『人文学報』
『人文学報』は、東京都立大学および首都大学東京の紀要です。1950年の創刊以来、毎年、各教室で1号発行しています。 専任教員や非常勤講師、博士課程の学生が研究成果を発表する媒体です。図書館が管轄する「首都大学東京機関リポジトリ みやこ鳥」にて、公開されています。https://tokyo-metro-u.repo.nii.ac.jp/?page_id=30
- 2014年(第496号)
- 西山雄二「ジェローム・レーブル来日公演 : はじめに」
- ジェローム・レーブル「原子力の建築 / ポスト原子力の建築――カタストロフィのなかで構築すること」
- ジェローム・ レーブル「リオタールとヘーゲル――争異と弁証法的差異」
- ジェローム・レーブル「駆け足――ジャック・デリダにおける脱構築と政治の速度」
- アラン=マルク・リュー「フクシマ以後の思考――集団的再帰性と政治的革新」
- ナタリー・コーブル「バレンタインの詩――ある詩的伝統の出現」
- 2013年(第481号)
- 西山雄二「ジゼル・ベルクマン来日講演 : はじめに」
- ジゼル・ベルクマン「日本での活動報告」
- ジゼル・ベルクマン「苦しみと共に思考すること : 日本のカタストロフィに関するいくつかの考察」
- ジゼル・ベルクマン「我々の思考を妨げるもの」
- ジゼル・ベルクマン「思考することを彼は何と呼ぶか? : ジャン=リュック・ナンシーと脱構築」
- ジゼル・ベルクマン「ジャン=ジャックの読者ジャック、あるいはデリダの「ルソー」」
- 西山雄二「フランスと日本の高校における哲学教育の現在 : はじめに」
- クレール・マラン「「デカルトの国」で哲学を教えること : 難解だとされる教科の今日的争点」
- アンヌ・ドゥヴァリユー「リセ最終学年以前への哲学の拡張?」
- 西山雄二「ゾラン・ディミッチ来日講演 : はじめに」
- ゾラン・ディミッチ「カタストロフィと人間性 : 若さについて」
- ゾラン・ディミッチ「聴こえてくる大学へ」
- 石川知広「怪物と毒と悲劇の時間 : ラシーヌ『フェードル』をめぐって」
- 2012年(第466号)
- 藤原真実「「恋愛地図」で読む『美女と野獣』 : 連セリー作的読解の試み」
- 2011年 (No.451)
- 彦江智弘「子どもたちにとって〈文学とは何か〉?――サルトルの『嘔吐』における幼年期と経験」
- 藤原真美「跪く女・運命の女――シャール、プレヴォー、ディドロと描写の問題」
- 2010年 (No.436)
- Kentaro Urayama, “L'enfant sourd-muet sur scène : la dramaturgie de l'infirmité dans L'Abbé de l'Épée”
- 2009年 (No.407)
- 石川知広「狂愚の国のソロモン――パスカルの偽名について」
- Masahiko KIMURA, “L'évolution de la pensée de Valéry au contact de la relativité (1900-1920) ”
- Miyoko IGATA, “A la lecture du poème Evadné ― la figure féminine chez René Char”
- 堀田ゆり「イザーク・マンデス=フランス事件――法廷レトリックが生み出す「ユダヤ」文脈の中の「ニグロ(黒人奴隷)」」
- 2008年 (No.406)
- 大久保康明「ラ・ボエシー『自発的隷従論』覚書
- 越森彦「ルソーによる、ルソーのためのカリカチュア――「礼節」を込めて」
- 2007年 (No.391)
- 石川知広「聖史と悲劇――『アタリ』と〈ユダヤ悲劇〉の可能性」
- 藤原真実「怪物と阿呆――「美女と野獣」の生成に関する一考察」
- 坂口治子「ミシュレとラマルク」
- 2006年 (No.377)
- 岡田真知夫「古仏語覚え書き[II]」
- 菅野賢治「カトリック公教要理(カテキズム)のなかのユダヤ人」
- 坂口治子「ミシュレとベルトロ」
- 川原雄太「プルースト初期作品における結晶化作用の描写について」
- 吉川一義、ヘレナ・シロニー、小幡谷友二、菅野賢治 座談会 ヘレナ・シロニー教授(エルサレム・ヘブライ大学)をお迎えして「フランス語表現のユダヤ人作家たち――アルベール・コーエン、ロマン・ガリ、クロード・ヴィジェ、ジョルジュ・ペレック、パトリック・モディアノにおける「ユダヤ人的事実」」
- 2005年 (No.366)
- Masahiko KIMURA, “«Le Mythe du savoir»: critique et redéfinition de la Science chez Paul Valéry”
