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2015年3月フランス滞在記(パリ、レンヌ)

西山雄二(仏文准教授)

西山雄二(仏文准教授)


2015年3月11日〜24日、首都大学東京の国際交流プログラム「フランス・レンヌ第二大学およびパリにおける異文化理解と学生交流プログラム」を学生6名とフランスで実施した。主な目的は以下の通りである。

①レンヌ第二大学における異文化理解と学生交流──レンヌ第二大学の講義に参加することで、学生同士が現地で交流し、実際に異文化理解を深める。日本語クラスにも参加し、首都大学東京や日本の文化について紹介し、意見交換をおこなう。
②パリの高校での授業参加──パリのジュール・フェリー高校にて哲学の授業を視察し、高校生との交流を通じて異文化理解を深める。
③国際哲学コレージュ・セミナーへの参加──引率者・西山が毎年パリで開催しているセミナーに参加してもらい、現地学生や一般市民との交流や討議から異文化理解を深める。

私自身は学生を連れてフランスを旅するのはこれで6回目である。彼らの人生に最大の刺激を与えるようにいつも予定を組む。見知らぬものと遭遇して、生の変容を余儀なくされ、もっと知りたいという衝動を抱くこと──旅は教育の本質でもある。逆に、この手触りが感じられない教育は退屈である。


(以下、山口莉奈さんによる素晴らしい写真を主に使用させていただく)

11日、いつもの深夜便でパリに発。早朝に着陸するが、パリはそれほど寒くはない。マフラーや手袋が要らないほどの心地よい天候。2年前の学生との渡仏はめずらしく大雪だったことを思い出す。北駅付近の安ホテルに投宿。さっそく市内散策へ。シャトレ、シテ島、ノートルダム寺院へ。寺院では賛美歌合唱に遭遇。無関係だろうけれど、3・11震災4年目のこの日のメモリアルの歌声として聞いた。市役所正面では「シャルリ・エブド、名誉市民」の立て看。デプレ教会にはイスラム国に海岸で惨殺された21人のコプト教徒追悼の立て看。テロへの記憶に対峙する街の風景。昼はケバブ、夜はディープなインド人街でインド料理と、パリ初心者の学生らには刺激的な食事となる。





12日朝、モンパルナス駅からTGVに乗ってレンヌへ向かう。駅にて卒業生で現在レンヌ第二大学に在籍の八木悠允さんと再会。予約してくれていたクレープ屋に向かう。ブルターニュ名物のそば粉のガレットと甘いクレープをみんなで平らげる。その後、交換留学の協定校・レンヌ大学へ。今回、レンヌでは公式の訪問プログラムを2日間用意してくれて、嬉しい限りである。首都大に留学したOdinと、次に留学するLisaさんとMelodyさんとも面会。私がビジネス・ミーティングしているあいだ、昨年留学していた首都大生、現在留学中の学生が、今秋からの次留学予定者に市内を案内。スーパーでの買い物の仕方、公園やレストランなどの説明をしてくれた。交換留学が始まってわずか三年だけれど、こうして学生から学生へと受け継がれていく伝統は実に実り豊かで感動的だった。







13日、レンヌ大学での公式訪問2日目。朝、附属の語学学校CIREFEにて中級B2クラスの授業を見学させていただく。短編映画を題材にして、その理解が深まるような工夫が盛り沢山で感嘆した。使用されている言葉とその定義、学生の自発的な発言の助長、ついて来られない学生の支援などの配慮が職人的になされていた。大学の語学授業にもこのようなプロフェッショナルな授業が望ましい。次に、日本語クラスの見学。同行した学生らがフランス語で3本(東京紹介、首都大紹介、学生生活)、レンヌ学生が日本語で1本の発表(レンヌ紹介)。一月間努力した成果が十分に発揮できていて、素晴らしかった。午後は芸術学科の実技に参加。課題は「シャルリ・エブド襲撃事件以後、表現の自由とは?」 パソコンを使用して、映像、動画、音楽などを複合して、課題に答える作品を創造。学生らが自分の作品に込めた理念や創作原理を説得的に語ってくれたのには驚嘆。また、デッサン実技の授業にも参加し、考えないで見えるものを書く練習を経験した。以上、レンヌ側の準備のおかげで充実した2日間の訪問となった。





14日、レンヌ大学訪問を終えていよいよモン=サン・ミッシェルへ。天気はあいにくの曇りだが、曇り空に慣れたブルターニュ人に言わせれば、むしろ良好な空模様とのこと。モン=サン・ミッシェルと合わせて、ディナン、グランヴィルまでドライブして市内散策。ディナンは昔ながらの歴史的な町並み、グランヴィルは海風が通り過ぎていく開けた港町。夜、ライトアップされたモンサンミッシェルは圧巻の美しさだった。そんな雰囲気のなか、何となく今日はみんなで豪勢な夕食を食べることにする。





15日、モン=サン・ミシェルからレンヌ、TGVでパリへと移動。毎日移動が続いた前半が終わり、いよいよパリでの定住的な滞在へ。学生とのこれまでの滞在と同じように、今回も大きなアパートを借りて、6名の学生らと合宿的定住を開始。今回はシャトレ・レ=アールの前の5部屋のアパート。エレヴェーターなしの屋根裏だが、これまで見たこともないほど清潔かつゴージャス。快適な共同生活のスタートである。



16日、ルーブル美術館へ。テロの影響か、入り口の荷物検査が厳しく、入場まで30分以上かかる。場内はいつも通りのにぎわいで、グランドギャラリーをみんなで観賞。夜は国際哲学コレージュでの拙セミナー。ジゼル・ベルクマン氏の発表と、桐谷慧さん(東京大学)のコメント。これで5年目のセミナーで、会場はほぼ満席となったのは嬉しい。デリダ『哲学への権利』の日本語訳を記念する連続セミナーの初回で、全4回。打ち上げはいつものインディアナ・カフェへ。学部学生から院生、教員など、日仏の30名ほどで、パリで日本的な飲み会の雰囲気が心地よい。




17日、ベルクマン氏が勤務するジュール・フェリー高校を一日見学させていただく。パリ郊外、電車で30分の高校で、レベルは中の上。私はすでに2008年にも哲学授業を見学したことがある。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2008/11/post-150/

まず、ベルクマン氏の3年生文系の「文学」。特別に志村響さんの発表「村上春樹と死 『ノルウェイの森』を読んで」を組んでもらう。1年留学してフランス語を磨いた志村さんの発表は実に見事。生と死の曖昧な閾という結論に対して、質問が相次ぐ。他にも自由討論として、日本に関する多数の質問を受けた。普段は、フロベールの『ボヴァリー夫人』の生成過程を書簡などから解き明かす授業をしているという。




次に、Marion Schummさんの2年生向けの「哲学入門」。文化と野蛮をめぐる授業で、「日本人は笑いながら怒る」というメルロ=ポンティの抜粋から、モンテーニュ、レヴィ=ストロースへと刺激的に議論が展開。学生との質疑からテンポよく高速で議論が進展する。文明人が野蛮人を命名し普遍的な人間性から排除する単線的な進歩史観が批判される。「野蛮というものを信じる人間こそが野蛮人だ」というレヴィ=ストロース『人種と歴史』の言葉が決め手。シャルリ襲撃事件以後、私たちは容易くテロリストを野蛮と名指して、人知れず抹殺するが、そうした立場の安直さを深く考えさせる圧巻の授業だった。

Binaux Raymondさんの「文学」はフランソワ・モーリアックの「醜い子 Le Sagouin」の読解。あらかじめ学生は通読しており、学期末の小論文の添削が返却される。墓地の描写の場面が、教師や母親からの強い疎外感を抱く少年ギヨームの心象風景(死)となっていることを解明。





学食を食べて、午後はSandrine Alexandreさんの3年生文系「哲学」。テーマは「幸福」。アリストテレス『ニコマコス倫理学』に依拠しながら、「人間はみな幸福になるために生きている」という「幸福=人間の普遍的な願望」が正命題。これに対して反対命題を提起。1)幸福にも種類があり、個々人に差がある。アリストテレスによれば、快楽の幸福、社会的な幸福、精神的な幸福がある。異なる幸福のあいだに序列をつけられるのか、その基準は? 2)そもそも幸福を放棄する人間もいる。自己犠牲の道を選ぶアンティゴネーが好例。授業はここで終了だが、その後は、正・反の命題を総合することで結論が導かれるだろう。つまり、幸福は普遍的な願望ではなく、大多数の人間にとっての一般的願望である、というように。
最後は、Frédéric Banonさんによる3年生の英語。オーウェル『1984』を読んで、要約をプレゼン。こちらはレベルは高くはなく、英語を話すフランス人学生らはおどおどして、むしろ日本人的だった。

以上、高校見学は教育を深く考えさせる貴重な経験となった。フランスの高校はいくつかの点で日本の大学1年に相当する。クラスもなく、担任もなく、部活もなく、個人でとりたい授業を選んで、主体的に授業に参加する。教師との対話によって、自分で考えて発言することが基本。教員は職人的と言える授業運営でつねに学生らを牽引して、議論に巻き込む。決められた文献をひたすら訳読するだけの静態的な日本の授業とは異次元の教育がここにはある。個を際立たせる共和国の原理はこうした学校の実践によって保証されるのである。

フランス滞在後半、学生らはパリの生活に順応し、自分たちだけで行動し始めた。ルーブル美術館、凱旋門、エッフェル塔、ヴェルサイユ宮殿、そして郊外のシャルトル村へ。大聖堂のステンドグラスの深い青「シャルトル・ブルー」には納得した様子だった。19日、国際哲学コレージュでのセミナーでは藤本一勇さん(早稲田大学)が登壇。デリダの大学論「モクロス」を技術、言語、民衆といった視点から豊かに分析してくれた。




最後の週末はパリの地下鉄とRERが4日間無料開放されている。パリ市の大気汚染が深刻なので、マイカー自粛のための措置らしい。東京で言うと、東京メトロ、山手線、中央線、埼京線が無料といったイメージ? ありえない大胆な措置にフランス人の奇抜さにあらためて驚く。

ヴェルサイユ門の展示場で週末の4日間開催されているSalon du Livre(ブックフェア)へ行ってみた。フランス各地で開催されるが、パリのものは最大規模で、日本で言うと7月の東京ブックフェアだろうか。パリだけでなく、地方の出版社、海外の出版社、文化機関や防衛省までも参加して多数のブースを設けて大規模。日本漫画やフランスのBDの展示もあるので、子供や若者、家族連れまでが詰めかけてお祭り騒ぎ。




東京BFと異なるのは政治家が来場する点。開会にはペルラン文化相が駆けつけ、私が行った日はオランド大統領が横を通り過ぎていった。政治的パフォーマンスに過ぎないかもしれないが、しかし、日本の政治家は東京BFを見学してこんなことは言わないだろう。「私がここに来たのは、シャルリ・エブド事件以後の表現の自由のためです。このブックフェアこそが、この自由への答えです。思想への信頼、文学への信念による創造性、表現、思考を保たなければなりません。フランスはつねに創造者の側に立ち続けるべきです。」

フランス滞在12日目、ついにあの場所を訪れた。事件が起こったのと同じ昼頃。バスチィーユとレピュブリックのあいだ、まさに革命の記憶が宿る界隈。付近には公園もある静かな住宅街で、本当に事件が起こったとは思えない雰囲気。襲撃されたビル前には柵が張り巡らされ、警官隊がいまだに警備している。付近に追悼の場があり、いまでは枯れ切った花々とメッセージ、祈りの鉛筆などが置かれて散乱している。





メッセージは意外にもフランス人は半数程度で、さまざまな国の人々からのメッセージが多い(ただし日本人のものはなかったようにみえる)。「行き過ぎた表現をした以上自業自得」といった愚劣な反応を排する、現場の荘厳な空気感に圧倒される。枯れた花々が散在し、キャンドルの炎は消えて蝋が溶け落ちてしまった静寂の風景。だがここには、表現の自由を希求する歴史的な息吹が熱く宿っている。情熱の花々は枯れたまま咲き続けており、祈りのキャンドルは蝋が溶けたまま炎を燃やし続けている、いまここで。

