訳文にばかり気をとられるのは、実は少し危ない。「綺麗な訳文」を作ろうとしすぎて日本語に気をとられると、原文の意味を見失いかねないからだ。訳すと違和感があるのになぜここでこの単語なのだろう、という単語こそ大事だったりする。そしてその一語だけで、一つの情景を見せてくれることがある。他にも数多くの言葉を知っているはずの作者が、なぜこの言葉を選んだのだろうか。それを考えながら日本語に訳していく。
 綺麗な訳文、ということなら、詩的な言葉を選ぶ必要はない。その物語の雰囲気、空気に沿った言葉を選べば、自然とそれは美しい訳文になるのだと思う。
 これがリヨン効果(?) なのかどうかはわからないが、その知人曰く、「きっとそれは留学のなかで、多文化を受け入れる姿勢が身に付いたからじゃないかな」ということらしい。


【パリ・ボードレール像】パリのリュクサンブール公園にあるボードレール像。秋に移り変わろうとしているこのときが、彼の銅像を見るのに一番ふさわしい季節だったように思う。

 朝起きて朝食を食べ、バスで学校へ行く。マダムは毎日「Bonne journée et à ce soir !よい一日を。また今晩ね!」と笑顔で送り出してくれた。午前授業の週は、放課後に友達と美術館に行ったり街を歩いたり。午後授業の週は、毎日友達と学校の近くのパン屋でパンを買い、一緒に昼食をとった。午後から授業を受けて、終わった後は家に帰る。マダムと色々な話をしながら夕食をとり、その後は友達の家でフェットをしたり一緒に出かけることもあった。二度目のフランスだということもあったのか、自分でも驚くほど「普通に」生活していた。とは言っても初めての体験は私にとっては小さな冒険のようなもので、毎回少しどきどきさせられたものだ。TGVのチケットを買いにSNCF へ、写真を現像しに写真屋へ、手紙を出しに郵便局へ。マダムがかいてくれた地図を片手に歩き、無事用事を終えられたあとは、ささやかな達成感と安堵感を感じていたのを覚えている。

 7週間、毎日フランス語を聞き、フランス語で話した。言語を学んで知ることができるのは、その国の気質やものの考え方なのだと思う。Point de vue という言葉がふさわしいかもしれない。すべてを取り入れる必要は無い。異国の暮らしの中で見て聞いて、感じて、考えたことをどう自分の中に取り込み、活かすのか。
 新たな言語は、新たな景色の見方を教えてくれる。「フランス」という小さな世界のなかで暮らし、ほんの少しだけ知ったその世界観、もう一つの景色の見方は、きっと今後の自分を助けてくれるだろう。

 最後になりましたが、この場をお借りして、多くの方々にお礼を申し上げたいと思います。留学を決めたときから帰国するまで、あらゆる面でお世話になり、支えてくださった藤原先生、語学学校の紹介など様々な面で助言をしていただき、多くのきっかけを作ってくださった西山先生、内藤ソランジュ先生をはじめとした仏文の先生方、滞在中もメールでアドバイスをしていただいた先輩方、そして見守り、応援してくれた両親には心から感謝しています。本当にありがとうございました。

リヨン短期留学記(2014年春) 飯澤愁(フランス文学修士1年)



 2月15日。その日は未曾有の寒波が日本全国を襲った日であった。相次ぐ交通機関の麻痺に一抹の不安を覚えながらも、なんとか予定通り、シャルル・ド・ゴール空港に降り立つことができた。パリの朝はひどく冷え込んでいた。私は日本から持ってきた数枚のユーロ硬貨を使ってカフェを買い、薄暗いホームにてTGVの到着を待った。パリから南に、TGVで約2時間。リヨンの街はそれまでの環境とは打って変わって穏やかな気候に包まれていた。ホームステイ先の家族が駅に迎えに来てくれた時、ようやくフランスを訪れたのだという実感を覚えた。

 今回私は、2014年2月中旬から3月中旬の約一ヶ月をフランスで過ごした。リヨンにある語学学校(リヨンブルーインターナショナル)に短期留学をするためである。既に二名の学生が首都大学仏文教室から当校に短期留学をしており、良い評判を聞いていたので、私もそれに倣う形でリヨンでの短期留学を決めた。既に留学を経験していた方々の助言、体験記によって今回の短期留学が円滑に進み、実りあるものとなったことは言うまでもない。本稿において私は、今回の滞在で私が感じたこと、重要だと思った情報を記す。現在留学を検討している方や、これから留学する方の一助になれば幸いである。

