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レンヌ留学記2012年度(八木悠允)

レンヌ留学の準備


レンヌ留学の準備


 2012年9月から、私は交換留学生としてレンヌ第二大学で学ぶことになった。以下はその準備に関する備忘録であり、金額などの情報はすべて2012年9月現在のものであることには注意して頂きたい。留学のための手続きは、おおまかに分けて2種類ある。ひとつはビザなど入国に関する手続き、もうひとつは入学のための大学とのやりとりである(八木悠允)。


(新学期で賑わうキャンパスの芝生広場)

1.入国のための手続き


 留学生としてレンヌに行くためには、2012年の時点では2つの機関で受け入れ手続きを行わなくてはならない。ひとつがCampus France、もうひとつがフランス大使館であり、前者はレンヌのみならず、フランスへ留学する学生は全員登録しなければならず、ここでの登録アカウントが大使館でビザを申請する際に必要となる。
 どちらの手続きにも面接が必要であり、Campus Franceの面接を先に済ませなくてはならない。Campus Franceを先にすればよいだけなので、同日に面接を済ませることも可能らしい。私の場合は交換留学生扱いでCampus Franceの面接は免除された。

☆Campus Franceについて
 面接までの手続きはすべてweb上(http://www.japon.campusfrance.org/ja)で行う。フランス政府奨学生でないかぎり、このアカウント登録には2万円を振り込みで支払わなくてはならない。私の場合、面接の直前で免除になったので、必要書類や手続きなどはすべてすませた。
 アカウント取得後に入力する情報は多岐にわたり、字数も多い。学歴、履歴書、志望動機などを仏文で用意しなくてはならないので、早めに担当教官に相談する必要がある。これらの情報を入力し終えると、面接する権利が得られる。
 必要書類は面接のために必要な書類なので、交換留学生として免除されるのであればすべてをそろえる必要はない。しかし、例えば戸籍謄本はフランスに来てからCAF(家賃補助制度の役所)に申請する際に必要になる。Campas Franceで必要とされる書類は一通り揃えても損はないだろう。

☆大使館へのビザ申請について
 ビザの申請手順は、
 ①必要書類を揃える。 ②Campus Franceの登録をすませる。 ③ビザ面接の予約をする。
 ④予約日に簡単な面接を行い、要求されている必要書類を提出する。 ⑤2〜3週間後に、問題がなければビザが発行される
という流れになっている。2012年の場合、③の面接は一日4件しか受け付けておらず、また留学生の多い夏のために予約が非常に混雑しており、7月20日に予約をしようとしても8月31日まで埋まっているような状況だった。書類は急げば揃えられるはずなので、先に予約をすることを強く薦めたい。

 ①必要書類
 大使館ホームページ(http://www.ambafrance-jp.org/spip.php?article3731)で確認できる。
 2012年の場合は以下の通り (http://www.ambafrance-jp.org/IMG/pdf/10_Visa_etudiant_Liste_pieces_JP2.pdf)。
 1. 長期ビザ申請書1部長期ビザ申請書1部(Campus Franceのアカウント番号を長期ビザ申請書の左上に記載)(http://www.ambafrance-jp.org/spip.php?article518)。サインはパスポートと同じサインを記入する
 2. 証明写真1枚証明写真1 枚(正面、無帽、背景は白、35×45mm、デジタル写真不可)申請書指定位置に貼付
 3. パスポート写真ページのコピー1枚: パスポート(10 年以内に発効されたもの、申請するビザの有効期間終了日から数えて少なくとも3ヶ月以上の有効期間を残しているもの。さらにビザ用のページが見開きで続けて4 ページ以上残っているもの。個人情報と署名の載っているページのコピーすること)
 4. 高等教育または専門教育期間に91日以上の登録を証明する仮登録または登録証明書。また申請期間が登録期間と同じでなければならない(5月30日に交換留学期間が終了する場合、申請期間も5月30日までにしなければならない。帰国のための日数などは大使館が適宜判断して与えてくれる。私の場合は5月30日までで申請して、滞在は6月5日まで認められた)。
 5. 申請料金 (返金不可)約5000 円(50 ユーロ相当)※フランス政府奨学生は無料
 6. 経済証明
 7. 住居証明
 8. 移民局(OFII)提出用フォームフランス大使館ホームページからダウンロード(http://www.ambafrance-jp.org/IMG/pdf/formulaire_LS_jap.pdf)。サインはパスポートと同じサインを記入する
 9. パスポートを郵送にて受け取り希望の場合600円分の切手・宛名・住所を記入した返信用封筒
 4.と7.はレンヌ第二大学から送られるので、出来るだけ早く手に入れなくてはならない(少なくとも7月中までに)。
 6.は留学期間中にフランスで労働せずに済むことを証明するための書類であり、重要である。フランスで引き落としが出来る預金の残高か(必然的に現在ではシティバンクか、VISAデビットあるいはキャッシング可能なクレジットカード機能をつけた銀行預金を選ぶことになる)、奨学金の振り込みなどの収入証明が必要となる。この額の基準については情報があいまいで、最低月額700€を滞在日数分(10ヶ月ならば7000€以上)確保してなければいけないと耳にしたが、詳細は不明。大使館に問い合わせても回答はなかった。
*Campus France、学生ビザ申請のどちらの場合も、基本的に提出する書類は仏文で提出しなければならない。そのため、戸籍謄本や経済証明など和文の書類は法廷翻訳業者に依頼する必要がある。私は(http://www.francespace.net/translation.html)を利用した。英文でもよいと聞くこともあるが、私は収入証明の一部が英文だったために手続きに手間取ってしまった。提出する可能性のある書類はすべて仏文に翻訳しておくことを強く薦めたい。
*また、面接とはいうものの、担当員は決して提出書類を熟読してはくれない。仮に書類に不備があったり、提出し忘れた書類があったとしても形式通りに受理される。結果的に書類の再提出と再審査ということになり、無駄に時間がかかってしまう。このような時間のロスを避けるためにも、提出書類に関してはミスがないようにしたい。
 ビザの受け取りには郵送を依頼するか、直接大使館に赴く必要がある。郵送は時間に十分余裕がある場合を除いて、選ばない方が無難だろう。また、ビザの進捗はネット上から確認できるが、あまり当てにせず、3週間待っても来なかった場合は直接出向いた方がよい。
 また、ビザを受けとる際に説明があるが、パスポートに記載されたビザの他に、渡仏後に移民局へ提出するための書類も渡される。これは絶対になくしてはいけない。

2.手続き以外の準備


①往復航空券
 1年OPENあるいは1年FIX-OPENを購入するのが無難だろう。注意しなくてはならないのは、1年後の航空券は予約できないということ。10ヶ月先程度が限界のはずなので、フランスに着いてから帰路便の日程を変更しなくてはならない。私の場合は1年FIX-OPENを12万程度で購入した。

②TVGの予約
 CDG空港に到着後、レンヌにたどり着くためにはバスか電車でモンパルナス駅まで行き、それからTVGを使わなくてはならない。バス、電車は予約がないが、TVGは予約しておいた方が安くて安全である。パリ到着後すぐにレンヌへ移動する場合は、バスや電車の遅延を考えて、CDG空港到着時間から3時間は間を取って予約した方がよい。予約時期にもよるが、TVGの運賃は片道50€ほど。TVGは予約後発行されるe-チケットを参考に、駅で乗車券を発行しなければならないので注意が必要。

③現金とカード
 ビザに必要な経済証明を用意する際に、現金をどう扱うかを決めておかなくてはならない。基本的にフランスはカード社会なのでどんなに小さなたばこ屋でもカードが使える。だが一方、コインランドリーや自販機などは硬貨あるいは少額の札しか使えないし、バーやカフェでも現金払いになる。したがって、現金を用意できる手段は残しておかなければならない。
 国際キャッシュカードは、大手の銀行が取り扱いを中止している。そんななか、シティバンクはオンライン上での開設に限り維持費が無料で口座を開くことが可能(eセービングというサービス。詳細はhttp://www.citibank.co.jp/banking/)。また、残高証明も英文ですぐ用意してくれる。このシティバンクの+Plusというキャッシュカードがあれば、フランスの多くのATMで引き下ろすことができる。
 一方クレジットの場合、デビット・カードあるいはキャッシング可能なクレジットカードならば、おなじようにATMで現金を下ろせる。カードの種類は、VISAを選んでおけば間違いがない。
 手持ちで持ちこむ現金の額はもちろん個人の判断による。参考までに到着後一週間で必要となるのは、家賃と敷金で460€、CIREFEに登録する場合学費として1400€、電車とバスの定期購入で260€。だがこれらはすべてカード払い可能なので、無理に危険を冒して現金を持ち運ぶ必要はない。

