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シンポジウム 「フランスとドイツの間におけるジャック・デリダ」(2014年12月1-2日、フランス・ストラスブール



2014年12月1日から2日にかけ、フランスのストラスブールにて、シンポジウム 「フランスとドイツの間におけるジャック・デリダ(Jacques Derrida entre France et Allemagne)」が開催された。オーガナイザーはChristian FerriéとJacob Rogozinski、ストラスブール大学のドイツおよび現代哲学研究センター主催のもと、国際哲学コレージュなどが共催に名を連ねた。タイトルが示すとおり、本シンポジウムにおいては、デリダとドイツ語圏の思想家との関係が主要なテーマとして設定された。ストラスブールは独仏の国境近くに位置し、しばしば両国の複雑な歴史の舞台となってきた地である。シンポジウム全体を通して、カント、ヘーゲル、ニーチェ、フッサール、そしてハイデガーとデリダとの関係が繰り返し論じられ、結果として、本報告者が本年参加したパリや東京でのシンポジウム等と比較するならば、デリダのテクストにおける「哲学的」側面が強調されることとなったように思われる。会場はストラスブール大学法学部の教室が主に用いられ、ほぼ常に満席という盛況ぶりであった。また、ジャン=リュック・ナンシーがほとんど全てのセッションに出席し、精力的に質疑応答に参加していたということも特筆に価するであろう。

以下、個別の発表の概要を記すが、諸事情により、本報告者は全てのセッションに参加することができたわけではないということを予め断っておく。未参加の発表の再構成にご助力くださった、東京大学大学院およびストラスブール大学大学院の大前元伸氏に深く謝意を表したい。

シンポジウム初日の冒頭において発表を行ったのは、ストラスブール大学とも関係が深いフライブルク大学のDavid Espinetである。この発表は、デリダの主に80年代以降のテクストとカントを比較する試みであった。とりわけ興味深かったのは、デリダが正面から論じることの少ない「幸福」という語を取り上げていた点である。デリダにおいて、幸福はどのような問題系を構成しうるのであろうか?質疑応答においてナンシーによってなされた、脱構築にはある種の喜びが伴うとする指摘も傾聴に値するものであったように思われる。続いて、Derrida and Husserlの著者であるLeonard Lawlorの発表が行われた。彼は『友愛のポリティックス』におけるデリダのニーチェ読解を論じた。とりわけ、同書に現れる「すり減ることのない友愛(amitié insurable)」という印象的な概念に着目し、この概念の解釈から出発して、友と敵の反転可能性、喪の問題、女性、相互性の問いなど、重要な問題系を次々と引き出してみせた。



小休憩の後に発表を行ったのはJérôme Lèbreである。彼は、デリダとヘーゲルとの関係を「往復書簡」に擬えて論じた。ヘーゲルとの関係がデリダにとって重要なものであることは論を待たないが、Lèbreがデリダと教育制度との関係を、そのヘーゲル読解と重ね合わせていた点は興味深いものであった。『ヘーゲルの時代』の著者は、ヴィクトル・クザンやジャン・イポリットという高等師範学校におけるヘーゲル読者の伝統に列なる者であり、ヘーゲルについての博士論文を準備していた人物でもあるのだ。続くストラスブール大学のGérard Bensussanは、ヘーゲルを参照しつつ、デリダにおける「割礼」の問題を論じた。割礼をいかにして「哲学素」として読み解くのかという問いが、その発表の主題であった。Bensussanは、ヘーゲルの『キリスト教の精神とその運命』におけるユダヤ人の形象と割礼を重ね合わせ、割礼を縫合されることなき傷、合一へと至ることなき分離として描いた。質疑応答においては、ユダヤ教とキリスト教の関連、『弔鐘』の二つの円柱につけられた「傷」といった重要な問題が提起された。

午後のセッションは、ガラタサライ大学のNami Baserの¬「存在なきデリダ(Derrida sans l’être)」と題された発表によって口火が切られた。極めて流暢なフランス語によってなされたこの発表は、デリダのテクストを博捜しつつ、最終的にはデリダとハイデガーの関係に光を当てんとするものであった。発表後の質疑応答においては、ハイデガーにおいても散種へと向かう動きが存在するのではないかという問いが提起された。これに対してBaserは、フッサールやハイデガーのテクストの多様性を認めつつ、デリダはそこにおける散種的な側面をよりラディカルに捉え直しているのだ、と明快に説明してみせた。続いてElise Lamy-Restedが、デリダによるフッサール時間論の解釈についての発表を行った。デリダのテクストを自由に駆け巡ったBaserとは対照的に、彼女の発表は、『声と現象』の第五章における、フッサールの『内的時間意識の現象学』のデリダによる解釈を綿密に検討するものであった。会場からは、ルドルフ・ベルネやマルク・リシールによるデリダのフッサール解釈に対する異議、さらにはデリダのフッサール解釈におけるハイデガーの影響に関する質問がなされた。