[短期留学について]
 一口に留学といえども、その在り方は現在、非常に多様化しているように思う。[日本での生活習慣を保ちながらどこまで異国を経験できるか]というのが、今回留学をするにあたって私の中にあった前提であり、課題であった。このような前提は、本来の理想的な留学の仕方とはかけ離れているであろう。誰もが口を揃え、「留学先では”日本”を忘れなければならない」と言う。しかし、あえて私はその逆を選択した。何故なら、私は来年度修論提出と就職試験を控えており、一ヵ月という短いが今の私にとって長大な時間を留学、すなわち語学の習熟だけに費やすことは不可能であった。幸いなことにインターネットの発達により、私たちは日本から遠く離れた国にいながら、いつでも日本と電話やメールのやりとりをし、必要な情報にアクセスすることができる。タブレットを使えば重い書籍類をわざわざ運ぶ必要もない。十年前では考えられない事態だ。
 語学学校には様々な目的でフランスに来た人に出会った。単純に語学向上を趣味とする人、仕事の関係でフランス語を必要とする人、フランスの大学で研究をするために来た人、観光目的で交流を兼ねて語学学校に来た人、とりあえずフランス語をやってみたくて来た人、、、目的も、期間も異なっており、それぞれが自分にあった生活様式を選択し、フランスでの毎日を享受しているように見えた。
 もちろん短期留学は長期留学に比べ、語学の向上におけるメリットは少ない。しかしながら、一定の期間を異なる文化、言語、時間に身を委ねながら生活するという、観光と移住の中間のような独特の体験は、思ったより機会のない経験であるように思える。私は、1ヶ月を生地以外の土地で過ごすこと自体初めてだった。特に一年単位での長期留学となると、日本での生活を「留保」しなければならない。それは、「なにもしないこと」とはまた違う、独特の時間的切断をもたらすことでもある。当然私達はそれを体感するために母国を離れ生活することを選択するのだが、相応の覚悟が必要であり、中には諦めざるをえない日本でのアクティビティもあるだろう。双方のメリット・デメリットを考慮した上で、多くの人が留学に行くことを願う。

[語学学校について]
 語学学校には非常に多様な国籍、目的の人々が、フランス語の学習のために集まっていた。語学学校には6段階に分けられたレヴェル毎のクラスがあり、最初にクラス分けのテストがある。とはいえ、語学の習熟においては様々な要素が折り重なっており、一概にレヴェル分けを行うことは容易ではない。日常会話は流暢にこなすのに問題形式になると簡単な発音を間違える人もいれば、何故この人が語学学校に通っているかわからない、というほどフランス語に精通した人もいた。私のホームステイ先にいたスペイン人留学生は非常に流暢にフランス語を話していたが、ある日彼の書き置きを目にした時、私にも分かるような文法ミスが散見されたことに非常に驚いた(もっとも、流暢に聞こえたのは最初のうちで、耳が慣れてゆくと彼のフランス語は未だスペイン語訛りが非常に強いことに気づかされた)。
 リヨンブルーをはじめ、多くの語学学校には全くの初学者向けのクラスもあるが、短い期間で効果を最大限に上げるためには、なるべく日本で基本的な文法、会話の学習を行っていくことを勧める。特に日本人は会話に参加しないと、現地でも言われた。積極的に会話をするためには慣れと語彙も必要なので、できればそれらは先に準備しておくことが望ましいだろう。
 放課後は他の学生と食事や観光をする機会もある。しかしながら、日本人に限らず、母国語や英語で会話をする学生も多い。その場合は、フランス語を話したいと伝えるのも有効だと思う。また、一人で行動することも重要である。というのも、多人数で行動する場合、どうしてもレストランでの会話や手続きなど、日常生活で必要な行為を他人任せにしてしまうことが多い。授業や観光である程度やり方を見て覚えたら、どんどん実践して欲しい。


リヨンから少し離れたところにある町Perouges。中世の町並みが残る。

[ホームステイ・生活について]

 リヨンブルーには寮や一人暮らしをする学生もいたが、毎日夕食を共にし、会話をすることができる環境は非常に貴重なので、私はホームステイを勧める。もちろん、フランスの家庭を体験するという点でも良い経験になる。
 よく、語学の検定試験では低いレヴェルは「日常会話程度」、高いレヴェルは「授業・ビジネスレベル」とされる。しかし、今回の留学で一番むずかしいと感じたのは、日常会話であった。特定の主題にそって進行する学校の授業の会話や、こちらの言語能力にあわせてくれる人との会話と違い、日常会話の主題は無制限に拡がり、フランス人にとっては常識的でも、それに日常的に触れていない日本人には分からない語彙が散りばめられている。加えて、フランス人の会話は概して早い。毎日会話をするうちに耳はある程度慣れていったが、単語を知らないために会話が中断するのは辛い場面だった。