④荷物
 船便、航空便ともに可能。ただし送料は高い。私は冬物の服を船便で送ったが、9月も半ばを過ぎると冷え込みが厳しいので、素直に冬物を持ってくるか、航空便で送るとよい。ちなみに航空便にも安いSAL便(船便より早く高いが、普通の航空便よりは遅く安い)があるので、予算に合わせて選ぶとよい。
 いくつかの業者が取り扱っているが、日本郵便は以下のページから料金を知ることができる(http://www.post.japanpost.jp/int/service/i_parcel.html)。
 部屋番号は到着後に決定するので、出国前の荷物は寮の住所と名前だけ記載すればよい。大きい荷物はすべて管理室に届き、宛名の寮生のポストに連絡票が届くので、それを引き替えに荷物を受けとることができる。

⑤免許
 運転する機会があるかどうか分からないが、念のため取得した。料金は2650円(東京都)。運転免許センターで即日発行が可能。


(9月半ばにレンヌ大学の授業開始。ヴァカンスから戻ってきたフランス人の学生で賑わう。)

3.入学のための手続き


 レンヌ第二大学から受け入れの通知などがメールで届く。この際、自分が大学に登録するか、CIREFEという大学内の語学学校に登録するかを確認しておかなくてはならない
 大学に所属した場合、文学、芸術、言語学、コミュニケーション、人類科学と社会科学の各学群から好きな分野を選択し、フランスの学生達と共に授業を履修することになる。加えて、週4時間のCIREFEによる夜間語学授業が前期のみ無料で受けられる。学費は無料だが、学生向けの社会保険のためにレンヌ到着後203€の支払いが必要。
 一方CIREFEに登録した場合、大学の授業への登録が出来なくなり、もちろん単位認定も行われない(いくつかの日本の交換先では、CIREFEの成績を単位として認定している)。また、登録には学生向け社会保険料含めて1400€必要。授業は日中開かれ、週16時間以上の語学授業に加え、映画批評や合唱活動などワークショップ形式のアトリエクラスが設けられている。
 いずれに登録しても、交換留学扱いならば留学生待遇となる。寮、大学の運動施設の利用(登録には24€必要。http://www.siuaps.univ-rennes1.fr)、学生証の交付などに区別はないが、交付や相談の窓口は異なるので注意が必要(CIREFEに登録した場合、ほとんどの手続きはCIREFE窓口で行う。大学に登録した場合、レンヌ大学の学生が各手続きの窓口を様々な場所で開いているので、初日に配られるシラバスを熟読しなくてはならない)。
 基本的に、大学とCIREFEはまったく別の機関であり、学生の情報の共有などもほとんど行われていない(社会保険の窓口も異なる)。したがってCIREFEに登録するからといってCIREFEの説明ばかり聞いていると、大学に登録する他の交換留学生達と触れあう機会が失われてしまう。レンヌ第二大学登録者向けの説明会やパーティーなどにも積極的に参加した方がよい。
 また、登録に際しては沢山の証明写真が要求される。あらかじめ、日本から持ってくると慌てなくてすむ(もちろんこちらで撮ることも可能。2€など、安いスピード写真が多い)。
 大学あるいはCIREFEへの準備書類としては他に、健康診断書が要求されている(http://www.univ-rennes2.fr/service-relations-internationales/etudiants-etrangers-candidater-programme-echange)。診断書の必要項目のうち、B型肝炎は時間を開けて複数回注射を打たなければならないので早めの準備が必要。必要項目のうち、半分ほどは母子手帳と、大学での健康診断で埋めることができる。それでも英語あるいはフランス語の診断書を発行する病院での診察料は、私の場合3万円ほどかかった(病院によってワクチンの料金や、診断書の料金は異なる)。

 寮に関しては、入居日や寮の場所などの連絡も渡仏前のメールでのやりとりになる。部屋の割り当ては寮に到着後、家賃(保証料として2ヶ月分請求される。合わせて460€程度)を支払ってからその場で割り当てられる。また、CIREFEに登録する場合には大学に登録する学生達よりも先にレンヌに到着し、テストを受けなければならない。そのため、入寮時期を早めてもらうよう事前に交渉しなければならない。

 また、大学では小ツアー旅行がしばしば催されており、留学生の最初の交流の場として今年は無料のモン・サン・ミッシェル・ツアーが組まれた。レンヌに到着してからも予約は可能だったが、出発前になにかしら連絡があれば早めに登録しておくと滞りなくすむ。



 大学との連絡では、他にle parrainという制度がある。到着してから行う手続きを手助けするためのティーチング・アシスタント的な制度である。留学生2人に対して1人の割合で、フランス人学生が相談役を引き受けてくれる。レンヌ到着後、早々に彼らと会う機会が設けられている。渡仏前に相談することはあまりないかもしれないが、携帯や銀行口座開設などを手助けしてくれる心強い存在。大学から連絡があり次第早めに連絡を取っておくとよいだろう。

 最後に、メール以外ではレンヌ第二大学から入学許可証と入居保証書が届く(原本は郵送で届き、私の場合7月頃に受けとった)。この2つはビザ申請に必要なばかりでなく、学生証が発行されるまでは頻繁に要求される書類なので、原本は絶対になくしてはならない。また、他のあらゆる個人書類に関して言えるが、コピーを提出する場面が多々あるので、2,3枚はコピーを用意しておくと安心だろう。



(留学生のための祭・TAMTAM。市内のCDG駅の目の前の広場にテントが設営される。レンヌには数千の留学生が生活しているからか、こうした催しの運営は大規模かつ円滑に行われている。 )


(学食。一律3ユーロ10セント〔約330円〕。日替わり定食や各国料理、パスタやサラダなどから選べる。)

(サンタンヌ駅の近くは飲屋街なのだが、そこを過ぎた広場は土曜の朝に市場になり大変な賑わい。スーパーよりも安いかというと、必ずしもそうではないが、珍しい果物などが見れるので散策するだけで楽しい。)

おわりに

 私の場合は留学が7月上旬にようやく決まったので、ビザの申請が遅くなってしまい、非常に不安な出発となった。助けていただいた担当教官や大使館の方々には感謝の申し上げようもない。ありがとうございました。今後レンヌへ留学を考えている学生には、ぜひ早めの準備を整えて頂きたいと考えこの記事を作成した。私がなんとか無事に手続きを済ませられたのは、教官の助けのみならず、留学経験のある先輩に助けられたからでもある。この記事がそうした一助になれば幸いだ。もし身近に先輩がいれば、迷わず頼ることを強く薦めたい。もちろん私でもよければ、yusukeyg(at)gmail.comまで遠慮なくご連絡を。

レンヌ大学への入学


レンヌ大学への入学


今回は9月初旬、大学への登録手続きを中心にした報告です。

・パリからレンヌ市内へのアクセス
 まずCDG空港からモンパルナス駅まで移動して、そこからTVGでレンヌの中心駅GARE駅に、さらにメトロに乗り換えてVillejean-Université駅に到着することになる。CDG空港からは荷物を預かってもらえるシャトルバス(17€)を利用するのが無難だろう。ただし渋滞に巻き込まれることもあるので、TVGは時間をもって予約しておくとよい。


(ガール・ド・レンヌ駅)

・入寮に際して
 学生アシスタントが入寮を手伝ってくれる期間があるが、特になにをしてもらえるわけでもない。寮まで案内してくれるだけで、その後は自分で受け入れ手続きをすませることになる。入寮時には2ヶ月分の家賃を請求されるので、あらかじめ用意しておかねばならない(カード、現金ともに可)。また、このとき入寮許可証の提示も求められる。部屋は勝手に割り振られるので、可能ならば地上近くを希望した方がよい。その場でカードキーと鍵が渡され、後日必要となる書類(部屋の状態検査)とLANケーブルは各部屋に用意されている。ベッド、冷蔵庫、机と椅子があり、シャワー・トイレ・洗面所のスペースが個室に割り振られている。シーツは月に一度交換。交換日は寮内のどこかに掲示される。




