Metropole


東京都立大学・首都大学東京・大学院独文研究会
『独文論集』1-16号+『METROPOLE』17-31号目録
(『独文論集』は17号より『METROPOLE』と改称しました)


『Metropole』26号以降は、首都大学東京機関レポジトリ・みやこ鳥にて公開されています。
http://www.repository.lib.tmu.ac.jp/dspace/handle/10748/4944


『独文論集』 1号 1982年
岡野 進: 「石の夢」 ――否定性の美学のために
Miyuki Furuichi: Thomas Manns Leitmotivgestaltung -am Beispiel der "Buddenbrooks"

『独文論集』 2号 1983年
斉藤 寿雄: リルケの<Wirklichkeit>考
服部 精二: Bauの測量師 ――<自己観察>の意味するもの――
寺尾 格: 「再会の三部作」論 ――ボートー・シュトラウス論のためのドラ マトゥルギー分析の試み――
本橋 右京: カフカ試論 Ⅰ ――「樹木」を形成する視点――
古市 みゆき: 『ヨゼフとその兄弟』試論
伊狩 昌子: ノヴァーリスの神話観と『オフターディンゲン』
Yoshihiko Saito: Eine Studie zum "Anton Reiser". Autobiographie oder Roman?
Yoichiro Hieda: Die Satire im mittelniederdeutschen Epos "Reinke de Vos"

『独文論集』 3号 1984年
初見 基: 追想する現在 ――ヴァルター・ベンヤミン『歴史の概念について』 に寄せて――
保阪 泰人: sein +zu 不定詞構文について
Yoshihiko Saito: Eine Studie zur literarischen Kreativität
中川 浩: ホフマンにおける夢の境位
上田 信一: シュティフターの「晩夏」
高野 秀樹: 『トンカ』ノート ――「日記」より

『独文論集』 4号 1984年
五十畑 茂: テルレス論 ――Epiphanieの位相
-寄稿- 副島 善道(東京芸術大学大学院博士課程): 「客観的合目的性」 による主観の自己回帰
Miyuki Furuichi: Der Wandel des Minnebegriffes zwischen dem frühen donaulaandischen und dem rheinländischen Minnesang -am Beispiel des Kurenbergers und Friedrichs von Hausen
初見 秀子: 読む試み ――クリスタ=ヴォルフの『カッサンドラ』――
小野 森都子: 「ホンブルク公子」論

『独文論集』 5号 1985年
斉藤 寿雄: 「所有なき愛」の展開――リルケ試論
初見 基: ことばという関係―― ヴァルター・ベンヤミン『言語一般について、そして人間の言語について』 再読
Miyuki Furuichi: Mechthild von Magdeburg
Miyuki Furuichi: Hugo von Hofmannsthals Reitergeschichte
Miyuki Furuichi: "Deutsch" und Deutschtum bei Friedrich Nietzsche

『独文論集』 6号 1985年
小野 森都子: ローベルト・ヴァルザー「助手」試論
芳賀 和敏: インゲボルク・バッハマン、ある「伝記」の試み
中島 大輔: ジークフリート・レンツにおける「認識」の問題 ――『模範』 を中心に――

『独文論集』 7号 1986年
小野 森都子: ローベルト・ヴァルザー「ヤーコプ・フォン・グンテン」につ いて
館石 宏明: ゲオルゲの抒情詩――序論として
須藤 正美: フランツ・カフカ――言語の問題

『独文論集』 8号 1988年
伊藤 直子: ローベルト・ヴァルザーの夢幻性について
田丸 理砂: 「ユダヤ人のブナの木」について
小林 英起子: 『賢者ナータン』 ――成立史に関する一考察――
宮内 伸子: カール・ヴァレンティンの言葉遊び