日本でもしばしば見られるチーズブランド「La vache qui rit(笑う牛)」。銀紙にクイズが書いてあり、夕食の終わりにはこのクイズで盛り上がった。「このクイズは君には簡単だね」と出題された問題は「日本の株式相場の名前は?」。bourse(平均株価)という単語の意味が分からず、答えられなかった。。。答えはnikkei。

 ステイ先により異なるが、洗濯は概ね週1〜2回が一般的。私がホームステイした家は週に一回だったため、4日分の衣服しか持って行かなかった私は慌てて服を買ってしまったが、パリやリヨンにはいたるところにコインランドリーがある。簡単な操作で値段もそれほど高くないので、是非試していただきたい。リヨンブルーで知り合った人のステイ先は節約に非常に厳しく、ステイ先を変更したそうだ。もちろん様々な文化的違いはあるが、あまりに居心地の悪い家庭であったら変更を願い出ることもできるので、過度に気を使いすぎる必要もないかもしれない。
 食事は、朝夕の二食付きが一般的。朝食はシリアルやパンがおいてあって自由に食べられるというもので、夕食は家族揃って大量に食べる。昼食は基本的に外食となるだろう。美食の街として知られるリヨンであるので、是非、一度はレストランに足を運んでいただきたい。初めは敷居が高く感じるだろうが、まともなレストランであれば丁寧な対応をしてくれる。平日は席が空いていることが多いが、不安なら予約を入れるといいだろう。電話が難しければ、日中に直接店に行き予約をとるという方法もある。
 基本的にフランスの外食は高い。昼食ならカフェのPlat du jourでも8-9ユーロ、レストランなら20-30ユーロは覚悟すべきだ。そこで便利なのがファストフード店である。リヨンには至る所にケバブ屋があり、5ユーロほどで巨大なケバブを味わうことができる。日本人には十分すぎるほどの量だ。また、中華やベトナム料理のTraiteur(惣菜屋)もよく見かける。こちらも5ユーロほどで定食を食べることができ、持ち帰りも可能だ。
 忘れてはならないのがマクドナルドである。何もフランスに来てまでマクドナルドに行かなくても、と思われるかもしれないが、こちらも安い、早い、量が多い、と学生にはありがたい存在である。なにより、Wi-fiとトイレが完備されているのもチェックすべきであろう。フランス独特のメニューもあるので一度は足を運んでみていただきたい。

 移動手段だが、リヨン市内はメトロやバス、トラムウェイが縦横無尽に走っており、共通の切符で一律1.7ユーロである。一時間以内の出入りが自由だが、超過すると罰金対象になるので注意。留学の場合は学割の回数券、もしくは定期券を購入すると良いだろう。定期券を購入する場合はパスポートや学校の証明書が必要。また、Velobという貸し自転車のサービスがあり、一日1ユーロで、30分以内に返せば何度でも利用可能。しかし登録にはクレジットカードが必要であり、日本のカードだと認証不可の場合が多い。とはいえ、リヨンの街はそれほど広くなく、メトロの間隔も狭いので、徒歩でも十分散策が可能。最初の内に歩きまわって位置関係を把握しておくと楽である。


リヨンのメトロは殆どが電光掲示板の表示通りに運行しており、間隔も短い。物乞いやスリのたぐいもほとんど見うけられない。最前列はもちろんのこと、最後尾も、駅の明かりを頼りに欧州随一の勾配を確認することができておすすめだ。

リヨンはサッカーもさかん。他の地域に比べ穏やかな方だと聞くが、サポーターの熱気はものすごい。

 多くの美術館や映画館には学割や年令による割引がある。小さな美術館なら提示を求められない場合も多いが、前者は学校の証明書、後者はパスポートの提示を求められる。ユネスコの国際学生証が大抵の場所で通用するので、出国前に取得しておくと便利だろう。


ガロロマン美術館。ガリア時代の遺跡が残るフルヴィエールの丘に隣接、というか丘に埋め込まれたおしゃれな設計。木曜日は入場無料。県立なのになんと日本語ガイドがある。

印刷博物館Musée de l'imprimerie。グーテンベルクの活版印刷からパソコンのフォントまで、印刷の歴史を芸術と技術の両側面から見ることができる。二十五歳以下は無料。