最後の夜はベルヴィルのベトナム料理でフォーを食べる。いつも学生らと食べている定番で、肌寒い夜に癒される味。シテ島周辺を散歩し、ライトアップされたセーヌのほとりを楽しむ。短かったけれど濃密だった今回の滞在も終わり。大きな問題もなく無事に終了して何よりだった。深夜より無料のジャズバーで最後の旋律に身を委ね、次の日に成田行きのフライト、さようならフランス。





以上、学生6名とフランスにて14日間の国際交流プログラムを無事に終えることができた。今回は魅力的な企画をたくさん盛り込んだことで、学生のみならず、引率した私自身にとっても貴重な経験となった。まず、学生らの発表準備にはクリス・ベルアド助教の懇切丁寧な支援を得ることができた。レンヌ大学の見学に関しては、国際交流課長Amal Jouffre-El Amrani氏や高橋博美氏、八木悠允氏らの適切なサポートを得た。高校訪問の準備に関しては、ジゼル・ベルクマン氏に尽力していただいた。みなさんの支援に深く感謝したい。最後になるが、今回の充実した交流はひとえに国際交流プログラムの経済的支援によって実現したものであり、その貴重な支援に心より感謝申し上げる次第である。

志村響(心理学3年)

志村響(心理学3年)


 昨年2014年七月の暮れ、ずっと続くと思っていたフランスでの生活が幕を閉じ、シャルル=ド=ゴール空港で日本行きの飛行機に乗り込んだ僕は、まさかその半年後にまた同じ場所に戻ることになろうとは想像もしなかっただろう。それが叶ったのはひとえに、二年前の旅に引き続き今回の旅の同行を許してくれた西山先生のおかげである。この場を借りて、まずは心からお礼を申し上げたい。

 二年前とまったく同じ日にち、同じ時間の便に乗り、東京・羽田空港からパリ・シャルル=ド=ゴール空港へ向かう。その時と比べて思ったのだが、当時は完全に日常から切り離された経験であったのに対し、今回は日常の延長にいつものフランスが待っているという感覚を抱いた。家を出て、いつもと同じ密度のまま十数時間が過ぎると、飛行機の車輪がフランスの大地を踏みしめ、二ヶ月前のシャルリ・エブド襲撃事件のためにいつもより少し用心深い入国審査を通過し、ベルトコンベアーに乗って次々に荷物が運ばれてくる見慣れた景色に遭遇した。

 そこからやはり、いつものようにRER鉄道に乗ってパリ市内に向かう。八ヶ月ぶりのフランスはそれでも親しみやすく、かつてあれほど強く感じた“異国にやってきた”という感覚はどこかへ消えてしまっていた。帰国後あれほど長く感じた日本での歳月も嘘のようで、まるでその間ずっとフランスにいたような錯覚にまでとらわれた。それでいて、僕は自分がパリで電車に乗っている間に日本で流れている時間を想像することもできた。目の前にある景色――空港とパリ市内を結ぶ路線特有の仄暗く退廃的な景色――と、自分が日本に置いてきた日常の風景が奇妙な仕方で重なった。

 今回の旅では、先生と自分の他に五人の同行者がいた。経験者は僕一人で、彼らにとってはこれが初めてのフランス滞在だった。二年前に初めてフランスを訪れた自分の姿と自然に重なった。眼に入るもの全てが新しく、その一つ一つが点と線を成して新しい土地の像が結ばれていくダイナミックなプロセス。初めてそれを僕に見せてくれた先生と、これから自由に像を描いていく他の学生の狭間に立って、不思議な昂揚感と責任感を覚えた。


(一日目、パリ、セーヌに架かる橋にて。この日は初日にふさわしい絶好の天気に恵まれた)

 初日をパリで過ごし、次の日にはTGVに乗ってレンヌへ向かった。しかし久しぶりのレンヌを目の前にしても、予想していたほどの感動はなかった。と言うよりある意味、パリ・モンパルナス駅の国鉄ホームに立った時点でもう半分はレンヌに着いていたのだ。通い慣れた道のりが僕に与えてくれたのは、再訪の喜びというよりはむしろ、帰郷の安心感というのに近かった。

 レンヌで過ごした限られた日数の中で感じたのは、この小さな街に確かに根付き、そして脈を打ち続ける一つの物語の存在だった。僕がレンヌにいた前の年(2012-13年)に一人で留学の口火を切り、今もそこで研究を続ける八木さん、僕の次の年、つまり現在そこで留学中の堀さんや片倉さん、さらには今年の九月からレンヌでの生活が待っている、今回の同行者でもある二人の学生、そして、この留学制度をほとんど一人で切り開いた西山先生が一同に会し、ここレンヌを舞台にしたバトンリレーのような、何年にも渡って脈々と受け継がれる一つの伝統を目の当たりにすることが出来た。大学同士の交換留学制度と言うのは決して一年単位で終始するものではなく、その前後にも時間的な膨らみを持ち、そしてその長さの分だけ多くの人を巻き込み、まるで生き物のように躍動していくものなのだということ、僕がレンヌにいた間には気付けなかったことを、この再訪では思い知らされた。


(レンヌ中心街のカフェにて。僕たち日本人学生の他に、今年、首都大学東京での半年間の留学を終えレンヌに戻ったフランス人学生や、来年から来ることになっている二人の学生も同席していた)

 レンヌでのプログラムは実に充実していた。語学学校CIREFEでの授業見学、レンヌ第二大学日本語クラスでの発表については他の参加学生たちが各々の報告文で記述してくれると思うが、とくによかったのは大学でのArt plastique(造形芸術)の授業に参加できたことだった。テーマは「表現の自由」。各学生が、シャルリ・エブドの一件を発端に、あるいはもっと一般的な尺度でもって、それぞれの思う「表現の自由」を“表現”する。写真、動画、イラスト・アニメーション、マウスで操作可能なイメージなど、その方法は本当に人さまざま。例えば女性の首に手をあてた映像を横から撮り、その周りに赤く淀んだ液体のイメージを添えることで「話すことを禁じられたときの感覚」を視覚化しようとする試みなど、説明を聞けば聞くほど面白い意欲的な作品に溢れていた。それをつくる彼らはプロでも何でもないというのに、自分の作品を紹介する姿は熱意に溢れ、そこにはある種の使命感さえ見てとれた。自分を表現することに対する彼らの気負いや揺るぎない態度には、折に触れ自己主張を避けようとする我々が学ぶべきところは多いだろう。


(この女子学生は題材に「花」を選んだ。理由を訊くと、「私が花が好きだから。これは私の表現の自由だから。この一見重いテーマに対して、もっと軽く、何気ない素材でアプローチしたかった」とのこと。これは“私の”表現の自由なんだと言い切る彼女の口調には、その穏やかな表情からは想像もできない力強さがあった)

 レンヌにいた数日間のうちに、何人かの友人と偶然の再会を果たした。メトロの駅を降りていくところを見かけたり、大学構内ですれちがったり、その度にこの街の小ささを改めて実感した。また、レンヌ最後の夜には友人がサプライズ・パーティーを開いてくれた。当時関わった面々、CIREFEの先生までもが顔を出してくれて、その中にはこの数か月のうちに赤ん坊を出産していたり、いつの間にかフィアンセをつくっていた友人もいた。僕がいなくなっても変わらずに進んで行く街の物語に久々に参加できたような気がして、そんな僕を温かく受け入れてくれたみんなの自然な振る舞いが嬉しかった。その土地に一年いたことの証はそう簡単には消えないのだ、そう勇気づけられるようでもあった。

旅と読書は似ている。読書の醍醐味は、あたかも自分が本の中の世界にいるような気分になって、登場人物たちと時間を共有し、そして現実の世界に戻ってくることである。留学も一種の旅とするならば、その日々の中で得た人々との絆はしかし、いかにそれが色鮮やかなもので確かな手触りがあろうと、その期間が終わり帰国を迫られるのとともに現実から引き剥がされ、本の中だけの頼りない繋がりのように徐々に遠退いていく。一年間の留学を終えたとき涙が込み上げてきたのは、その一年ずっと大事に読み続けた本をいきなり取り上げられた気がしたからだ。でも、今回の再訪が教えてくれたのは、その本は今でも肌身離さず持っているのだということ、そしてその気になればいつだって、どのページでも開けるということだった。


(友人宅でのフェット。僕が抱いている子どもはその友人の息子でそろそろ三歳、上述の赤ん坊とはもちろん別人)

 パリに戻ると、東京で言えば新宿駅にあたるメトロの中心駅シャトレのすぐ側にあるアパルトマンに腰を落ち着けた。二年前と比べるとかなり広々として何でもそろっていて、色調は白で統一されたどこか高級感さえ漂う部屋。暖房が動かなかったこと以外ほとんど完璧だと唸る反面少し垢抜けすぎていて、前回泊まったほったて小屋みたいな、その分なんだかアーティスティックなアパルトマンを懐かしくも思った。ともかくも、ようやく定住できる場所を得て人心地がついた。それに、シャトレの近くにいる限り交通で不便することもない。エレヴェーターのない最上階の部屋まで続く100段の階段も慣れればなんてことはない。


(アパルトマンのリビング。この他に寝室が三つ、屋根裏部屋が一つあった)

 その翌々日、パリの郊外にあるジュール・フェリー高校を訪れた。西山先生の友人、ジゼル・ベルクマン先生が教鞭をとっている場所で、今回の見学は二度目とのこと。こうした交流は、お互いの信頼関係があってこそなせることだろう。日本の大学に通いながらフランスの高校の授業に参加するというのはまずもって出来ないことなので、まずはこのような貴重な経験を持てたことに感謝したい。

 午前中はベルクマン先生が受け持つ三年生の文学クラスにてフランス語での発表を任されていた。発表テーマは「春樹と死 『ノルウェイの森』を読んで」。村上春樹の作品世界を、生者と死者の世界の近接に焦点を当てて紹介した。今時の高校生にも親しみやすいようにとフランスでも絶大な人気を誇る現代作家を取り上げたつもりだったのだが、意外と反応は薄く、村上の名前を知っているという学生はほんの数人しかいなかった。しかしながら、僕が『ノルウェイの森』のあらすじを話し出すとみんな熱心に耳を傾けてくれた。日本から来た大学生が急に自分の知らない日本人作家について語り出すのを、高校生とは思えない寛大な姿勢で受け止めてくれた。それは全て視線で伝わってきたし、自分の話を聴いてもらえるのはそれだけでも嬉しかった。午前中、二クラスに分けて二回分の発表を行ったのだが、二回目は慣れたのかほとんどつっかえることもなく、それなりに満足な出来ではあった。とはいえ心残りな点もあった。僕の発表の後には質問の時間があって、一人の男子学生が的を射た素晴らしい質問をぶつけてくれたのに、僕はそれに答えることが出来なかった。「村上作品では生と死の境が非常に曖昧だと言うが、それは日本文学全体に共通することなのですか?」というのが彼の質問だったのだが、僕は無学ゆえに即座に応答できず、代わりに西山先生がいくつかの例を示しながら的確な返答をしてくれた。いくら発表そのものがよくても、そこに飛んでくるどんな角度からの質問にも対応できるようでなければ決して完璧とは言えない、そういった人の前に立つときに必要な覚悟のようなものを学んだ気がする。


(発表内容に関する質問の後には、日仏どちらの学生からも自由に、それぞれの国の教育や暮らしについて質問が飛び交った)