『独文論集』 9号 1989年
田丸 理砂:「異なっていること」 ――ドロステ=ヒュルスホフの作品につい て――
小粥 良: ≪塔≫≪テュケー≫≪時間≫ ――フーゴー・フォン・ホーフマンスタールの『塔』をめぐる考察――
田島 正行: 「エクスターゼの形而上学」序論 ――L・クラーゲスのエロース 論(II)
Ekiko KOBAYASHI: Der Toleranzgedanke in Lessings Dramatischem Gedichte "Nathan der Weise"
須藤 正美: 細部に向けられた凝視 ――カフカの『村医者。小品集』について

『独文論集』 10号 1989年
Yuichi FURUYA: Über den Begriff der Ironie beim frühen Friedrich Schlegel.
Ekiko KOBAYASHI: Lessings "Der Freigeist" ‐ein ernstes Lustspiel?‐
依岡 隆児: Nichts ist rein -ギュンターグラス『犬の年』における現実認 識をめぐって-

『独文論集』 11号 1990年
古屋 裕一: 初期ヴァルター・ベンヤミンにおける媒質的展開運動
石田 基広: 中世ユダヤ・ドイツ語版民衆本について
許 光俊: Farin 編集の Sacher-Masoch 資料集について
須藤 直子: 『寄宿生テルレスの迷い』の数学概念を巡って

『独文論集』 12号 1991年
武田 竜弥: 思想家としてのヘルマン・ブロッホ I ――その価値論・認識論・ 文学論についての考察――
久保庭 孝: 宿なし人間の神話 ――『ルーネンベルク』に見る「放浪」の形 態――
小谷 民菜: ハイネの「造形性」と『フローレンスの夜』
内藤 康裕: 暗黙知の次元 ――E.T.A.ホフマンの「ベートーヴェン:第5交響 曲」論――
伊藤 直子: 浮遊する断片あるいは世界 ――ローベルト・ヴァルザー作『タ ナー兄弟』について――
笠井 実: バベルの塔 ――ホーフマンスタールの戯曲『塔』における架橋し がたい溝について――
花川 秀樹: ノヴァーリスの哲学的出発点に関する考察
松浦 賢: 小説形式から見た『騎士グルック』 ――対話体と対位法――

『独文論集』 13号 1992年
松浦 賢: 音楽小説としての『砂男』 ――「目玉」の対位法――
田丸 理砂: 「わたし」であることの不純 ――インゲボルク・バッハマンの 作品集「三十歳」――
笠井 実: ホーフマンスタールの『昨日』 ――自足性から他者性への軌跡――
花川 秀樹: 初期ロマン派におけるニヒリズムと想像力 ――シュレーゲルと ノヴァーリス――

『独文論集』 14号 1992年
武田 竜弥: 思想家としてのヘルマン・ブロッホ Ⅱ ――その群集狂気論・政 治論についての考察――
田丸 理砂: はじまりの物語 ――ビルギット・ヴァンデルベーケの『貝料理』 について――
花川 秀樹: ノヴァーリスの世界像に関する考察 ――哲学断片および後期詩 編に即して――
許 光俊: 恐怖の諸様相 Ⅱ ――エーヴァースの<蜘蛛>の分析――
中川 浩: ヒルベルと子ども像
伊藤 直子: ローベルト・ヴァルザー初期の詩をめぐって
内藤 康裕: アルカディアに生けるものたち ――E.T.A.ホフマンの「牡猫ム ルの人生観」について――
小谷 民菜:『フランスの画家』における言葉の変容の層について

『独文論集』 15号 1993年
川原 美江: ヤーコプ・グリムの象徴作用に関する考察
松浦 賢: 『牡猫ムルの人生観』と小説形式のメカニズム ――諦念の対位法――
笠井 実: 「秘儀の空間」 ――ホーフマンスタールの初期短編小説、その核 心――

『独文論集』 16号 1994年
花本 美恵: ゲオルク・ビューヒナーの『レンツ』 ――「子ども」のモチー フについて――
笠井 実: 審美主義の牢獄 ――初期ホーフマンスタールとダヌンチオ――
内藤 康裕: サイバネティクスと疑似原始社会 ――E.T.A.ホフマンの自動人 形――
花川 秀樹: Novalisにおける内省と人生 ――自己救済の一方法――
川原 美江: グリム童話解釈の陥穽
久保庭 孝:メランコリーとファンタジー ――L.ティーク『フランツ・シュテ ルンバルトの遍歴』試論――