・テスト
 CIREFE(大学内の語学学校)の場合は8月下旬に行われる。内容は作文のみで2012年は3題。写真についての説明描写と、会話創作、そしてテーマに関する自由論述(「肉を食べる必要はあるかどうか、そしてそれは何故か」「尊厳を持った死とはなにか定義せよ」の2題から選択)。クラス分けはこのテストの結果で決まるが、申し出に応じて変更可能。CIREFEに登録した場合、Aのクラスは最初歩の単語や日常会話、若干の文法を集中的に学び、Bクラスは作文表現が中心、Cクラスは文学あるいは社会・経済に関する議論(読解と筆記が中心だが、もちろん口頭議論も含まれている)を中心に行われる。クラスの性格が違うので、語学力が高くともCではなくBを希望する学生もいる。また、B以上のクラスでは選択授業がある(作文、映画批評、歴史・・・)。
 レンヌ第二大学入学の場合も、CIREFEに所属して週2コマ(作文と会話)、4時間勉強することになる(前期のみ無料)。9月下旬にテストを行い(内容は同じ)、クラス編成がなされる。8割はC1かC2、残り2割がB1,B2で、流石にAレベルの学生はほとんどいない。

・大学入学のガイダンス
 到着後10日ほどはガイダンスや留学生向けのイベントで日程が消化される。大学への登録、学生保険の加入、銀行口座の開設、各種アクティビティ(サークルのようなもの)への参加登録などは、到着後に渡される日程表に沿って大学で行うことになるが、携帯電話の契約などはもちろん自分で行わなければならない。そのほか、各学部の説明会が連日開かれる。レンヌ第二大学の交換留学生は、この時期説明会が開かれるどの学部にも所属することができる。
 また、この期間にはモン・サン・ミッシェルツアー、ティーチングアシスタントとの顔合わせパーティ、留学生のためのソワレ、レンヌ中の留学生が集まるTAMTAMというイベント、などが開かれる。この時期のイベントはほとんどが無料で、さまざまな割引券がもらえることがあるので、参加した方がよいだろう。

・様々なイベント
 モン・サン・ミッシェルツアーのような留学生のためのイベントは、登録期間の後も数多く催されている。例えばオペラ鑑賞、ダンス鑑賞、ワインとチーズの試食会、ブルターニュ地方への小旅行、レンヌ市内のガイド付きツアー、ディズニーランドなどであり、無料か学生向きの安い価格で提供される(例えばナントへの一泊旅行は70€ほど)。この情報は入学後登録したEメールアドレスに届くが、いくつかのイベントは掲示告知のみ。留学生向けのイベントは大抵がCIREFEが窓口になっており、予約登録も告知もここで行われる。イベントによってはすぐに定員になってしまうので、注意が必要。
 そのほかにも学生主体のイベントや、レンヌで開かれるイベントも数多くある。それらの情報は主にカフェテリアか、L棟、I棟に集中している。


(9月初めに大学内で開かれた留学生の為のパーティ。大学受け入れとは別の機関から来ている学生も多く、所属や来歴もさまざま。留学生のための機関もいくつかあり、一週間ほぼ毎日このようなパーティーやイベントが開かれた。)

・アクティビティへの参加
 26€の登録料を支払うと、レンヌ大学内の運動施設の使用が認められ、所属するクラブの規定に沿って運動ができる。また、クラブにはレンヌ第一大学や、法科大学の学生も参加している。登録は10月までなので、早めに活動内容を聞きに行く必要がある。


(アクティビテの手引き。なぜか指圧まである。)

・学生保険への加入
 I棟の留学生センターで加入手続きができる。年間200€ほどで、大抵の学生はSMEBAという保険に加入することになる。この保険は、治療費用の何割かが後日払い戻されるというフランスの社会医療保険制度の留学生向けのもの。26歳以上になると加入が認められず、その場合はCharles de Gaulle駅(レンヌ)の近くの社会保障局へ行き、CMUという保険制度に加入することになる。社会保険加入は義務だが、入国後3ヶ月間は適用されない。したがって、海外保険を渡仏後3ヶ月までかけておくと安心だろう。

・銀行口座の開設
 なくても良さそうなものだが、口座がないと後日寮から要求される火災保険の証明用紙が提出できなくなる。また、携帯電話の契約も結べないので、作っておいた方がよい。口座開設は基本的に無料だが、銀行によって異なる。9月の登録期間中に各銀行の出張があるので、そのときに開設手続きを行うとよい。銀行によっては、SMEBAと連携している銀行もあるらしい(SMEBAと連携している場合、治療費の払い戻しが即日で行える)。

・移民局への通知
 フランス到着後すみやかに移民局へ滞在許可証申請の書面を送付しなければならない。レンヌには留学生が多いせいか、その返事(移民局への召喚)は11月末まで届かなかった。ともかく、忘れずに。

・授業の開始
 CIREFEの場合、9月半ばまでにテストの結果とクラス分けが掲示され、一度ガイダンスを受けた後、すぐに授業が開始される。
 大学の場合、説明会を受けた後に所属する学部を決め、その学部の授業を決めることになる。フランスの大学は3学年制であり、留学生がどの学年として学ぶかは学生自身が自由に決定できる。ただし大学院の授業の場合は、母国での学部卒業の証明と、規定語学力の証明、加えて9月後半に行われるCIREFEのテストの結果で考慮されると説明された。
 学年ごとに授業の枠は定まっており、選択の幅はあまりない。例えば文学部1年の授業に参加する場合、文学部一年には4〜5の科目があり、それぞれにCM(聴講が主のコース)とTD(学生が主体的に参加・発表するコース。いわゆるゼミに近い)が設けられている。必修科目は1科目につきCMとTDを履修しなければならず、そうすると2コマ埋まってしまう。履修の上限はオプションを含めて8コマ(相談の上でさらに受講は可能らしいが、単位が取得できるかは不明。もちろん、授業によっては、単位に関係なく受講することは可能)であり、TDとCMの内容は重複する事が多いので、実質上3〜5科目しか選択ができないということになる。これはあくまで文学部の例なので、説明会、ガイダンスの時期に自分の希望する学部の履修については把握しておかなくてはならない。
 履修登録は10月まで。実質2週間ほどしかないため、あまり迷っている暇はない。
 登録を済ませると、出席カードが渡され、授業の度に教授にサインしてもらうことになる。出席点があるのかは教授による。成績は試験かレポートの提出によって決まるり、どの学部だろうと仏作文ができないと大変なので、渡仏前に十分に練習しておく必要がある。



・大学図書館の利用
 大学の中央図書館はH棟だが、大学の各建物の中に学部管理の図書館も多数ある。例えばB棟には文学部図書館、E棟には英語専門の図書館、L棟には数多くの外国語学習用のメディアテークがあり、利用できる。
 学生証さえあれば、すぐに利用可能。学生証は登録期間中に発行されるので、9月半ば過ぎには利用できる。中央図書館にはDVDも数多く揃っており、利用のしがいがある。


(図書館のDVDコーナー)

・寮への書類提出 保証人に関して
 寮に関しては、10月初旬に寮の部屋の設備チェックがあり、11月にはいくつかの書類の提出が求められる。書類の内容は銀行口座の証明、火災保険の証明、学籍証明などの他に保証人の誓約書である。留学生でも必須だと言われるので、私は仕方なくティーチングアシスタント役のフランス人の学生に保証人役を請け負ってもらった。寮費は223€だが、CAFという住宅補助制度を利用すれば50€前後が補助される。CAFは滞在許可証を得てからでなければ申請できないので、私はまだ申請できていない。


(市内バスからの風景)

・まとめ
 9月から10月のトゥーサン休暇までは、とにかく雑事が多く、授業に慣れるのも大変かもしれない。そしてトゥーサン休暇が明ける11月になると、夏時間も終わったレンヌはいよいよ寒さが厳しくなってくる。また雨も多く、体調管理も大変かもしれない。が、この時期を抜ければ、大抵の要領が分かってくるはずである。

次回以降は、レンヌでの生活について報告したい。(文責=八木悠允)