 スマートフォンについて。マップ機能などは日本でも非常に便利な機能なので、フランスでも使いたいという人がいるかもしれない。しかしWi-fiがある区域には限りがあり、課金制のものも少なくない。現在は国際ローミングが進歩しており、iPhoneなら設定を少し変更するだけで海外パケットを簡単に使うことができる。もちろん日本に比べて通信料は格段に高く、使いすぎれば高額の請求が帰国後に待っているが、日毎の定額制などもあるので、観光に行く時だけ設定を有効にするという使い方も可能だろう。ただし、当然ながらスマートフォンは高級品なので、むやみに街中で使えば盗難に合うので注意が必要。とはいえ、リヨンの街はパリに比べて格段に治安が良い。初めての長期滞在ということでクレジットカードやスマートフォンの扱いには細心の注意を払っていたが、盗難はおろか、かばんに手をかけられることすらなかった。

 リヨンは比較的気候がおだやかで、晴れた日は2月でも日本の4月上旬くらいの気温になる場合もある。朝晩は冷え込むことも多いが、それほど重ね着は必要ないだろう。パリもそれほど変わりはなく、私が滞在した3月中旬は、ジャケットすら要らないほどであった。


(ホームステイをしたGrange Blanche。都市部からメトロで30分程の場所に位置する閑静な町。そこかしこに緑地や公園があり、夕方になれば幼稚園帰りの親子で賑わう、穏やかな場所であった。)

 この留学で何度も考えたことは、意外に思われるかもしれないが「何故私はフランス語を勉強しているのか」ということであった。「フランス人は自国の文化にプライドを持っている。だから彼らは英語を話さない」という噂が日本では広まっている。実際、フランスにはアカデミー・フランセーズという学術団体があり、正しいフランス語の保守のために奮闘している。日本では当たり前のように使われるコンピューター、ダウンロードといった外来語も、フランスではordinateur, téléchargerだ。
 しかし、私が一ヶ月をフランスで過ごした間、それを実感することはなかった。フランスでは、少なくとも都市圏においては、英語で話しかければまず英語で返してくると考えて差し支えないだろう。それどころか、少しでもこちらがフランス語を理解できない素振りを見せれば、彼等は「親切にも」、即座に英語に切り替えてくる。大きな施設・空港に行けば、アジア系の人々に英語で切り出さない受付はいないだろう。
 では日本人は英語が話せないか。そんなことはないだろう。英語でコミュニケーションをとったことが全くと言ってよいほどない私ですら、フランス語よりもはるかに英語の語彙を知っているし、英語で話しかけられれば大概の受け答えができる。しかしフランス語を勉強しているうちに、英語を話さなければならない時でさえ、とっさに出る言葉が徐々にフランス語に侵食されてゆく感覚に苛まれるようになった。発音が引き摺られ、日常語彙がフランス語に置き換わる。多少話せた英語が不自由になり、フランス語も満足に話せるわけでもない。フランスに行けばフランス語を使うこと無く観光が楽しめる。では何故私は海外に行ってまで仏会話を学ぶのか。彼等の流暢な英語を聞くたびに、疑念と、挫折感は深まるばかりであった。

 それでも私は、彼らがいかに英語に切り替えようとしても、フランス語を貫くことを決めた。フランス語で会話をすることと、フランス語のルールを理解し、翻訳を行うという作業は、同じように見えてじつは全く違う。前者はフランス語で思考し、後者は日本語をフランス語に介入させなければならない。フランス語で思考するということは、自分が知っているフランス語のルールと語彙だけで物事を考えることでもある。すなわち、一度子どもの段階まで思考のレヴェルを落とさなければならないのである。近所の幼稚園から子どもの声が聞こえる度、自分もそこに行き、基礎的なことを基礎的なフランス語で考えるということをしてみたい衝動に幾度も駆られた。
 しかし、そうやってフランス語で生活していくうちに、フランス人の思考に気付かされることもあった。例えばものを渡すときにVoilàという言葉を添えたり、注文をするときにEt
puis...と繋いだりするだけで、彼等の対応がガラリと変わることには驚かされた。フランスに来た時は「なんて非合理な!」と思ったフランスの習慣も、帰国するときには不思議と腑に落ちる部分もあった。多少なりとも、フランス語を肌で感じることでフランス人の発想が理解できたのだとしたら、それは貴重な体験であったように思う。
 国連の公用語にはフランス語も採用されている。英語を学べばコミュニケーションには十分かもしれないが、外国語、外国文化を英語に限定してしまうのはもったいないかもしれない。日本語、日本文化だけでなく、日本人にとっての英語、英米文化を相対化するためにも、第二外国語を学ぶ意義はあるように思える。