- 三浦直希「倫理と経済――セン、レヴィナス研究のための序説
- 菅野賢治「ナム・スオン『安南のフランス人』――抄訳と解説(下)」
- 岡田真知夫「古仏語覚え書き[I]」
- 小川定義「«Guillaume d'Angleterre »に見られる語順8――Tag付き電子コーパスへ向けて」
- 2004年 (No.355)
- Danièle GASIGLIA-LASTER, “Références et métaphores théâtrales dans Un amour de Swann”
- Nathalie MAURIAC DYER, “Mille feuilles de l’écriture : les cahiers manuscrits « au net » de Marcel Proust et la question éditoriale”
- Pierre-Edmond ROBERT, “ Incipit et ouvertures romanesques chez Louis-Ferdinand Céline”
- 合田正人「ジャック・ラカンと欲望の倫理――初めに」
- 原和之「欲望・無限・美――アンティゴネの「輝き=分裂(エクラ)」」
- ジャック・レヴィ「譲歩しえむ「もの」」
- 菅野賢治「ナム・スオン『安南のフランス人』――抄訳と解説(上)」
- 長谷川光明「ユマニストたちのオスマントルコ遍歴」
- Morihiko KOSHI, “L'affaire Rousseau-Hume: vers l’éducation du lecteur”
- 小川定義「 «Guillaume d'Angleterre»に見られる語順7――Tag付き電子コーパスへ向けて」
- 2003年 (No.344)
- 藤原真実「仮面を剥がれた作者――ロベール・シャールと無署名の作品群」
- 岡本千博「不可能な物語――ヴィクトル・セガレンの『ルネ・レイス』」
- 井上奈緒美「プルーストとショパン――「霊媒的なるものの方」へ」
- 小川定義「 «Guillaume d'Angleterre»に見られる語順6――Tag付き電子コーパスへ向けて」
- 吉川一義「パリの絵と詩――アポリネールとピカソの出会い」
- 2002年 (No.333)
- 「座談会 片岡美智さん、大崎正二さんに聞く――ドイツ占領下(1940-1944年)のフランス」
- 三浦直希「50年代のレヴィナスにおける「エコノミー」」
- 小川定義「 «Guillaume d'Angleterre»に見られる語順5――Tag付き電子コーパスへ向けて」
- 2001年 (No.323)
- Didier CHICHE, “Sur quelques interprétations d'Horace”
- 藤原真実「作品は誰のもの?――ディドロの『出版業に関する手紙』とその前後」
- 菅野賢治「エリス島からエリス島へ――ペレック・ユダヤ・日本」
- 小川定義「 «Guillaume d'Angleterre»に見られる語順4――Tag付き電子コーパスへ向けて」
- 2000年 (No.313)
- Pierre-Edmond ROBERT, “Journaux d'écrivains en France au XXe siècle, des classiques aux pratiques contemporaines”
- 谷口博史「『国家』の余白に――ブランショ、レヴィナス、エリック・ヴェイユ」
- 1999年 (No.304)
- Didier CHICHE, “Virgile en français”
- Maki YAMAMOTO, “Le partage du sens de l'être – Essai sur les ontologies de Merleau-Ponty et J.-L. Nancy”
- Toshihiro YAMAGUCHI, “Julien Gracq : Un balcon en forêt et le mythe”
- Kumiko NAKATANI, “Une lecture sémiotique de la nouvelle ‘ Fascination’ de Jean-Marie Gustave Le Clézio”
- 大久保康明「モンテーニュにおける作品の「心内表象」をめぐって」
- 藤原真実「「私は作者ではない」――マリヴォーのエッセー誌における作者と作家」
- 石野好一「フランス語の並置構造について」
- 1998年 (No.294)
- 野呂康「読みの印象、解釈の虚偽――パスカル、『父の死に関する手紙』形態分析」
- 坂口治子「ヴィーコ受容に見るミシュレの方法の転換」