キャンパス風景


キャンパス風景




大学の中央にある建物。学食とカフェ、売店、それに小さな美術書店と学生保険カウンター、チケットショップ、学生向けの無料の診療所がここに入っている。


語学校舎のE棟。この建物の中に語学学校があり、形態としては間貸ししている形だが、さまざまなイベントが大学と連動して行われている。 ‪

S棟は芸術、デザイン、情報技術の授業が主に開かれる。授業によっては4時間通しの演習もあり、結構ハード。I棟はスポーツ学と国際センターが同居している。留学後一番世話になる場所。




F棟は語学、A棟は語学、地学、歴史学など。L棟も語学(本当に語学が多い大学)で使用され、メディアテークやカフェテリアが内包されている。


B棟の目の前に建つD棟。経済、法律系の授業はこの校舎で主に開かれる。中庭に面してそびえているので、一種の大学の顔。 ‪



B棟は文学、批評、経済の授業が主に行われている。3階には文学部専門図書館があるが、そこまで大きくはない。 ‪O棟の隣のP棟。ここは公的なインフォメーションセンターで、あまり学生は入らない。いわゆる大学の事務局。一階では写真展など、文化的な催しが開かれている。


大学前駅を出てすぐ見えるO棟。様々な情報が掲示される学生のためのスペース。2階には無料でネットが使えるスペースなどがある。 ‪


O棟の隣のP棟。ここは公的なインフォメーションセンターで、あまり学生は入らない。いわゆる大学の事務局。一階では写真展など、文化的な催しが開かれている。


レンヌ第二大学から徒歩15分ほどの距離にある語学専門校舎。語学の種類は多く、第三外国語も週6時間以上学ぶ学生が大半。ただし校舎が分散しており、語学専攻の学生は移動が大変。

レンヌ第二図書館のライブラリー。図書館の2階(フランスで言う1階)にあり、2日だけ借りられる。哲学者の講義や、自然ドキュメンタリーの他、ハリウッド映画なども置いてある。館内で見ることも出来る。


まもなく秋のヴァカンス。フランスでは労働者には5週間、学生には期間を区切った休暇が定められている。身近では、ヴァカンスに旅行を計画しているのは日本人ばかりという印象。ほとんどの学生は「お金がないからなにもしない」と答える。こちらでバイトを見つけるのはフランス人でも難しいらしく、「マクドにも落ちたよ」とのこと。 11月1日はトゥーサンという聖人のための祝日。この前後数日がトゥーサン休暇と呼ばれるヴァカンスだが、パリの大学の知人によればパリにはこのヴァカンスがないらしい。トゥーサン以外、店は平常営業。大学はさすがに人はいないが開館している。



大教室の授業風景。教授たちはほとんど板書せず、学生はひたすら教授の言葉をノートに取る。


文学部の学生の週コマ数は多くて8コマほど。少なく感じるが、1コマ2〜3時間で、宿題も多いので結構忙しい。


11月半ばから、レンヌ大学から海外への交換留学生選考が始まる。日本を希望する学生は少なくないが、枠は少ない。一方、留学生のための情報は不十分で、多くの学生はどこの大学を選べばよいか分からず困っていた。実際、授業の内容すら分からない大学が多い。 フランスの学生に一番尋ねられたのはやはり福島について。原発の影響から安全な距離の大学を尋ねられたが、答えられるわけがない。。。次に気にするのが、生活費について。留学先はロシアからアラブまで様々あるので、いくつかの国を天秤に掛けている学生もいる。

レンヌ市案内

レンヌ市案内


・レンヌの特徴
 レンヌはフランス西部、ブルターニュ地域圏の首府であり、モン・サン・ミッシェルへの観光の起点として日本でもよく知られている。日本との関わりとしては、仙台市の姉妹都市であることがあげられる。先の震災の際には市をあげて寄付が集められた。イル川とヴィレーヌ川の合流点として歴史的に栄えてきた街であり、現在も二本の川の流れに沿って街が区画されている。


(イル川。アナトールフランス駅からレピュブリック駅にまで続いている。)



 第二次大戦で多くの歴史的建造物が焼失したものの、市の中心部であるサン・タンヌ周辺には現在でも古い町並みが見ることが出来る。ブルターニュ地方の建築は木骨組みの赤い煉瓦壁と、黒い屋根が特徴。一方、郊外にはモダン建築様式の高層アパートが数多く見られる。

 6万人の学生が生活する大学都市としての性格もある(レンヌ全体の人口は21万人程度)。レンヌ第1、第2大学の他にもグラン・ゼコール、その予備学校であるINSA、美術大学や法科大学など多くの教育機関がひしめいている。レンヌ大学だけでも数カ所にキャンパスが分散しており、キャンパスからキャンパスへの移動に悩まされている学生も多い。
 INSAとはInstitut national des sciences appliquées の略称で、グラン・ゼコールに入学する前に登録する公立の予備校のようなもの。フランス各地にあり、学校によって毛並みが異なるが、毎週のように成績が掲示され、生徒同士を厳しく競わせるなどエリート教育という側面は共通している。レンヌのINSAは全寮制、全学生のスポーツ参加(ラグビー)の義務、豊富な言語教育などで知られている。日本語の授業も開かれており、授業に参加させていただいた。
 またブルトン語の教育も盛んであり、公立・私立含めてブルトン語の教育を行う中学校、高校が点在し、もちろんレンヌ第2大学にも専攻が設置されている。


(insa,日本語の授業での会食)

 市外へはガール駅からの電車、長距離バスを利用することになる。市内の移動はもっぱらバスか地下鉄である。地下鉄は南北に延びる1路線しかないが、今年から東西へのアクセスを加味した路線の竣工が始まる。現在の路線の全長は9.4キロメートルほどである。南側の終着駅であるポートゥリー駅はノーマン・フォスター卿によってデザインされたもの。


(メトロ。全長10キロ足らずと短い。)

(レピュブリック)

 地下鉄サン・タンヌ駅からレピュブリック駅にかけてが中心街であり、数多くのブティック、バーが教会や歴史的建造物と同居してにぎわっている。

・建築物
 他の地域同様、レンヌも数多くの教会が街と共存している。
 レンヌ駅付近のサン・トーバン教会、ブティック街の端に鎮座するサン・ソヴール教会、丘の上にそびえるノートルダム教会、荘厳なゴシック様式で知られるサン・ピエール大聖堂などである。これらに加え、1554年から建造されたブルターニュ高等法院は何度か修復工事を行っているものの、内部には数多くの歴史的遺産を残している。


サン・トーバン教会


サン・ソヴール教会

サン・ピエール大聖堂


 ブルターニュ高等法院の前には大きな広場(上写真)があり、ノエルの時期にはノエル用のプレゼントやヴァン・ショ(ホットワイン)の出店が並び賑やかになる。歴史的な建造物との同居という意味では、高等法院から少し歩いた先のサン・ジョルジュ・プール(下写真)も面白い。1926年に建造されたこのプールは、外観こそ町並みに合わせた煉瓦造りの古めかしい外観だが、中は普通のプールである(ただしなぜか33メートル)。





 ツーリストオフィス(下写真)も同様に歴史建造物であるサン・イヴ礼拝堂を利用して運営されている。ゴシック・フランボワイヤン様式の15世紀の建物で、1998年に修復され、観光局と文化遺産についての常設展示場がある。




 サン・タンヌ駅とレピュブリック駅の中間地点にあるプラス・ドゥ・ラ・メリ広場は市庁舎とオペラ座に挟まれた広場で、文字通り街の中心地である。デモから祭りまで、あらゆる催しがこの広場で行われている。市庁舎(下写真)はジャック・ガブリエルによって設計され、1734年から1743年にかけて建造された。石灰岩と花崗岩を組み合わせた、古典主義建築とバロック様式が融合した建造物である。一方シャルル・ミラルデによってデザインされ、1836年に建設されたオペラ座は、アポロン像とミューズ像をいただいた建物が正面にたつ市庁舎と呼応するよう設計された。




 市の中心部であるプラス・ドゥ・ラ・メリ広場からほど近くに、かつてのサン・ムレーヌ修道院の果樹園が、第二帝政時代にドニ・ブレールの設計で公園として整備されたタボール庭園(上写真)がある。レンヌには公共公園がいくつかあるが、タボール庭園はフランス国内でも有名な公園のひとつ。10ヘクタールもの敷地には、カフェや運動場もあり、市民の憩いの場になっている。