 末筆ながら、今回の留学にあたり、指導教官の西山雄二先生には留学を勧めていただいただけでなく、奨学金の手続き、生活面でのアドヴァイス、パリ在住の方の紹介など、多大なるご支援、ご協力を賜った。この場を借りてお礼申し上げる。
 また、現地にてパリでの生活の紹介や、院生としての助言をしていただいた東京大学院の高山さん、留学に行くにあたって様々な助言をいただき、留学中もメールをしていただいた八木さんをはじめ、首都大学東京仏文教室の方々にも併せて感謝の意を述べたい。
 短期、長期のどちらにおいても、留学には周囲の人々の協力が不可欠だ。分からないことがあれば指導教官をはじめ、どんどん質問をするべきだろう。もちろん私で良ければいつでも相談にのるので是非連絡を。Iizawa.shu[アットマーク]gmail.com


リヨンにて、日本より先に春の訪れを感じた。

リヨン短期留学記(2013年秋) 井上優(フランス語圏文化論4年)


リヨン短期留学記(2013年秋) 井上優(フランス語圏文化論4年)



10月中旬に日本を出発し、3週間の短期留学生活をフランスのリヨンという街で過ごした。フランスを訪れるのは今回が3度目で、それまではパリにしか滞在したことがなかったので、せっかくだから今まで行ったことのない都市に留学してみようと考え、リヨンを選んだ。ちょうど1年ほど前にリヨンに留学した先輩がおり、そこでの生活や語学学校の良い評判を聞いていたのが決め手となった。3週間という短い期間で少しでも語学を上達させることはもちろん、卒業論文に関する調査活動、そして初めて訪れるリヨンの地を満喫することがこの滞在の目的であった。


Vieux Lyon(旧市街)。週末でも多くの店が開いて賑いを見せる。

パリからTGVで2時間かけて到着したリヨンの街は想像よりも小ぢんまりとしていて、パリほど雑多でないがフランス第二の都市と呼ばれるだけあって店や人が多く活気に満ちていた。メトロやトラム、バスなどの交通の便が充実しており、カフェやレストラン、スーパー、ブティックなども多く食事や買い物にも困らない。パリには劣るがバラエティに富んだ美術館もあるし、リュミエール兄弟が映画を研究・発明した街とあって映画館も多い(私がちょうど滞在していた時に映画祭が行われており、街の映画館は大盛況だった)。生活に必要なものが揃っているのはもちろん、見るべきものや訪れる場所がたくさんあり、不自由することも退屈することもなく毎日を過ごすことができた。

初めての長期滞在ということで、ホームステイ先でのホストファミリーとの意思疎通や語学学校での授業には出発前からかなり不安があった。日本ではずっと文法中心の学習をしてきたので、フランス語を積極的に話すということをほとんどしなかったために本場のフランス語を聞き取る力や話す力にはまったく自信がなかった。しかし、フランスでの生活が始まるとそんな不安はすぐになくなった、というよりはそんなことを気に病む暇がなかった。ステイ先や学校や街中で、誰かとコミュニケーションを取るには相手の言っていることを聞いて理解し自分の言いたいことをフランス語で伝えなければならないので、自分の語彙の少なさや会話の拙さを気にするよりもまずは耳を傾けて、口を開かないわけにはいかなかったからだ。はじめはホストファミリーや語学学校の先生がゆっくり話してくれるフランス語でも理解するのに苦労したが、次第に耳も慣れ、自分の言いたいことを少しずつ伝えることができるようになると、会話する喜びが生まれ、話すことに積極的になることができた。学校の授業も、日常生活や居住、買い物など身近な生活のテーマで語彙や文法や会話を学んでいたので、学校の外での会話にその日に学校で学んだ表現をすぐに取り入れて実践的に使うことができたのもよかった。