 午後は一転、哲学、国語(フランス語)、英語の計四つの授業を見学した。哲学のクラスについては二人の若い女性教師による別々の授業に参加させていただいた。これはかなり衝撃的な体験だったので、それについての感想を記したい。一つ目はショートカットでクールな印象の先生による授業で、テーマは「異文化間での感情表現の違い」から「野蛮とは何か」まで、僕ら日本人がゲストにいることも踏まえ、異文化についての多様なトピックで話を広げてくれた。自民族中心主義、排他的価値観、「野蛮の存在を信じることこそが野蛮の始まりだ」とするレヴィ・ストロースの引用など、目まぐるしいほどの論理展開をまさに飛ぶ鳥を落とすような勢いで進めていき、僕の方はついていくのがやっとだった。フランス語の聞き取りに慣れない他の日本人学生のために同時通訳のようなこともやったのだが、あまりのスピードに情報を整理する時間がなく、ちゃんとできたかどうか自信はない。何より驚いたのは、その速さや内容の高度さにも関わらずしっかり先生の話を聴き、時には鋭い質問をぶつける学生たちの姿だった。

 二つ目のクラスのテーマは「幸福」、今度は髪の長い、そしてやはりクールな印象の先生が担当だった。その見ようによっては威嚇的な振る舞いはしかし、学生たちに向けて、哲学的な問いの前では教師も学生も対等なのだと身をもって示しているようでもあった。「幸福は人類普遍の憧れである」、この命題について数々の反例をもとに、単語一つ一つの意味合いを地図の上で住所を確かめるように正確に突き止めながら、システマティックに疑問を投げかけていく。幸福にもいろいろな種類がある、そもそも幸福を求めない人だっている、そんなとき“普遍”という言葉は適当か?一つ目のクラスに勝るとも劣らないスピードではあったが、学生たちはやはり熱心に食いつき、わからない時にははっきりと「わかりません」と宣言しさらなる説明を求めていた。




 日本の教育と比べて思ったのは、「自分がわからないといけない」という危機感の有無の差だ。日本では義務教育の最初から最後まで“クラス”(組)という枠組みが保障されているため、その友達の輪の中で、たとえ自分がついていけなくなっても例えばノートを借りるなどして救いの手を求めることが出来る。あるいは、選択式の問題など答えはもう教科書の後ろの方にあらかじめ書いてある。日本の学生にとっては、問いも答えも最初からどこかに用意されているもので、そこまでの道筋とてなにも自分で見つける必要はないという認識が深く内面化してしまっているように思える。対してフランスの学校にはそもそも“クラス”というものがない。小学校からすでに授業は全部単位制で、その流動的なシステムの中で常に答えを探すのは自分だ。日本の教育がマニュアル化された大船に一度に多くの学生を詰め込むものだとすれば、フランスの教育ではみながそれぞれ一つの小さなボートを漕ぎ続けなければいけない。自分がオールを放したら沈むのは自分だし、漕ぎ方も目的地も全部、最後に見つけるのは自分。そして先生も決して何もかもを掌握する大船の船長ではなく、自らボートを漕いでみせることで、後続の学生たちに助け舟を出しているに過ぎない。この日いくつかの授業を見学し、全体的にそのような印象を受けた。

 また、二年前と同様、今回も国際哲学コレージュにて西山先生主催のセミナーに参加させていただいた。当時はまったくフランス語の聞き取りが出来なかったので、発表を聴いても話の輪郭も掴めなかったが、それに比べ今回はフランス語の対話をその枠の中である程度理解することは出来た。とはいえしっかり内容を把握するには至らなかったのだが、それ以上に勉強になったのは、上記の自分の発表にも通じることだが、アウトサイダーの発表がどこまで人の注意を引くかということだった。今回のセミナーは二回に及んだが、そのどちらの回も西山先生の他にもう一人日本人の方が登壇していた。その彼らがフランスで、フランス語で、さらには日本の作家について話した僕とは違いフランス、ヨーロッパの思想家について話すとき、インサイダーの聴衆がどれほど聴く耳を持つのか。そして彼らがアウトサイダーに向けて質問をするとき、その答えにどれほどの期待を寄せるのか。そんな時、どんな質問にも即座に答える西山先生の姿には本当に多くを学んだ。自信をもって返答する人間に対しては誰しもが注意を払うし、その自信はやはり地道な勉強、探求に裏打ちされたものなのだろう。


(セミナー二日目。パリの路地裏、見つけるのも大変なひっそりした会場にどこからか人が集まる)

 フランス滞在最終日、一足早く飛び立った他の仲間を日本に見送り、西山先生と二人でパリ11区にあるシャルリ・エブド本社を視察しに行った。事件から二カ月半が経ってもなお、供えられた数々の花束は枯れた姿で、数えきれないメッセージカードとともに残っていた。また、通常の献花とは違うのが、至る所に「表現の自由」の象徴とされるペンが置かれていたことだ。“Je suis Charlie(わたしはシャルリ)”の名前部分をペンで象ったものまであった。そうした雑然とした現場を目の前にして、衝撃のあまり言葉が詰まった。ここで、この場所で、一方はペンを握り、一方は拳銃を握り、信じる対象の違いから、そんなちょっとした歪みから、命を落とさねばならなかった人がいたのだ。ほんの数か月前のその光景を想像して、間近に迫る銃の気配を感じて、やりきれない気持ちになった。“Je suis HUMAIN(私は人間だ)”、こんな簡単な一文を、何千年経っても人は理解できずにいるのだ。




(シャルリ・エブド本社前にて)

今回の滞在で、長短含めフランスに渡るのは三度目となった。最初にこの国を訪れたのはちょうど二年前、同じプログラムでの十日ばかりの滞在だった。雪に覆われた、寒々しく、そしてまた白く煌びやかなパリの街並みが記憶に新しい。そして、その半年後には一年間の留学の入り口に立っていた。しかし何度か角を曲がるうちに出口はすぐにやって来て、あれだけ馴染んだフランスという国から素っ気なく放り出されたような気がした。そして日本に帰り、その言いようのない圧力に押し込められ、フランスというあまりに漠然としたイメージは僕の頭の中で、そこで積みあげた数々の記憶とともに陽炎のように彷徨っていた。今回、三度目の滞在にして、ようやく自分の中にしっかりとこの国の居場所をつくれた気がする。遠くて近いフランスとの距離感を、ようやく見定められた気がする。


(パリ・シャルル=ド=ゴール空港にて、帰りの便を待ちながら)

 最後に、この旅を支えてくれた全ての人々に感謝したい。まずは、航空費を負担していただいた国際課の方々に。二年前は航空券も含め全て自費だったので、それに比べると金銭面での負担はずっと軽く、その分また余裕を持ってフランスでの日々を有意義に過ごせたように思う。次に、レンヌでお世話になった先生方、レンヌでの滞在中ずっと僕たちの面倒を見てくれた八木さんや堀さん、僕の短い滞在に合わせて、時間を縫って会ってくれた友人たちに。また、パリ郊外でのジュール・フェリー高校見学の際、僕たちを温かく迎え入れてくれ、授業の見学まで快諾してくれた教員の皆さん、とりわけ、僕たちの訪問を取り次ぎ、僕に発表の機会を与えてくださったベルクマン先生に。それから、この二週間行動をともにし、ともに学びの場を作っていった他の学生たちに。こんな頼りない自分の言葉に耳を傾けてくれて、ついて来てくれてありがとう。

そして冒頭に重ねてになるが、既にフランス経験者であるにも関わらず、今回の旅に僕を招いてくれた西山先生に改めて感謝申し上げたい。二年前の最初の滞在がなければそもそも僕はフランス語を始めてすらいなかっただろうし、その後のレンヌでの留学も全て、西山先生の支えなくしては実現しなかった。それに加えて今回参加させていただけたこと、こうして数々の機会を頂けたこと、本当に光栄に思います。ありがとうございました。

山口莉奈(仏文3年)

山口莉奈(仏文3年)


今回西山准教授にお誘いいただき、国際交流プログラムに参加することを決めた。内容に移る前に、まずこのような貴重な経験の機会を設けてくださった西山准教授に感謝を申し上げる。

私にとっては今回のプログラムが初のフランス滞在、さらに言えば初の海外渡航であった。もちろん不安もあったがどちらかと言えばこれから待っているフランスでの滞在生活、そして決して旅行などでは経験することのできないプログラムの数々に胸の高鳴る想いで飛行機に乗っていた。今回のプログラムの感想をただ一言で述べるとすれば「百聞は一見に如かず」という言葉に尽きるだろう。私はこれまで仏文の学生として過去に留学した学生やフランスからの交換留学生、先生による授業の中で様々にフランスという国の知識を得てきた。しかし、そこから想像していたフランスは、実際に目で見て歩いて生活して感じてみるとまったく違うものだった。これまで読み聞きしてきた様々な知識はフランスという国を理解するうえでほんの一部にすぎなかったと実感する10日間になった。

初日のパリ市内散策。フランスの首都であるパリは街並みから東京の近代的な高層ビルの立ち並ぶ景観とは異なり、最高でも6階建てのオスマン様式の建物が道路を挟むように立ち並んでいた。景観を意識しているのかバルコニーに洗濯物はなく、どの建物もほぼ同じような外観で迷子になりそうだった。建造物も工事中であれば大きなパネルに建物の外観を描き、景観を損ねないようにしているのが窺えた。さらに歩けばすぐに有名な歴史的建造物に出会う。写真が好きな私にとっては非常に撮りがいのある街だ。そのわくわく感によって、いつもは嫌いな歩くこともパリでは楽しいとさえ思えた。しかしそのようなオシャレで綺麗な街並みの一方で、道端にはゴミやたばこの吸い殻が多く見受けられ、物乞いも多い。そして駐車場が少ないため道路には路上駐車の長蛇の列があるのが当たり前の光景となっていることへのギャップに驚いた。もちろんごみ掃除の人もゴミ箱も日本より多く、いたるところにあるがはっきり言って日本の道の方が綺麗だろう。パリは街並みが綺麗でお洒落で…・・・というようなたいていの日本人が描くイメージはもちろん間違ってはいないが、それはたとえば絵の一点を見ているのに過ぎず、絵の全体像を見ることはできていなかったのだと街を歩きながら実感した。



特に印象に残っているのはノートルダム大聖堂をはじめとする様々な教会とリュクサンブール公園の2つだ。パリに限らずフランスには教会が多くあり、教会めぐりなどもたやすくできるし無料なことが多い。そのどの教会にも小さなチャペルがいくつもあり多くの聖人が祀られているのが特徴的だった。日本の教会は(少なくとも私の知る限りでは)たいていイエスとマリアの銅像があり、彼らに祈るのが一般的だろう。フランスのように聖人ごとに小さなチャペルがたくさん設けられその一つ一つにロウソクが建てられているのはあまり見たことがない。このような建造物を見る限りでも伝統的な宗教信仰というものが日本と比べると非常に長く、深く根づいていることが窺える。そしてもうひとつのリュクサンブール公園はとても広く開放的な空間だった。なぜ印象に残っているかと言えば、平日の昼間であるにもかかわらず、たくさんの人々がゆったりとくつろいだ雰囲気で池の周りの椅子に深く腰掛け談笑していたからだ。その公園には遊具やこれと言って眺めるものなどもない。ただ池と大量の椅子がある中で人々は純粋に会話を楽しんだり、一人でいつまでも物思いにふけることも寝ることもできる。とても良い雰囲気で時間を気にせず、世の中の喧騒にも触れずくつろげる場所で個人的にお気に入りの場所になった。




2日目は早くもパリを離れTGVに揺られてレンヌへと向かった。交換留学を行っているレンヌ大学への訪問だ。TGVに乗ると10分後には周り一面の牧草地が広がっていた。日本で新幹線に乗って10分後に畑が広がることはまずないだろう。あらゆるところまで手が及び開拓されているのだろうという先進国フランスに対する勝手な思い込みは早くも打ち砕かれる結果となった。レンヌの街並みはパリのものと比べるとそこまで人工的でなく自然に街として出来上がったような印象を受けた。レンヌ大学を見て受けた印象は首都大を初めて見たときの印象とそんなに変わらなかったように思う。校舎は綺麗でキャンパスは広く、学生たちは芝生で談笑をする人もいれば、友人と共に次の授業へと向かうために歩いている姿もある。強いて言えば首都大よりも自転車が圧倒的に少なく、周りに広大な森はないといったところだろうか。冬は曇りが一般的で空は少しどんよりしているようだが、校舎が白くて明るいのでさほど気にならなかった。夏はよく晴れるが、日本のようにじめじめはしないので過ごしやすいようだ。それぞれの校舎がアルファベット(A棟B棟というように)で分けられ、表記も大きいので首都大より迷うことは少ないかもしれない。