・情報など
 売店でよく目につく新聞はル・モンドではなくウエスト・フランスという地方紙。1944年から発刊されている地方紙で、主にブルターニュ地方からパリまでの記事に力が入れられている。論調は完全な保守派ではあるが、レンヌの記事が毎日8頁にわたり掲載されているので滞在中はル・モンドよりも愉快である。また、0.80€だが大学寮や学食では無料で手に入るので、習慣的に読むには最適。ラ・ポートゥリ駅の近くに本社(下写真)があり、訪問も可能。



 加えて、レンヌの情報誌も見かける機会が多い。地方から来た学生向き、というのもあるだろうが、レンヌ市民の地元愛も感じられる。本屋でもブルターニュ地方の本を集めたコーナーが広く設けられており、郷土愛の強い土地柄が感じられる。



 雑誌によれば、レンヌはフランスで最も治安がよく(次いでストラスブルグ、ナント)、88パーセントの市民が公共交通機関に満足しており、経済困難者の割合も少なく(18パーセント。リヨンが15パーセント、ストラスブルグが24パーセント)、経済力はトゥルーズと並びフランスで最も高い(LE MENSUEL DE RENNES, Janvier 2013)。

・活動
 レンヌには遊び場と呼べるような場所がほとんどない。ほとんどの学生は買い物をするか、カフェで会話するか、映画を観るか、公園を散歩するかで週末を過ごすか、あるいは家族の元へ帰省している。
 買い物もサン・タンヌからレピュブリック、その一つ先のシャルル・ド・ゴール駅までの間で完結する。少し離れた場所に家具店のIKEA、大規模ショッピングセンターのアルマ・ショッピングセンター(下写真)がある。1月はソルドという国が定めたセール期間で、町中のショーウインドーにソルドの文字が躍る。ただしこの時期は春夏物の新作の時期でもあるので、どうしても売れ残り品の安売りという感じが否めない。



 プールなど、スポーツ施設は充実している。また、25€の登録料を支払えば、大学の管理するすべてのスポーツ施設の利用が自由である。ただし、登録はスポーツクラブへの加入を意味するので、自分で好きな時間に好きに利用できるわけではない。一方、公共の運動施設や、市民による運動サークルも多数あり、街頭やインターネット上から申し込むことが可能。


(ライブなどはカフェを貸し切って行われることが多い。)

 飲み会はフェットもしくはソワレと呼ばれている。特に木曜日の夜はジュディ・ソワレといって学生達が毎週のようにサン・タンヌで飲み明かす。サン・タンヌは飲み屋街であり、多数のバーがひしめいているが、レンヌ市全体にわたって小さなバーや喫茶店が点在している。日本のように貸しスタジオやライブハウスがあまりないためか、学生同士のバンドや、ダンスサークルなど小規模な集まりにはそれら小さなバーがよく利用されており、学生が貸し切って友人達との集まりを企画することも多い。

・本
 レピュブリック駅の正面のフォーラム・ドュ・リーブル、ヴァージン・メガストア、シャルル・ド・ゴール駅近くのフナックが新刊本を多数揃えている。特にフォーラム・ドュ・リーブルは学生用の教科書を多く取りそろえているので、大学指定の教科書を買う時はまずここへ足を運ぶ。
 人文系の本屋もサン・タンヌとレピュブリック駅周辺に集まっており、ル・フェイエはレンヌで最も充実した品揃え。ル・フェイエの付近にアート・ブック専門の店や、近代文学中心の古本屋、哲学・宗教の専門書店などが並んでいる。
 アマゾンを利用することも可能だが、アマゾン・フランセは私見だが日本ほど品揃えが良くない。アマゾンになく、フナックにあるということもざらにある。アマゾンにしろ、ル・フェイエにしろ、注文するとなると1週間はかかってしまうので注意が必要。



フォーラム・ドュ・リーブル


ル・フェイエ

哲学書・宗教書が多いラ・プロキュル。規模は小さい。

アート系の新刊書店。現代アートから批評書まで、幅広い品揃え。

シャルル・ド・ゴール駅とリピュブリック駅の間の漫画書店

・食事
 フランスでの外食は税金のためにとても高い。昼でも10€以上、夜ならば30€前後が普通である。安い外食はサンドイッチかファーストフードになり、前者の場合はケバブ(下写真)、後者はマクドナルドかクイック、サブウェイしか選択肢がない。いずれにしても5€前後かかってしまう。自然と自炊が増えてくる。スーパーマーケットはカルフールが町中にあり、ほとんどの買い物はここで済むが、LIDLというスーパーが最も安いということで人気がある。駅から離れた場所にばかり店舗があるが、それでも足を伸ばすという客が多い。



 留学した場合、友人に日本食をリクエストされる機会が多い。醤油、米程度ならカルフールで購入できるが、酢や海苔、あるいは出汁や天ぷら粉などはアジア・マーケットに行かねば手に入らない。アナトール・フランス駅から少々離れたところにBELASIEという店があり、ほとんどのアジア食材はここで手に入る。値段は少々高いが、他のアジア・マーケットに比べれば割安。経験からは、煮物や汁物はウケが悪く、天ぷらや寿司、おにぎりなどが喜ばれるようだ。

・レンヌでの会話
 最近タランティーノ監督による『ジャンゴ』という映画が公開された。レンヌには数館しか映画館がなく、この映画が公開されているのはそのうちのひとつでだけだ。けれども会う学生会う学生が「『ジャンゴ』を観たか?」と尋ねあい、映画の感想で1時間近く話し込んでいる。レンヌの街の小ささを感じさせられる瞬間ではあるが、長い間東京に住んでいた身からすると新鮮でもあり、フランスという文化圏の生活を実感させられもする。フランス人は本当に会話が好きで、止めどもなく意見を交わし合っている。寒いテラス席で3時間以上話し込むのがいたって普通の習慣であり、急いでいても知り合いに会えば立ち止まって話し込むのがフランス人である。

 会話をしていると気づくが、ほとんどのフランス人は相づちだけを打つことがない。「そうだね、でも・・・」あるいは、「そうそう、それで私は・・・」と必ず意見を差し挟み、会話を続けていく。相づちで話をうながす習慣のある私には、しばしば会話を途切れさせてしまい気まずい思いをすることが多い。反対に、会話の終着点がないので、どこで会話をやめればいいのか困ってしまうことも多々ある。少しは会話できるようになったとはいえ、言語の壁はなかなか越えられない日々だ。

 日本とは逆に、こちらは湿度が低いために空気が澄んでいる。にわか雨が多いものの、夕暮れ時の光はとても美しい。ある日レンヌ生まれの教師と夕暮れ時に話し込んでいたところ、彼女が急に「ご覧なさい、レンヌの光はとても美しいでしょう」と語りかけてきた。実際、レンヌで生まれ育った学生と話していても、街の自然の美しさや、歴史的建造物の貴重さについてしばしば話題が飛ぶ。彼らはいつも「この街には何もないけれど」と前置きをするが、自分の生まれ育った街をこよなく愛していることが伝わってくる。

 「何ごともなく」という意味でtranquillementという言葉を使うことが多い。Tranquillementとは「静かに、落ち着いて」という意味である。レンヌで過ごす日々とは、何ごともないけれども、静かに穏やかに過ぎていく日々である。

レンヌでの日常


レンヌでの日常



レンヌ市内の地下鉄、とはいえ地上も走る。先頭車両に乗ると、遊園地のコースターのようで楽しい。


地下鉄乗り場。入り口の券売機で券を買ってから、黄色い改札に通す。korigoの場合はタッチ。立っている人はキセル規制のためのバイトだけど、あまり効果はない。


CDG駅地上口にある古本屋。チェーン店であり、レンヌ市内に数店舗ある。パリのブックオフに比べるとちょっと高め。2,3€が底値。


フランスの青森というだけあって、林檎は安い。3キロで2€80ほど。


手持ちの日本タバコがなくなったので手巻きを購入。セットで合計10€程度。巻くのが面倒なので、一週間はもつ。


木曜日は飲む日、と決まってるらしくバーは大にぎわいなのだが、ほとんどの店が1時には閉まるので、その後はディスコに行くか、道端であらかじめ買っておいた酒を飲むかになる。非常にラディカル。金曜日はほとんどの学生が帰省するらしく、大学はとても静かだ。 秋なので、毎日急に雨が降る。天気予報も当てにならず、急に晴れたりもするので面白い。西洋人は傘をささないイメージがあるが、こちらでは持ってる人持ってない人が半々くらい。ただ、傘はなぜか値段が高く、折り畳みで20€ほど。