ローヌ川。リヨンにはローヌ とソーヌという二本の川が流れている。

また、語学学校での出会いも私にとってはとても新鮮なものだった。学校の生徒の国籍はかなり多様なもので、日本人も少なくなかったが割合としては欧米人がかなり多かった。入学前に受けた筆記テストと入学初日にあるオーラルのテストでクラス分けが決まるのだが、私のクラスにはイギリス、イタリア、アメリカ、ドイツ、コロンビア、スイス、韓国などさまざまな国の生徒がいて、日本人はクラスに私一人だった。フランス語という一つの言語を用いて彼らといろいろな話をしたのはとても興味深い経験だった。異なる国の異なる年代の人々がそれぞれ夢や目標をもってフランス語を学びに来ていることを知り、彼らの主体的にフランス語を学ぶ姿勢に刺激を受け、そして時にカルチャーショックも受けた。学校で欧米人と多く過ごすことで、自分が日本人であることに対する劣等感を少し感じることがあった。彼らはフランス語の習得が速いのだ。よく聞くと文法の間違いが多々あったり、フランス語特有の発音に誤りがあったりするが、ためらいなく流暢に話せている。私と同じ時期に入学したのに私の何倍ものスピードでフランス語を上達させていたイタリア人の友達が「イタリア語と似ているからフランス語を学ぶのは簡単。英語の方が難しい」と言っていた時は驚き、そして彼女を羨ましく思った。欧米の似たような言語体系の中で生まれ育ってきた彼らと日本人の私とでは、フランス語の習得の仕方に大きな違いがあることを実感した。けれども、そうした違いを知ることも語学を学ぶ面白さだと考えることができた。


いたるところで見られるmurs peints(壁画、だまし絵)。リヨンにゆかりのある人物が多く描かれている。

そして今回の留学の目的として、語学習得の他に卒論の調査活動があった。卒論のテーマであるPACSに関する文献や新聞記事やニュースなど、日本では得られない資料を入手することと、フランス人にインタビューをするつもりでいた。リヨンにはPart-Dieuの駅のそばにとても大きな図書館があり、本の数や閲覧スペースも充実していたので、そこに通って文献や新聞記事を探した。そして語学学校の授業にも慣れた頃、周りのフランス人にPACSについて聞いてみることにした。ホストファミリーや語学学校の先生に話を聞いているうちに、PACSを結んでいる人を3人も見つけることができた。フランス人のPACSへの関心を知るだけでなく、PACSを利用している人を見つけて話を聞いてみたいと思っていたので、彼らに話を聞くことができたのは私にとって大きな収穫だった。

さらに、より多くの人の意見を聞くために、街中のフランス人に声をかけることも行った。広場で待ち合わせをしている人や通りを歩く人に話しかけ、PACSを結んでいるか、もしくは知り合いにそうした人がいるか、そしてPACSを結んでいるか否かに関わらずPACSについてどう考えているかを尋ねてみた。見知らぬアジア人に突然話しかけられて不審そうな顔をされたりもしたが、自分が日本の学生で論文のための調査をしていること、PACSに興味がありフランス人の考えを聞かせてほしいという旨を伝えるとほとんどの人が快く応じてくれた。性別を問わず幅広い世代のフランス人の話を聞くことができ、論文を書くにあたっての重要な資料となった。街中でフランス人にインタビューなんてはじめはするつもりもなかったことだが、リヨンという異国の地でフランス語を用いて現地の人と会話する楽しさのようなものが自分を大胆に積極的にしてくれたのだと思う。そして何より、声をかけた人々が皆私の話に耳を傾けてくれ、どんな質問にも丁寧かつ率直に答えてくれたのが嬉しかった。無視されることや冷たくあしらわれるようなことはなかった。仮に同じようなことを東京で行ってみても、足を止めてくれる人や話を聞いてくれる人は多くないのではないか。日本人は他人に無関心であったり、知らない相手と関わるのを億劫に感じがちであるが、フランス人は見知らぬ人に対してもオープンな態度で接してくれる。フランスのレストランやスーパーの店員の接客は、日本のそれと比べるととても丁寧なものではない。しかし、店員と客が対面した時に必ず互いにBonjour.やAu revoir.と言い合う。これは「店員」と「客」という立場を超えた基本的なやりとりに感じる。知らない人や店員と接する時でも、彼らは私の存在を認めて対等な立場で関わろうとしてくれる。こうしたところに私はフランスの人々の温かさや、彼らと関わることへの心地よさを感じるのだ。



旧市街そばにあるサン・ジャン大聖堂。

リヨンでの滞在を振り返ってみて、総じて言えることはとにかく人との出会いに恵まれたということである。ホストファミリーが本当に親切で優しい方であったために初めてのホームステイでストレスを感じることもなく快適に過ごせたこと。語学学校の先生が授業外の時間を割いて親身にPACSの調査の相談に乗ってくれたこと。そして学校で出会ったさまざまな国の友達といろいろな話をして意見を交わしたこと。外国人だけでなく、日本人の友人には困ったときに大いに助けてもらったこと(異国の地における同郷の人の存在は本当に心強いものだった)。PACSのインタビューをした初対面のフランス人たちが皆快く応じてくれ、貴重な意見を聞かせてくれたこと。出会った人のほとんどが親切で感じがよく、人との関わりで嫌な気分を味わったことはなかった。旅先での良き人々との出会いというのは旅の良し悪しを左右する重要な要素である。