『Metropole』 17号 1995年
川原 美江: ヤーコプ・グリムにおける法と伝説の発生論
黒子 康弘: リルケの《物の詩》とその起源について
田丸 理砂: '女の子'であること-ウニカ・ツュルンの『暗い春』について
内藤 康裕: ホフマンの現代歴史学-[ラピオン同人集\備的考察-
松本 誠一郎: 自己懐疑の文学
米本 晶: <力への意志>の思想圏
中川 裕之: 前置詞句副詞規定の文頭化について

『Metropole』 18号 1996年
綱島 寿秀: 「うごき」としての詩
田丸 理砂: "Mädchen"という運動-ワイマール共和国時代の文学作品におけ る女性ホワイトカラーについて-
黒子 康弘: ドゥイノの《天使》とポイエーシス-R.M.RILKE《ドゥイノの悲歌》 研究序説-
川原 美江: しるしと伝説発生論-ヤーコプ・グリム初期論考を巡って
米本 晶: <肯定>の諸相と<力への意志>
松本 誠一郎: 人間への賞賛
高本 教之: E.T.A.ホフマンの<円>(Kreis)のモティーフについて -初期ノヴェレ『砂男』『G.のイエズズ教会』『クレスペル顧問官』論-

『Metropole』 19号 1997年
川原 美江: 変容する媒介項 ――初期ヤーコプ・グリムにおける伝説の歴史性に ついて――
菊本 薫: 『或る手紙』について
黒子 康弘: リルケの詩学についての覚書き ―R.M.リルケ『時祷書』第2部 巡礼の書 第16編を読む-
久保庭 孝: スイス派の想像力論
菅原 美佐: オスカーVュレンマーの舞踏舞台様式 -そのコスチューム・バレ エにおける動力学的な空間遊戯
田丸 理砂: ワイマール時代のレスビアン小説 -アンナ・E・ヴァイラオホの『スコルピオン』からクリスタ・ヴィンスロー の『制服の処女』まで-
渡辺 幸子: 可能性のユートピア -R・ムージル『特性のない男』における< Reflexion>-
綱島 寿秀: 「松葉杖、おまえ翼よ...」 - "Die Niemandesrose"の空間につ いての一考察
米本 晶: ニーチェにおける<生>と多様性の問題の周辺
黒子 康弘: ポエジーのオデュッセイ -R.M.リルケ『ドゥイノの悲歌』の詩的 世界-

『Metropole』 20号 1997年
小野 真紀子: M.オーピッツ『ニンフヘルツィーニエの牧歌』-小宮廷の庭 を映す鏡-
菊本 薫: 『672夜のメルヒェン』における生-その提示技法と構造-
綱島 寿秀: 閾を越える言葉
平井 敏晴: ハウケの死における愛のモチーフ
渡辺 幸子: R・ムージル『合一』の感覚的世界

『Metropole』 21号 1998年
高本 教之: 隠された聖家族像-E.T.A.ホフマンの『悪魔の霊液』論(1)
小野 真紀子: 楽園の記憶:結実協会の植物図譜について
平井 敏晴: シュトルムにおける死と愛の対位法
菅原 美佐: シュライアー演劇の可能性-その演劇共同体における言語音実験
川原 美江: 『昔話の形態学』をめぐって-ゲーテ・プロップ・レヴィ=ストロース を中心に-
渡辺 幸子: 受苦の聖女-ムージルにおける宗教性をめぐって-