- 鈴木大悟「「文学がほどけるとき」――ルネ・クルヴェルの小説『バビロン』について」
- 合田正人「超越論的経験論とは何か――ドゥルーズによるヒューム」
- 1997年 (No.285)
- 芦川智一「喪の仕事としての『愛人』」
- Manabu GOTO, “Roman opéristique - Autour de la Peau de chagrin”
- 下澤和義「文学史の条件――ギュスターブ・ランソン試論」
- 長谷川光明「十七世紀後期フランスにおけるヒンズー教の表象―フランソワ・ベルニエを中心に」
- 福井寧「拒絶される「私」――モーリス・ブランショのレシ『望ましいときに』から」
- 1996年 (No.275)
- 岡田真知夫「古仏語の擬使役動詞FAIREについて 『アスプラモンテの歌』の一節をめぐって」
- 藤原真実「物語と現実の間で――プレヴォーと作者の意識」
- 守永直幹「歴史の終焉と他なる人間の倫理」
- 谷口博史「ふたたび始まる夜について――『死の宣告』に関する一解釈」
- 石川知広「『エセー』と食人族」
- 1995年 (No.265)
- Kazuyoshi SHIMOZAWA, “Variations sur le thème du journal intime chez Roland Barthes”
- 谷川かおる「ベルトラン・ド・ボルンにおける歌の空間について」
- 岑村傑「狂人、蝕、指骨――ジャン・ジュネの『恋する虜』より」
- 1994年 (No.255)
- Machio OKADA, “BERTRAN DE MARSEILLE : LA VIE DE SAINTE ÉNIMIE : Texte établi d'après le manuscrit unique 6355 de la Bibliothèque de l'Arsenal”
- Noriaki SAKAGUCHI, “De la sympathie à l'ironie -La stratégie de l'anti-roman psychologique chez Flaubert-”
- 藤原真実「18世紀小説の序文――プレヴォー『クリーヴランド』の場合」
- 谷口博史「ブランショとInfini」
- 1993年 (No.246)
- Didier CHICHE, “La parole et l'individu chez Tacite du déterminisme à la poésie”
- 石野好一「不確定表現 «je ne sais...» 群について」
- 小倉孝誠「自伝の構図」
- 大久保眞由美「ヴェルレーヌの二篇をめぐって――奇数脚に関する一考察」
- 吉川一義「プルーストのさんざし」
- 藤原真実「一人称と三人称の間――カミュの『裏と表』:「イロニー」における語りの分析」
- 合田正人「貨幣の寓話―レヴィナスとその近傍(2)」
- 石川知広「これはパンではない――マグリットのパイプ絵と神の躰」
- 1992年 (No.236)
- Mami FUJIWARA, “Avant-texte, texte, para-texte ; recherche sur le « devenir livre » de La Religieuse de Diderot”
- 小倉孝誠「歴史小説論序説(2)」
- 合田正人「スキアグラフィア――レヴィナスとその近傍(1)」
- 谷口博史「ブランショの« le neutre »について」
- 1990年 (No.228)
- 岡田真知夫「トゥルバドゥールの言語(1)音声――正誤表と索引」
- 小倉孝誠「歴史小説論序説(1)」
- 佐藤千明「ランボーの« Poésie objective »について―1871年」
- 谷口博史「文学と無際限の経験――ブランショの情熱について」
『佛文論叢』
『佛文論叢』は、東京都立大学および首都大学東京の院生による紀要です。
- 2009年 (19)
- 小山尚之 「痙攣する美女たち――A.ブルトンと精神医学、『ヒステリー50周年』を中心に」
- 柏木ゆり 「その対位法の動因となるもの――サイードがバレンボイムと奏でる音楽」
- 2007年 (18)
- Kentaro URAYAMA, “Représentations de l'infirmité dans le théâtre français (1799-1828)”
- 三浦直希 「エドモン・フレッグと二十世紀フランスのユダヤルネッサンス(下)――普遍的メシアニズムの道」
- 2005年 (17)
- 三浦直希 「エドモン・フレッグと二十世紀フランスのユダヤルネッサンス(上)――ドレフェス事件と青年期」
- 野呂康 「テクスト、その行為と作用――1655年、リアンクール公をめぐる出来事について」