フルヴィエールの丘から一望できるリヨンの街並み。夜に見える夜景も美しい。

そしてこうした多くの人々とのコミュニケーションを助けてくれたのがフランス語であることは言うまでもない。月並みな表現ではあるが、今回初めて短期留学をしてみて改めて語学を学ぶ醍醐味を感じることができた。言葉というのは人や物、文化との新たな出会いの機会を与えてくれる。そして外国語を学ぶことはその可能性をさらに広げてくれる。もちろんそれは日本でフランス語を学習していても経験できることだ。たとえば、フランス語で書かれた文献を読むこともそれは筆者や知識、新たな世界との出会いとなり得るだろう。しかしさらに今回、リヨンでフランス語を使って生活し、現地の生活に触れたことは間違いなく自分に多くの出会いをもたらしてくれた。日本にいては決してできなかった経験である。3週間という期間はフランス語を納得ゆくまで習得するには短すぎたが、それでも自分のフランス語が少しは上達したことは確かである。初めてのフランス長期滞在で不安もあったが、結果として非常に有意義で貴重な経験をすることができた。

そして帰国してから、今回の留学は多くの方々の協力や支えによって実現されたものだと実感している。留学に全面的に協力して下さり、滞在中も何かと気にかけてくださった藤原先生や他の先生方、短期留学支援プログラムを利用するにあたり大変お世話になった大学職員の方々、出発前に壮行会を開いて送り出して下さった仏文の皆さん、たまたま同時期にリヨンを訪れ、最終日に共に過ごしてくれた志村くんなどにこの場を借りて感謝申し上げます。

リヨン短期留学記(2012年秋) 大木菜々(フランス語圏文化論4年)


リヨン短期留学記 大木菜々(フランス語圏文化論4年)




2012年秋、私が滞在した先は、フランスのリヨンという街でした。パリよりも日本人が少なく、フランス生活を満喫するのに適した街であろう、と思い場所を決定しました。1カ月という短い間で何を吸収し、何を学べるかは私の課題でもありました。しかし、今こうして振り返って見ると、今回このような機会を設けることができたことは、私にとって期間に関係なく喜ばしいことでした。自分自身が変わったかどうかは正直分かりませんが、考え方に広がりをもてたことは確かです。勉学の傍ら異文化を学び、沢山の人々と交流できたことが大きな理由です。その中心が現地の教育機関であったことは言うまでもありません。

旅行ではなく、長期で海外生活をするのが初めてだったので、全てが新鮮でした。滞在先の家庭での生活、語学学校までの交通機関、学校での授業、放課後の街探索、そして夕食・・・。今までに無い新しい生活は、これまで私が構築してきた生活観を良い意味で変えてくれたと思います。語学学校が斡旋してくれた家庭では、常にフランス語で会話をしなければならなかったので、自分の気持ちを伝えるのに毎回苦労しました。それでも毎日の学校の様子を聞いてくれたりと、とても親身なママだったので話すことには抵抗を感じませんでした。下手でもよいから話したい、という意欲を湧かせてくれました。語彙の少なさのせいで伝えられることは限られていたけれど、学校で習得した単語や構文を使って話すことができたのは、大変良かったと思います。すぐに実践に結び付けられるのは留学しているからこそだと感じました。

学校は語学学校だったので、フランス語を勉強したい外国人がたくさん集まっていました。完全なフランス語は、大学の方がフランス人に囲まれているために修得しやすいでしょうが、こちらもこちらの良さがあると思うことができました。私の語学力に合った授業の進め方で、かつ説明は全てフランス語。授業においていかれて、わからないまま終わってしまう、なんていうことはありませんでした。分からなかったら聞く、という体制でいたのもよかったのかも知れません。私がそのような積極的な姿勢で授業に臨めたのは、間違いなく他の生徒さんたちのおかげです。周りの子が率先して意見や質問をしているのを見ていると、自分も発言しよう、という気持ちになりました。日本では、黙って先生のお話を聞く、という聴講スタイルが主流ですが、フランスは、というよりこの語学学校は違いました。先生の言葉に、反射的に反応して、すぐリプライをします。まさに言葉のキャッチボールが常に行われていました。この教育体制に初めはしり込みしかけましたが、段々慣れて発言が増えたということは、自分が少しずつ変われてきていた証拠だと思います。自己主張の大切さを学び、同時に人の話をきちんと聞く日本人の良さも実感しました。世界に出ると、世界の良さだけでなく日本の良さも再認識できて、まさに一石二鳥です。フランスは場所が場所なだけに、あらゆる国の学生が集まっていて、とても楽しかったです。スペインやイタリア、そして特にメキシコ人の話すフランス語は巻き舌が大活躍していて最初は何を言っているか分かりませんでした。しかし特長をつかむと、なんとか理解できました。話している人たちも様気で素敵でした。時間にとらわれない自由さを感じた人も多かったです。英語圏や他のヨーロッパ件の人々の、修得のスピードが速かったのには羨望の眼差しを向けていました。言語の仕組み上、しょうがないのですが、やはり羨ましいです。あのなめらかな発音はぜひ真似したいと思います。