レンヌ滞在2日目にレンヌ大学の日本語クラスの1年生の前で日本の学生たちと今年日本に留学をするフランス人学生2人がそれぞれ相手の国の言葉で発表を行った。私は1人で首都大について10分程度の発表をした。スライドづくりにはみんな苦労をしていたが、フランス人のベルアド先生に実に的確に添削をしてもらったおかげでなんとか完成させることができた。フランス人の学生たちは1年生といえど非常に大人びていてどうみても年下には見えず、正直怖気ついていたが、発表を笑ってくれていたり、メモをとりながら聞いてくれていたりとあたたかい雰囲気に救われた。授業の最後には日本語で「さよなら」や「ありがとう」と声をかけてくれる学生もいてとても雰囲気が良かった。フランスに来てから日本では当たり前だと思っていることがフランスでは当たり前でなかったり、またその逆もしかりということを多く経験し、発表ではもっとそういった点にスポットを当てて発表したかったという心残りも少しはあるが、非常に充実した貴重な経験をすることが出来、機会を与えていただけたことに感謝するばかりである。今年日本に留学するフランス人の学生とお話することもできた。その中である学生になぜ日本に来たいのかと尋ねると「日本のジブリアニメが好きなんだ」という答えが返ってきて、遠い異国の地にも日本の文化が愛され、日本に行きたい、日本で学びたいと思ってもらえることは日本人としてとても嬉しく、普段はあまり意識することにない自分の国の文化に対する誇りや特異性というのを発見できたように思う。その後学食で日本語クラスの日本人の先生方と昼食を一緒に食べたが、皆温和な方ばかりでレンヌの魅力や学生の雰囲気、パリの観光地の話など親切に話してくださった。学食は日本と比べるとフルーツやデザートが豊富で料理も美味しくとても魅力的だった。





昼食後、レンヌ大学の芸術の授業を二手に分かれて見学することになり、私はシャルリ・エブド襲撃の一件で今日よく取り沙汰される「表現の自由」についての授業を見学させてもらった。そこでは学生たちが自由に彼ら自身の「表現の自由」を動画や画像、アニメーションを通して表現していた。首都大のインダストリアルアートコースの授業がどうであるかはわかりかねるが、少なくともこれまで学校で受けてきた技術や芸術の授業はある特定のツールを使っての授業が多かったので、こういったある一つの政治的なテーマを題材にしている授業は私にとっては新鮮だった。作品は非常に個性豊かで多様性に富んでおり、誰一人としてその作品に対しての自分の想いを語れない人はいなかった。ある学生は愛をテーマにした絵本をモチーフにした作品を作っていたり、性というタブーに注目して大胆な画像を作成している学生、子供遊びを使って宗教という深くデリケートな対象を批判する学生、自分の好きな花というモチーフを使って“自分の”表現の自由を示している学生、犯罪か芸術かという微妙な境界に着目をしている学生などなど、と本当に様々でアイデアは無限にあるのではないかと思うくらい自由でユニークでどれも興味深いものだった。今回は留学している日本人学生たちに難しい部分は通訳をしてもらいながらなんとか理解し、自分の言葉と力を借りながらそれに対する感想も伝えることが出来たが、言語が違うことが意思疎通をする上で大きな障害になり、言葉がなければその表現に込めた真の想いや意図を伝えることが出来ず、誤解を招いたり勘違いされてしまう恐ろしさも身を以て実感した。自由に見せてもらった後は先生と学生と全員である学生の作品についてのディスカッションがあり、そこでは次々と学生が発言して作品について深堀りをし、日本の大学ではまず見ないような自由で積極的な議論が行われていた。先生が評価すると言うよりは先生が学生間のパイプ役となって議論を橋渡しし、どういう工夫をすればもっとその作品が良くなるのかなどのアドバイスをして議論を進めており、学生主体の授業スタイルにはとても好感がもてた。



このようにレンヌでは驚くほど次から次へと多くの貴重な経験をさせてもらった。交換留学をしている大学に出向いてここまでいろいろな中のものを見せていただける機会はここ以外ではないと言っても過言ではない。レンヌの学生の過ごし方や授業風景、学校の雰囲気、どれもおだやかで非常に過ごしやすい大学だと感じた。

フランス滞在5日目。現在留学中の八木さんや堀さん、そして3日間過ごしたレンヌに名残惜しさを感じながらもTGVに乗ってパリにもどった。ここからはパリのLes Hallesにアパートを借りて過ごすことになる。レンヌと比べればパリは人が多く(と言っても東京ほどではないが)少し警戒してしまう。街にはケバブ屋さんがたくさんあり、中国・タイ・インド・日本などアジア料理屋さんも数多くある。SUSHIと書かれた店もたくさんあり、日本=寿司のイメージはこうやってできるのかと実感した。アパートのある地域には東京でいう新宿並みの路線が交わるメトロの駅があるが、新宿に比べればラッシュ時であっても混んでいるとは決して言えないほどだった。パリに慣れてしまうと日本の通勤ラッシュなど二度と乗りたくないと思ってしまう。メトロはスリが多いと言うことをいやというほど聞いていたが幸いにも今回の滞在では誰も何も盗まれずに済んだ。しかカフェで携帯をテーブルに置いたり、チャックのない鞄でいると本当に危ないそうなのでパリに行く際には用心すべきだろう。パリももちろん悪い人ばかりではないだろうが、日本は財布や携帯を落としても戻ってくる非常に平和な国だと痛感した。



7日目にジュールフェリー高校での訪問と授業見学をさせてもらった。まず高校が見えた時からその周りにいる学生たちの大人っぽさに愕然とした。自分たちが高校生の頃を思い出すと恐ろしいくらいだ。もちろん制服はないし、髪形も髪色も服装も自由、アクセサリーだって規制したりしない。生徒の自由が保障されている代わりに高校は単位制だ。自分で単位数を考え計算して授業に出ていないと単位は保障されない。日本でいえば大学と同じである。授業風景もパソコンやタブレット端末を使ってノートをとる学生もいる。日本の高校ではなかなか見かけない光景だ。

全部で哲学の授業を2つ・国語・英語の授業を見学したが、やはりなんと言っても日本にない哲学の授業は非常に興味深いものだった。一つ目の哲学の授業はまずある哲学者のテキストを読んでからテーマへ生徒を導くところから始まる。今回の授業では「文化の違いを受け入れること」というテーマだった。哲学の授業と聞くと私は「○○が△△と言っていて、こういう思想でこれは誰に影響を与えて…」というような知識単位での授業だと思っていたのでそれとの違いに驚いた。どう違うのかと言えば、その授業の主題が倫理や道徳を主としたテーマであるということだ。哲学の授業を日本の高校で置き換えてみると近いのは「倫理」だろうが、日本の倫理の授業はただ単に大学受験のために知識として覚えるだけのものであって、自ら先人たちが考えてきたテーマや思考に考えをめぐらせることは好きでない限りなかなかしないだろう。どちらかというと、小学校でやる「道徳」の授業の方が近いかもしれない。高校でこのような答えのない高度で哲学的な思考に触れることは今後の自分のあり方や価値観を養う上で他人の意見も聞くことができるため非常に良い経験であると感じた。先生も生徒の立場になってテーマを提示し、発言を促し、疑問に対しては即答で返していたので先生のスキルも非常に高いものであるのだろう。また一つ一つの言葉の意味にまで言及して、適切な単語に直させるということもしていて、言葉の伝わり方や抱くニュアンスを重要視していることからも繊細さが伝わってきた。

しかし一方で日本でこのような授業をしてうまくいくかと言われればそうではないと思う。なぜなら日本の学生はまず自分で発言しようとしないし、発言することを恥ずかしいと感じており、自分の独自の意見を尊重するよりも他と同じであることに安心を覚えるからだ。この哲学の授業では生徒たちは当てられなくても次々に発言し、授業中でもおしゃべりをしていて少し騒がしい。しかしそのおしゃべりは大抵が授業の内容に関するもので友人と意見を交換してはその後発言するのだ。だからこそ先生も生徒のおしゃべりに対して怒ることはない。日本の授業風景とは全く異なり、授業に活気を感じた。



国語の授業はそこまで日本と変わりないと言う印象で、ある本を一冊読みその中の描写から人物の関係性や未来を予期する部分を探して筆者の意図を読み解くものだ。ただ一つ違うとすれば日本ではある程度定番化された教科書に付随するプリントや板書を通したワークを使わず、ほぼすべて口頭で行っていることだろうか。そして授業の中で文章の話題と関連して哲学者の話題も出てくるところもあり、それは哲学の授業が一般化されているフランスならではの部分だと感じる。そして教材に関連してたまたまかもしれないが第一次、第二次の世界大戦の話題に触れていたのが印象に残っている。しかし哲学の授業でも触れていたので触れる機会は多いのだろう。フランスは戦勝国で、街中にも戦時中の英雄の銅像や名前があちこちにあるが、多くの犠牲を払った悲惨な出来事を忘れないようにしている印象を受けた。もちろんこの授業でも音読ではすぐに手が上がり、発言も積極的だった。

他にも高校では図書館や学食も見学したが、高校というよりはやはり大学に近いイメージだった。しかし、お昼にはみんな寒い中外に出て遊び、毎休み時間も教室は移動式なので校門の外に出てたむろしおしゃべりを楽しんでいてとても活動的な生徒たちで、そこはやはり高校生らしいとも思った。部活動や委員会が学校内でない分、自由にかつ集中して勉強ができる環境と言えるだろう。久しぶりに高校の授業をがっつり受けたので多少疲労を感じたが、非常に充実した見学プログラムだった。

滞在中に2回、西山先生のセミナーに参加させていただいた。フランス人哲学者デリダについて、フランスという土地で、デリダに関心のあるフランス人ばかりの前で、それをフランス語で発表することの難しさを目の当たりにし、その重要性も同時に実感した。外国人哲学者を研究するうえで、その中にはその国の人間としての価値観や文化が根底にあり、そのすべてを理解することは非常に困難だろう。研究についてもきっとその国の研究者よりも何倍の時間と労力がかかるはずである。それに果敢に挑戦し続けているこのセミナーは大変貴重であると感じた。内容は難しくフランス語ではもちろん、きっと日本語でも把握に苦しむだろうが、フランス人はみな日本人の発表に真剣に耳を傾け、時間の限り質問し、時々笑いを交えながら議論は活発に進んでいたように思う。私にとってはなにより、日本人のフランス語、フランス人のフランス語、そのイントネーションやスピードがどれも様々でただ一辺倒にCDの綺麗なフランス語だけを学んでいるよりも、やはり現地で実際に聞いて話して慣れるのが一番身に付くということを改めて実感した。

フランス滞在中に訪れた観光地の中で印象に残っているのはルーブルおよびオルセー美術館である。ルーブル美術館はアパートから歩ける距離にあり、外観から非常に美しいつくりになっていた。外にはうさんくさいエッフェル塔売りがいたので注意が必要だ。有名な三角錐の地下に降りると大きな吹き抜けの空間にチケット売り場があり、透明な三角錐から明るい空の光が射していて開放的な空間となっていた。オーディオガイドは日本語もあり、しかも日本の任天堂の製品「Nintendo 3DS LL」がガイドとして使われていた。大きな画面で館内の地図を見ることが出来たり、気になる作品を検索も可能、現在地もわかりやすく閉じていても自然に説明が流れる。解説のある作品は拡大して画像を見ることもできる。しいて言えば少しかさばるのと、電池の減りが早いことが難点だろうが、日本の製品が世界的な美術館に利用されていることを誇りに思った。