- 小沼義雄 「ウジェーヌ・ヴィナーヴァ『ベディエへのオマージュ』――翻訳、注釈、解説」
- 2004年 (16)
- Hiromi TAKAHASHI, “Le décentrement du moi ou le principe de coexistence chez Simone Weil”
- 木村正彦 「ヴァレリーとヴェルヌ――空想科学小説の影響と批判」
- 鈴木大悟 「シュルレアリスムと科学哲学(2)――ルネ・クルヴェル『愛と詩と科学と革命の交差点で』読解」
- 大久保真由美 「ヴェルレーヌ研究ノート――『秋の歌』における<音楽>と<陰影>について」
- 野呂康・訳 「マルク・フュマロリ、『アカデミー・フランセーズ』からの抜粋」
- 野呂康 「終わりにおける始まりの歴史記述――マルク・フュマロリ、『アカデミー・フランセーズ』解説と注解、批評」
- 小沼義雄 「フェルディナン・ロット『ジョセフ・ベディエ:1864-1938――翻訳と解説』
- 2003年 (15)
- Chihiro OKAMOTO, “La Chine de Victor Segalen—Essai sur Le Fils du Ciel”
- 鈴木大悟 「シュルレアリスムと科学哲学(1)――アンドレ・ブルトン『対象(オブジェ)の危機』読解
- 野呂康 「『ルイ・マラン』の/と『言語批判』――『パスカル』と社会実践としての言説」
- ジョバンニ・レーヴィ 「伝記記述の用途」
- 2002年 (14)
- 野呂康 「修正集――名、テクストとその図柄、三十年戦争」
- 矢野卓 「サルトル『嘔吐』と冒険小説」
- 三浦直希 「ブロワとレヴィナス――贈与と慈愛をめぐって」
- 2001年 (13)
- 坂口治子 「ミシュレの霊性と大地的想像力」
- 野呂康 「出来事として機能する出版――三十年戦争とフランス―『パラチナ』問題」
- 江戸アキミ 「C.-Fd./クレルモン‐フェラン」
- 2000年 (12)
- Toshihiro YAMAGUCHI, “La figure étrange dans la poésie de Julian Gracq – Autour de Prose pour l'étrangère”
- 大久保真由美 「ヴェルレーヌの作品を探る――『ビームズ』について」
- 木村正彦「ヴァレリーにおける帰納法――『文学技法について』から『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法の序論』へ」
- 守永直幹 「全ての流れを今この時に――ベルクソン倫理学」
- 野呂康 「匿名性の『共和国』へ――『モレリ大歴史辞典、聖俗歴史雑録』の或る項目をめぐって」
- 江戸アキミ 「『文学』成立以前を語るテクスト――歴史記述としての伝記『ブルゼイス』」
- 1999年 (11)
- Maki Yamamoto, “La ‘fin de l'art’ – Essai sur l'esthétique de Jean-Luc Nancy”
- Suguru Minemura, “Sainte Catherine de Sienne selon Genet (1)”
- 大久保真由美 「ヴェルレーヌの作品を探る――『空は屋根のうえで……』について
- 谷川かおる 「バルトロマエウス・アングリクス著『事物の特質について』:オック語ヴァージョン校訂ノート(1)
- 長谷川光明 「ギョーム・ポステルと日本――イエズス会日本書簡読解の一事例
- 江戸アキミ 「表象批判としての表象――黒澤明、『七人の侍』の賭けるもの
- 1998年 (10)
- Noriaki SAKAGUCHI, “Roman et Auteur – Pour la compréhension de la méthode de la critique littéraire –”
- 大久保真由美 「『たわ言』の魅力――ヴェルレーヌの初期作品を探る」
『フランスを知る 新〈フランス学〉入門』
東京都立大学フランス文学研究室、法政大学出版局、2003年
自由の国、文化と芸術の国、EUのリーダーたる政治の国、フランス。その言語・文学・社会・歴史・宗教・思想、パリと地方の土地・人物・出来事、さらにフランスと日本の間柄に至るまで、最新の知見・情報を駆使して明快に解説するこの国を基本から学ぶための総合的入門書。陣容を誇る都立大学仏文スタッフによる、知的刺激溢れるプティ・アンシクロペディであり、仏文科学生はじめ読者の多様な関心に応える好テキスト。
目次
第1章 フランスとは何か、フランス人とは誰か
第2章 フランス語という言語
第3章 文学でたどるフランスの歴史・社会・芸術
第4章 主義と思想
第5章 土地・人物・出来事
第6章 フランスと日本