初日の最後には、ナンシーとヴェルナー・ハーマッハーが、場所を移してストラスブール国立劇場にて対談を行った。冒頭において、ライン川を挟んだフランス人とドイツ人の対話を演じると冗談交じりに宣言した二人は、ドイツとフランスにおけるデリダの受容、昨今の世界的な哲学の状況などを縦横無尽に論じた。本報告者にとっては、デリダを初めて読んだ際、そこに「今日(aujourd’hui)」を見出したと語ったナンシーの発言がとりわけ印象的であった。

二日目の冒頭に発表を行ったのは、主催者の一人でもあるJacob Rogozinskiである。ハイデガーとヘーゲルの論理に抗するものとしてデリダのアポリアを描きだしたRogozinskiは、デリダはタナトロジーへと接近し過ぎているのではないかとの危惧を表明し、デリダとは異なる形で「生き残り」を思考する可能性について論じた。この発表の後、ナンシーとRogozinskiとの間で長大な議論が展開された。ナンシーは、生と死との錯綜を論じつつも「生き残り」を語るデリダは決してタナトロジックではないとRogozinskiに真っ向から異論を唱えた。他方でRogozinskiは、デリダはなぜ「現前しないもの」に「死」という名を与えたのかという疑問を提起し、彼のテクストには死を語ることへの偏好がないだろうかと応えた。最終的に平行線をたどったままに終わったこの議論は、デリダにおける「現前しないもの」の規定、それに与えられる死という名の意義という、極めて難しい問いを聴衆に投げかけるものであったように思われる。

この予定時間を大幅に超過した議論の後、シカゴ大学のPhilipp Schwabの発表が行われた。彼は60年代のデリダのテクストに主に拠りながら、ハイデガーのニーチェ読解とデリダのそれとの対比を浮き彫りにした。この発表においては、シェリングの重要性にも言及され、さらにはシェリングを通してデリダとドゥルーズとの比較も可能となるのではないかとの示唆がなされた。次に、コインブラ大学のFernanda Bernardoがデリダとハイデガーの間における痕跡をめぐる発表を行った。取り上げられることのあまり多くないデリダの死刑に関する講義録を参照しつつ、彼女は、晩年においても変わることのないデリダのハイデガーに対するある種の忠実さを描き出した。続いて、Christian Ferriéは『友愛のポリティックス』におけるデリダのカール・シュミットの読解について論じた。シュミットのいわゆる友敵理論と、デリダのその解釈を分析しつつ、Ferriéはデリダのシュミット解釈が、今日の政治的状況の分析においても有効であると力強く主張した。

二日目の午後にまず発表を行ったのは、トルコのコチ大学のZeynep Direkである。彼女はデリダとヘーゲルとの関係を経由して、最終的にはデリダとラカンにおける主体の問題へと議論をつなげた。動物の問いなど、多様な論点が提出された。最後に、Jean-Clet Martinによる「残余(Restes)」と題された発表が行われた。この発表でもっぱら問われたのは、『弔鐘』の建築的構造である。彼は、『弔鐘』における二つの円柱の特異性を尊重しつつも、その両者を分離する余白、空間へと注意を促し、そこからこの困難な著作を読解することを試みた。二日間のシンポジウムを締めくくる最後に、ストラスブールの中心街に位置するクレベール書店にて、Christian Ferrié、Jean-Clet Martin、Jacob Rogozinskiという、デリダに関する単著を持つ三人による討論会が開催された。それぞれの著作の内容を紹介することから出発して、会場からの質問にも答えつつ、比較的和やかな雰囲気のもとで様々な議論が展開された。



冒頭でも述べたように、デリダとドイツ語圏の思想家との関係を主に取り上げた本シンポジウムは、デリダにおける「哲学的」側面にとりわけ光を当てるものとなったように思われる。これまであまり注目されてこなかった論点も数多く提示され、本報告者としても啓発されるところの多い二日間となった。しかしながら同時に、デリダのテクストの困難さが改めて浮き彫りとなるような光景も幾度か目にさせられた。デリダによるフッサールやハイデガーの解釈などについて、質疑応答において議論はたびたび紛糾した。また、幾つかの発表は、デリダを「哲学的」に読解する中で、そのような読解へと彼のテクストを限定することの不可能性を身をもって示していたように感じられる。例えば、割礼や『弔鐘』における二つの円柱の関係といった問題は、いうまでもなく単純な解釈を許すものではない。しかしながら、解釈が分かれる地点、あるいは容易に答えを与えることができないような問い、それらこそが新たな読解のチャンスであるともいえるであろう。このような意味において、本報告者にとって今回のシンポジウムは、デリダを「再開する(recommencer)」ための多くの示唆を与えてくれるものであったということを記して、本報告を閉じることとしたい。(桐谷慧、東京大学/ストラスブール大学)