ルーブル美術館は非常に広く大きく、2階のグランドギャラリーの長さとその作品の多さには圧倒された。「モナリザ」「ミロのヴィーナス」はもちろん、ほかにも見たことのない作品に数多く触れ、新たな発見や感動が非常に多くあった。2階のキリスト教絵画は圧巻であるし、画家によって同じ場面を描いていても全く違うタッチで印象も異なるので、大変興味深くいくら見ていても飽きなかった。グランドギャラリーは今となっては絵画があちこちに飾られた回廊となっているが、もとは窓がたくさんあり、とても絵画を飾るようにできていなかったと言うから驚きである。そんなころに未来のグランドギャラリーを予期するかのように描かれた(これをモチーフにしたのか)作品もあり過去と未来、現実と絵画の中の世界が入り組んだような不思議な感覚だった。ただ本当に広いのでとても1日ではすべてを回りきることはできないと言う印象だった。訪れる際は見たい場所を決めていった方が良いようだ。フランスに来た際には必ず訪れたい場所だと思う。




一方、オルセー美術館は駅舎を美術館にしただけあって大きな時計や吹き抜けの空間が非常に美しかった。ルーブル美術館と比べれば小さく展示も少ないので2時間程度で回ってもすべて回ることが出来、十分楽しめるものだった。ルーブル美術館とは異なり、ユニークな点描やゴッホの自画像などがあり、また違った楽しみ方ができた。美術館はどこも最初に荷物検査があり、先日のテロの影響が出ているように感じたが、それ以外ではさほど違和感を感じることはなかった。

パリは夜も美しく、もちろん物騒なので気を付ける必要はあるだろうが、歴史的建造物のライトアップや街明かりに照らされたセーヌ河はいつまでも眺めていたいと思うほど綺麗だった。



最後に、今回フランスを訪れて、最初に述べたとおり「百聞は一見に如かず」を痛いほど痛感した。そしてこれまでのイメージとのギャップに驚かされると同時にますますフランスという国に興味がわいた。自分自身にも同行した学生たちにとっても同じ温度だがきっと違う味を持った思い出深い経験になったことだろう。このような貴重な経験が出来たことに対して、両国の大学、ジュールフェリー高校、両国留学生、そして何より西山先生にこの場を借りて改めてお礼を述べることで報告文とさせていただく。

浅利みなと(哲学3年)

浅利みなと(哲学3年)


カエサルはこのような言葉を残している。「人は現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は見たいとおもう現実しか見ない。」ここフランスの地において私たちは異邦人だ。そこには新しい現実がまっている。その現実の中で私たちは何を見るのだろうか。

私はシャルリ・エブド事件以降、フランスという国の移民事情に少なからず関心をもっていた。シャルル・ド・ゴール空港から北駅を出て最初のホテルにたどり着くまで、アラブ系の人が多く目に映った。街を散策してみても気がついたが、清掃や工事といった肉体労働をしている人の多くはアラブ系である。電車に乗ってくる白人とアラブ系の人の比率にも、駅ごとでなんとなくばらつきがあるように感じた。それが良いか悪いかは別として、明らかな区別がパリにはあった。日本人が描くステレオタイプ的なパリのイメージとはかけ離れた現実を初日に目の当たりにする。私が見たいとおもっていた現実はフランスの日常だった。



2日目は首都大の仏文と交換留学を提携しているレンヌ第二大学を訪問するために朝からTGVに乗ってレンヌへ。TGVの窓から見えるフランスは、驚くほど殺伐としていた。駅を出て5分もすれば見わたす限り牧場や木々が広がっている。農業大国フランスを思わせる光景であった。
ホテルへ荷物を置いて足早にレンヌ第二大学へ向かうと国際交流課長のアマルさんたちに手厚い歓待を受ける。レンヌ第2大学と首都大は3年前から交換留学を開始した。まだ日は浅い。この交換留学をほとんど独力で創設された西山先生が強調されていたが、こうして直接相手のところに足を運ぶことには大きな意味がある。現代では何事もメールやSNSなどで一応のつながりを保つことができてしまう。実際、交換留学は書面上でのみの契約が少なくはなく、現地へ頻繁に教職員が足を運ぶことはかなり稀だという。私たちは東京から12時間飛行機に乗って、パリから2時間かけてはるばるレンヌまで来た。面会人たちはその重みを無意識に、しかし必ず受け取ってくれているのだろう。それに、今年の秋からレンヌ第二大学へ留学する仏文の2人にとってもこれだけ安心できることはない。人間と人間が直接向かい合うことの意義や可能性を再確認させられる。


人前で話すというのもそういうことだろう。レンヌ第二大学の日本語クラスで「東京」「首都大」「学生の食生活」という3テーマのフランス語による発表は今回の大仕事であった。この滞在のお話をいただいた時点で、半年ほどろくにフランス語を勉強していなかった私にとってこの発表は大変なものであったが、結果的に言えば、大変貴重な機会を頂けたことに感謝したい。ふと思い返してみても、同年代の外国人が自分のクラスに来て日本語で発表するのを聞くという経験を一度もしたことがない。外国語学習者がその母語話者に向けて何かを発表するという経験そのものの希少性に気づかされる。私は「東京」についての発表をした。フランス人が思い描く東京のイメージがどんなものなのかは想像できないが、ガイドブック的なものではなく等身大の「東京」を伝えたかった。正直言って暗記した原稿を頭の中で追うので精一杯だったので細かいことはあまり覚えていないのだが、レンヌの学生たちは私の拙いフランス語にも耳を傾けてくれていたことは記憶している。言葉が届くのはやはり嬉しい。彼らの中に少しでも価値観の変化があればと思う。

来年首都大へ留学してくる2人の学生による「レンヌの学生生活」についての日本語による発表は日本語の初学者とは思えないほど見事で、すっかり聞き入ってしまった。アルバイト先の塾で国語を教えている身ということもあり、ヨーロッパ言語を母語とする人にとって日本語を学ぶことがいかに大変かは容易に想像できる。しかし、日本語を学ぶことを選択して、日本語で自己表現をしようとしているフランス人が目の前にいるという事実に心を揺さぶられた。日本で2人に会うのが楽しみだ。私もそれまでにフランス語を磨いておかねば。




発表の他にもレンヌ第二大学で、大学内に併設されている語学学校CIREFEの授業見学や芸術の授業への参加をさせていただいた。特に日本と比較できるという点で、語学の授業の在り方には考えさせられる。語学の授業ではいきなり教科書などにとりかかるのではなく、最初にパネルを使って語彙の定義の確認し、次に映画を使って先生が学生に質問を投げかけていくといったスタイルだった。日本の語学の授業ではあまり見られない光景だ。先生は学生全員が能動的に参加できるように授業のプログラムを組んでいる。決して先生の一方通行などではない。もちろん、そのぶんだけ授業の準備は大変なのだろうが、これだけのクオリティの授業を受けられるCIREFEの学生がうらやましい。



多くの日本人は大学に入って初めて第2 外国語を学ぶ。それを楽しみに大学に入学してくる学生も少なくないだろう。1年次では英語以外の新しい世界への興味で少なからず学習意欲が保てるだろうが、その難しさなどに挫折を感じて、必修でなければ2年次には履修しない学生は多い。あるいは、基本文法を終えたあとはひたすら和訳の授業しかなくて退屈を感じ、学習意欲を失うこともあるだろう。それは非常にもったいない。語学を学ぶことは確実にその人の世界を広げ価値観を豊かにする。フランスに滞在して確信した。だから、語学を教える者はその語学の魅力や楽しさを余すことなく教えられる人間であってほしい。中学高校の英語の授業も含めて日本の語学の授業は少なからず見直すべきところがあるだろう。

大学だけでなく、レンヌのMaster(修士課程)に在籍している八木さんと去年留学していた響、現在留学中の堀さんにレンヌ市街を案内していただいた。初日に少しだけ眺めたパリは街並みには理路整然とした印象を抱いたが、レンヌの街はむしろ雑多でいろいろな建物が混在しており街として味があった。彼ら三人の案内のおかげでタボール公園などレンヌの名所から、大学近くのスーパーなどレンヌの生活のリアルなところまで知ることができて面白かった。特に感銘を受けたのは週末にだけ市内で開催される大規模なマルシェ(市場)だ。野菜や果物、肉、魚、チーズ、ワインなどあらゆる食材が路上に並んで活気に満ちた売買が行われていた。こうした露店と大型スーパーが共存している。日本ではまず見られない光景だけに、非常に新鮮で驚いた。



パリに戻り、郊外のジュール・フェリー高校を一日見学した。午前中は文学の授業で響が高校生相手に村上春樹についてフランス語で発表。彼はフランスの高校生をしっかりと惹きつけ、その後の質疑応答もフランス語でやり取りしていく。同い年の学生が巧みにフランス語を操る姿には純粋に憧れた。



一方の私はフランス語はおろか、英語も全く満足に扱えない。フランスで何度もこうした自分の無力さを痛感した。日本で経験したことのないみじめな感覚だった。今回の滞在で一番大きな収穫は自分がいかに無力かを知れたことにあるかも知れない。しかし、この挫折が今後の自分にとって何よりの糧になるだろうと信じている。

午後は授業見学をさせていただいた。フランスの高校3年生は「哲学」の授業が必修だ。曲がりなりにも2年間哲学の専門講義を受けてきた身なので、フランスの高校生がどのようにして哲学を学ぶのかは興味深いところである。午後に見学させていただいたのは高校2年生への入門授業であったが、結論から言えば、感動した。見学した2つの哲学の授業の先生は2人とも博士論文を執筆中の若い女性。響と西山先生が翻訳してくれたおかげで授業にもついていくことができた。50分間、彼女たちの口は止まらない。ある決まったテーマに対して引用を使いつつ問題提起を続ける。もちろん、学生から意見、反論にもしっかりと応答するがテンポは崩さない。「野蛮」や「相対主義」を議論の中心に据えつつ、メルロ=ポンティ、モンテーニュ、レヴィ=ストロースの3人を接続して、ダイナミックな授業を展開。「野蛮の存在を信じる者こそが本当の野蛮」と語る姿は美しくかっこよかった。



一方、日本の大学の哲学の講義は基本的に文献を地道に読み進めていく。もちろん、これはこれで大切な作業だ。しかし、あるテーマに対して自由に意見が飛び交う場がフランスには確保されている。学生は自分の考えを表明することを強いられるが、誰の考えにも制約されることはない。個人の経験すべてを凝縮した発露と、個人と個人のぶつかり合いがそこにある。地道に文献を読むとなれば、その著者の考えをベースにしがちになり自由な発想が制約され、結局二番煎じに終わってしまうこともあるかもしれない。フランスの高校には、それとは逆の完全に自由な哲学の場がある。それこそ本当の哲学なのではないかと考えさせられる。

国際哲学コレージュもまた、自由に哲学の討議がおこなわれる場だ。20世紀フランスを代表する哲学者の一人ジャック・デリダを中心に創設された教育機関である。西山先生はそこのプログラム・ディレクターも務められており、年一度、パリで連続セミナーを開講している。今回のプログラムの仕事の一つとしてこのセミナーへの参加があった。全てフランス語で専門的な議論がおこなわれるため内容はほとんど分からないが、しかしこの哲学の場にいることに意味がある。このセミナーの場には大学で30年スピノザを教えてきたプロ中のプロもいれば、普段はただの主婦であろう素人もいる。しかし、キャリアなど関係ない。発表者に対して遠慮なく質問が飛び交う。そうした場での自由な対話から生まれる何かがあるはずだ。個人と個人の対峙は決して無意味なものではない。改めて、人間が直接対峙するからこそ生まれる何かがあること、そして予定調和とは無縁なところにこそ哲学の可能性があることを深く心に刻んだ。