サンタンヌからほど近いタボール庭園。元は修道院の果樹園があったが、19世紀に整備された。バラ園、植物園など綺麗な庭園が連結している。とはいっても、ベンチで昼寝している人も多く、普通の自由な公園。


CDG駅すぐそばのLes Champs Libres。2006年にオープンした複合文化施設で、科学館、博物館、図書館が内包されている。蔵書量は多く、また日曜も開館しているため利用のしがいがある(登録料3€)。博物館・科学館も大変な人気。クリスチャン・ド・ポルザンパルクによる設計は、非常にモダンで優雅な空間。左のカラフルなガラス張りの建物が6階建ての図書館になっており、上階からの眺めも素晴らしい。



男性同性婚の反対デモ


12月から1月にかけて

 12月半ばからテスト週間になり、20日前後で大学はほぼ終了となる。12月下旬から1月中旬までが冬のヴァカンスとなり、多くの学生は帰省するようだ。学期末の時期には、様々な課外活動の発表の場が設けられた。語学学校のCIREFEでは授業の一環として課外活動が組まれており、芝居、合奏、映画など学生が作った催しなどの発表である。

 フランスでのノエル(クリスマス)と新年の過ごし方は日本と逆で、ノエルは家族と静かに過ごし、新年は友人達や恋人と賑やかに過ごすのが風習となっている。ただしノエルにプレゼントを交換する習慣は日本と変わらない。ちなみに、多くのフランス人にはペール・ド・ノエル、サンタクロースを信じる習慣はない。12月25日まで、街頭はイルミネーションに彩られ、路面店ではノエル商戦に向けた内装で華やいでいる。なかでも市庁舎のイルミネーションはプロジェクターによるアニメーションで、時々刻々と模様が変わっていく様子は圧巻。






 25日を過ぎると、街はとたんに静かになる(25日はほとんどの店は休業)。レンヌは大学都市でもあるが、ほとんどの学生は帰省するので寮やストゥディオ(キッチン共同の小さなアパート)は本当に静まりかえる。


(大晦日のプラス・ドゥ・ラ・メリ広場。花火や音楽で新年が賑やかに迎えられた。)

(市役所通り)

 大晦日は地元民や、レンヌに残った人々が新年を祝いにプラス・ドゥ・ラ・メリに集まった。花火や音楽、イルミネーションなど文字通りお祭り騒ぎで新年が迎えられる。シャルル・ド・ゴール駅の近くのコンサートホールは無料で開放され、朝まで賑わっていた。1月1日こそ多くの店が休業であったものの、2日からはまったく平常通りの活動が始まる。日本人にしてみれば、味気ないくらいほどである。


雪はほとんど降らないが、降った日はほとんどのバスが運休になった。

レンヌの外へ

レンヌの外へ



 2月から3月にかけては気温もめっきり下がり、雪が降ることもたびたびあった。平均気温は5度以下で、それほど寒いはずはないのだが、乾燥した冷気に慣れない身には寒風はひどくこたえるものだった。4月が近づくと、段々と日差しが顔をのぞかせるようになり、桜のつぼみも膨らみ始める。まだまだ寒いながらも春を感じるようになり、3月末の夏時間の突入と共に一気に日の差す時間が延び始める。


(桜は4月過ぎにようやく開花。日本ほど群生していない。)

●休暇と試験
 レンヌ第二大学は9月半ばに始まり、5月半ばにはだいたいの授業が終了する。その間の休暇は10月のトゥーサン休暇(2週間ほど)、12月のヴァカンス(3週間ほど)、2月のヴァカンス(1週間弱)、4月のヴァカンス(2週間)。これらに加えて、5月後半から9月までが長期休暇である。
 CIREFEの休暇もこの期間に準ずるが、大学の休暇とは1週間ほどずれがあったり、CIREFEの休暇中に大学のテスト期間が重なったりするため、重複して授業を受ける場合は注意が必要となる。ちなみに、大学のテスト期間は前期が12月下旬から1月初旬、後期が4月下旬から5月初旬にかけてである。授業によっては最終授業をテスト期間の数週間前に終え、その数週間はテスト勉強期間として休講になる。CIREFEの場合、中間テストが10月と3月頃に設けられ、最終試験は12月末、5月末にそれぞれ設けられている。
 大学生の大半は休暇を実家で過ごすようだ。また、長期の夏期休暇においてはアルバイトを試みる学生も多いが、日本とちがってフランスではアルバイトを見つけるのが難しいらしい。実際、学生をしながらアルバイトで働いている学生はごく少数で、大半の学生は奨学金などでどうにかやりくりしているとのこと。
 休暇の過ごし方としては他に、格安で長期間滞在する代わりに、滞在先(農家やペンションなど)で労働するという方法もあるが、留学生の間で一番多い過ごし方はやはり旅行である。


(春が訪れたタボール公園)

●レンヌからパリへ
 レンヌはブルターニュ地方の最大都市ではあるが、国外への交通手段はそれほど発達しておらず、タイミングが合わない限りパリを経由した方が安上がりという場合が多い。
 レンヌからパリへの移動手段は、TVGがもっとも敷居が低く簡単である。日本でいう新幹線に相当する。レンヌ・パリ間を2時間弱で行き来でき、料金も往復100ユーロ以下で買えることが多い。
 TVGのチケットは日本と異なり、時間や予約日によって価格が上下する。また、Carte Jeuneという若者向け(18歳から27歳以下)の割引パスを利用した場合、30−60%の割引が受けられる。Carte Jeune自体は50ユーロで購入できるので、2回以上パリへ行く機会があれば十分元が取れる。また、同行者4名までは(同じ若者年齢の場合)この割引が受けられるので、親しい友人同士で買えばとても安上がりだ。もちろん、TVGだけでなく、SNCF(フランス国鉄)すべての路線において使用できるので、この割引パスは買っておいて損はない。ちなみに、Carte Jeuneは最近年齢幅が更新されたらしい(以前は12-25歳までで、現在のチケット予約ページでもこの年齢幅でチケット予約することになっている)。
 チケットと各種割引パスは、駅だけでなく市中にあるSNCF窓口で購入が可能。またチケット自体は、出発前ならば差額さえ支払えば時間変更なども可能である。チケットを窓口で購入した場合は、乗車前にチケットを刻印機に通さなければならない。インターネット上で購入した場合は、購入したe-チケットを印刷しておかねばならない(e-チケットの場合刻印は不要)。
 TVG http://www.tgv-europe.com/en/
 Carte Jeuneについて http://www.sncf.com/fr/tarifs-reduits/carte-jeune

 また学生の間ではcovoiturageという、インターネット上で同じ目的地に行く一般人を捜して、その人の車に同乗するという方法もよく使われている。例えばレンヌ・パリ間ならば20ユーロ前後が相場のようだ。http://www.covoiturage.fr/t/Rennes/Paris/

●パリから国外へ
 交通機関を使う場合は、列車かバスか飛行機になる。列車の場合、引き続きTGVを利用して、また各国の列車を利用することになる(ちなみに、多くのユーロ圏では25歳以下の若者は割引を受けられることが多い)。
 私はベルギーとオランダに旅行したが、その際調べた限りでは列車の移動はそれほど安くはなく、へたをすると飛行機と同じくらいかかることもあった。バスは比較的安く、特にユーロラインという長距離バスはヨーロッパのほとんどの地域に路線があるので、体力の許す限り活用したい。ただし、こちらも便によっては高くなってしまうこともあるので、よく調べなくてはならない。
 ユーロライン(バス)http://www.eurolines.com/en/
 go voyage(航空券)http://www.govoyages.com
 交通費の比較サイトhttp://www.kelbillet.com
 私は以上のサイトなどを利用したが、日本と同じく似通ったサイトがいくつもあるので、自分の目的地に適した情報を探すのには少々疲れるかもしれない。