『Metropole』 22号 1999年
田丸 理砂: Maedchenからの脱出-マリールイーゼ・フライサーの散文作品に ついて
渡辺 幸子: 未来への回帰-『三人の女』における神話性について
星屋 雅博: 『Rhetorica ad Herennium』の類似性認識 ‐ similitudoと imagoの相違
西野 路代: ムージル『特性のない男』における非人称性(その1)
菅原 美佐: クラウス・バイマンの《政治的》演劇とその戦略争点としての劇 場あるいは克服されざる啓蒙主義 ――トーマス・ベルンハルトの《政治的》ドラマ『英雄広場』上演の場合
米本 晶: 「悲劇の再生」と「悲劇的牧歌」 --- 初期ニーチェにおける二つの ヴァーグナー観 ---

『Metropole』 23号 2000年
池谷 尚美: バッハマン『マーリナ』における永遠の戦争
平井 敏晴: クリングゾール・メルヒェンにおけるガルヴァニズム ――ノヴァーリスにおける自然科学のポエジー化に関する一考察
宮城 保之: 流謫のなかの映像――W. ベンヤミンと写真の神学的諸相――
菅原 美佐: 演劇の終焉? ――フォルクス・ビューネにおける生産的破壊の試み
西野 路代: アガーテは本当にいるのか?-『特性のない男』における「虚構の 構造」
山路 みどり: 慣用句における形態・統語的な特徴と意味構造-名詞の Wortpaareにおいて-

『Metropole』 24号 2001年
山川浩央: E.T.A.ホフマンと幽霊 --- ホフマンにおけるイメージ伝ん竜の諸 様相 ファンタスマゴリア/ファントーム/固定観念 ---
豊倉 尚: イカロスと天空サイボーグのあいだ --- 第一次対戦ん飛翔論序説
MIYAGI, Yasuyuki(宮城 保之):Kants Suendenfall: Die Tragweite von Walter Benjamins "Über das Programm der kommenden Philosophie"
書評:
池谷 尚美:
Ingeborg Bachmann: Ich weiß keine bessere Welt. Unveröffentliche Gedichte.
Moser, Isolde/H. Bachmann/Ch. Moser. (Hg.) Piper. München, 2000.
山路 みどり:
Harald Burger: Phraseologie -- Eine Einführung am Beispiel des Deutschen.
Grundlagen der Germanistik 36, Berlin: Erich Schmidt, 1998.

『Metropole』 25号 2002年
ONO, Makiko(小野 真紀子):Apfel und Kelch: Die Bedeutung der Erlösung in Lohensteins Trauerspiel `Sophonisbe'.
田丸 理砂:「モダン・ガール」と「書くこと」 --- 『紳士はブロンドが お好き』,『フェイク・ガール』をめぐって
(TAMARU, Risa. Das `Modern Girl' und das Schreiben: Ein Vergleich zwischen den Romanen "Gentlemen Prefer Blondes" von Anita Loos und Irmgard Keuns "Das Kunstseidene Mädchen.")
関 聡美:ベルリン・ヴォイド --- ダニエル・リベスキント 「ユダヤ博物館」
(SEKI, Satomi. Berliner "Void": Jüdisches Museum "von Daniel Libeskind.")
MIYAGI, Yasuyuki. Zur dialektischen Profanität in Benjamins Über einige Motive bei Baudelaire.
≪翻訳≫(Übersetzungen)
池谷 尚美 訳
インゲボルク・バッハマン
真理は人間への過大な要求ではない.--- 戦争で失明した人たちのための 放送劇賞受賞講演演説
アントン=ヴィルトガンス賞受賞演説
≪報告≫(Berichte)
池谷 尚美
2001年5月18日 フェルディナント・シュマッツ氏講演会
「現代オーストリアの詩と詩論」
豊倉 尚/山川 浩央/池谷 尚美
Metropole 24 合評会報告

『Metropole』 26号 2003年
荻原 耕平:リルケの詩『魔術師』について
池谷 尚美:インゲボルク・バッハマンの遺稿詩 Schallmauerと Wenzelsplatzを読む
小野 真紀子:ローエンシュタインの詩の翻訳2編
東京都立大学行事報告
吉田 達也:2002年6月7日トーマス=ブルスィヒ氏講演会 「東ドイツの青春」
矢島 裕之:2002年6月7日トーマス=ブルスィヒ氏朗読会 "Am kürzeren Ende der Sonnenallee"より
Metropole 25 合評会報告(田丸,池谷,関)