こうした参加行事のない時間には存分にパリの街を見て回ることができた。橋の上やメトロの駅中で見事な楽器の演奏をする人、セーヌ川沿いで絵を描く人、市庁舎の広場でブレイクダンスを披露する人、本当に自由だし、その自由が許容される。できるなら、その一人一人と時間を共にしたかった。パリは自由な街だと感じる。
これほどまでに自由で開放感に満ちたパリの雰囲気はどこからくるのか。東京と比べると少しはその理由が見えてくる。自由な街と書いたが、パリの街はある意味でとても人工的な印象を受けた。歩道はあらかじめ広くつくられているし、道路は直線的だし、建物の高さは制限されている。凱旋門の上からパリを見渡すと、ここを中心として全方位に道路が直線に伸びていて、この街がいかに人工的か分かる。東京の都心は首が痛くなるような高層ビルをバンバン建てて「人工的に」発展してきた街なわけだが、東京とパリ、それぞれの文脈で「人工的」という言葉は全く意味が異なる。端的に言えば、パリは都市全体が人工的なのだ。それはまるで1つの芸術作品の中にいるかのようだった。



様々な仕様のおかげでパリは見晴らしがとても良く空も広い。街の中心を流れるセーヌ川もパリの開放的な雰囲気を演出している。東京都心は大量の高層ビルに遮られ空は狭く歩道も狭いからか、どこか閉塞感が漂う。パリで閉塞感を感じることは一度もなかった。都会にいながらこれほどの開放感を感じることは日本ではできないだろう。東京ではどこか切羽詰っている雰囲気が漂うし、エレベーターで一緒になっても挨拶されることはない。パリやレンヌも含め、フランスの人はどこか余裕をもって生きているように見えた。都市の開放感がその余裕を生み出すのに一役買っているのだろう。そうした自由な空気から生まれる学問や芸術があるのだと西山先生もおっしゃる。その自由や開放感が羨ましかった。




そのフランスの学問や芸術を語る上で欠かせないのが、カフェだ。3歩あるけばカフェがあるほどフランスには多くのカフェがあった。レンヌでもパリでちょっとした休憩や時間つぶしのためにたくさんのカフェに入ったが、私はいつも決まって « un café (コーヒー一杯)»か « double café (コーヒー二杯分)»と注文をした。日本でいうエスプレッソだ。一般的なブレンドコーヒーとは違って力強い香りと味が特徴だ。そしてこれが驚くほど美味しい。全身に染み渡り疲れを忘れさせてくれる。今回の滞在の最大の癒しだったといっても過言ではない。日常的に日本で飲むことができないのは少し残念だ。



加えて、1つ後悔していることがある。有名なカフェを下調べしなかったために行くことができなかったことだ。サルトルが通っていたカフェや、映画「アメリ」の舞台になったカフェなど、歴史の舞台となったカフェがパリには数多くある。特に哲学を学んでいる身として、哲学者が愛好していたカフェには是非とも行きたかったと今更ながら後悔している。とはいえ、もしかしたら知らないうち訪れていた可能性もあると思うとなんだか面白い。答え合わせは次にフランスに来るときの楽しみにとっておきたい。

もう一つ、次にフランスに来たときにやるべきことがある。というのも、パリに一つ家を残してきた。



パリでの滞在はホテルではなくアパルトマンを借りたのだが、東京でいう新宿駅にあたるchâtelet(シャトレ)駅の近くでとても好立地だったため、どこに行くにも便利だった。アパルトマンでの生活はホテルとは違い、そこに定住するという感覚が強い。一つの机に集まって皆で朝食を食べ、寝る前に同じ机で今日の振り返りと明日のミーティングをする。アパルトマンの空間も含めて一体感が生まれる。毎日昇り降りした階段も日に日に短く感じた。そして、帰ってくると出かけたときのままの姿で待ってくれている部屋は、定住している何よりの証となる。まさに「家」という感覚だった。もうここに住むことはないだろうが、またフランスに来たら必ずこの家の入口の扉を一目見に来るだろう。

あのときの自分を確かめるために。



最後に、この場を借りて今回の滞在に関してお世話になった方々にお礼を申し上げたいと思います。まず、航空費を大学に負担していただいたことは資金面で本当に大きな助けとなりました。ありがとうございます。また、日本から来た私たちをもてなしてくれた国際交流課長のアマルさんをはじめとするレンヌ第二大学の先生方、街中の案内やフランス語でのやり取り、翻訳をしてくださった八木さん、堀さん、響、高校見学を快諾してくださったジゼル・ベルクマン先生、お忙しい中パリの案内をしてくれたベルアド先生、この方々とフランスという地でかけがえのない時間を過ごさせていただきました。手助け、協力してくれた皆さんがいなければこれほど充実した滞在とはならなかったでしょう。ありがとうございました。そして、何より今回の国際交流プログラムのあらゆるセッティングをしてくださった西山先生には頭が上がりません。航空券、ホテルなどの手配から、街の案内、プログラムの組み立て、費用管理など数え切れませんが、これほどまでに学生のために労力を割いてくださる教官がいらっしゃることに感動を覚えます。本当にありがとうございました。今回のプログラムで得たものを自分なりの仕方でアウトプットしていくことが恩返しになると信じていますので、今後の学生生活ではより一層の努力を重ねていく所存です。

大泉佳菜(仏文2年)

大泉佳菜(仏文2年)


 現地時間3月11日朝5時半頃、シャルル・ド・ゴール空港に到着し、フランス滞在が始まった。自分にとってはフランスも、ヨーロッパも初めてであった。大学に入学してからフランス語を学んできた中で、実際にフランスでフランス語を使って話してみたり、フランスに短期間でも「住む」という経験をしたり、そして、留学の前にレンヌに足を運んで、吸収できることがあればと思い今回の国際交流プログラムに参加した。こんなにも様々なことを見聞きした濃い日々は初めてだったように思う。

 北駅(Gare du Nord)に着き、フランスの地を歩いてみても、何だか夢のような気持ちでフランスに来た実感が湧かなかった。ただ、今まで写真や映像でしか見たことがなかったヨーロッパの建物が目の前に広がり、行き交う人の会話はもちろんフランス語で、自分がフランスに来たのだということをだんだんと実感していった。


(Gare du Nordの駅舎)

 フランス滞在中に面白さを感じたのはフランス人の自由さである。カフェに入ってみるとすぐにメニューを渡されないことも多いし、店主が奥で自分の趣味だろうと思われる編み物をしていたり、タバコを吸い始めたり、隣のレジの人同士で笑って会話しながらレジ打ちをしていたりと驚くほど自由だった。レストランでの食事の時も、一品一品が来るのがゆったりしている。最初はそのような出来事に少し不快さを覚えたりもしたが、あっという間に慣れてしまい、日本に帰ってきた今では日本の生真面目さが怖くなるほどである。時間が経つのが日本とフランスでは違うように感じた。

 今回の滞在では様々な場所を観光することができた。特に思い出に残っているのはパリから電車で1時間ほどの村シャルトルのノートルダム大聖堂である。フランス滞在の後半に訪れたのだが、左右非対称な尖塔がそれまでに見てきた聖堂とは異なり、神秘的な雰囲気を醸し出していた。中に入ってみると、有名な「シャルトル・ブルー」のステンドグラスが、今まで見てきたステンドグラスとは違った深みを出していて、本当に美しく、感動した。午後になると日が出てきたのだが、見学した午前は曇り空だった上、時間の都合上午後は見学できなかったので、是非とも日の光が差す中で再び見に行きたいと思う。



(シャルトル ノートルダム大聖堂と美しいシャルトル・ブルーのステンドグラス)

 今回の滞在で私が最も刺激を受けたのはレンヌでの日々だった。あらゆる場所を見学し、授業を体験させていただき、9月からの留学に向けて心構えをすることができた。中でも、レンヌ2日目は午前に語学学校CIREFEの授業見学、日本人学生&フランス人学生によるプレゼンテーション、学食での昼食休憩をはさみ午後に芸術の授業見学……という濃密なスケジュールだった。その中で特に印象的だったCIREFEについてと芸術の授業に関して記しておきたい。

 まず、大学内に併設されている語学学校CIREFEは、私も9月から授業を受けることになるため、どのような雰囲気や内容で授業が進められていくのか興味津々だった。留学生を対象としている語学学校であるため、当たり前だが集う人は年齢も国籍も様々である。そのように文化が異なる学生たちが「フランス語を学ぶ」という目的をもって、同じ教室で同じ授業を、母語ではないフランス語で受けている。今まで日本で日本人ばかり(たまに留学生の方と一緒になることもあるが)の教室でしか授業を受けたことがないので、頭の中で想像はしていても実際にその様子を目の当たりにしてみると奇妙な感覚を覚えざるを得なかった。フランス語を習得しようと熱心に授業を受けている学生たちの姿を見て、これが外国語を学ぶということなのだと身の締まる思いがした。
 授業は、ある短編映画からまず単語を学び、登場人物の概要をつかみ、物語を把握し……という流れで進められたのだが、全てが無駄なく構成され、計算されていることに感銘を受けた。日本で語学を学ぶ時、ある一定の水準に達すると、自分で学習を進めていくべき部分と、誰かに教わり向上させていく部分とでバランスをとることの難しさを感じていた。CIREFEの授業を受けている学生たちはフランスに留学するにあたり自分自身でもフランス語を学び、習得してきているはずである。そうした留学生のフランス語の能力をさらに伸ばすために非常に考えられている授業であると感じ、9月からこのような授業を受けられることが楽しみになった。


(CIREFEの授業が行われる建物)

 次に、芸術の授業を見学させていただいた感想である。この授業はシャルリー・エブドの襲撃事件を受けて、各学生が「表現の自由」について考え、作品にしたものであった。皆パソコンに作品はいれているが、作品そのものは写真であったり、動画であったり、学生が描いたイラストをつなげたものであったり……と多様であった。授業には20人ほどの学生がいたが、驚かされたのは誰一人として同じような発想、同じような作品がないということだった。そして、「『表現の自由』というテーマでなぜそういう作品にしたのか」と問いかけると、それぞれの学生の口からは主張が次から次へと飛び出してくるのである。今回のことを他人事ではなく自分の頭でしっかりと考え、表現しているからこそできることだろう。そのどれもに納得させられ、自分で改めて考えさせられた。日本人にとっては「表現の自由」というテーマは少し考えづらいものである。同じ年代の学生なのに、自分とは違うその考え方や感覚は衝撃的だった。


(芸術の授業中 一人の学生の作品を皆で見て先生や他の学生が意見を出し合う)

 パリ郊外のジュール・フェリー高校を一日見学させていただく機会があった。この一日も文学・哲学の授業を各2コマずつに、フランス語(国語)・英語の授業を各1コマずつ見学する……という盛り沢山な一日であったが、フランスの高校について抱いた印象と哲学の授業をみて感じたことに絞って述べてみたい。

 朝、高校の前に着いた時、学校の前には何人かの学生がいて話をしていた。最初見たときには近くに住んでいる大学生たちだろうと思った。制服がなく私服で登校しており、日本の高校生よりずっと背も高く大人びて見えたからだ。また、休み時間の過ごし方も日本の高校生とは大きく違う。チャイムが鳴ると、わずかな休み時間しかないのに学生たちが次々と校門から出ていく。1限だけで帰るのかと思ったが、そいうことではなく、外に出て学生同士で話をするのがフランスの高校生の休み時間の過ごし方なのだという。確かに、日本であればクラスという集団があり、先生が教室を移動して授業を行っていくわけだから、学生たちは教室で話をすることができる。しかし、フランスの高校ではクラスという集団が存在せず、HRや掃除もない。ただ、休み時間になればゆっくり話がしたいから外へ……ということなのだろう。最初見たときには体も大きく少し怖い印象を抱いたフランスの高校生たちだったが、そうして休み時間に外で友達と話している姿は日本の高校生と全く変わらず、楽しそうであどけなさもあって見ていて安心した。

(ジュール・フェリー高校 学生たちが学校前で話をしている)