とにもかくにも世界各国の生徒さんとお話ができたことは、私の人生を豊かにしました。皆さんはフランス語を習得する、というのが最終目標ではないのです。言葉は手段で、その先に夢や目標を持っていました。私はそんな皆さんのお話を聞いて、感動しました。人生、自分次第なんだ、十人十色なのだなとしみじみ思いました。ただ会社に入る為の資格で勉強したり、義務だから勉強したり、そんな勉強はやっても結局は身につかないし、それは日本の英語教育を反映しているのだろうと思います。私は今回フランスに来て、フランス語を勉強していて、習得には目標と実践が大切だと身にしみて感じました。留学をしなかったら、ここまで深い実感は得られなかったと思います。自分の考え方が変わる(広がる)きっかけになった経験でした。

私は一ヶ月ほどの滞在ではあったものの、留学は非常に良い経験だと感じることが出来ました。効果があるかは、留学をするその人自身にかかっていると思います。留学はその人の学力や生活力の向上に対するきっかけであって、実際に行動する本人がどういう時間の使い方をし、どういう内容の時間を過ごすかが大切なのだと感じました。

でもますは、2週間であれ、一ヶ月であれ、ぜひ学生の皆さんには海外に出て勉強をする機会を設けてほしいと思います。旅行とはまた違った視点でその場所を見ることができるし、勉学そのものに対する意識も変わってきます。まず私は、コミュニケーションが全て現地の言葉なので、自分の気持ちを伝えるのに日本にいるときに想像がつかなかった葛藤に襲われました。もともと上手に話せる人は別かもしれませんが、こうしたい、自分はこう思っている、ということをストレートに伝えたり、状況を説明するのは思ったより大変だと思います。私が苦労したのは、日本語では単語が存在するのに、滞在先では辞書で引いても出てこなかったときの説明の仕方です。ジェスチャーや例えを出しながら、一生懸命話しました。きちんと意味が伝わったときは本当に嬉しかったです。言葉の大切さが身にしみた瞬間でした。このような経験は、日本にいてはなかなか経験できないと覆います。せっかく21世紀に生まれ、世界中に足を踏み入れられる世の中にいるのだから、一歩踏み出すべきです。文献はPC上で手に入り、PC上で風景が見れるとしてもです。そして大地に足を付けて勉学に励むのはやはり大事だと思います。

ただ文献を読んだりするだけならばどこにいても変わりません。ですが、その背景となる國に行って、実際にそこの空気を吸って、文化を体験してからもう一度文献にあたってみると、想像ではまかなえなかった感情が生まれたり、理解が膨らんだりと、何らかのプラスの現象が現れるはずです。

私はたったの1カ月の滞在でしたが、少しでも現地を知ろうと毎日歩きまわり、日本で読んだ文献の雰囲気を肌で感じることが出来ました。言葉が分かるだけでなく、こういった言葉で表せない部分も理解することは大切だと思います。また、留学中に出会う、同じ志を持ったメンバーの存在は重要です。留学に効果を生むスパイスになります。私が通ったのは大学ではありませんでしたが、語学学校での多種多様な考え方をもった同世代の人との出会いは重宝しました。

総じて留学は、その場限りの勉強で無く、大学で専攻している勉強だけでなく、人生の勉強だなと振り返ってみて思いました。これからの人生を豊かにしてくれる、そんな意味も持っていると思います。現代の日本の大学教育は、もはや子どもが進むレール上にあります。授業は、受動的なものが多いです。これは不思議でもなんでもなく受け入れられていますが、留学によって、勉学を違う仕方でしたり、違う考え方を見せつけられたりすることで、海外教育のよい部分を日本に持ち帰ってきます。そういう学生が増えることで日本の大学教育の発展が見込めるのではないかと思います。また海外の学生と接点を持ち、交流していくことは個人同士でも、大学同士でも、国同士でも良い結果をもたらすと思います。