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Soirée: Pour Jacques Derrida(2014年12月10日、パリ・Maison de la Poésie)
Penser avec Derrida(2014年12月11-13日、IMEC


2014年12月10日、パリのMaison de la PoésieにてSoirée: Pour Jacques Derridaが開催され、11-13日には場所をノルマンディ地方のカンのIMEC(現代出版資料研究所)に移して、Penser avec Derridaが実施された。(主催責任者:Safaa Fathy et Carlos Lobo. 主催:国際哲学コレージュ、IMEC. 助成:カン大学、カン市役所)。

10日の会合は高尚な演説や研究発表ではなく、証言と映像記録で構成されたデリダ没後10年の夕べ。多くの聴衆が詰めかけて、会場に収まりきらず、何十人も入れなかった。サファ・ファティの映画「デリダ、異境から」の未公開映像が上映され、デリダが自宅の庭の紹介をし飼っていた2匹の猫の墓を示す場面、割礼の道具を自伝的回想を交えて語る場面などが流された。









11日、発表者はパリから列車で2時間、ノルマンディー地方カンへ。会場は、現代の出版物に関する資料を収集・保管するために創設された機関 IMEC。アルデンヌ修道院がそのまま資料保管所になっており、デリダ・シンポジウムは巨大な納屋が改築された講堂で開催された。

今秋、フランスではすでに3回のデリダ・シンポジウムが開かれているが、今回はもっとも国際色豊かな顔ぶれ。ヨーロッパやアメリカだけでなく、エジプト、カメルーン、メキシコ、中国、日本から参加者が集った。発表内容も多文化的なコンテクストに開かれた論点が並び、エジプトのポストコロニアル性、日本の家族制度、パレスチナ問題、中国の伝統思想などが参照された。







各セッションのタイトルは疑問形が多用されている点は特徴的かもしれない。「デリダとは誰か?」「デリダ・アーカイヴとは何か?」「性的差異、声の複数性はどうなっているのか?」「大学においてデリダはどうなるのか?」「デリダ以後、いかなる政治が?」「宗教の根本的な脱構築はどうなっているのか?」「デリダ思想の歴史性とは?」、など。発表者は引用を3つまで提示し、これらの引用をみなで共有した上で議論するという段取りである。また、2日目の夕方は、2002年のスリジー=ラ=サールでおこなわれたデリダの講演「最強者の理性」の一部が1時間も上演され、まるでデリダの発表も盛り込まれているかのような演出がなされた。

デリダが分析したプラトンの「コーラ」は偶然にも、4名の発表者に取り上げられた。ジネット・ミショーとジェローム・レーブルの共同発表「アーカイヴ、建築、アート」では、デリダの芸術に対する関心、とりわけ建築との関係の深さが強調された。知性や感性でもなく、存在でも非存在でもないコーラは起源や根源ではなく、私たちに到来するものである。すべてを受容するマトリックス(母型)であると同時に、あらゆる事象を選別する篩(ふるい)の運動でもある。選別や消滅の暴力は政治的な振る舞いであり、こうした政治性なしにアーカイヴはない。一定の場での分類・解釈・階層化の権力や覇権なしにアーカイヴはない。筆者・西山雄二はデリダのコーラ読解から教育の問い(真理と虚構をともに受け入れる端緒と立場、篩としての対抗制度)を提起し、Jiang Dandanは創造の技芸という点で荘子の思想と比較を試みた。





昼食の後で資料庫のグループ見学も実施された。修道院を改築した資料庫は圧巻。20世紀の作家、思想家、芸術家の資料、そして出版社の資料が納められている。書簡や草稿など、現物を閲覧できるので貸し出しは厳重である。







動物倫理の研究に通じているPatrick Lloredは「来たるべき動物的民主主義」を論じた。人間性の脱構築以前に生きものの脱構築があり、その際、動物の解放論とは異なる仕方で、権利主体の脱構築が必要となる。Gil Anidjarは現在準備中の長大な論考から、デリダとホロコーストについて発表した。脱構築が歴史修正主義と結びつけられて揶揄されることがあるが、デリダの思想は歴史の道具化や制度化には加担しない。たしかにデリダはホロコーストを直接的に論じたわけではないが、出来事の名の問題、ドイツ的ユダヤ人の問いなどを掘り下げつつ、むしろナチズムの思想をいかに語ればよいのかに意識的だった。鵜飼哲氏の「家族の終焉Les fins de la famille」は見事だった。1968年の「人間の終焉Les fins de l’homme」から説き起こし、あらゆる現代社会で問われている従来型の家族の終焉を踏まえた上で、『弔鐘』のアンチゴネーの問いや『獣と主権者2』の火葬/土葬の差異に言及し、「人間の問い」以前にある「家族の問い」を描出した。







パリからTGVで2時間、さらにカン郊外のIMECで開催されているため、一般聴衆はほとんど会場にいない。そのため、雨模様の薄暗い天候の下、巨大な納屋の中で実施されるシンポジウムはほとんど合宿的な濃密さを帯びていた。2日目はバスとトラムのストがあり、最終日は国鉄のストで列車本数が削減され、パリから2名の発表者が来れない。6名の発表すべてを午前に詰め込む大幅な変更がおこなわれ、いくぶん慌ただしくシンポジウムは終了し、発表者たちは世界中に帰っていった。(西山雄二)