 そんな彼らには、日本の高校にはない授業科目がある。それは「哲学」である。大学入学のために必要なバカロレアという試験でも哲学の科目は文系・理系を問わず必須である。今回は2年生と3年生の授業を見学することができた。日本の高校で哲学の授業に一番近いのは倫理の授業だが、高校時代に倫理の授業すら受けたことがなかった私にとっては未知の世界だった。通訳をしてもらいながら授業を受けてみたが、積極的に意見が出てくるフランスの高校生とは対照的に、私の頭の中身は整理しきれずにいた。もちろん、ずっと黙って授業を受けているだけの子もいたが、必死にノートを取り、発言を重ねていく子も多い。哲学者の文章を引用しながら授業を展開していく先生方の技量もとても素晴らしく、勉強になった。哲学の授業を受けていて、普段の生活の中でどのように役立つのかと聞いてみると、「自分で意見を考え、発言する力が養われる」という答えが返ってきた。それを聞くとフランスの「哲学」と日本の「倫理」とでは全く違うことを思い知らされた。日本人は自分で考えて主張する力とが外国人に比べて弱いように感じる。フランスのように哲学の授業を導入するべきだとは言わないが、やはり自分の意見を発表したり討論したり、深めていける教育の場が必要なのではないかと感じさせられた。


(哲学の授業風景 学生たちはノートを取り先生の方に視線を集中させている)

 また、今回は西山先生が主催された国際哲学コレージュでのセミナーに2回参加させていただいた。フランス語の能力もまだまだ不十分で、内容そのものも極めて難解なため、内容は私が到底理解できるようなものではなかったが、国際的なセミナーに参加することができたということが私の中ではとても貴重な経験だった。国際セミナー、ということで服装もフォーマルで、椅子と机が整然と並べられ……というような光景を想像していたのだが、会場に入ってみると来る人は皆ラフな私服姿で、椅子の並びもまばらで……という世界が広がっていた。かたすぎない様子に少し胸をなでおろしていたが、性別や年齢、国籍もバラバラな方々が次々に集まり、また、いざセミナーが始まるとやはり参加されている方の目は発表者に注がれ、ずっと熱心にメモを取っている。発表とコメントが一通り終わると、質問がいくつか出され、また議論が展開されていく。全体的には穏やかなのだが、その厳粛な雰囲気からは真剣な空気が漂っていて、これが国際セミナーという場なのだということを感じることができた。セミナーが終わると、私たち日本人学生に気さくに声をかけてきて下さる方もいてありがたかった。


(国際セミナー 性別・年齢・国籍バラバラな方々が集まっている)

 滞在中は多くの場所に行くことができ、様々な出会いがあり、素敵な思い出を作ることができた。日本に帰ってきてみると、自分が少しでもフランスに行っていたなんて信じられないような気持ちになる。今回の経験で感じたことを忘れないようにしながら留学に向けた学習や留学に精進していきたいと思う。


(滞在最終日、サクレクールの上からパリを見渡した)

 最後になりましたが、お世話になりましたレンヌ第二大学、ジュール・フェリー高校の先生方、レンヌでたくさんサポートしていただいた八木さん、堀さん、そしてこのような非常に貴重な機会を与えて下さった西山先生にこの場をお借りして感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。

井堀花香(仏文2年)

井堀花香(仏文2年)


3月10日の夕方、既に荷物でいっぱいのスーツケースを引きながら、慌ただしくアパートの階段を降りる。頭の中は、これから始まる旅のことで頭がいっぱいだ。電車で友達と合流し、羽田空港へ向かう。私と同じように友達も、目を輝かせてこれからのことに思いをはせている様子だった。空港に到着し、審査を受け、皆と合流し、いざ飛行機へ。次に降りるところは、もう日本ではないのだ。12時間に及ぶ長時間フライトは、意外と苦痛では無かった。



フランス時間の朝5時30分頃、シャルルドゴール空港に到着。そこでいきなり、私の中の常識が覆される。空港内は無料でWi-Fiが使えるというのだ。これは旅行者にとって大変ありがたいことだ。空港では、早速両親に無事着いたことを報告した。この後実際、フランスにいる間、このサービスの恩恵を至るところで受けることとなる。例えば公園、カフェ、レストラン、美術館、ホテル。Wi-Fiが使える環境になる度に、私は両親、友達にラインをした。フランスは、このWi-Fiサービスの普及が世界的に見ても進んでいるらしい。それと対照的に日本は、会員登録なしにWi-Fiを使えるスポットは数少なく、使えたとしても有料だったりするそうだ。先進国と呼ばれているにも関わらず、このサービスに関してはかなり遅れている様子。日本に来た外国人観光客のことを不憫に思った。



パリの街は、私の想像とは少し異なっていた。上を見上げれば、縦長の窓がたくさんついた石造りの建物がずらりと並んでいる。どれもそれほど高くなく統一感があり、息をのむ美しさだった。一方で下を見ると、歩道のあちこちにごみが散乱しており、しばしば汚水の臭いが漂った。少し歩けば、物乞いが地べたに座っていて、うらめしそうにこちらを見てくる。りんごをかじりながら歩く人や、大量のバゲットを脇に挟んで歩いている人がいた。日本のように、携帯電話をいじりながら歩く人が少なかったように思う。街を歩いているだけで、たくさんの発見があることに気付く。

この2週間弱の間に、普通ではできない経験をした。まず一つ目は、レンヌ大学で、学生たちの前で日本について発表したこと。以前から準備していたにも関わらず、いざフランス人の前でフランス語を話すとなるとかなり緊張して、覚えたはずの文章が出てこなくなったりした。しかし学生たちは真剣に発表に耳を傾けてくれ、終わったときは、安心感と達成感があった。大学でフランス語を勉強し始めて約2年になるが、これほどたくさんのフランス人の前でフランス語を話したのは初めてだった。日本で勉強していても、実際にフランス人の前でフランス語を話す機会は少なく、いつまでも話すことに慣れない。今回の自分の発表を振り返って、いまだに自分がフランス語を話すことに少なからず抵抗を感じていると気付いた。




発表のあと、9月から首都大に交換留学で来ることになっているリザとメロディーに会い、首都大の二年生組と彼女たちとで、一つのテーブルで一緒に学食を食べた。彼女たちは日本語を勉強し始めて1年ほどらしい。私たちが1年多くフランス語を勉強していることになるが、たいして話せるわけでもなく、必死に単語を頭に思い浮かべながら文を作り、質問をした。例えばどうして日本に来たいのか、好きな日本の歌手はいるかなど。それから、自分についても話した。大学で勉強していること、またサークルのこと、実際にフランスに来てみて思ったことなど。彼女たちの話を理解するために、私は意識的に彼女たちの口を見た。意味を理解するためには、まずは単語を拾わなければいけない。口の動きをよく見て、音を聞いて、言葉を頭の中で文字化する。彼女たちとの会話中、ずっとその繰り返しをしていた。普通に聞き流していたら意味がわからないから、身を乗り出して相手の表情、口の動き、身振り手振りを見て理解しようとする姿勢はとても能動的だ。わからないからわかろうとする。当たり前のことではあるが、自分が自然とこのような態度をとっていることに少し嬉しくなった。後日二人とはFacebookで友達になり、フランス語でやり取りをした。彼女たちが日本に来る日がとても待ち遠しい。

この国際交流プログラムの2つ目の行事は、フランスの高校の授業を見学すること。私たちは、パリ郊外のジュール・フェリー高校にお邪魔した。まず、学生たちが大変大人びていることに驚く。お腹を出している者や、髪を赤く染めている者など身なりもそれぞれで、まるで校則というものが無いかのようだ。スカートが短いとかブラウスのボタンを上まで閉めろとか、いちいち注意されていた私の高校生活とは正反対だ。哲学の授業は2つ見学したが、授業の進度が大変速く、教師の問いかけに学生が次々と答えていくという活気のある授業だった。意外に思ったことは、一見不良に見える学生も、授業では発言をし、しっかり参加していたということだ。どのクラスにも1人はだるそうにしている学生もいたが、ほとんどの学生は積極的に授業に参加していた。私の高校の授業風景を思い出すと、まじめに授業を受けている学生は少なく、多くは居眠りをしていたり、友達と無駄話をしていた。原因は授業の内容にあるのかもしれないし、教師が悪いのかもしれないし、そのクラスの雰囲気が悪かったのかもしれないしわからないが、これほど学生たちの様子が違うのは衝撃だった。フランスの高校は単位制で、大学と同じような仕組みらしい。これまで他国の教育制度についてあまり考えたこともない私であったが、これを見てどうしても日本の教育制度に疑問を覚えずにはいられなかった。




16日、19日の2日間、西山先生の主催するセミナーを見学させていただいた。セミナーはフランス語で、しかも哲学のことで内容はほとんどわからなかったが、代わりに会場にいる人の様子を観察していた。若い人から年配の方まで世代は幅広く、ノートをとったり、パソコンに打ち込んだり、何もせずじっと聞いていたり皆それぞれだった。最後に何人かが質問し、西山先生がそれにお答えするという質疑応答の場面があった。そこで私は単純に、先生が質問に対してすぐフランス語で反応していることにすごいと思った。様々な角度から飛んでくる質問に対して、2秒後にはそれなりに長さのある答えを、しかもフランス語で返すのはなかなか出来ないのではないだろうか。先生はこのセミナーのためにかなり準備されているのだろうと思った。このような姿勢は、私が将来仕事をする上で、見習うべき点であると感じた。

フランス滞在の後半は、パリのアパートで共同生活だった。アパートはパリで最も多く地下鉄の線が通っている駅シャトレの近くにあり、とても便利な場所だった。私たちは毎日、朝早くこのアパートを出て、1日観光をし、夕方アパートに戻った。パリに来てすぐに、この街がかなり恵まれたところであるとわかった。例えば美術館がとても多いこと。ルーブル美術館やオルセー美術館など、世界的にかなり権威ある美術館が歩いていける距離にある。また国立近代美術館(ポンピドゥー)のような現代美術を扱った前衛的な美術館もある。それから、少し歩けば歴史的建造物に出会えること。何世紀も前に建てられた教会(例えばノートルダム寺院)などが、街に自然と溶け込んでいるのである。パリの市庁舎は14世紀に建てられたもので、今でも現役だそうだ。新しいものと古いものが同時に存在するパリは、街全体が文化遺産みたいだと思う。




この約二週間弱のフランス滞在で、フランスの街、人に触れ、美しい部分もそうでない部分もこの目でじかに見て、毎日が驚きと発見の連続で本当に充実した日々だった。周りがすべてフランス語だらけという環境に初めて飛び込んでみて、それはわからないことだらけの環境で、わかりたい、理解したいと常に思っている自分がいることも発見できた。このことは、私がこれから引き続きフランス語を学ぶ上での大変大きな動機付けとなった。この滞在でのかけがえのない経験を、ずっと大事に持って過ごしていきたい。

私は、この国際交流プログラムに参加させていただいて本当に素晴らしい経験をすることができました。それは、西山先生がたくさんの努力と時間をかけてこのような機会を作ってくださったからできたことです。本当にありがとうございました。それから高校見学という大変貴重な経験をさせてくださったジゼル・ベルクマン先生、レンヌでお世話になった八木さん、リザ、メロディー、本当にありがとうございました。

二宮麻衣(仏文2年)

二宮麻衣(仏文2年)


国際交流プログラム参加のお誘いを受けた時は、ただただフランスに行ってみたいという気持ちだった。人から聞いた言葉でしか知らないフランスというものを自分で感じてみたかった。こうして初めてフランスに行ってきたのだが、そこで見たもの、感じたこと、体験したことは、今まで生きてきた世界とは全く別の世界だった。とても濃密な12日間だった。

レンヌ第2大学訪問

3月12、13日はレンヌ第2大学を訪問した。この国際交流プログラム参加にあたっての目標の1つは、今年の9月から留学することになるレンヌ第2大学や語学学校CIREFEの様子をあらかじめ見ておくことであった。CIREFEでは、B2のクラスで短編映画を使った授業を見学した。先生の授業の進め方はこうだ。映画を見る前にまず、映画に出てくるキーワードとなる単語の意味を(知らない場合は予想して)学生に答えてもらう。次に、あらすじや主人公のプロフィールなど詳細はほとんど知らせないまま映画を見せる。そして、映画を区切りの良いところで停止して、その時点までで映画から聞き取った情報を学生たちに答えてもらう。学生の解答後にまた映画を再開させるのだが、停止させた場面から再生するのではなく、また最初から再生する。再生と停止、解答を繰り返して徐々に映画のストーリーが見えてくる。このようにして授業は進められた。