『Metropole』 27号 2004年
馬場 浩平:没落と芸術批評の交叉するところ
       ヘーゲル美学における造形芸術への現実主義的な眼差しについて
小野 真紀子 訳:アンソロジー魂の画廊:ローエンシュタイン抒情詩6篇
白木 和美: Ulrich von Zatzikhoven "Lanzelet":作品紹介
特別寄稿 福本義憲:二度忘れられた男── フランク・アルナウ
(特別会員 岡部仁教授追悼号)
宮崎保之:岡部仁先生の思い出
池田信雄:弔辞
岡部 寿子:喪主の挨拶
福間健二:岡部さんが亡くなった
 
『Metropole』 28号 2005年
吉田 達也:ドイツ軍国主義批判の論理
     ―トゥホルスキー『ミリタリア』とカー『危機の二十年』
     Die Logik der Kritik am deutschen Militarismus
宮城 保之:ヴィルヘルム・カムラーの<人俗性>理解
     Zum Verständnis der „Profanität“ bei Wilhelm Kamlah
西野 路代:「ドイツ語教員養成講座」に参加して
三田 一彦:東京都立大学行事報告
     ヨーゼフ・ヴィンクラー氏朗読会(2004.11.4 16:00~)

『Metropole』 29号 2006年
荻原 耕平:心の山々への反転―リルケ『心の山々に置き去られ』と第1次世界大戦
星屋 雅博:直喩 古典修辞学的考察
三田 一彦:リルケの»das Leere«についての長めの注釈

『Metropole』 30号 2008年
荻原 耕平:「夜」の発見―リルケの詩 „Die große Nacht“ について
福本 義憲:オットー・ゾイカの初期幻想小説におけるMachtの諸相
三田 一彦:読書ノート「グローデク」
東京都立大学行事報告
METROPOLE29合評会報告

『Metropole』 31号 2010年
白木 和美:Ulrich von Zatzikhoven作 „Lanzelet“ におけるMantelprobeをめぐって
西野 路代:多言語教育としてのドイツ語の可能性 ―あるクラスのレポートから―
宮城 保之:世俗化と象徴 パウル・ティリッヒの象徴論を手がかりに
Metropole 30 合評会報告

『Metropole』 32号 2011年
横山 明弘:「事実の認容文」と「仮定の認容文」の枠組み
     Irrelevanzkonditionaleを如何に位置づけるか
小倉 直子:<イディッシュ演劇>研究序説
     イディッシュ文化概論―ホロコースト前夜まで
犬飼 彩乃:キャリバンの行方
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『Metropole』 33号 2012年
宮城 保之:<聖なるもの>は翻訳されうるか
    世俗化論によるベンヤミン解釈の問題点と今日の焦点
高本 教之:モザイク模様の舞台
    ―クリーゲンブルク演出の『ハイルブロンのケートヒェン』
池谷 尚美:ドイツ語教員派遣研修プログラム参加報告
横山 明弘:カフカの暗号を解く
    十一人の息子たちと十一編の物語との対応へのひとつの試み
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『Metropole』 34号 2013年
糸瀬 龍:エルンスト・ユンガーの<新>ナショナリズムについて
犬飼 彩乃:私語が学習言語に変わるとき
      ―ドイツ語コミュニケーション授業活性化に関する実践的考察
高本 教之:「間」と「魔」
      ―H.v.クライストの戯曲のト書きにおけるいくつかの「間」について
小倉 直子:「故郷」から遠く離れて
      ―イディッシュ演劇がニューヨークで手探りしたもの
犬飼 彩乃:ドロン・ラビノヴィチ氏朗読会報告
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『Metropole』 35号 2015年
馬場 浩平:百科事典と教養市民の間
      18世紀以降のドイツで発展した社交文化における知の受容をめぐって
横山 明弘:カフカと革命
      帰属意識・主観性・視点
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