●宿泊
 フランスではオーベルジュというユースホステルが若者には一般的だ。基本的にはドミトリーで、数名が一室に同室して過ごすことになる。相場は一泊20ユーロ前後で、食事はあっても簡易的なものが多い。値段が安い代わりに、日中は基本的に在室できないところがほとんどで、基本的には寝るための場所と考えればよい。シャワー、トイレなども共同のところがほとんどである。
 Hotelsclub http://www.hostelsclub.com
など、こちらも様々なサイトがあるので、比較してみるとよいだろう。



●レンヌ近郊
 レンヌからブルターニュ地方都市へはもちろん安く移動でき、鉄道やバスも少なからず運行している。観光地として有名なサン・マロまでは片道7ユーロ程度で日帰りもでき、晴れた日に行くと素晴らしい景観が眺められる。もちろんモン・サンミッシェルまでも気軽にバスで移動できる(12ユーロ弱)。



(サン・マロ。夏は海水浴で人気だが、実は水温は夏でも低く遊泳者はあまりいないらしい。)

●ビザについて
 フランスはシェンゲン協定加盟国であり、ユーロ圏の多くの国がこの協定に加盟している。加盟国間での移動は基本的には自由であり、空路を使わない限りパスポートの提示も求められることはない。とはいえ、旅行中のトラブルを考えると、パスポートの携帯は絶対に必要である。
 私は学生ビザでフランスに滞在しているので、当然シェンゲン協定の適法範囲で旅行することが可能である。例えば、シェンゲン協定非加入国であるイギリスにも、私のビザの期限までにフランスに戻るのであれば、滞在は可能のはずだ。
 しかし、シェンゲン協定は「学生ビザが失効した日付から3ヶ月以内での再入国を禁じる」と定めている。つまり、仮に6月1日に学生ビザが失効した場合、9月2日以降でないとフランスだけでなく、他のシェンゲン協定国への入国は禁じられているということだ。したがって、仮に学生ビザが切れた後、国境上での審査なく他のシェンゲン協定国へ滞在しても不法滞在ということになってしまう。もちろん、学生ビザが切れた後、イギリスに入国することは違法ではないが、その場合はイギリスからシェンゲン協定国を経由することなく日本へ帰国しなければならない、ということになる。
 つまり、フランス学生ビザとして得た期間以上の滞在は、正規の滞在延長を得ない限りシェンゲン協定に加入しているどの国にいようとも不法滞在とみなされることになるので注意が必要である。
 一方、例えば学生ビザが切れる日から数ヶ月後に再びフランスで学業を再度始める場合、あるいははじめから数年の学業計画で渡仏したにもかかわらずビザが1年未満でしか取得できなかった場合は、ビザのない期間をビザ取得準備期間として滞在猶予されるレセピセという書類が交付される。こうしたやむにやまれぬ事情でのビザの問題については、県庁が対応することになっている。ただし、平日午前中しか対応を受け付けておらず、また毎日長蛇の列が対応職員との面談のためのチケットを順番待ちしているので、相談に行くだけでも相当の覚悟が必要となる。

●留学生活と旅行
 私は前期の期間はほとんど旅行をしなかった。今はこのことを少々残念に思っている。留学中は、幸か不幸かフランス人よりもむしろ他の交換留学生ら、特にCIREFEでは多くの外国人留学生と親しくなれる。そうした友人達の母国語に触れる機会というのは、非常に愉快な体験である。私はベルギー人の友人ができたが、彼の母国に滞在するというのはそれ自体が興味深かったし、彼の使うフランス語と同じアクセントのフランス語を耳にするのは、方言を使う友人の地元へ訪れた時のような、奇妙な高揚感を感じた。
 旅行の際にまず問題になるのは言語の問題である。例えばベルギーではフランス語が使用可能ではあるが、基本的にはオランダ語が使用されている。さらに、アムステルダムではオランダ語が公用語ではあるものの、基本的には英語で十分会話ができる。私はフランス語を学びに留学に来たわけだが、旅行のおかげでフランス語への距離感を改めて感じることができた。それは同一言語内の距離、そして多言語間の距離のことだ。たとえば、ベルギーではフランス語がもちろん使えるが、ベルギーで耳にしたフランス語は往々にしてなめらかで、とてもゆっくりとした発音である。あたりまえではあるが、同じフランス語でも大きく隔たりがある。


(アムステルダムのミュージアム・スクエア。ゴッホ美術館、国立美術館、市立美術館などを繋げる広場)

 また、オランダでは耳にする言語はオランダ語か英語だけで、あらかた忘れてしまった英語でコミュニケーションするのはなかなかに骨が折れた。留学当初の言葉が上手く使えない心細さを改めて思い起こされ、そのオランダの滞在のあとでフランス語圏へ戻った時の奇妙な安堵感は、今も忘れがたい感情として生々しく思い返すことができる。
 語学学習を主目的とした留学においては、否応なく言葉そのものについて神経質にならざるをえない。その反面、学習する言語に浸かってしまうと、学習はきりがないとはいえ、ある程度の慣れが生じてもくる。旅行はそうした感覚をリセットするのにとても有用な経験になるだろうし、なにより費用もそこまでかからない(レンヌからベルギーを経由して、オランダまで6日間旅行したが、交通費とホテル代は250ユーロ程度で済んだ)。もし機会が見つけられれば、ぜひ旅行してみるとよいだろう。


(ブリュッセルのグラン=プラス。荘厳な市庁舎、王の家などが向かい合っている。)

帰国へ

帰国へ




●最後の日々
 4月から5月は大学も語学学校も試験シーズンと同時に試験休みにも突入し、大学は日に日に閑寂になっていく。例年この時期は20度前後の気温のはずだが、今年は10度前後と寒さが続き、レンヌ滞在の締めくくりはどこかうら寂しい雰囲気だった。
 とはいえ、テストの為の勉強は非常に多く、特に大学の授業に出ている場合には、テストには十分な準備が必要となる。教科にもよるが、私が受けていたクラスのひとつはディゼルタシオンという論述試験があった。論述の内容も難しいが、試験時間が4時間なので書く体力と集中力が要求されるのだ。また、5月下旬にはDELF/DALFのテストもあり、大半の留学生は慌ただしい日々を送ることになる。



●帰国準備
 帰国前にしなくてはいけないことはさまざまだが、特に必要なことについて。

① 銀行口座を解約する
② 荷物を日本へ送る
③ 大学寮を退寮する手続きを取る
④ 書類の送付先住所を登録する

 ①は、口座を閉めないと維持費が取られていくので、すぐにフランスへ戻る予定がない限り行う必要がある。
 また、②に関しては、レンヌにおいては船便などが使えず、郵送手段はほぼ郵便局に限られる。一般的な荷物の送料は高くつくので、荷物の取捨選択は重要である。また、荷物が本やノートなどの場合は、書物便というサービスが使える。一個の荷物につき5キロまでの制限があるが、13.80ユーロで日本まで送れるので書物を送る際はぜひ利用した方が良い。船便に関して言えば、パリにあるいくつかの宅配業者が請け負っている。もし相当に重い荷物の場合は、一度郵便局から当宅配業者へ荷物を送り、その後宅配業者に配送を依頼するという形になる。私の場合は計13キロの荷物を送ろうとしたが、郵便局では250ユーロ近くの値段を提示され、あきらめて配達業者に船便で依頼したところ80ユーロに収まった。2,3ヶ月かかっても良い場合には悪くない選択肢だと思われる。
 ③の退寮届は出発の最低15日前までに申し出なければならない。申し出をすると、部屋の状態管理の立ち会いの予約を行い、最後に事務所で保証金の返還や最後の家賃の支払いを行うことになる。基本的に月極契約なので、日割りの家賃計算はされず、出発する日付の最終日までの家賃は払うことになる。また、この届け出が送れると翌月分の家賃まで請求されるので、十分注意しなくてはいけない。
 ④については、単位認定やディプロムなどの書類は6月末になるまで制作されないため、大学終了後の夏休みまでレンヌに残れない場合は大学・語学学校へ事前に送付先を届け出なければならない。4月5月は大学も忙しく、あまり学生の状況に構っていられないので、自分で気付いて手続きをしないとせっかくの留学の結果が手に入らなくなるので気をつけねばならない。