この授業には様々な工夫が施されている。まず、映画というエンターテイメント性のあるものを利用することは学生の興味を引きやすい。さらに、詳細を知らせないで映画を見せることで、「どの様なお話なのだろうか」と学生の興味を引きつつ、フランス語を聞き取る力を身につけさせることも出来る。また、単語の意味を予想させることで、予想が当たった時も、全く見当がつかなかった時も、学生の頭の中にその単語は印象に残りやすいだろう。映画をその都度最初から再開させることは、答えが分からなかった学生が改めて確認する為である。フランス語も英語も含めて今まで私が受けてきた語学の授業は、教師が学生に教えるばかりで、どちらかというと学生は受け身であった。しかしこの授業では、学生が聞き取り、学生同士で理解した内容を披露し合うことによって映画の全体的なストーリーが描き出されるという様に、基本的には学生が主体である。自分が今まで受けてきた語学の授業との違いに驚くと同時に、語学学校ならではの教え方に感心し、納得した。



他にも、大学1年生の日本語クラスで日本に関する発表をしたり、大学3年生(フランスの大学学部は3年までなので最終学年)の芸術専攻のクラスで「表現の自由」に関する授業に参加したり、とても充実した交流プログラムであった。留学の準備として時間割の構成について詳細を聞き、現在留学している堀さんの寮部屋を訪問して下見をすることもできた。なんとお世話になるだろう国際課やCIREFEの方々、現地の日本人教員の方々に挨拶することもできた。留学する者にとっては何とも心強く、ありがたいことである。

また、レンヌ市内を散策したのだが、パリよりもレンヌの街並みの方が、私の持っていたフランスのイメージ像に近かった。パリは多くのゴミが落ち、物乞いも多くいた。また、ケバブ屋や中華料理屋、インド料理屋など多国籍料理店も多く立ち並んでいた為、私が抱いていたフランスのイメージとは大分異なっていた。一方でレンヌは、石造りの建物や教会、市庁舎などの古い建造物が立ち並び、ゴミも比較的少なかった。また、パリで感じた(スリなどの被害に対する)緊張感も全くなく、とても安心して散策することが出来た。レンヌの穏やか雰囲気と、まるで絵本に出てきそうな可愛らしい街並みを私はすぐに気に入った。半年後から自分がこの町に住むと思うと胸が高鳴った。



そして、このレンヌ滞在では様々な人にお世話になり、人と人の繋がりを実感した。今年の2月まで首都大学に留学していたオダンや来年から首都大学に留学予定のリザ、メロディーと会い、交流した。彼女らとはフランス語で話し、聞き取れずに何度も聞き返すこと、言いたいことがうまく伝わらない時があったが、とても楽しかった。過去にレンヌ第2大学へ留学し現在はフランスに住む八木さんと、現在留学中の堀さんに3日間レンヌとモン・サン=ミシェルを案内していただいた(八木さん、堀さんには私たちの為に様々な面でサポートをしていただき、大変お世話になった)。現地で日本語を教えていらっしゃる高橋博美先生とお会いし、CIREFEの職員の方々には私たち首都大学一行の訪問を歓迎するもてなしをしていただいた。このような歓迎は首都大学としては初めてのことだったらしい。八木さん以来、両大学の関係が徐々に発展してきている証拠である。これは、毎年レンヌに訪問している西山先生の尽力はもちろんのこと、両大学のこれまでの留学経験者が引き継いできた繋がりである。レンヌに留学する身として私もこの繋がりを引き継ぎ、両大学の交流発展に貢献するという使命があることをひしひしと感じた。以上、現地の大学生と交流できたこと、留学の下見が出来たことの他に、首都大学とレンヌ第2大学の引き継がれてきた繋がりを自分の肌で実感することができたという点で、このレンヌ滞在はとても有意義であった。



ジュール・フリー高校訪問

17日はパリ郊外にあるジュール・フリー高校を訪問した。高校を訪れてまず驚いたのは、フランスの高校生はとても大人びていることだ。1年生はまだあどけなさが残るものの、2年生、3年生はとても高校生には見えなかった(自分よりも年上に見える人が大勢いた)。制服はなく、服装が皆大人びている。女子はお化粧をし、アクセサリーもつけている。フランスでは18歳で成人となるため、高校生のうちに大人とみなされる。しかし、大人びているのは外見だけではないということが授業に参加してすぐに分かった。

午前中は高校3年生の文学の授業に参加した。志村響さんによる村上春樹の発表に続いて、お互いの国について自由討論をした。フランスの高校生は日本の高校の勉強や大学入試事情について興味を持っているようだった。午後は哲学の授業2つと、文学の授業1つ、英語の授業1つを見学した。哲学の授業は衝撃的だった。2つの授業はどちらも先生がすごい勢いで話し、学生に次々に質問するのだが、先生の速さに遅れることなく学生もすぐさま返答する。とても入門のようには見えない。フランスの高校生がこのような授業をすることは前から聞いていたが、ここまで意見が活発に飛び交う迫力のある授業だとは想像していなかった。学生達が堂々と考えを発表する態度や、分からないことをすぐさま質問する姿勢からは授業のいきいきとした雰囲気が伝わってきて、授業を実際に見てよかったと思う。3年生の哲学の授業中、教室の後ろ隅の方で数人がひそひそと話す声が聞こえた。最初は学生同士でおしゃべりをしていると思い、結構長い間続いていたのでなぜ先生は注意しないのか疑問に思った。しかしこれは学生の単なるおしゃべりではなく、授業に関する学生同士の話し合いだった。その証拠に彼らは時々、ひそひそと話す合間に先生に質問している。学生が単におしゃべりをしているわけではないと分かっているから、先生も注意をしなかった。日本では考えられない光景だ。文学の授業は1年生のクラスだった。1年生の授業は発言もそれほど活発でなく、大体発言する人は決まっていた。後ろを向いておしゃべりをする学生もいて、2年生クラスと比べると雰囲気は少し落ち着かないようだった。高校で1年間学習するとあのように意見が次々と飛び交う授業が出来るまでに成長するのかと思うと、フランスの高校教育の質は素晴らしいと感じる。一方で英語の授業は、違う意味で衝撃的だった。3年生が英語で2−3分の発表をしたのだが、それまで見てきた授業とは雰囲気が打って変わった。発表は消極的で、発表後の質問もあまりでない。やはり3年生の授業だったが、哲学の時とは全く異なる雰囲気に驚いた。と同時に、フランスの高校生があまり英語を話せないことが意外だった。ヨーロッパの人は少なくとも日本人よりは話せるだろうと思っていたからだ。




他にも驚いたことがある。フランスの高校教師は、日本の教師のように毎日学校に来るわけではない。今回私たちの高校見学に協力してくださったジゼル・ベルクマン先生も週に2回、高校に来るだけだと聞く。また、放課後の部活動もフランスの高校にはない。したい人は皆、その地域のさまざまな団体に所属するらしい。フランスの高校にはクラスもない。そのため、もちろん担任の先生というものもない。つまり、フランスの高校では教師にかかる勉強以外での負担がさほど多くはないのだ。おかげで教師のなかには、自分の専門教科を教える一方で研究にも力を入れる人もいる。専門教科だけでなく、部活動やクラス担任、委員会活動、親の対応にも追われている日本の教師とは大きく異なる。これらのことを考えると、日本の高校は少々過保護のように感じた。

国際セミナー参加

 フランス滞在中には2回、西山先生が開催する国際哲学コレージュのセミナーに参加させていただいた。セミナー参加者は若い女性から年配の方まで、その年齢層は幅広かった。フランス語による高度な内容だったので理解することはできなかったのだが、それでも学ぶことはあった。まず、フランス人はジェスチャーが活発だ。セミナーで発表する西山先生も、高校生の前で発表した志村さんも、フランス語を話すとジュスチャーが活発になる。それはなぜなのか聞いてみると、フランス語を話すと自然にジェスチャーが出てくるらしい。ジェスチャーがあると、なんとなく説得力があるような気がする。また、どの言語であれ話し方は重要であるが、フランス語を話すときは、とりわけリズムが重要であると感じた。間のとり方、言葉の切り方、語尾の上げ下げなど。リズムのある話し方は聞きやすいし、聴衆を引きつける。実際にセミナーでも、話し方がうまい人を見る聴衆の視線は、とても熱心だった。フランス語を学ぶ上で、これからはもっとリズムを意識する必要があると感じた。

パリ滞在
パリ初日に訪れたリュクサンブール公園が印象に残っている。この日は天気に恵まれ、半袖でも平気なほど暖かかった。広い公園には多くの椅子があり(この椅子は120°くらいの背もたれでゆったりと座れるようになっている)、座って本を読む人、昼寝をする人、ランチをとりながらおしゃべりをする人など様々だった。大勢で輪になっておしゃべりをする人々もいた。彼らの中にiPhoneを使っている人はほとんどおらず、心からおしゃべりを楽しんでいる様子だった。この時は昼時だったので、昼休憩中に公園にいた人も多いだろう(フランスの昼休憩は2時間あると聞いてうらやましく思った)。彼らは束の間の休憩を上手く使ってリフレッシュしているようだった。昼休憩にこんなにゆったりとした時間を過ごせたら、午後からの仕事も頑張れそうだと感じた。豊かな緑の芝生とそこに咲く花、暖かい陽ざし、そしてゆったりとした時間の流れがつくる公園の穏やかな雰囲気に癒された。




フランスの人々については、予想以上に優しいと感じた。日本では、フランス人は愛想がなく、フランス語が話せない人にはあまり親切ではないと聞いていた為、なおさら強くそう思った部分もあるだろう。クレープのレストランでは、店員さんが自ら私たちの集合写真を撮ってあげると申し出てくれた。駅で切符の買い方が分からずに迷っていると隣にいた人が教えてくれた。大きなスーツケース持って階段を歩いた時、TGVに乗り込む時、「持とうか?」と声をかけてくれる人もいた。日本では、重そうな荷物を運んでいる人がいても、声を掛けない人がほとんどだろう。レストランで食事をしていると、大抵の店員が「C’est bon ?(美味しいですか?)」と聞いてくる。また、お店に入った時の「Bonjour(こんにちは)」やお店を出る時の「Merci(ありがとう)」、別れ際の「Bonne journée(良い一日を)」といった何気ない挨拶が初対面の人間同士でも当然のように交わされることがとても新鮮であり、素敵だった。フランスの方が、人と人の間の垣根が低い。




今回のプログラムでは、レンヌ大学を訪問して学生と交流し、ジュール・フェリー高校の授業の様子を見学し、国際セミナーにも出席するという、観光旅行だけでは出来ない経験をさせていただいた。後から考えれば考えるほど、本当に貴重である。観光も予想通り楽しかったが、これら3つの経験は予想をはるかに上回る驚きと発見があり、終始学びの連続であった。私にこのような驚きを与えてくれたのは、やはり人との出会い、交流だと思う。そう考えると、私はもっと人との出会いを大切にしなければならないと感じる。それは日本でも同じことだ。

最後に、今回の国際交流プログラムを実施するにあたってとても多くの方々にお世話になった。資金援助をしてくださった国際センター、様々な交流の場を設けてくださったレンヌ第2大学の方々、レンヌで3日間ずっと面倒を見てくださった八木さんと堀さん、高校見学という非常に貴重な機会をくださったジゼル・ベルクマン先生。私たちの為にご協力してくださり、ありがとうございました。そして、このプログラムのすべてをコーディネートし、普通の旅行では決してすることの出来なかった経験をさせてくださった西山先生には、心から感謝しています。記憶に残る素晴らしい旅をありがとうございました。