●語学試験について
 最初にディプロムについて。ディプロムとは、要するに語学力の証明書のようなものである。留学生には大学・語学学校の選択によらずフランス語のレベルを確認するテストが入学前に課せられる。このレベル分けは、DELF・DALFと同じ分類になり、A1,A2,B1,B2,C1,C2の6段階である。留学生の学歴にもよるが、母国で高校を卒業しておりB2以上のディプロムを有している場合はフランスの大学の学部で、大学を卒業しておりB2以上のディプロムを有している場合は同じく大学院でフランス人の学生と共に勉強することが認められる(ただし、この基準は大学・学部によって差がある)。
 DELF・DALFは永久的に、2月に開かれるTCFという試験の方は3年間、この語学力のディプロムが保証される(DELF・DALFは年二回、TCFは年数回。またTCFには二種類あり、何らかの学校に入学するさいは面接試験付きのものが課せられることもある)。両ディプロムとも、どの大学に入学する際も使用することができる。
 レンヌ第二のCIREFEの場合も、このディプロムに応じたカリキュラムが組まれており、一学期を通して一定の成績を収めればこのディプロムが自分の所属するレベルに応じて与えられる。だが、残念なことにCIREFEで得られるディプロムはレンヌ大学に入学する時にしか使えないことになっている。他の大学に入学を希望する場合は、DELF・DALFかTCFを受ける必要があるのだ。
 TCFは2月はじめ、DELF・DALFは5月末に開かれる。9月から2学期留学する場合、どこでも通用するディプロムを得る機会は2回しかないことになるので、必要がある場合はぜひ受験した方がよい。ただし、試験内容や傾向は両試験で違いはあるので、十分な準備は必要である。また、CIREFE内でも、DELF・DALF対策の補講は(今年は4月から4週間)有料で開かれている。

●帰国前





 3月には日本祭りのようなものがレンヌ第一大学で開かれていた。日本文化に対する興味は高いようで、写真はないがコスプレなど大いに盛り上がっていた。主催は日本好きの学生たちのアソシエーションで、彼らは不定期にさまざまなイベントを企画していた。カラオケ大会でフランス人たちが日本語の歌を熱唱しているのを観ることができたのは、貴重な体験だった。
 5月末にCIREFEで開かれるイベントは、前学期と同じようにいくつかのツアー観光とソワレ、そしてアトリエの研究発表である。
 アトリエとは学生の興味のある分野を、教師がついて共に学ぶ教室のことで、サークルと授業の中間的な場。CIREFEだけでなく、一般にこうした教室のことをアトリエと呼び、レンヌ市内でも多くのアトリエを見つけることができる。
 前期末にも見学したが、出国前にこれを見ることができたのはとても良い経験だった。舞台の上に立つ同級生達は、年齢も国籍もばらばらで、ほとんどが顔見知り程度の間柄である。けれども半年以上見知ってきた異国での顔見知りというのは、素朴な意味での仲間であり、幼稚園や小学校の頃のクラスメートへの愛着のようなものを感じさせられる。実際、留学して語学を学ぶうちに感じるのは、自分が再び幼児にならなくてはならないということだった。コミュニケーションの経験はあれども、その方法がいつでも他国人と共通のものではありえないし、コミュニケーションのための道具であることばはフランス人に比べればひどくつたなく、幼い具合にしか使うことができない。店で買い物をする度に、私はよく自分が幼稚園児かのように思われた。
 だから、このイベントは良い意味でそうした幼年期の一コマのように写った。良い意味でというのは、内容の問題ではない。どうしても話す機会に恵まれなかった、友人になれたかも知れなかった級友達の、知らない一面や成長を見せつけられた、という意味でひどく心を動かされた。その思いは話しかけられなかった事への一種の後悔と、それでも近くにいた級友達の眩しさに彩られている。同じ時間を過ごしたはずの彼らの、見たことのない側面を一度に発見することは、それまで共に過ごした時間を振り返らせてくれる。暗い劇場で明るく照らされたステージは、その見世物の内容と同じく、私にそれまでの生活の煌びやかさ、居心地の悪さ、喜びや苦しみなどを反芻させてくれた。



●振り返ってみて
 留学生活を振り返ると、人生の一コマにしては異様に充実した期間だった。それは、先に述べたとおり、すでにある程度経験してきたがゆえに、少しばかり早回しに幼児期をやり直したからだと思える。だから後悔はといえば、その次の段階を経験できなかったことだ。
 勉強の面について言えば、本当によく書いたという実感がある。語学学校でも、大学の授業でも、とにかく書くことが基礎体力として重視されていることを身をもって学んだ。語学学校では毎日数頁分の作文が要求されたし、大学の授業ではどの学生も教師の言葉をほとんど丸写しのようにノートを取っている。日本では内容をまとめる能力が重要視されていると思われるが、フランスではとにかく多くの言葉を論理的に書くことが重要視されているようだ。
 大学の授業は刺激的だった。授業や教師によって、ついて行けるものもあれば歯が立たないものもあったが、いずれにせよ日本で学んでいた事がフランスでも教養として学ばれていることや、日本で学んだ議論が拙くも通じることを実感できたのは、とても大きな自信になった。



 特に、フランスの学生と仲良くなれたことも大きかった。同じ学年の学生が、どのような論文を書くのか、またどのような勉強をしているのかを知ることは、単なる文化を知るという以上に、留学という観点からは大きな実りだったと思う。学生の中には日本の文化を研究している学生もおり、その修士論文のためにインタビューなどを手伝ったが、こうした形で交流できたことは学生として喜ばしい交流だった。
 日常生活の面で言えば、フランス人と会話していて常に感じたのは、フランス人にはなれないということである。若い学生と話すさい、私はフランス語で中学校、高校を経験しなかった差を常に感じた。それどころか、彼らは小学校、幼稚園、赤ん坊の頃からフランス語で意思疎通をしてきたのだ。あたりまえのことだが、この差はほとんど同じ時間を使わない限り埋められはしない。こちらの考えていることや、思いをある程度伝えられるようになることは、数年かければ可能だろうが、私自身をフランス語として表現するには数年では足らないだろう。そうした諦観は私を苦しめると言うよりはむしろ安堵させてくれた。私はフランス人にはなれないし、ならなくて良いのである。ある友人が「日本語なまりのフランス語は魅力的だから無理に直さなくて良い」と言ってくれたが、これはある意味で的を得たことばだと思う。私はフランス人には決してなれないし、ならなくてもよい。
 では異国人としてはどうだったのだろうか。このことを考えると、語学教室に通ったことは大変貴重な経験だったと思う。フランスは移民国家だとは聞いていたが、実際レンヌという地方都市ですら多種多様な国籍の外国人がひしめきあっている。わたしたちは時に国の差について愉快に話し、時に批判的に話しあった。恐らく他の国へ留学しても感じるのだろうが、本当に外国人と仲良くするというのは愉快な経験であり、意見の相違ですら面白い。とりわけ、お互いに第二、第三言語で意思疎通するというもどかしさは、コミュニケーションにおいてひと味違った駆け引きや逆に率直さが要求されて、非常にスリリングである。



●帰国
 帰国のさい、基本的にCDG空港を利用することになるだろう。空港まではパリ経由でTGVとメトロを乗り継ぐのが普通だが、本数の少ないレンヌ−空港間の直通TGVを利用するのも良いだろう。
 私はあえてパリ経由にした。留学以前に、1ヶ月ほど滞在したことがあり、留学後も幾度か訪れた思い出の場所であり、名残惜しさを味わいたかったのかもしれない。レンヌに比べると、酷く人が多く、同じ国でもまったく違う街である。
 サン・タンヌで聴く鐘や、夕刻の街の陰影、広々とした公園、若者たちの遠くの喧噪、人通りの少ない煉瓦造りの裏道、教室での会話やクラスメートたちの声、そして冷たい空気。レンヌで味わったすべてが懐かしく思える。ひと月旅行したときにはまったく感じられなかった月日の流れを、9ヶ月の留学を終えた帰国前に静かに感じた。帰国直前に感じる郷愁はまるで幼年期への別れのようで、少し後ろめたく、とても静かだった。
 つたない言葉でやり直す幼年期を、美しく穏やかな街で過ごせた幸運を本当に感謝している。留学に関わってくださった先生がたや職員の方々へ、そして拙い拙稿を読んでくださった方々へ、感謝で締めくくりたい。どうもありがとうございました。